4.聖女エリーとフレッシュトマトのピザ

 兵士は総勢五名でそれぞれ槍を手にしており、明らかに好意的でない眼差しをこちらに向けている。


「シラユキ・トオルだな」


 違います、と、答えてやりたい気持ちだったが、わかってきて踏み込んできているのは明白だったので、素直にそうだと頷いておくことに。


「大臣の命により、貴様を連行する」

「大臣? 大臣って誰です?」

「貴様……、我が国王に仕える重臣にして、側近であられる大臣を知らぬのか!」


 叱責とも怒号とも受け取れる声を耳にしながら、俺はうんざりとした気持ちになっていた。あの、いかにもうさんくさそうなヒゲのオッサンが今度はなにを企んでいるというのだろうか?


「大臣だかなんだか知りませんけど、どんな命令で俺を連行するつもりなんですか?」

「そんなことは貴様に関係ない。……おい」


 隊長格の男が顎先を動かすと、後ろに控える四名がカウンターキッチンへ乗り込むべく動き始めた。う~ん、これはよろしくない。


 抵抗すると、エリーにも危害を加えられるかもしれないし。ここは一旦、おとなしく従っておいて、対策を練るべきだろうか? と、脳内をフル回転させていると、目の前に人影がひとつ。


「おやめなさい」


 そんな一言とともに、兵士たちの前にエリーが立ち塞がったのだ。


「エリーさん、危ないですから下がっていてください」

「大丈夫ですよ、透さん。ここは私に任せていただけませんか?」


 振り返ったエリーの顔はいつも通りの柔和なもので、それが兵士たちに向き直った途端、凜々しいものへと変化するのだった。


 プラチナブロンドのロングヘアを揺らし、行き場を塞ぐように両手を真横へ広げたエリーは、静かな闘志を瞳に宿らせ、臆することなく兵士と対峙している。


「このお方は私の大切な友人です。無礼な真似は許しません」

「なんだと、このアマ……。修道女風情が生意気な口を利くんじゃ……」

「……お、おい。待て、女の顔をよく見ろよ……」


 仲間の声に乱暴な口を叩いてた兵士が、観察するような眼差しを向けた。すると、明らかにたじろいだ様子で口をパクパクと動かし、エリーの顔を指さしながら震えた声で呟いたのだ。


「せ、聖女……さま?」

「バカな、エリー様がこんな寂れた店にいるはず……」

「目の前にいるではありませんか」


 ……えーと? 聖女?? エリーが……??? もしかして聖女というからには、相当スゴイ人なんだろうか? ……などと、俺がアホなことを考えているのもお構いなしに、聖女エリーは続ける。


「一方的に乱暴を働き、あまつさえ大事な友人を連れ去ろうとする。いくら大臣の命でも、この私が許しません」

「し、しかし、我々も命令を受けておりまして……。このまま引き返すわけには……」

「黙りなさい」


 明らかに鼻白んだ兵士たちは、気圧されるように一歩後ろへ下がった。


「このことを大神官や国王へ、私から直接お伝えしてもいいのですよ?」

「そ、それは……!」

「そうなったら、どうなるか。賢明な皆さんであればおわかりいただけると思いますが……」

「……っ」


 「おい、どうするんだ?」「どうするって……」などなど、兵士たちはひそひそと声を交わし合っている。どちらに従ったほうがいいか、打算に揺れる表情を眺めながら、エリーはにっこりと微笑み、それからとどめの一言を放った。


「もちろん、ただとはもうしません。このままおとなしくお帰りいただけるのであれば、皆さんの勤勉さについて、しかるべきお方にお伝えいたします。命令違反とならないように」

「そ、そうしていただけるのであれば」


 安堵のため息を漏らした隊長格の兵士は、「おい、行くぞ」と呟くと、四人の兵士を従えて店を後にする。


 どことなく落胆したように聞こえる扉の音を耳にしながら、俺はカウンターキッチンの出入り口に佇むエリーの姿を見つめていた。


「その……聖女って?」


 振り返ったエリーは、微妙な角度に眉を動かし、申し訳なそうに口を開くのだった。


「黙っていてごめんなさい……。隠すつもりはなかったのですが……」


 そこまで言うと、エリーはゆっくりと頭を振ってから語をついだ。


「私のことについて、きちんとお話ししますね」


***


 それからエリーは聖女やその役目についていろいろと教えてくれた……まではよかったんだけど。俺の理解力が足りないというかなんというか。


 ゴメン、ぶっちゃけてしまうと、よくわからない。


 いや、ちゃんと話は聞いていたんだよ? でもさ、聖女にまつわるエピソードとか、関わっている場所とか、複雑すぎてマジでわからない。


 まず、普段エリーがいるという大聖堂の関係図でギブアップですよ。大神官とか祭司ならともかく、大鷲騎士団やら一角獣親衛隊やら挙げられたところで頭が追いつかないって!


 ……時間を見つけて整理する必要があるなと思いつつ、それでも理解できたことと言えば、聖女は大陸に一人しかいない特別な力を持つ人物だということと、エリーは三百年ぶりに誕生した聖女であるということぐらいである。


 ポンコツな頭脳を忌々しく思いながら、話を聞き終えての俺の感想といえば、


「エリーさんはすごい人なんですね」


 という、おバカ極まりないもので、それを聞いていたラテは、呆れたように「にゃぁぁぁ」と呟くのだった。……う、うるさいぞっ。俺だってがんばって理解しようとしたんだっ!


「ええ、すごい人なのです」


 俺の言葉を受けて、おかしそうにクスクスと笑いながらエリーは呟いた。うーん、この配慮っぷり、まさしく聖女そのものだな。


「ですが、あまり気を遣わないでくださいね。せっかく仲良くなったのです、透さんにはいままで通り接していただきたいのです」

「ですが……」

「それと、敬語も」


 人差し指を差し出したエリーは軽くウインクすると、いたずらっぽく微笑んだ。


「私のことは友人として接していただきたいのです。堅苦しい話しかたは疲れてしまうでしょう?」

「そう言われましても……」


 応じる俺に、恨めしそうな眼差しを向ける聖女様。……まいったな。


「はあ、わかった。わかったよ、エリー。これでいいかい?」

「はい、そのようにしてください」

「にゃ」

「ええ、ラテもいままで通りで大丈夫よ」

「……エリーは敬語のままだけど」

「だって、透さんのほうが年上でしょう? 年上は敬うものではありませんか?」


 か、勝手な理屈だなあ。まあ、深く追求したところで平行線のままだろうし、この場はよしとするか。


「それにしても」


 ひょいとラテを抱きかかえたエリーは、思い出したように先ほどの騒動について尋ね始めた。


「大臣の命令など、ただ事ではありませんね。透さん、なにかお心当たりはないのですか?」


 問われた俺は、正直にいままでの経緯を打ち明けることにした。召喚の儀式のこと、危うく処刑されるところだったこと、そして大臣が処刑に熱心だったこと……。


 耳を傾けていたエリーは、納得したように何度も首を縦に振り、それからこう呟いた。


「この一件、私にお任せいただけませんか?」

「任せるというのは?」

「透さんとこのお店を守る、良い考えがあるのです」


 穏やかに笑うエリーの胸元で、忘れては困ると存在を主張するようにラテがひと鳴き。


「にゃあ」

「ふふふ、そうだったわね。ラテもいたわね」

「申し出は嬉しいけれど、そこまで甘えるわけには……」


 エリーがすごい人とはいえ、そこまで任せてしまっていいのだろうか? 戸惑う俺を見つめながら、エリーは力強く口を開いた。


「心配はご無用です。困った人を助けるのも、聖女エリーの役目、ですから!」


***


 翌日。


 朝市に出かけた俺は、両手一杯の材料を抱えながら、自宅兼カフェに戻ってきたのだった。


 昨日の兵士が踏み込んできた件が相当なストレスになっていたらしく、買い物で発散してしまおうという気になっていたらしい。


「とはいえ、我ながらすごい量を買い込んだな……」


 足りなくなっていた小麦粉などは保存が利くからまだいいとして、こんなに大量のトマトをどうするつもりなんだ? 日持ちしないだろ?


 あれもこれもと勧めるミーナに、勢いにませて「よし全部買った!」とか言っちゃったのがまずかったなあ。


「トマト、猫は食べられないよなあ……」

「にゃあ……」


 何をやっているんだと言いたげなラテの鳴き声を耳に捉えつつ、俺は考えを改めることにした。


「せっかくだ! これもストレス発散になるだろうし、派手な料理を作るとしよう!」


***


 ざく切りにしたトマト、それにみじん切りのタマネギとニンニクをオリーブオイルで鍋で炒める。トマトを潰しながら、塩こしょう、ハーブ類で味付けし、しばらく煮込めば万能トマトソースの出来あがりである。瓶詰めすれば、ある程度は保存できるだろうし、これで大量消費できるだろう。


 さて、せっかくできたトマトソース。生かさない手はない。


 パン生地を円形に薄くのばし、トマトソースをまんべんなく敷いていく。薄くスライスしたタマネギとピーマン、サラミ、さらに輪切りにしたトマトをのせて、これでもかというぐらいにチーズを加える。


 石窯でじっくり焼いたら……フレッシュトマトのピザが完成だ!


「いいよなあ、ピザは。華やかというか、特別感があるよね」


 これにコーラがあったら最高なんだけど、ここは異世界。贅沢は言うまい。美味しいピザが食べられるだけでも満足しなければ。


「そんなわけで、いただきまーす!」


 両手を合わせ、ピザへ手を伸ばしかけた、その矢先。ラテが耳をぴょこぴょこ動かし、店の入り口に向かって「みゃあ」と鳴いてみせたのだ。


 ……なんだよ、おい。もしかして昨日の兵士たちじゃないだろうな、と、良からぬ考えが頭をよぎったものの、その予想は見事に外れた。


 扉を開けて姿を見せたのは、藍色のポニーテールが印象的な若い女性だったからだ。腰に剣を携えているのも見えて、少なくともこの下町界隈の住民ではないということだけはわかる。


「失礼。こちらで食事ができると聞いたのだが……」


 こちらの顔を見るなり切り出した女剣士は、俺が手にしていたピザを見るなり、生唾を飲み込んでみせる。


「そ、その手に持っている料理は……?」

「え? これですか? これは俺の食事で……」

「それでかまわない! いや、それがいい! いますぐ食べさせてもらえないだろうかっ!!」


 食い気味に応じた女剣士は、勢いそのままにカウンター席へ腰掛けると、期待の眼差しをこちらに向けている。


 ……えぇ? いきなりなんだこの人……? いや、ピザを振る舞うのはいいんだけどさ。食べかけていたものを渡すのはさすがに気が引けるって言うかね。


「えーっと、それじゃあ同じ料理を作りますから、少し待っていてもらえませんか?」

「なぜだ!? それでかまわないというのに!」


 俺がかまうんですよと言うわけにもいかず、


「できたてのほうが美味しいですよ?」


 と、やんわり説得してその場を乗り切ることに。ふぅ、二人目のお客さんがこんなにクセの強い人になるとは思わなかったなあ……。


 とにかく、調理の時間は稼がないといけない。ラテに接客を任せようと視線を送ろうとしたのだが、こちらよりも早く女剣士はラテの存在に気付いたようで、慈愛に満ちた眼差しを黒猫に向けるのだった。


「おお、猫か……可愛らしいな」

「なあ」

「そうかそうか、撫でて欲しいのか。うん、お前を見ていると実家のサラを思い出す」

「猫、飼ってらしたんですか?」

「いや、飼ってはいない」

「へ? いま思い出すって……?」

「サラは猫じゃない、人だ。私の妹になる」


 ……マジでなんなんだ、この人。考えていることがよくわからん。


 とにかく、あまり待たせてもラテの身が持たないだろうと、大急ぎでピザを焼き上げ、女剣士の待つカウンターテーブルに差し出した。


「どうぞ、フレッシュトマトのピザになります」

「おお……、待っていた。待っていたぞ……!」


 言うやいなや、ナイフとフォークを手にした女剣士は器用にピザを切り分け、そして切り分けたピザを重ねて豪快に口へと放り込んだ。


 ……は? 重ねて食べるの? ピザを?


 五口ほどで空になっていく様子を呆気にとられながら眺めていると、女剣士はとんでもないことを言い出すのだった。


「店主。これは実に美味い」

「あ、ありがとうございます」

「あと二十枚食べたいな」

「……ウソでしょう?」

「む、私は嘘をつかない」


 真顔で応じる女剣士の顔を見つめつつ、俺は思ったね。なるほど、こちらの世界にも大食いの人がいるのだな、と。


 そうと決まれば話は早い。ピザの材料が尽きるのが先か、この女剣士のお腹が満たされるのか先か、正々堂々と勝負してやろうじゃないか!


 ……こうして、カフェ『妖精の止まり木』主催による、大食い対決の火蓋が切って落とされたのである。

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