32.恋愛相談と栗の渋皮煮
翌朝。
悩みが解決したのか、晴れ晴れとした様子のエリーは迎えの馬車に乗り込むと、意気揚々と聖女の務めに出かけていった。
もちろんレオノーラも一緒だったのだが、こちらは普段の淡々とした様子とは異なり、不服とも怪訝とも取れる表情を浮かべながら、こんなことを言い残していった。
「朝食のオムレツが焦げていたぞ、透。どこか具合でも悪いのか?」
むぅ、レオノーラにしてはなかなかに鋭いじゃないか。とはいえ、体調はまったくといっていいほど悪くないので、なんでもないよとだけ返しておき、二人を見送ることに。
オムレツを焦がしてしまった原因は、昨夜のエリーの一言が脳裏にこびりついて離れないからで、考えに考えを巡らせていた結果、火加減をおそろかにしてしまったからである。
『お店が、ですか? ……それとも透さんが、ですか?』
エリーがいてくれないと困るんだという俺の言葉に応じた彼女からは、戯れの微粒子を微塵も感じ取ることができなかった。
真摯で真面目そのものといった態度に、俺は思わず気後れし、そして、応じる言葉を見つけられなかったのだ。
その数時間後、朝食の手伝いに来てくれたエリーは、何事もなかったかのように振る舞っているし。こちらとしては対応に困ってしまうというか、妙に意識してしまうというか。
まったく、こういうことに対して経験値の少ない自分が情けないね。大人としては、余裕をもって対応したいところなんだけど。
「どこかに経験豊富な恋愛の神様でもいれば、相談しにいくんだけどなあ?」
「にゃあ?」
足元で愛猫のラテが訝しげに首をかしげている。軽く肩をすくめた俺が、黒猫を抱きかかえ、きびすを返しかけたその時、肩越しにアルコール混じりの声が届いた。
「ふっふっふ……。どうやら、ここは恋愛の神様であるウチの出番のようやねえ」
ババーンッ! という効果音とともに登場したのは糸目が特徴的な酒好きの女神で、俺はその姿を見やると、無感動にため息を漏らすのだった。
「誰が恋愛の神様ですって?」
「ウチや、ウチ。縁結びに恋愛成就と、それはもうご利益てんこもりなんやで?」
ひっくとしゃっくりをしながら胸を張るクローディアからは、説得力というものを一切感じ取ることはできない。
首を左右に振りながら、なにも耳にしていないとばかりに店へ戻ろうとしていると、服の裾にしがみつきながら、女神クローディアはすがるように声を上げるのだった。
「ああん、つれないやんかあ、透ぅ。ウチに恋愛成就の御利益があるんはホンマなんやってぇ」
「といわれましても、うさんくささが上回ると言いますか」
「うさんくさいのはいまに始まったことやないやろ」
「……自覚あったんですか?」
「とにかく」
話題を転じるように両手を打ち合わせたクローディアは、いたずらに微笑んで続けるのだった。
「考え込むんはよくないで? 話やったら聞くさかい。ここはひとつ女神クローディアのお悩み相談室といこうやないの。もちろん、秘密厳守でな」
***
「……なるほどなあ、聖女の嬢ちゃんがそないなことをねえ?」
カウンター席に腰を落ち着かせたクローディアは、赤ワインを片手に耳を傾けている。俺はといえば、話すんじゃなかったかなあと若干の後悔を覚えながらも、それでも一人で悩みを抱えるよりかはマシかと思いながら、女神に事情を打ち明けたのだった。
「で? 透はどない思うてん?」
「どうとは?」
「そんなん決まっとるやろ。聖女の嬢ちゃんのことを好きかどうかっちゅう話やんか」
「最上段から切り込みますねえ」
「若い女性に言い寄られて悪い気がする男なんておらへんやろ? そこらへんどない思うとんや?」
「にゃあ」
返事を急かすように鳴き声を上げるラテ。ラテも気になるやろ? と、黒猫の頭を撫でるクローディアを見やりながら、俺は腕組みした。
「いい子だと思いますよ。優しいだけでなく、思いやりもある。気遣いもできますしね、一緒にいて楽しいというか」
「ほおほお、まんざらでもないんやな」
「茶化さないでくださいよ。……でもそれが、恋愛に繋がるかと聞かれると、なかなか悩ましいところでして」
俺にとってエリーは記念すべき初めてのお客様であると同時に、店を救ってくれた恩人でもあるのだ。その上、現在はお店を手伝ってくれる相棒的な存在でもある。
そんな大切な存在を、はたして恋愛の対象として見ていいのかどうか、判断に困るし、いまの関係性が崩れるのも困る。
俺とラテ、エリーとレオノーラによる同居生活は、なにより心地よいのだ。これ以上望んでは罰が当たるというものじゃないか。
「……真面目やなあ。まあ、透らしいといえば、透らしいか」
「馬鹿にされているように聞こえるんですけど」
「いやいや、褒めとるんやで? ウチも長いこと女神やっとるけど、これまで知り合った男の中でも、透はかなりいいとこいってると思うしなあ」
「ホントですかあ?」
「ホンマやって。ウチが保証するさかい、自信持ってええよ」
そう言うクローディアの表情は真摯そのもので、わりと本気で相談に乗ってくれているんだなと、俺はいまさらながらに酒好きの女神に感謝を覚えるのだった。
「でもまあ、安心したわ」
「なにがです?」
「聖女の嬢ちゃんのこと、大切に思うとるようでな」
「当たり前じゃないですか」
「嬢ちゃんがべっぴんやから付き合いたいとか、外面しか見てへんような奴やったらぶん殴っているところやったんやけど。なんや、無用な心配やったな」
赤い液体で満たされたコップを口元に運んだクローディアは、それを一気に流し込んでから、満足そうに続ける。
「……うん。透やったら、大丈夫やろ。しっかり考えて、自分なりの答えを見つけるんやで」
「なんか綺麗にまとめようとしてますけど、俺の悩み、まったく解決していないんですが?」
「ナッハッハ! 思い悩むんは、若者の特権やん? その権利を奪ってしまうのも申し訳ないしなあ」
「個人的には悩むより、一日でも早くスッキリしたいんですよ」
「せやったらしっかりと向き合うことやね。自分自身とも、聖女の嬢ちゃんとも」
空になったコップを掲げ、クローディアは不敵に微笑んだ。
「ま、話ならいつでも聞くさかい。気分転換にもなるやろうし」
「気分転換ですか」
「せやでー? 考え込んでてもラチあかないやん? そういう時こそ気分転換が大事やねん。……お、そやそや」
思いだしたように空中へ魔法のバッグを出現させたクローディアは、その中へ手を突っ込んだかと思いきや、やがて大量の栗を取り出した。
「どうしたんですか? この栗」
「ほら、ウチの作った聖域あるやん? いろんな作物とか、炭酸泉とかあるところ」
「……まさか、この栗、そこで採れたんですか?」
「大当たりや。なんか最近はウチの調子がええせいか、季節に関係なくいろんなモノが育つようになったみたいでなあ。妖精たちが持ってきてくれたんよ」
日本では秋に採れる旬の味が、こちらの世界では初夏に味わえてしまうのか……。……いやいや、あの反則級ともいえる聖域だからこそ味わえると思ったほうがいいんだろうな。
しかし、それにしたって立派な栗である。二粒ほどで手のひらを覆ってしまうぐらいに大きい栗をしげしげと眺めながら、俺はクローディアに問いかけた。
「もらってもいいんですか?」
「もちろん。栗はじっくり時間をかけな食えへんしな。じっくりと料理と向き合う時間も、立派な気分転換になるやろ?」
得意顔の女神に感謝を覚えつつ、カウンターテーブルに広がった栗へと視線を向けると、見慣れない物体に興味があるのか、愛猫のラテは鼻を近づけ、くんくんと匂いを嗅いでいる。
「ゆで栗だったら、ラテも少しは食べられるかなあ」
「なぁ」
「よしっ。それじゃあ、ラテのおやつを作りながら、保存の利くおやつを作るとしますか」
***
栗はとにかくあく抜きが重要になる。というか、鬼皮を剥いてあく抜きさえしちゃえば、あとはなんとでもなるといって過言ではないのだ。
まず、鬼皮を剥くため、鍋に熱湯と栗を入れたらしばらく放置する。粗熱が取れたら水気を切って、包丁で皮を剥いていこう。
……これがまあ、とにかく大変なんだけど。コツを掴むと夢中になれるので我ながら不思議だ。渋皮を残しておくことは忘れずに。
鬼皮を剥いた栗を鍋に入れ、重曹と水を注ぎ火に掛ける。あくを取りながらしばらく茹で続け、流水で洗い流すという行程を何回か繰り返す のだ。
ここまでの所要時間、軽く二時間越え! いやはや、手間がかかりますなあ……。
ともあれ、あく抜きした栗は一旦水切りしてから、再度鍋に入れる。水と大量の砂糖を加え、弱火でじっくりと煮込んでいったら、栗の渋皮煮は完成間際だ。
***
「なんや、えらい手間かけるんやねえ? ぱぱっと焼き栗とかにしたらええやないの」
調理工程を眺めながら、呆れたようにクローディアが呟く。
「じっくり時間を掛けるのも、立派な気分転換なんでしょう?」
渋皮煮を火に掛けながら、別に茹でておいた栗を切り分けた俺は、それをラテに差し出した。
「みゃあみゃ」
「お? 美味しいか、そりゃ良かった。食べ過ぎないよう気をつけないとな」
「にゃっ」
満足そうなラテから視線を戻し、俺は火から鍋を降ろした。粗熱が取れたら、渋皮煮はいよいよ完成だ!
「おっ、ついにできたんか!? ほなら、早速、試食といこうやないのっ!」
「はいはい。わかってますって、いまお皿に盛り付けますから……」
その時だった。ラテが頭を上げ、耳をピクピクと動かしたかと思いきや、窓辺へ瞳を向けたのだ。
つられるように視線を動かした先では、一台の豪華な馬車がこちらへ向かってくるのが見て取れる。
まさか、また大聖堂の関係者が乗り込んできたんじゃないだろうなと思いながら店を飛び出した俺は、馬車から降り立つ人物の姿にいささかの意表を突かれてしまう。
そこに現れたのは、可憐なワンピースに身を包んだ、年端もいかない少女だったからだ。
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