12.ご褒美とママレードのスペアリブ

 どーんと胸を叩いた女神は、得意げにそう言ってはこちらの反応をうかがっている。ご褒美、ねえ? いきなり言われたところですぐには思いつかないよなあ。


「兄ちゃんぐらいの年頃やったら、女にモテたいとか、金持ちになりたい! とか、いろいろあるやろ? もっとも、言われたところでその手の願いは叶えらへんけどな!?」


 ナッハッハ! と、笑い飛ばし、女神はご機嫌に俺の背中をバシバシと叩いた。……はあ、まあ、大して期待はしていなかったので、どうでもいいといえばどうでもいいのだが。


「ちなみに、どんなご褒美だったら叶えてくれるんですか?」


 参考までに尋ねると、女神は顎に手を当て、しばらく考え込んでから呟いた。


「せやねえ……。ここら辺で採れる果実とか魚を好きなだけ貰える、とか、妖精たちこのこらにちいとばかし働いてもらうとか」

「妖精たちに?」

「せや。たとえば妖精たちの情報網を使つこうて、兄ちゃんの店の宣伝とかもできるで」


 妖精は精霊や神に近しい存在であるため、魔力を用いた思考の共有などが図れるそうだ。それらはある種の神託となって人のもとへと伝わる。あとは人から人へと情報が広がっていけば、自然と店の存在が知られるだろう、と、そういう話らしい。……ええ? なんかウソっぽいなあ。


 仮にその話が本当だとしてもだよ? そういう能力はもうちょっとありがたい話とかに使うべきじゃないかなとか考えていた最中、俺はとあることを閃いた。


「……それって逆も可能なんですかね?」

「どういうこと?」

「例えば、精霊が持っている情報を、妖精たちに集めてもらうとか」

「情報の共有に変わりないからなあ。問題ないで?」


 小首をかしげる女神とキキを交互に眺めやりながら、俺は会心の笑みを浮かべると、とある相談を持ちかけたのだった。


「その情報網を見込んで、調べてもらいたいことがあるんですよ」


***


 慌てた様子でエリーが店へと駆け込んできたのは、それからしばらく経ったある日のことで、美しいプラチナブロンドのロングヘアを揺らしながら店内に現れた聖女は、瞳を大きくさせながら俺の名前を連呼するのだった。


「透さんっ! 透さん、透さん!!」

「エリー、どうしたんだ? そんなに慌てて」

「どうしたんだじゃないですよ! いったいどんな魔法を使ったんですか!?」


 もちろん魔法など使えるはずもない。とにかく落ち着くように席を勧めると、エリーは呼吸を整えながらカウンターへ腰掛けた。


「なぁぁ」

「ああ、ゴメンね、ラテ。ビックリさせちゃったね」


 片隅で居眠りをしていた黒猫は、突然の訪問者に目を覚ましながらも、接客は忘れないとばかりに身体をすり寄せてみせる。その身体を撫でてやりながら、エリーは柔和な微笑みを浮かべた。


「……って、落ち着いている場合じゃなかった! 透さんにお話を伺おうと思っていたんですっ」


 我に返ったようにこちらへ向き直ったエリーは、ようやくといった具合に本題を切り出すのだった。


「大臣が絡んでいると思われた殺害の一件、関係者が見つかったのです!」

「おお、進展があったのか。よかったじゃないか」

「驚きました。突然、妖精が現れたかと思ったら、貴重な情報を教えてくれたのですから」


 妖精いわく、「殺害に関与した人物を知っている」ということで、それらの人物の名前や特徴をエリーに伝ええた上で、さらにこう付け加えたそうだ。


「我らが主である女神様から、これらのことをあなたへお伝えするようにと言付かりました。女神様へ協力を仰いだ、透という人物に感謝することですね――」


 あ~……、ご丁寧にネタばらしまでされてしまったか。


 そうなのだ。俺が女神に頼んでいたのは、例の殺害事件についての情報収集だったのである。


 精霊は様々な場所に住まうと聞いているし、であれば、怪しい人物の一人や二人目撃しているのではないかと考えたのだ。


 妖精たちがそれらの話を聞いて回る。その結果をエリーへ伝えてもらえれば、それだけで良かったんだけど。


 結果はといえば、依頼主である俺の名前までご丁寧にエリーへ暴露されてしまった。そこまで言わなくても良かったんだけどなあ。


「透さん、いつの間に女神様とお知り合いになったのですか!?」


 カウンターに身を乗り出し、興奮の面持ちで俺の顔を見つめるエリー。


「ああ、その、いろいろあってなあ……。な、ラテ?」

「にゃあ……」

「もう、もったいぶらずに教えてくださいよう」

「そんなことより、証言者だよ。話が聞けそうなのか?」


 やや強引に話題を転じると、エリーは軽く息を吐き、再び席へ腰掛けた。


「名前が挙がった人物たちへ、一角獣騎士団が事情を尋ねに向かっています。ああ見えてレオノーラはやり手ですから、有力な情報を入手できるのではないかと」

「そうか、進展するといいな」

「ええ。それに、これらの情報が明るみに出れば、大臣への牽制になります。専横に対して予防線を張ることもできるでしょう」


 期待に満ちた瞳のエリーは、あくまで前向きといった様子で呟くと、俺の手を握りしめる。


「それもこれも、透さんのおかげです。本当にありがとうございます!」

「いや、俺はなにもしてないよ。お礼なら妖精たちに言ってくれ」

「そんな、ご謙遜なさらず」


 それから席を立ったエリーは、自分も調査に参加すると言い残し、


「またあらためてお礼にうかがいますね!」


 と、慌ただしく店を後にしたのだった。


 ……しかし、そうか、上手くいったか。それなら良かった。


「キキと女神に感謝しないとな」

「にゃあ」


 愛猫の鳴き声を耳に捉えながら、俺はキッチンの一角へ視線を移す。そこには朝市で買ってきたオレンジが積まれていた。


「じゃ、お礼がてらの料理を作るとしますかね」


***


 オレンジは前もってよく洗っておく。皮をむいたら、内側にある白い部分をなるべく綺麗に取り除き、皮を薄く切っていくのだ。


 薄く切った皮を湯がき、水にさらす。この工程を三~四回繰り返したら、水にさらしたまましばらく置いておく。


 オレンジの果肉部分は小房の状態で細かく切っておき、種は取り除く。種は捨てずに残しておこう。


 鍋に水気を切った皮、オレンジの果肉、種、水を投入し、軽くとろみが出てきたら種を除く。砂糖を少しずつ加え、よく混ぜながら煮詰めたら、オレンジママレードの完成だ。


「キキへのお礼はこれでよしっと。あとは女神用の料理だけど……」


 ここはやはりお酒のつまみになるようなものがいいだろう。そう考えた俺は、豚のスペアリブを用意した。


 フライパンを熱し、カットしたスペアリブを焼いていく。ボウルにママレード、塩胡椒、先日作ったソースを適量加え、よく混ぜ合わせたらスペアリブの上からかけ回すのだ。


 時々両面をひっくり返しながら、蓋をしてじっくり焼いていく。肉に火が通り、ソースが煮詰まれば、ママレードのスペアリブが完成である。


***


 できあがった料理とたっぷりのワインを手にした俺は、ラテを引き連れ、湖畔へと足を運ぶことにした。


 無人の湖は静寂さを保っていて、俺は辺りを見回し、誰もいないことを確認してから声を上げる。


「おーい、キキ、女神ぃ、いないのかー?」

「おるでぇ」

「うわっ! びっくりした! いきなり背後に立つなよ!」


 肩越しに声を掛けられ、俺は思わず身体をのけぞらせた。相変わらずの神出鬼没さに鼓動が早くなるのを覚えながら、それでもようやく冷静さを保とうとするのを無視するように、女神は脳天気に語をついでみせる。


「なんや、兄ちゃんやないの。今日はどうしてん?」

「と、透さん。こ、こんにちは」


 気付けば妖精のキキも宙を漂っていて、俺は情報収集が上手くいったことへの感謝を伝えると、小瓶を取り出し、キキへと差し出した。


「ママレードジャムを作ったんだ。食べられるといいんだけど」

「わ、私に? い、いいんですか?」

「うん、他の妖精たちと一緒に食べてくれ」


 喜びを表すように、キキはその場でくるりと一回転してみせる。その華麗な姿に見惚れていると、感動を打ち消すかのような呟きが耳元に届いた。


「なんやあ、兄ちゃん。キキばっかりで、ウチにはなんもないんかいな?」

「ワイン見ながら言ったところで説得力ないですよ。はい、こっちがあなたの分です」


 スペアリブとワインを渡すと、女神は「うひょー!」と声を弾ませ、勢いそのままにスペアリブへかぶりつく。


「む! 甘塩っぱい! これは酒が進むわあ!」

「でしょうねえ、そうなるように作ってきましたから」

「なんやあ、兄ちゃん。ウチのことよぉわかってるやないの。惚れてしまいそうやわあ」


 心にもない言葉を口にしつつ、女神はスペアリブを食べる手を止めない。やがて、ソースで汚れた指にしゃぶりついた女神は、閃いたように呟くのだった。


「アカン、兄ちゃん、ウチ発見してもうた」

「なんです?」

「指、メッチャ美味いわ……。これだけでワイン一杯イケる……」


 そうなんだよ、スペアリブのソースが付いた指、めちゃくちゃ美味いんだよな。上品ではないとわかっちゃいるけど、ついつい舐め取っちゃうんだよね。


「しかし、なんやなあ。兄ちゃんも珍しいなあ」


 ワインを喉へ流し込みんだ女神はスペアリブをつかみ取り、まじまじとそれを見やった。


「なんです? 料理をもってくることがですか?」

「いやいや、そうやないねん。ウチが願い事叶えたるとかいうとな、大抵の人間はおのれの欲のために使うもんなんやけど……」


 スペアリブにかぶりつき、それを飲み込んでから女神は続ける。


「でも、兄ちゃんはそうせんかったやん? わざわざ人のために願い事を使うとか、珍しい以外の何者でもないで?」

「そんなもんですかねえ?」

「せやで。……あ、なんや兄ちゃん。聖女にモテたいから、そんな願いことしたんかいな?」

「違いますよ」


 否定しながらも、俺は思い悩んでしまった。願い事を叶えると言われたとき、そして妖精の情報網を活かせると知った時、それは自分のためではなく人のために使ったほうがいいだろうと瞬時に考えたのだ。


 大臣の横暴を許せないという気持ちももちろんあった。とはいえ、それ以上に困っている人を見過ごせないと思ったのである。


 そんな思いを正直に打ち明けると、女神は瞳をぱちくりとさせ、なにやら考え込んでから口を開いた。


「……兄ちゃん、いや、これからは透って呼ばせてもらうわ。透、損な性格しとんなあ」

「そうですかね?」

「でも、ウチ、そういう生き方は嫌いやないで」


 ソースで汚れた手はそのままに、俺の背中を叩いた女神は機嫌良く笑い声を上げる。


「うわ、せめて拭き取ってから、背中叩いてくださいよ。服が汚れるでしょう?」

「そんな細かいこと気にせんでええやん。せや、これからはウチのこと、女神やなくて名前で呼んでくれる?」

「名前、あるんですか?」

「自分、失礼やなあ。ウチにもクローディアっていう、愛らしい名前があるやんか」

「知りませんよ」

「いまから覚えとき。ま、なにはともあれこれからもよろしくな、透」


 女神クローディアはそう言って、手を差し伸べる。相変わらず汚れたままの手は気になるけど、俺は握手を交わすのだった。


「ラテもよろしく頼むで? 妖精たちとも仲良うしたってや」

「にゃあああ」


 ひときわ高く鳴き声を上げる黒猫を満足げに見つめてから、クローディアはこちらへ視線を戻した。


「ま、困ったことがあったら、ウチに話してみ。内容次第で力になれるかもしれんしな」


 そう言ってワイン瓶を手に取った女神は、それを口へと運んでみせる。その酒豪っぷりを半ば呆れつつ見守りながら、俺は思案に暮れた。


(……“あの件”について、相談してもいいかもしれない)


 それは、この時点ではある種の未来予想図でしかなかったのだが……。


 この時、クローディアに相談を持ちかけたことが、後日、大きな転機に繋がったのは、また別の話である。

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