2.誤召喚とメロンパン

 パルドラ王国。


 大陸の中央に位置するこの国家は、別名『穀物王国』と呼ばれるほど、豊穣な大地に恵まれた大国である。……一応は。


 一応は、と注釈をつけるのには理由がある。国境のすべては他国に面していて、話に聞くところ、日常茶飯事のように小競り合いが起きては戦争の火種を抱えているらしい。


 そんな状況に終止符を打つべく、国のお偉いさんだか大魔道士さんだかが集まって協議を重ねた結果、勇者さえ味方にすれば、何でもしてくれるんじゃないかという結論に達し、「古文書に記述のある、勇者召喚の儀式を執り行おう」ということになったそうだ。いわゆる“救世主待望論”というやつだね。


 ……で、ここまで説明すればもうわかるだろうけれど、その儀式で召喚されたのが俺なのだった。いやはや、いまさらながらに思い出しても腹が立つ。


 召喚の儀式だかなんだか知らないけどさ、俺を見るなり、全員、「こいつは勇者じゃない」って顔してるんだもん。態度が露骨過ぎっていうかさ。失礼しちゃうぜ、ホント。


 俺は俺で、休日を満喫するべく、自宅でパンなんぞ焼いていたわけですよ。よーし、お兄さん、メロンパン焼いちゃうぞ、みたいな。コーヒーでも淹れて、丁寧な暮らしを満喫しちゃうぞ、みたいな。


 ところがどっこい、焼き上がったメロンパンをオーブンから取り出した瞬間、景色が一変。両手にミトンをつけたまま、熱々の鉄板を持ったままの俺が目にしたのは、石壁で作られたいかにもな城の壁と、一様に落胆の表情を浮かべる関係者の人たちだったのだ。


 そりゃまあね、焼きたてのパンとカフェエプロンの男が現れたらガッカリもするでしょうよ。でもさ、元の世界には帰れないって聞かされるこっちの身にもなってみろって話で、悪いけど、おたくらの比じゃないぐらいに落ち込むわけだ。


 召喚の儀式に失敗したことは王様の耳に届き、それはもう烈火のごとく怒り狂ったそうで。結局、儀式に関わった人たちは全員まとめて処刑される運びとなったのだが……。


 処刑される面々には、なぜか俺も含まれており、俺は正当かつ当然の権利を駆使するべく、猛烈に抗議したのだった。いや、マジで意味がわからないんですけど! 


 理解できるかはさておき、少しは納得できる説明をしてもらえないだろうかと声を荒らげる俺に対し、王様の側近だかは、口ひげを指でもてあそびながら言い放ったのである。


「勇者召喚の儀式に失敗したことが漏れては、パルドラ王国の恥である。ゆえに、証拠を残すことはできない」


 ……口封じにしたって露骨すぎやしませんかね? いやいや、勇者の召喚に失敗したかもしれないけれど、俺だって多少なりともお役に立てますよ?


「ほう、たとえば?」


 まったく信じてないと言いたげに、側近は眉をひそめている。はいはい、そういう態度を取られると思ってましたよ。でもね、これを見ろって。異世界にメロンパンを焼ける人がいるかい? いないだろ? それだけだってたいしたもんじゃないかなと俺は思うけどね。


「めろん……パン? めろんとはなんのことだ?」


 ……う~ん、そうか、そこからか。こちらの世界にはメロンがないのは予想してなかったな。とはいえだ、美味しいことには変わりないから、一回食べてみろよ。ちょっとは考えも変わるだろうさ。


「毒は入っておらぬだろうな?」


 言っておくけど、勝手に召喚されてんだからな! 毒なんぞ入れる暇なかったわ!


 ……それはもう不毛なやりとりを重ねること小一時間。短い人生に別れを告げる余裕などない俺に、信じられない奇跡が起こったのだ。


 メロンパンを口にした王様が、俺のパンをいたく気に入り、関係者全員の処刑を取りやめると宣言したのである。


「ホッホッホー! 外はカリカリ、中はふわふわ、ふわっふわじゃ! 余はこのようなパンを食べたことがないぞ!」


 忌々しげな表情の側近に連れられて、玉座の前に片膝を突いた俺は、小太りな王様の陽気な感想にしばらく耳を傾けることになった。


「ふむふーむ! しかも格段に甘いな! 表面についている……これは砂糖か? キラキラと輝いておるが、そなたの故郷では、このような砂糖が普及しておるのか?」

「はい。我が故郷では、一般に出回っている砂糖はそのようなものになります」

「なんと羨ましい……。我が国でも作ることはできぬかな?」

「あいにく、私は技術者ではありませんので、難しいかと……」


 俺が応じると、側近は待っていましたとばかりにまくし立てる。


「陛下。お聞きになったとおり、この男は単なるパン職人に過ぎませぬ。高邁こうまいな知識人ならともかく、生かしておく理由などないのではありませぬか?」


 どうやら、なにがあっても俺を殺したいらしいな、この人。心の中で舌打ちをしていると、ご機嫌にメロンパンを頬張っていた王様が口を開いた。


「いやいや、たかがパン、されどパンじゃ。これほどまでの腕前を持つ者を、殺してしまうのは惜しい」


 そう言って、早くも三つ目のメロンパンを手に取った王様は続ける。


「どうじゃ? 誤って召喚してされたのもなにかの縁。そなた、城に仕える料理人にならぬか?」


 死刑宣告された身には、一発逆転サヨナラホームラン級のお誘いである。内心でガッツポーズをしながらも、俺はとっさにその申し出を断った。


「大変光栄なこととは存じますが、私もこちらの世界にきたばかり。いささか混乱しておりまして、お返事は一旦お待ちいただくことはできませんでしょうか?」

「ふむ……。そうか、よし」


 王様は立ち上がり、残ったメロンパンは寝室へ運んでおくようにと侍女に伝えたのち、改めて口を開いた。


「では当面の間、そなたをワシの客人として迎えよう。その間に身の振り方を考えると良い」


 もっとも、客人とは言ってもメロンパンは作ってもらうがな、と付け加え、王様はその場を後にしたのだった。


***


 それからどうなったかって? いやもう、いろいろありすぎたよ、ホントに。


 まず、ほとんど毎日メロンパン焼き続けるハメになったしね。これがまた、パン焼き釜に木炭使ってるからの温度調整が難しいわ、クッキー生地を冷やすために専属の魔法使いを付けなきゃいけないわで、そりゃあもう大変だったのだ。


 ……で、俺は冷静に考えたわけだ。このまま城にいたところでメロンパン焼き専門の料理人で終わるだろうなってね。むしろ、それはかなり良い未来予想図で、最悪、「メロンパンに飽きたから、お前用済みな」ってな感じで、いつ処刑されてもおかしくはないだろうと。


 特にあの側近がヤバい。なにかと理由を付けて、俺を殺しにかかってきそうで怖い。であれば、城から身を離れたほうが安心できるんじゃないかと考えたわけだ。


 そんなこんなで、城に滞在して一週間が過ぎる頃。


 俺は店を持とうと考えている旨を王様へ伝えてみたのだった。ダメでもともとと覚悟はしていたものの、返ってきたのは「許可する」という言葉。……言ってみるもんだなあ。


 詳しく事情を聞いてみると、儀式に関わった人々が独立の口添えをしてくれたそうだ。処刑を免れたことのお礼らしい。


 それだけではない。独立に際して店舗と当面の資金まで、儀式関係者が用意してくれることとなった。間違って召喚されたのはムカつくけれど、ここまで世話になってしまうと、かえってありがたい気持ちが芽生えてくるのは、俺の甘さなのだろうか?


 まあいいか。独立してしまえばこちらのものだし、あの側近だって、わざわざ介入してくることもなくなるだろう。


 せっかく異世界にきたのだ。あくせく働いていた会社員時代に別れを告げ、ゆっくりまったりとしたスローライフを送ろうじゃないか。第二の人生の幕開けってやつだ。


 ……もっとも、待っていたのはすっかりと経営不振に陥ったカフェだけだったわけなのだが。ま、それでも、なんだかんだやってきたのだ。いずれ笑い話として消化できるだろうさ。


「にゃあ?」


 カウンターに座った黒猫のラテが不思議そうな眼差しでこちらを見つめている。昔話なんていきなりどうしたんだと言いたげである。


「いやいや、久しぶりにこれを焼いていたら、ちょっと思い出してな」


 パン焼き釜から甘い香りが立ち上り、瞬く間に店内を支配していく。そうして取り出した鉄板には、格子状の模様のついた丸形のパンがいくつも並んでいて、俺はやけどしないよう注意しながら、バスケットにそれを移した。


「あの子も、気に入ってくれるといいなあ。メロンパン」


 頭の中をよぎったのは、プラチナブロンドのロングヘアをしたシスターの柔和な表情で、俺はいつ訪ねてくるかわからないことを承知の上で、歓迎の準備を整えるのだった。


「みゃお」


 ラテが立ち上がり、ひと鳴きする。そして、初めてエリーと会ったあの日のように、とことこと入り口まで歩いて行くと、ゆっくりと開いた扉に身体を割り込ませた。


 そして足にじゃれついては、お客さんに甘えてみせる。


「ラテったら、今日も甘えん坊さんね」


 エリーの穏やかな声は耳に心地よい。俺は前回の反省を踏まえつつ、今度こそ落ち着いて口を開くのだった。


「いらっしゃいませ。『妖精の止まり木』へようこそ!」

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