31.聖女の回想と、夜食のパン粥
森の中を無数の馬車が列をなしてやってきたかと思いきや、中から次々と人が降りてくる。
大聖堂の関係者であろう白衣と神官帽を身につけた壮年の男性、それに修道女、貴族なのだろうか豪奢な服装の婦人などなど。
多様な顔ぶれに共通しているのは、怒りや嘆きといった微粒子をまとわせていることで、そのことからも客としてやってきたのではないなということだけは理解できる。
ほどなくして、ひときわ目立つ神官帽と立派な杖を持った、おそらく一番偉いのだろうなという長老格じみた老人が、年齢にそぐわない闊達な足取りでこちらへ向かってくると、俺の前で立ち止まり、肺を満たすほどに息を吸い込んでから、それを空にするように一喝したのだった。
「貴様か! 聖女様をたぶらかす不逞な輩は!!!」
耳がキーンとなるほどの怒鳴り声に圧倒されつつ、俺は長老の発した言葉の意味を頭の中で確かめる。
たぶらかす? 不逞な輩?
まったく身に覚えのないことなので、冤罪を訴えたいところだけれど、対峙する長老の様子からして聞く耳を持たなそうだ。
いや、長老だけではない。一緒にやってきた人々もそれぞれに不審の色を瞳にたたえ、俺を凝視しているじゃないか。
「身の程を知れ! 恥知らずがっ!」
「聖女様を誘惑する好色家め! 異端審判にかけてやるっ!」
次々と浴びせられる罵詈雑言。中世さながらの魔女狩りにあっている気分だと思いながらも、なんでまたこんな事態になったのか、俺自身、理解できずにいる。
混乱の極地に立たされる中、やがて馴染みのある声が、人々の雑音を一瞬にして押さえ込んだ。
「おやめなさい! そのお方に無礼な発言をするのは、この私が許しませんっ」
群衆を分け入るようにして姿を見せたのは、プラチナブロンドのロングヘアをした美しい聖女、つまりはエリーで、聖女としての正装なのだろうか、神々しい衣服を身にまとったエリーはいつもとは異なる凜々しさを全面に押しだし、圧倒するように続けるのだった。
「聖女の務めを辞めると決めたのは私の意思です。他の誰かにそそのかされたわけではありません。ましてや、私の恩人にあらぬ疑いを掛けるなど、言語道断っ」
「し、しかし、聖女様……」
「黙りなさい」
反論を試みようとした長老に氷のような一瞥を向けたものの、ややあって、エリーは軽くため息を漏らした。
「……皆さんのお気持ちはよくわかりました。しかしながら、私は聖女の務めを果たすことに疲れてしまったのです」
「そんな……、聖女様……」
「聖女様がいなくなったら、私たちはどうすれば……」
うろたえる人々を眺めやりながら、俺はすべてを理解した。エリーが聖女を辞めると伝えたことがきっかけとなり、大混乱を生んだのだと。
そしてそれは、身近な人物に「辞めたほうがいいのでは?」と吹き込まれたに違いないという考えに繋がったのだろう。
大聖堂と関わりのない年頃の男が、彼らの崇める聖女と同居しているのだ。犯人として疑うのも無理はない。
気持ちは理解できるけど、巻き込まれるほうとしてはたまったもんじゃない。まあ、エリーの気持ちを後押しした分、無実とは言いがたいけどさ。
ともあれ、この状況をどうやって収めようか? 愛猫のラテを抱きかかえながら思案を巡らせること数秒。沈黙を打ち破るようにエリーが口を開いた。
「とにかく、今日のところはお引き取りください。私もきちんと考えをまとめますから」
「聖女様、すると、我々を見捨てるような真似はなさならないと?」
「…………」
あえて返事をすることなくきびすを返したエリーは明らかに苦悩の表情を浮かべていて、俺が呼び止める声にも力なく応じるだけである。
「ごめんなさい、透さん。少し疲れてしまって……」
そう言って自宅兼店舗の中へ消えていく。その後ろ姿を見守っていた人々はささやきを交わし合いながらも、これ以上は交渉の余地がないと悟ったのか馬車に乗り込み、一様に帰路へついた。
自室に戻ったエリーは、心を閉ざすかのように部屋の中に閉じこもってしまい、食事の時間にも、その姿を現すことはなかった。
***
下からなにか物音がする。
わずかに聞こえる音に目を覚ました俺は、ベッドに身を起こして窓辺のカーテンを開いた。闇夜に輝く星々が支配する時間帯で、朝食までにはまだまだといった感じだ。
もしかすると、夜食目当てにレオノーラがキッチンをあさっているのかもしれない。そう思った俺は、寝室を抜け出して、疲れて眠っているであろうエリーを起こさないように、音を立てず階段を降りるのだった。
クロックマダム用のパンが残っているし、レオノーラにそれを渡したらもう一眠りだな。
そんな風に考えながらキッチンへ足を運んだ俺は、予想外の先客に驚いた。キッチンに立っていたのはレオノーラではなく、エリーだったからだ。
「ご、ごめんなさい、勝手に……。眠れなくて、つい……」
こちらを見るなり申し訳なさそうな表情を浮かべるエリーの手には、ミルクの入った瓶が握られていて、コンロには鍋が用意されている。おそらく、ホットミルクを作ろうとしていたのだろう。
「いいんだ。それより、おなか空いてない? 俺も小腹が空いちゃってさ、夜食を作ろうかなって思っていたんだ」
もちろん、嘘である。無理にでも誘わなければ、エリーが食事を摂らないかなと思ったからなんだけど、それでもエリーは首を左右に振って、
「ちょっと食欲がなくて……」
と、力なく応じ、そしてまったく同じタイミングで『くぅぅぅぅ……』とお腹を鳴らすのだった。
恥ずかしそうに、みるみるうちに顔を紅潮させるエリーに微笑みを返しつつ、俺はテーブルで待っているよう伝えると、半ば強引に腰掛けるよう勧めてから、エプロンを巻き付けた。
いろいろあってエリーも疲れているだろうし、胃腸に優しい軽食ぐらいがちょうどいいだろう。そう考えた俺は、彼女から受け取ったミルクを活用すべく、調理に取りかかるのだった。
***
まず、余っていたパンを一口大のサイコロ状にカットしていく。鍋にミルクを注ぎ、火に掛けたら、蜂蜜を入れて味を調えるのだ。
沸騰しないように注意しながら、少しの間、かき混ぜる。最後にパンを入れたら火を止める。パン全体にミルクが染みこんだら、パン粥の完成だ!
***
ためらいがちにスプーンを手に取ったエリーは、パン粥をすくい取ると、熱を取るようにふぅふぅと息を吹きかけ、それからゆっくりと口へと運び込んだ。
はぁ……という吐息が漏れ、疲労をにじませた表情がほんのわずかだけ明るくなる。
「美味しい……。優しい味ですね……」
「塩とコショウで味付けすることもあるんだけどね。俺は甘いパン粥のほうが好きでさ」
そう言って、俺もパン粥を口へと運んだ。ミルクの風味と蜂蜜の甘さが身体に心地よい。我ながら夜食にピッタリのチョイスだったなと、心の中で自画自賛しつつ、黙々と二人で過ごすことしばらく。
やがてエリーはスプーンをテーブルへ置いてから、すまなそうに口を開いた。
「昼間はごめんなさい。透さんにご迷惑をおかけしてしまって……」
「ああ、いや、ビックリはしたけどね。結果的になにもなかったんだし、エリーが謝ることはないんだよ」
「でも……」
「しっかし、驚いたよなあ。みんなして聖女様、聖女様って。俺が想像していた以上に慕われているんだな」
謝罪されるのも心苦しいし、雑談のつもりで話題を変えてみたのだが、どうやら失敗してしまったらしい。
表情を曇らせたエリーは、数拍の沈黙の後、重い口を開くように続けるのだった。
「皆さん、いつもそうなんです。私のこと、聖女様、聖女様って。いつも特別扱いしてくださって……。……大事にしてくださって、それは感謝しているんですけれど……」
太ももの辺りに掛かった衣服の布をきゅっとつかみ、エリーは視線を落とした。
「でもそれは、エリーとしてではなく、あくまで聖女として扱ってもらっているからで……。聖女という肩書きがなければ、私の存在に価値なんてなくて……」
「そんなこと」
「そんなこと、あるんです。……だから、だから、私、ちょっと疲れちゃって」
エリーはゆっくりと顔を上げる。まっすぐにこちらを見やる瞳は潤んでいて、いまにも涙があふれ出しそうだ。
「……私、透さんに嘘ついていたんです」
「嘘?」
「聖女を辞めても問題ないって、嘘なんです。昼間みたいなことになるってわかっていたのに、それでも私、透さんに嘘ついて……」
再び視線を落とすエリー。俺は慎重に言葉を選びながら、彼女に声を掛けた。
「でも、それでも聖女を辞めたい気持ちに変わりはなかったんだろう? 考えに考えて、新たな道を選んだなら、俺はそれを応援するよ?」
「応援してもらう資格なんて、ありません」
「どうして?」
「逃げたかっただけなんです、聖女の責務から」
そうして語られたのは、俺とエリーが初めて出会った日のことだった。
「あの日……、透さんのお店を訪れたのは偶然じゃないんです」
「どういうこと?」
「わざとなんです。異世界から誤って召喚された人だったら、私のことを知らないだろうなと思って」
――どこへ行っても聖女様と必要以上に崇められ、敬われるエリー。延々と続くそんな状況に彼女は疲れ果て、いわゆるノイローゼのような症状に陥ってしまった。
そんな中、異世界からやってきた人物が飲食店を開いたことを耳にする。エリーは考えた。こちらの世界の常識に疎い人物であれば、自分のことをよく知らないだろうし、一般人と変わらぬよう接してくれるだろう。
エリーの口から語られた真実は予想だにしないものであり、俺は驚愕を押し殺しながら耳を傾けるのだった。
「結果は……、私の予想通りでした。透さんは、ごくごく普通に私と接してくださって……。私はそれがとても嬉しかったんです」
「…………」
「聖女としてではなく、ただ一人の人間、エリーとして接して貰えることが心地よくて。そんな人、レオノーラ以外にいなかったから」
だからこそ、エリーは自分が聖女であることを隠そうとした。しかし、大臣の手先が現れたことで、その目論見も崩れてしまう。
聖女という身分が明らかになり、エリーは覚悟した。対等に接してもらっていた日常が終わりを告げてしまうと、そう考えたのだ。
「でも、予想外のことが起きました。透さんはそれからも私を特別扱いせず、いつも通りに接してくださって」
「当たり前だろう? エリーはエリーなんだから」
俺としてはごくごく当たり前のことをしていたつもりなんだけれど、エリーにとって、それは格別に嬉しい出来事だったらしい。
そんな日々を過ごすにつれ、エリーは考えるようになった。聖女ではなく、エリー個人として生きてみたい。特別扱いされることなく、一人の人間として過ごしてみたい。
「だから、私、聖女を辞めようって思って。……利用したんです、このお店と透さんを」
「…………」
「最低です、私」
再び、静寂があたりを包み込む。俺は考えに考え、宙を漂っていた視線を眼前の女性に向けると、意を決して率直な思いを打ち明けた。
「上手く言えないけど、エリーがエリーらしく生きられるのであれば、それでいいんじゃないかなあ」
「……え?」
「いろいろ驚かされたけどさ、肝心なのはなにかって話でね」
聖女の責務から逃げ出すとか、そんな話は正直どうでもいいというか。いま現在、エリーはかけがえのない人物になっているという、その事実だけで十分というか。
「聖女だったとしても、そうじゃなくなっても、俺とこの店にとってエリーは大切な人だからさ」
「透さん……」
「俺は変わらないし、この店も変わらない。だから、エリーがどういう結論を出しても大丈夫だよ。ありのまま、いつも通りにやっていけるさ」
そんなわけで、まあ、これからもよろしく、と、続けようとした矢先、俺の言葉を封じるようにエリーはクスクスと笑い出した。
「……もう、透さんにはかないませんね。そんな風に言われてしまったら、あんなに考えに考え込んでいた自分がバカらしく思えてしまうじゃないですか」
目尻に溜まった涙を指で拭いながら、エリーは柔和に微笑んだ。
「……聖女を辞めること、もう一度、よく考えてみることにします」
「そっか。それもまた一つの選択肢かな」
「はい。あっ、でも、どんな形であれ、このお店を手伝っていくことに変わりないですから安心してくださいね」
「そうしてもらえると助かるよ。エリーがいてくれないと困るんだ」
「お店が、ですか? ……それとも透さんが、ですか?」
不意を付くような問いかけとともに、エリーはまっすぐにこちらを見やる。どう返すのが正解なのだろうかと迷う俺を気に留めることなく、プラチナブロンドのロングヘアを揺らして、エリーは席を立った。
「夜食ごちそうさまでした。おかげでゆっくり眠れそうです。おやすみなさい、透さん」
そう言い残すと、エリーは機嫌良く鼻歌混じりで階段を上っていく。その後ろ姿を見送った後、俺は思わず大きな息を吐き、天井を見つめるのだった。
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