8.ピクニックと魚の塩がま焼き

「今度の休日、みんなでピクニックへ行きませんか?」


 ある日の昼下がり、いつものように店へとやってきたエリーは、昼食を済ませた後にそう切り出して、紅茶で満たされたカップを手に取るのだった。


「ピクニックって、お弁当を持ってどこかへ出かける、あれだよな?」

「はい、そのピクニックです」


 まあ、それ以外のピクニックなんて聞いたことがないので、当然と言えば当然なのだが。


「私、考えたのです。透さん、もしかして店と朝市を往復するぐらいで、他の場所へお出かけしていないのでは、と」


 ……図星である。およそひと月前にこちらに引っ越しを済ませて以来、足を運んだのは朝市と酒場ぐらいのものなのだ。


 正直に打ち明けるとエリーは頭を左右に振り、やれやれと軽くため息を漏らすのだった。むぅ、聖女らしからぬ振る舞いだなあ、などと一瞬思ったものの、エリーぐらいの年頃なら、むしろこういった態度が普通なのかもと思い直し、俺は耳を傾ける。


「パルドラ王国は自然の宝庫です。その豊かさに触れないで過ごすのはもったいないですよ」


 と、言われたところで土地勘がないからな。あと、店の死活問題を抱えたまま、どこかへ出かけるっていうのは考えもしなかったんだよ。


 ラテを抱きかかえたエリーは、頭を撫でながら続けた。


「郊外を少し歩くと、緑に囲まれた湖があるのです。一緒に行きませんか?」


 そう言って、「ラテも行きたいよね」と、エリーは抱きかかえた黒猫へ声を掛ける。みゃあという鳴き声をキッチンの中で聞きながら、俺はお誘いを受けたからにはせめてお弁当ぐらいは作ろうと、昼食の用意を買ってでるのだった。


「いえいえ、お誘いしたのはこちらですので。お弁当は私が用意します」


 その意外な返答に、俺はますます恐縮してしまう。聖女というからには、普段から忙しいだろう? 手を煩わせるような真似はさせたくないのだ。


「大丈夫ですよ、レオノーラも手伝ってくれますし。ああでも、期待しないでくださいね? 透さんが作るようなご馳走はご用意できませんから」


 申し訳なさそうにエリーは呟くが、とんでもない。作ってもらえるだけでも感謝しなければ罰が当たるって話である。気持ちがありがたいんだよ、気持ちが。


 ……そんな風に応じてみせると、エリーは面白がってクスクスと笑い声を漏らしながら、こう結ぶのだった。


「それでは休日、お迎えに上がります。ラテもお出かけの準備しておいてね?」

「にゃっ!」


 元気よく応じる黒猫に、満足の笑みを漏らしつつ、エリーは店を後にした。


 しかし、そうかあ、ピクニックかあ。自然の中でお弁当食べるとか、小学校の遠足以来じゃないか?


 しかも緑に囲まれた湖で、エリーお手製のお弁当が食べられるとか、そんなの行く前からめちゃくちゃ楽しいに決まっているじゃないか。


「待ち遠しいなあ。な、ラテ?」

「にゃあ」


 愛猫に話しかけながら、俺は湖畔を陽気にはしゃぎ回る未来予想図を想像し、一人悦に浸るのだった。


 ……当日、過酷な道中が待ち受けているとは知らずに。


***


 迎えた週末。


 淡い緑色のワンピースに麦わら帽という、「THE・清楚」といった装いで店に現れたエリーは、装いに不釣り合いな大荷物を両手に抱え、ほがらかに「ごきげんよう」と口を開いた。


「いいお天気で良かったですね、透さん」

「うん、天気がいいのはいいんだけど……」


 その荷物はなに? と、尋ねる俺に、エリーは極上の笑顔で一言、


「お弁当です」


 と、応じ返すのだった。……それにしたって量が多すぎやしませんかね?


「レオノーラの分もありますから」


 なるほど、原因の大半はお前かと視線を向けた先では、動きやすい軽装と、腰に剣を携えたポニーテールの女剣士がいて、こちらはこちらで大きな鞄と長い棒を抱えながら佇んでいる。


「レオノーラはなにを持ってきたんだ」

「見たらわかるだろう。釣り竿だ」


 そう言って、見せつけるように釣り竿を差し出すレオノーラ。


「まさか見たことがないのか?」

「あるわい。で、そっちの鞄はなにが入っているんだ? それもお弁当じゃないだろうな?」

「少し違う。着いてからのお楽しみだ」


 曖昧に返事をして、レオノーラはそばに座る黒猫に話しかけた。


「ラテさんは魚を食べたことがあるか? 美味しいぞ、魚は」

「にゃあ?」

「ふふ、そうか。私が大物を釣り上げるからな。楽しみにしておけよ?」

「にゃー」


 颯爽と歩き出したレオノーラの後を追うようにして、ラテもとことこと歩き出した。ああもう、二人とも勝手に出発するんじゃないと思いながら、俺はエリーに荷物を預けるよう手を差し伸べた。


「こんな大荷物、女の子に持たせたままなんて悪いよ。いいから貸して」

「でも……」

「いいからいいから。それに湖まではそんなにかからないんだろう?」


 やや強引に荷物を受け取った俺は、エリーに向かっていたずらっぽく微笑んだ。


「さあ、エリーさん。ガイドは任せますよ?」


 きょとんとしたエリーの顔が、一拍の間を置くと、柔和なものへと変化していく。


「ええ、透さん。この聖女エリーにお任せください」


 そしてエリーは軽やかな足取りでレオノーラとラテを追いかけ始めた。俺は両手に確かな重みを感じつつも、それほどの距離は歩かないだろうと楽観の構えで、楽しいピクニックが始まると予感していたのである。


 ……それがまさか、二時間も歩くはめになるとはなあ……。


 いや、出かける前の涼しい顔はどこへやら。いまや全身汗だくで、顔は疲労困憊。隣で付き添ってくれるエリーは五秒に一回「大丈夫ですか?」と声を掛けてくる始末。


「大丈夫、大丈夫。もうすぐ、そこなんだろう?」

「ええ、もう歩いてすぐのところです」


 森に入ってからというもの、このやりとりも三十分は続けているのだ。こちらの世界でいうところの「もうすぐ」とは、いったいどんな基準なのだろうか?


 まったく、こんなはずではなかった。大荷物を軽々と運び、カッコいいところを見せようと思っていたのに、現実はこのざまである。まったくもって情けない。


 っていうかね、二時間も歩いているのに、平然としているエリーすごすぎない? 普通は多少なりとも疲れを見せたっていいもんなんだけど、こちらの世界の聖女様は、意外と肉体派なのだろうか?


 ちなみにレオノーラとラテの姿はとっくに見えなくなっている。多分、先に湖へ向かったんだろうなあ。今頃、釣り糸を垂らしているんだろうか?


 そんなことを考えながら、ぜえぜえと息を切らしつつ歩いていることしばらく、


「透さん、見えてきましたよ」


 声を弾ませるエリーが示した先には、あまりにも巨大な湖がその存在感を示していて、俺は最後の力を振り絞り、湖畔を目指したのだった。


***


「遅いぞ、二人とも」


 息を切らして辿り着いた先では、ピクニックシートを広げたレオノーラが釣り竿の手入れをしていて、ラテが興味津々といった眼差しで眺めやっている。


「もう、レオノーラが早いんでしょう?」

「なにを言うんだ。急がなければ、釣りのタイミングを逃してしまうだろう?」


 ふんすと鼻息荒く立ち上がったレオノーラは、拳を握りしめ、意気揚々と宣言した。


「よし、今日こそ湖の主を釣り上げてやるぞ。ラテさん、行こう」

「にゃあ」


 そう言い残し、ラテを伴って釣りのポイントへ移動し始めるのだった。すっかりと仲良しになったなあ……じゃなくて、少しは休むとかしないのか?


「仕方ありませんね、私たちだけでもお休みしましょうか?」


 エリーはそう言って、持ってきた大荷物をほどき始めた。包みの中には聞いていたとおりお弁当が収められていて、その姿を現すのだった。


 ライ麦のパン、ふかしたジャガイモに香草を混ぜたバター、ローストチキン、リンゴやオレンジ、それにキウイフルーツといった果物類。


 こちらの世界ではご馳走といっても良い食べ物たちが、これでもかというぐらいに山積みになると、広いシートの一角で存在感を放つのだった。


 このほとんどをレオノーラが食べるんだよな……。遠く離れた場所で釣り糸を垂らす女剣士と黒猫を眺めながら、俺は内心、そら恐ろしさを禁じ得ない。


「お疲れでしょう? お茶淹れますね」


 レオノーラが抱えていた大きな鞄を取り出したエリーは、中からティーポットとティーカップ一式、それとケトルを取り出して紅茶を淹れる準備に取りかかっている。


 それから簡易式のコンロを組み立てて木の枝を置くと、手をかざして呟いた。


「ファイア」


 呟きとともに、炎が巻き起こったと思いきや、一瞬にして木の枝に燃え移る。呆気にとられる俺に穏やかな表情を向けながら、


「聖女といえども、魔法ぐらいは使えますよ」


 応じたエリーは微笑みながらで薪をくべ始めるのだった。


 ほどなくして、手際よくリンゴとオレンジを綺麗に切り分けたエリーは、茶葉とともにティーポットへ投入し、沸騰したお湯を注ぎはじめた。


 瑞々しい香りが広がり、新緑の風景と相まっていく。疲れが取れていくような感覚に浸りながら、ようやく自然を楽しむ余裕が出てきた俺は、深呼吸をひとつすると、エリーに尋ねた。


「ここにはよく来るのか?」

「月に一度ぐらいです。レオノーラが釣り好きなので、お休みが合えばって感じですね」


 フルーツティーをカップへ注ぎ、エリーは差し出した。爽やかさが鼻腔をくすぐって、満足の吐息が漏れる。


「しかし、湖に来るたびこんな大荷物を抱えてくるのは大変だろう?」


 後ろに控える山積みのお弁当を見やって呟くと、エリーは「慣れたものです」と胸を張るのだった。


「これでもまだ少ないほうですよ。レオノーラが現地調達してくれる分、お弁当の量を減らしていますから」

「現地調達?」

「ほら、あんな風に」


 視線を転じた先では、レオノーラが釣果を自慢するよう魚をかざしているのが見える。なるほど、現地調達ね、釣った魚をその場で調理して食べるのかと納得。


 やがてしばらくすると、「大漁大漁」と木のかごを片手に上機嫌で戻ってきたレオノーラは、釣ってきた魚を簡易式のコンロに乗せ、手慣れた様子で焼き始めるのだった。


「ようし、ラテさん。少し待っていてくれ。美味しい魚を焼くからなあ」

「にゃあああ」


 鼻を動かしながら、待ち遠しいといった様子でラテはコンロの近くに座り込んでいる。やけどしないように気をつけるんだぞ?


「おお、そうだ、透。透にはこれを渡そうと思っていた」


 魚の入った木のかごから、特段大きな魚を取り出したレオノーラは、俺にそれを差し出すと、これが「ソードフィッシュ」という名前の魚だと教えてくれた。


「ほら、鋭角的な形をしているだろう? どことなく剣に見えるからその名が付いたんだ」

「美味しいのか?」

「美味いぞ。淡泊な白身だが、実に味わい深い」


 食へのこだわりが強いレオノーラのお墨付きである。きっと美味しいんだろうけど、問題がひとつあってだな……。


「……? 内臓なら取り除いてあるぞ」

「いや、そうじゃなくて。こんなにいい天気の中で持ち帰るとなったら、魚が傷まないか?」


 徒歩二時間の道のりを歩いてきたのだ。クーラーボックスもない状態で、魚を無事に持ち帰れる自信はない。


 すると、レオノーラは、心配無用と声に出して、それからソードフィッシュに手をかざすのだった。


「アイスストームっ!」


 たちまち冷たい風が巻き起こっては魚全体をまとっていき、みるみるうちに氷漬けにされていく。


 やがて、一メートル四方の氷の塊が作り出され、その中心部に魚が埋め込まれるという奇妙な物体が完成した……までは良かったのだが。


「氷漬けにした。これなら安心して持ち帰れる」


 ふんすと鼻息荒く続けるレオノーラに、俺は尋ねた。


「まあ、鮮度は安心できるけどさ。……これ、どのぐらいで溶けるんだ?」

「最低でも三日は必要だな」


 でしょうね! これだけの塊、一日やそこらで溶けるはずないもんな?


 ……はあ、仕方ない。ソードフィッシュを味わうのはしばらく我慢しておくとして、今日のところは大自然を楽しむとするか。


 それに、せっかく新鮮な魚が手に入ったのだ。作ってみたい料理もあるし、二人には氷の溶ける三日後に、改めて店へ来てもらうことにしよう。


***


 それから三日後。


 ようやく溶けきった氷からソードフィッシュを取り出した俺は、さっそく調理に取りかかった。


 ボウルで卵白を泡立てる。軽く泡立ってきたら大量の塩を加え、さらに混ぜ合わせておくのだ。


 それを鉄板に敷き詰め、香草を置き、その上にソードフィッシュを乗せる。再び卵白と塩を混ぜたもので魚全体を覆い被せたら、形を整え、石窯でじっくりと焼き上げていく。


 焼き上がったら覆い被さっている塩の部分をハンマーで叩き壊す。中から出てきた魚をお皿に盛り付け、オレンジやレモンを添えたらソードフィッシュの塩がま焼きの完成だ!


 ほどなくしてお店に現れたエリーとレオノーラに、できあがったばかりの塩がま焼きを振る舞うと、二人はいたくこれを気に入ったようで、口々に美味しいと声を上げるのだった。


「このお魚、淡泊な味だと思っていたのですが、こうやって調理すると味が濃縮されるのですね」

「身がふっくらしていてとても美味いぞ、透。普通に焼いたらパサパサになるのに、どうやったんだ?」


 不思議そうに呟きながらも、レオノーラはフォークの手を止めない。よかった、ここらへんでは魚料理を見ないから、気に入ってくれるかどうか不安だったんだよね。


「パルドラ王国は海に面していませんから、魚介類は高級品なのですよ」

「そう、食べられても川魚がやっと。だから釣りに行くんだ」


 趣味と実益を兼ねているわけか。しかしまあ、湖の魚でこれほどまでに美味しくできたのだ。海の魚でも試したい欲求に駆られるなあ。


「では今度は海へ釣りに行こう。海の魚で、この料理を食べたい」

「どこまで行くつもりだよ。王国に海はないんだろう?」


 なにげないやりとりをかわしていると、やがてエリーは食べる手を止め、そして決意を込めた瞳でこちらを見やった。


「……透さん。次の『魂の晩餐』なのですが、また週末にお願いできないでしょうか?」


 それはかまわないけど……。真剣味を帯びたエリーの声は珍しく、俺はそれとなく構えると、続きの言葉を待つのだった。


「少し特殊な事情がありまして。今度の儀式は慎重に執り行う必要があるのです」

「そりゃまた、どうして?」

「魂に、とある共通点があるのです。その、どう申し上げるべきか判断に迷うのですが……」


 珍しく言いよどむエリーに、俺はいまさら気にしなくてもいいよと気さくに応じ返した。『魂の晩餐』を開くことには変わりないし、事情を知ったところでどうだって話である。


 すると、ようやく決心が付いたのか、エリーは軽く息を吐き、あらためて口を開くのだった。


「次回の儀式で迎え入れようとしている魂は、すべて、殺害された人のものなのです」

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