11.ニンニク塩から揚げと湖と森の女神

 この日の午後。


 俺とラテは妖精のキキに連れられて、湖畔へと足を運んでいた。先日のピクニックで訪れた、森に囲まれた湖である。


 キキからのお願い、それは湖に住まう女神の頼みを叶えて欲しいというものだったのだ。


「頼みって?」

「そ、それが料理に関することなのです。と、透さんは凄腕の料理人とお見受けいたしました。ど、どうか、女神様のお話を聞いていただけないでしょうか?」


 女神ぐらいはいるだろうと、存在そのものについてはたいして疑問に感じなかったのだが、女神が料理についての頼みごとを抱えているのは謎である。


 とはいえ、見当のつかないお願いをされているわけではない。少なくとも料理という共通する話題があるのなら、話を聞くぐらいはできるだろう。


「わかった。とりあえず会って話を聞くだけならかまわないぞ」

「よ、よかった! き、きっと、め、女神様もお喜びになれます!」


 嬉しそうに声を上げたキキは、そうだ、と、思い出したように呟くと、やや間を置いて、申し訳なさそうに続けてみせる。


「そ、それで……め、女神様にお目に掛かる上で、透さんにご準備いただきたいものが……」


 お土産とか、お供え物とか、そういうものだろうか? まあ、女神と言うからには失礼がないよう、持参しておいたほうがいいだろうなと考えていると、キキは予想もしていなかったことを言い出した。


「お、お酒……。で、できれば、度数の強いものを用意していただきたいのです」


***


 ……そんな事情で、俺はといえば赤ワインと白ワインの瓶を抱え、湖畔にやってきたのである。度数の強い酒といわれても、あいにく店にはワインしかなかったのだ。


 というか、度数の強い酒を用意しろってなんだよ、そんなお供え物のリクエストなんて聞いたことがないぞ?


「す、少しお待ちくださいね」


 そう言ってキキは俺たちから離れ、湖の上をふわふわと進み続けた。おそらくは女神を呼び出すためだろう。


 おとぎ話の『金の斧と銀の斧』を彷彿とさせるシチュエーションだな。こう、湖がピカーっと光ったら、水の中から女神が現れるっていうやつだ。


 幻想的な光景を期待していた矢先、湖を漂っていたキキがまっすぐにこちらへ戻ってくることに気がついた。……もしかして留守だったとか、そういうオチはないよなと訝しんでいると、キキは俺の肩越しに視線を向けて声を上げてみせる。


「め、女神様! こ、こちらにおいででしたか!」


 つられて振り返った先には、白いローブに身を包んだ、薄紫色のロングヘアの女性が佇んでいる。


「うわぁ!!! いつの間にっ!?」


 思わずのけぞった俺のことなどお構いなしに、女神様と呼ばれた人物は妖精のキキに視線を向けた。


「キキ、よく帰ってきましたね。はぐれてしまったと、皆心配していたのですよ」

「ご、ご心配をおかけしましたっ! あ、危ないところを、透さんとラテさんに助けていただいたのです!」

「もしかして、こちらがその……」


 これ以上ないほどの糸目が特徴的な女神は、俺とラテに視線を移したかと思いきや、そのまま眼差しを動かし、手元に抱えたワイン瓶を食い入るように見つめている。


「それは……」

「……え? ああ、お土産というかなんというか……。お酒お好きなんですか?」


 尋ねながらワインを差し出すと、女神の背後がピカピカと光り出した。後光が差すというには直接的すぎる光である。


 呆気にとられる様子もお構いなしに、女神はニヤリと口角を上げ、それから俺の肩をバシバシと叩き、それまでの態度がウソのように思える口調で続けたのだ。


「なんや、兄ちゃん、ウチが酒好きなのを知ってたん!? 持参してくるなんて殊勝な心がけやないの! 気に入ったわあ!」


 そう言って、その場に座り込んだ女神は、よいしょとあぐらをかいてから、持参した赤ワインの瓶を直接口に運ぶのだった。……は? 瓶ごと!? 直接!?


 まるで水でも飲むかのように、ごくりごくりと喉を鳴らしながら赤ワインを流し込む女神は、「ぷはぁ!」と熱い吐息を漏らしながら、白いローブが汚れるのを気にする様子もなく、袖で口元を拭ってみせる。


 ……ええと、俺の中の理想の女神像が、ガラガラと音を立てて崩れ落ちていくのですが……。


 思わず視線を横に向ける。妖精のキキは満足そうな表情でふわふわと宙を漂っていて、俺は顔を近づけては、囁くように問いかけたのだった。


「……この人が女神様?」

「そ、そうです」

「間違いじゃなく?」

「め、女神様ご本人です」

「せやで、ウチが湖と森を司る女神様やで? えらいキュートやから驚いたやろ?」


 ナハハハハと笑い声を上げ、赤ワインを一気に飲み干した女神は、白ワインに手を伸ばし、それを口元へと運びかけた。


「す、ストップです、女神様! と、とりあえず話を聞いてくださいっ!」


 不本意そうな表情を浮かべた女神はキキへと視線を向ける。


「なんやぁ? いいところなんやから、ジャマせんとって」

「も、もうっ! た、頼み事をお忘れになったのですかっ!」


 その一言に、なにかを思い出したのか、「せやったせやった」と呟いた女神は、ワイン瓶を一旦地面へと降ろし、こちらへと向かい直った。


「キキが連れてきてくれたんや、兄ちゃんがウチの頼みを叶えてくれるんやろ?」

「……いや、とりあえず話を聞くだけ聞いてみようかなと思って来てみたんですけどね」

「まあまあ、お堅いこと言うなや。頼みいうてもささやかなモンなんや。なんや、兄ちゃんなら、ちょちょいのちょいで解決してくれると思うわあ」


 酒が回ってきたのか、すっかりと顔を上気させた女神はラテの頭を強引に撫でながら、間を置くように白ワインを喉に流し込む。


「解決するもなにも、内容がわからないとなんとも言いようがないですよ」

「そう慌てなさんな。……ゴクゴク……。いま、説明するさかい……ゴクゴク……」


 一言ごとにワインを飲む女神は、結局、瓶が空になるまで続きを話すことはなく、空になったワイン瓶を名残惜しそうな眼差しで眺めながら、ようやく口を開くのだった。


「おかわりはないんか?」

「いや、それよりも話をしてくださいって。頼み事ってなんですかっ」


 ダメだこの女神、酒飲みが過ぎる……!


 頭を抱えたい気持ちを押し殺しながら、それでも辛抱強く待ち続けていると、女神はラテを抱きかかえ、今度は身体を左右に揺らしながら、ようやく事情を打ち明け始めた。


「実はなあ……、最近、ウチを訪ねる連中が減ってきてんよ」


 そこから長時間にわたって話を続けられたのだが、その大半が愚痴だったので、ここではかいつまんで説明しよう。


 要点はいえば、ここ最近、湖や森林にお供え物をする人たちが減ってきたと、そういうことらしい。


 もともと自然崇拝の強い土地柄だったのだが、ここ最近、王都に聖女が登場した影響で、信仰の対象はそちらに移ってしまった。


 そうなるとどうなるか。お供え物の一つである、酒を飲む機会が激減してしまうのだ。酒好きの女神としては、見過ごせない事態である。


 ……おとなしく耳を傾けていた俺は反射的に呟いた。


「あの」

「なんや?」

「帰ってもいいですか?」


 アホらしい。酒好きの女神が、酒が飲めないのをどうにかしたいと、そういう話なんじゃないか。


「ああん、待って待って。話はここからが大事なんよ」


 再び腰を下ろすように勧めた女神は、俺が座り込むのを確認してから、話を続ける。


「ウチがお酒飲めんようになるとな、妖精たちこのこらも実体が保てなくなってしまうねん」


 女神は人々からの信仰やお供え物をある種のエネルギーに変換し、妖精たちや豊かな自然に還元する。


 この女神の場合、それを最も効率よく配分できるのが好物でもある酒だそうで、それが飲めなくなることはすなわち、環境の悪化に繋がる、と、そういうことらしい。


 ……なるほど。つまり、定期的に酒を持ってこいという話かと理解したのだが、女神の頼み事は、やや異なるものだった。


「それもあるけどなあ、なんや、最近は酒だけ飲むのは飽きてしもうてん」

「はあ」

「飽きたせいもあってな、この子らに栄養を渡すのもなんや難しくなって、これはウチ自身も栄養をつけたほうがいいと思うたんよ」

「ああ、なるほど。精の付くご飯が食べたいと、そういうことですか」

「いやいや、そんなたいそうなものやなくて。なんや、酒のアテを用意してもらえへんかな。ていうか、むしろ酒のアテがええね」


 断言する女神をまじまじと見つめ、俺は尋ねた。


「もしかしてですけど、妖精たちを王都へ向かわせたのは……」

「せやで、ツマミを探してもらおうと思ってん」


 くらりとめまいを覚えたね。キキもまさかツマミを探していていた最中に倒れるとは思いもしなかったろうに。


「お、お願いです、透さん。め、女神様の要望を叶えてもらえませんか?」


 いじらしく声を上げる妖精を見ながら俺は思ったね。それでいいのか、と。……いいんだろうなあ。妖精にしてみれば、女神が主みたいなもんだし。


 ……はあ、女神はさておき、妖精と知り合ったのはなにかの縁だ。ここはキキの顔に免じて、頼みとやらを聞いてやるとするか。


「……わかりました。なにかしら作って持ってきますよ」

「ホンマ!? いやあ、メッチャ嬉しいわあ!」

「その代わり、気に入るかどうかの保証はできませんよ?」

「問題あらへんよ! あ、ついでにワインも持ってきてもらえると嬉しいわ。できれば辛口のやつで」


 へいへいと応じながら、俺は立ち上がると湖畔を後にした。ふと、なんとなしに振り返ってみると、そこにキキと女神の姿は見えず。


「……なんとも奇妙なことに巻き込まれたなあ」

「にゃあ……」


 同意するラテを伴いながら、俺は酒のつまみになるような料理について思いを巡らすのだった。


 つまみねえ……? お酒が進むようなものだったら、いくつか心当たりがあるけれど、やっぱりここはアレを作るしかないかな。


***


 迎えた翌日。


 俺はキッチンでエプロンを巻き付けると、にんにく塩から揚げを作るべく下準備に取りかかるのだった。


 まず、鶏もも肉は一口大に切っておく。ボウルに、すりおろしたたっぷりのにんにくとショウガ、酒、砂糖、塩、それと粗挽きの黒胡椒を多めに加えたら、鶏もも肉を漬け混むのだ。


 小一時間ほど漬け込んだら、鶏もも肉を取り出す。水気を拭き取った鶏もも肉に片栗粉をまぶしおき、まずは中温の油で揚げていくのだ。


 ある程度火が通ったら、油から上げ、今度は高温の油で一気に熱を通す。からりときつね色になるまで揚げたら、にんにく塩から揚げの完成だ!


 できあがったから揚げをバスケットに詰め込んだ俺は、女神の要望通りワインを手にして湖を目指した。三度目とはいえ、二時間の道のりに慣れることはない。


 ようやく見えた湖畔には、すでに女神と妖精のキキが待ち構えていて、俺を視界に捉えるやいなや、女神はこれ以上なくフレンドリーに片手を上げてみせるのだった。


「やあやあ、兄ちゃんやないの。なんやアンタ、昨日の今日でもう作ってきてくれたん?」

「約束しましたからね」


 肩をすくめて応じ返すと、女神はさっそくバスケットが気になったのか、「ほんで? ほんで?」と繰り返すのだった。……まったくこの駄女神だめがみは。


「はい、ご要望に添えたかわかりませんが、ニンニク塩から揚げを作ってきました」

「うひょー! ええやないのええやないの! めっちゃええ匂いするやないの!」


 待ってられないといった様子で、女神はから揚げを指で掴み、口へと運び込んだ。かじりついた瞬間、からげから肉汁が飛びだしていく。


 もったいないと言いたげに、から揚げを一気に口へ押し込んだ女神は、もぐもぐと口を動かしてから、くいっと手を動かし、「ワインを寄越せ」とジェスチャーをしてみせる。


 慌てて赤ワインを差し出すと、女神は瓶を掴み、そのままゴクリと喉元へ流し込んだ。それから身体をふるふると震わせ、


「美味いっ!!!!!!」


 と、力強く叫ぶのである。


「なんや、兄ちゃん! えらい料理が上手なんやなあ! ウチ、こんなに酒と合うアテが来るなんて思いもしなかったわ!」


 から揚げワインから揚げワインと、忙しく交互に手を運びながら、女神は夢中で口を動かしている。


 妖精のキキといえば安心した様子で女神を見つめ、それからこちらへ視線を動かし頭を下げた。


「と、透さん、本当にありがとうございます! め、女神様のあんなに嬉しそうな顔を見るのは本当に久しぶりでっ!」

「それはよかった」

「ら、ラテさんもありがとうございますね!」

「にゃあ」


 ほのぼのとしたやりとりを繰り広げていた最中、ニンニクとアルコールの匂いの混じった満足の吐息を漏らし、女神が割って入ってみせる。


「感謝するで、兄ちゃん。こんなに美味いものを食べたのは、この何百年となかったわあ。よければ、また作ってきてくれるか?」

「そんな頻繁には来られませんけど、それでもよければ」

「よっしゃ! ちゃぁあんと言質取ったからな? 自分、約束は守らなアカンで?」


 女神はワインを飲み干しながら、上機嫌で呟いた。……やれやれ、この分だと、ここを訪れるたびに、とんでもない金額の酒代が飛んでいきそうだな。


 そんな考えを察したかどうかはわからない。だが、残りのから揚げを綺麗に平らげた女神は、あらたまった面持ちでこちらを見やり、それからこんなことを申し出たのだった。


「ふぅ、すっかり満腹や……。ここまでしてもろうたんや、兄ちゃんには、なにかしらのお礼をせんとな」

「お礼、ですか?」

「せや、いわゆるご褒美っちゅうヤツやな。なんでも好きなモン言うてくれや、ウチが叶えたるさかい」

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