猫と聖女と、異世界カフェと~誤召喚されたけど、美味しい生活始めます!~

タライ和治

1.出会いのスフレパンケーキ

 三十日間連続で来客ゼロ!


 飲食店としては絶望かつ最悪の境地に立たされながらも、俺はといえば、つらい現実から目を背けるように、窓から見える雲ひとつない青空を眺めやっていた。


「いやあ、こっちの世界は今日もいい天気だなあ」

「にゃー!」


 愛らしい鳴き声とともに、腹部にドスンと重い衝撃が一発。思わずしゃがみ込みそうになるのをぐっと堪えつつ、俺は突進してきた黒猫へと視線を向けた。


「……ぐっ、……ラテさんや……。乱暴はよくないですよ……?」


 同居人ならぬ同居猫のラテは、自慢のオッドアイでこちらを見つめながら、口やかましく鳴き続けている。


「にゃにゃ! にゃにゃにゃー!」

「わかってる、わかってますって。現実逃避している場合じゃないよなあ」


 白雪しらゆき とおる、二十三歳。異世界に来てから二ヶ月目の午後は、いつもと変わらず退屈な時間となりつつあった。


 王都の外れ、下町にある三角屋根をしたカフェ『妖精の止まり木』は、意気揚々と開業した店主――つまり、俺である――の意思と反し、今日も今日とて閑古鳥が鳴いている。


 まったく、オープン前はこんなことになるとは思いもしなかったのだ。


 異世界転移!? マジで!? 剣と魔法のファンタジーな世界だったら、現在の知識と技術で無双し放題じゃん!! ……と、それはそれはお気楽に考えていた自分自身を殴ってやりたい心境である。


 どうして俺がこちらの世界へ来ることになったのか。それはひとまず置いておくとして、こちらの人々の食に対する保守的な姿勢にはすっかり参ってしまった。


 見慣れない料理は人々の心をつかむどころか、奇怪なモノとかえって拒絶されてしまったのだ。異世界ラノベでお馴染みのマヨネーズなんて、『なんか白くて気持ち悪い調味料』としか思われなかったし、ハンバーグを作ろうものなら、『わざわざ肉を細かくしてから固める理由がどこにある?』とか首をかしげられてしまった。


 というか、そもそもこちらの世界には酒場はあってもカフェはないという、ご丁寧なオチまでついてきたからなあ。外食する習慣がなければそりゃ受けませんよねえ……。


 ……まあ、リサーチ不足だと言われたらそれまでなんだけどさ。


 そのような事情もあり、中世的封建制度が成立している王国の片隅で、今日も今日とてなんとか生きているわけである。……減りゆく貯蓄にやきもきしながら。


「にゃあ……」


 鳴き声に意識を引き戻す。すると、不安げな眼差しのラテが所在なげにちょこんと座っていて、俺は腰を下ろすと、その頭をそっと撫でるのだった。


「心配せずとも大丈夫だよ。試行錯誤しているし、そのうちお客さんも来るはずさ」


 オープン初日にお店へやってきた黒猫は、俺の手から逃れたかと思いきや、両足にじゃれついて、スリスリと全身をこすりつけている。


 励ましてくれているのだろうか? 相変わらず賢い猫だなと感心を覚えながら、俺は密やかに思考を巡らせるのだった。


(……いい加減、店じまいしたほうがいいんだろうなあ)


 持ち家を兼ねたカフェなので家賃はないが、諸経費はといえば、決して軽くない。


 客がこないことに慣れてしまい、経費削減という名目で、仕入れの量も大幅に減らしてしまったし。もちろん、それにはただただ腐っていく材料を見るのが悲しいから、という理由もあったのだけど……。

いまになって思えば、それは単なる言い訳でしかなく、生半可な気持ちの表れだったのだなと、過去の自分に恥ずかしさを覚えるのだった。


(いっそのこと、働きに出るか? 酒場のマスターからはいつ来てもいいって言われてるし……)


 閉店という単語が脳裏によぎった、その時だった。


 ラテが耳をぴょこぴょこと動いたかと思いきや、入り口の扉を見つめ、みゃあとひと鳴きしたのだ。


「……ん? どうした、なにかあるのか?」


 尋ねる声と同時に扉の開く音を耳が捉える。反射的に立ち上がって視線を向けた先では、恐る恐るといった具合に顔を覗かせる若い女性がいたのだった。


***


 女性は扉に手を添えると、興味深げにキョロキョロと店内のあちらこちらを眺めやっている。当然ながら落ち着いているようには見えない。


 プラチナブロンドの美しいロングヘアが印象的で、挙動不審ながらも端整な顔立ちをしているのがわかる。年齢は十代後半だろうか? シスターのような衣服を身にまとっているので教会の関係者かなとか思っていた矢先、女性と俺の視線がばっちりと交わった。


「あの……」


 おずおずといった様子で口を開いた女性は、そう切り出すと、数拍の間を置いてから再び口を開いた。


「表の看板に、お食事ができると書いてあったのですが……」

「……へ?」


 ……おきゃくさん? ……えっ? お客さん!? ……ほんとうに? 本当に!


 理解が追いつかず、ただただ立ち尽くしていると、静寂を打ち破るかのように「にゃあ」という元気な鳴き声が店内に響き渡った。


 気付けばラテが入り口まで歩いて行って、女性の足にじゃれついている。


「あっ、こら、ラテ。いきなり失礼だろう」

「いえいえ、かまいませんよ。そう、あなた、ラテさんってお名前なのね? ふふふ、可愛いわね」


 女性は店内に一歩足を踏み入れたかと思いきや、その場へしゃがみ込み、ラテの全身を撫で始めた。


「なぁぁぁぁぁぁ……」

「ふふふ、ここが気持ちいいのかしら」


 うっとりとした顔で女性に身を預けるラテを眺めつつ、ようやく我に返った俺は、冷静に振る舞おうと努力した。


「い、い、いいいい! いらっしゃいませっぇぇぇ!」


 とはいえ、初めての接客なのだ。慣れていないので声がうわずってしまう。赤面しそうになる気持ちを抑えながら、今度こそという思いを込めて、俺は改めて口を開いた。


「いらっしゃいませ。食事といっても、軽食程度しかご用意できませんがよろしいですか?」

「簡単なものでかまいません。お願いできますでしょうか?」


 柔和という表現が相応しい表情と声で応じる女性に椅子を勧めながら、俺は手を洗うと、すっかり使わなくなって久しい脳細胞をフル回転させて、レシピをひねり出すのだった。


(……とはいえ、なあ)


 肉も野菜もない。あるのは卵に小麦粉、それにミルクぐらいなもので、本当に適当な気持ちでカフェを運営していたのだなと、俺は自分のいい加減さを心から悔やむのだった。


 しかし、悔やんでばかりはいられない。待望のお客さんがやってきたのだ。少しでも喜んでもらえるものを提供するべく、俺は気を引き締めるようにカフェエプロンを締め直した。


「少し、お時間をいただいてもいいですか?」


 女性はもちろんと頷いて、再びラテを撫で始めた。接客は同居猫に任せつつ、俺は調理に集中しよう。



 まずはボウルに小麦粉と卵黄、ミルクを入れてよく混ぜておく。別のボウルに卵白、砂糖、ほんの少しのレモン汁を加え、しっかりとしたメレンゲを作る。

 最初のボウルに少しずつメレンゲを加え、さっくりと混ぜ合わせていく。メレンゲが潰れてしまわないよう注意が必要だ。

 熱したフライパンに油を引いて、合わせた生地を山状になるよう流し込み、両面きつね色になるまでじっくり焼いたら完成!



「お待たせしました、スフレパンケーキになります」


 お皿へ盛り付けたスフレパンケーキは、一枚の厚みが四センチはある自信作で、それが二段に重なっているのは相当のインパクトだったのか、女性は大きな瞳を丸くさせてはそれを凝視している。


「これは……?」

「パンケーキという小麦粉を使った料理です。たっぷりのバターと蜂蜜をかけてお召し上がりください」


 そう言うと、俺は別皿に用意したバターと蜂蜜を差し出した。それからゆっくりとカウンターキッチンへ戻り、調理器具の後片付けを始める。


(本当は食べているところを見たいけど……! じっくり見るのは失礼だしなあ……!)


 心の中で叫びながら、表面上は何食わぬ顔で洗い物に取りかかった。


「にゃあ」


 カウンターの一角に陣取ったラテが、見透かしたようにひと鳴き。お前も観察するような真似は止めろよなとアイコンタクトを送っていた矢先、


「ん~~~~~~!!!」


 声にならない叫びが、洗い物をしている手を止めたのだった。思わず顔を上げた先では、瞳を輝かせ、頬を紅潮させながら、フォークを口に運ぶ女性の姿が見えた。


「ど、どうしました?」

「ご、ごめんなさいっ! あまりに美味しくて驚いてしまいました!」


 女性は恥ずかしそうに呟きながらも、ナイフとフォークを動かす手を止めない。断面には溶けたバターと蜂蜜が流れていき、女性は惜しむようにパンケーキでそれをすくい取っては、おしとやかな外見とそぐわない大きな口を開けてそれを頬張っている。


「この、しゅわしゅわと溶けていくような口溶けが不思議なのですけれど……。でも、とても美味しくて、やみつきになりますね!」


「お気に召していただけて良かったです」


 あり合わせの材料しかなかったけれど、満足させられたようでなによりだ。ほっと、安堵のため息を漏らしながら、食後の紅茶を用意するため、俺はお湯を沸かし始めた。


***


 あっという間にスフレパンケーキを平らげた女性は、俺が差し出したティーカップに手を差し伸べている。


 おなかが満たされたことで満足したのか、女性は再び店内のあちらこちらを眺めやり、それからカウンターの上に鎮座している黒猫を呼び寄せるのだった。


「お見かけしたところ、教会関係の方なのですか?」


 雑談のつもりで声をかけたのだが、こちらの予想に反し、びくっと身体を震わせた女性は、一瞬の間を置いて呟いた。


「ええ、普段は大聖堂におりまして。今日は町外れの教会へ足を運んでいたのです」

「なるほど」


 聞けばお勤めに熱心なばかりに昼食を逃し、どこかのお店でおなかを満たせないかとさまよい歩いていたところ、うちの看板が目に入ったらしい。


「安心しました。女一人、酒場へ入るわけにもいきませんし」

「ましてや神に仕える身ですからねえ」


 納得したように頷いていると、女性は、ふっと笑みをこぼして続けた。


「あの、私、エリーといいます。よろしければ、お名前をお伺いしても?」

「あ、俺は白雪透といいます。ひと月前にこの店を始めたばかりで」

「透、さん。……ご迷惑でなければ、また来てもよろしいですか?」

「迷惑だなんて、とんでもない! いつでも大歓迎ですよ、な? ラテ?」


 にゃあという鳴き声が後に続き、つられるようにエリーは笑い声を上げる。


「ありがとうございます。ラテもありがとう。近いうちに必ず来ますね」


 ティーカップをテーブルに戻したエリーは立ち上がり、まばゆいばかりの笑顔を残して店を後にした。

 俺はといえば、待望の来客に「うぉぉぉぉぉ!」と叫び声を上げ、両手を突き上げるのだった。


「やったぞ、ラテ! 初めてのお客さんだ!!!」

「にゃにゃにゃー!」


 それからラテを抱きかかえ、キッチンの中で陽気にダンスを踊り始めた。来客ゼロという不名誉な記録は終わりを告げ、カフェ『妖精の止まり木』の新たな幕が上がるのだ。

 うん! いいぞいいぞ! たった一人でもお客さんが来てくれたことで、気持ちも前向きになってきた!


 ……しかしながら、すっかりと舞い上がっていた俺は予想もしなかったのだ。


 エリーとの出会いが、やがて波乱にみちたものになることを。

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