5.たっぷりきのこのアヒージョと魂の晩餐

 カウンターの一角、香箱座りをしたラテは「くわぁ」と大きなあくびをすると、うとうとと居眠りを始めている。その隣には空になったピザの皿が山のように積まれていて、奇妙なコントラストを描いていた。


 ラテが眠ってしまうのも無理はない。対決が始まってから、すでに三時間が過ぎているのだ。


 俺が焼いたピザの枚数は三十枚に達しているのだが、女剣士の食べる勢いが衰えない。淡々と同じペースでピザを口に放り込み、


「おかわり」


 と、繰り返すだけである。うん、さすがの俺も二十枚を過ぎた頃から恐怖を覚え始めたよね……。


 六分に一枚というハイペースでピザを焼き続けているのに、女剣士といえば、空になったお皿を前にナイフとフォークを手に構えたまま、期待に満ちた眼差しでこちらを凝視しているのだ。怖い、怖すぎる。あと、いい加減、手が痛くなってきた。


 こんなことで腱鞘炎になったらたまったもんじゃないな……、と、そんなことを考えている間に三十一枚目のピザは完成。早速、熱々の状態を提供すると、女剣士は慣れた手つきでピザを切り始めた。


(この身体にどれだけ大きな胃袋を備えているのだろうか……?)


 華奢ではないが、大柄でもない。身長はといえばごくごく普通といった感じだ。流麗な顔立ちに涼しげな目元。ライトブルーの瞳が美しい。年齢はエリーと同世代といった感じだろうか?


 ただ、なんというか、食べ続けた影響か、すっかりとお腹が目立ってきましてね……。


 着ている服がはち切れるんじゃないかという、いらぬ心配をしてしまうんだけど、本人はお構いなしといった具合でピザを頬張り続けている。


 そして、三十一枚目のピザが残り一口となった、その瞬間だった。


 カフェの扉がゆっくりと開いたかと思いきや、店内に姿を現した人物は、驚いたような眼差しと声で女剣士に声をかけたのである。


「レオノーラ? 一体いつからここに!?」

「ん? ほー、ほひーほ、ほほはっはは?」


 口にピザを含んだまま女剣士が喋り始めると、エリーは首を振って、行儀の悪さをたしなめた。


「もう、食べながら話すのはだらしないわよ」

「ん……。もう大丈夫、飲み込んだ」


 そう言って女剣士はこちらに向き直り、何事もなかったかのように「店主、おかわり」と呟くのである。


「おかわりはいいんですけど……。二人はお知り合いで?」

「ええ、そうなんです。もう、レオノーラ、食べるのは後にして! あなたをここへ呼んだのは、ご飯を食べさせるためじゃないのよ?」


 エリーは呆れたように続けると、女剣士の隣に腰掛けた。


「透さん、紹介しますね。こちら、私の幼なじみで親友のレオノーラ」

「レオノーラだ。よろしく頼む」

「それでレオノーラ。こちらがお話ししていた白雪透さん。もっとも、その様子ではとっくに知っていると思うけれど」

「なに、この人がエリーの言っていた人なのか? 私はてっきり美味しい料理を作ってくれる店の人だと」

「そんなわけないでしょう! もう……!」


 たわいのないやりとりで目が覚めたのか、黒猫のラテは大きく伸びをして、定位置とばかりにエリーの膝に座り直す。


「そうそう、それとこちらがラテ。ラテ、この人はレオノーラよ。仲良くしてあげてね」

「うん。ラテさんというのか。末永くよろしく頼む」

「にゃー」


 どことなくピントのずれた挨拶を口にして、レオノーラは黒猫に対して深々と頭を下げた。真面目なのか、天然なのかよくわからないなあ。


「それで店主。ピザのおかわりはまだだろうか?」


 あ、間違いなく天然だ、この人。「ハイハイ、ただいま」と準備に取りかかったのだが、その手を止めるようにエリーは口を開いた。


「透さん、作らなくても大丈夫です! この子、あればあるだけ食べてしまうので!」

「そんな……。酷いぞ、エリー。私に美味しいご飯を食べさせないつもりなのか?」

「お話が終わったら、きちんと食べさせてあげるから我慢して!」


 なんというか、幼なじみを前にするとエリーも印象がずいぶんと変わるもんだな。いつもは柔和でおしとやかで、いかにも聖女って感じなんだけど。


 こうしてみると年相応というか、どこにでもいる普通の女の子に思えるもんな。


「そ、それでですね、透さん。昨日のお話なのですが……」


 レオノーラをようやくなだめたエリーは、半ば強引に話題を転じ、カフェ『妖精の止まり木』を救うための具体案を話し始めた。


***


「聖女には様々な務めがあるのですが、その中のひとつに『魂の浄化』というものがあります」


 たとえば人が死んだとする。すると人という器に入っていた魂は、しばらくの間、現世をさまよい、神の使いや精霊の導きによって天国へと浄化されていく。


 しかしながら、魂の中には浄化されないケースも存在する。現世に未練が残っているもの、悪事を働いたもの、非業な死を遂げたもの……。


 これらの魂は召されることなく、やがて悪しきものとなって集まると、魔物モンスターへと変貌を遂げてしまう。


 そういった事態を事前に防ぐことも、聖女の務めなのだそうだ。


「話はわかったけれど、この店と魂の浄化がどう結びつくんだ?」

「浄化をする際に、決まって行う儀式があるのです。『魂の晩餐』と呼ばれる祭事なのですが……」


 つまりはこういうことらしい。ご馳走を用意して、魂を迎え入れる支度を整える。その際、聖女をはじめ、司祭やシスターたちが魂に語りかけることで、現世の未練を断ち切り、天国へ導いてやる。


「未練を断ち切る重要性はわかるけど、ご馳走を用意しなければいけない理由は?」

「魂といえども欲求は存在します。その中でも、特段に強いものが食への渇望です。少しでも欲求を叶えてあげることで、魂が浄化しやすくなるのですよ」


 食べるということは生きることに直結するからな。魂にしてみれば、食事という行為そのものが現世への未練みたいなものなのか。


「『魂の晩餐』は大聖堂が執り行う神事の中でも、特に神聖なものとされております。国王ですら立ち入れない不可侵のものです」

「なるほど、理解できた。俺がその神事に協力すれば、大臣も手を出せなくなる。そういうことだな?」


 エリーは頷き、さらに続ける。


「さらに申し上げるのであれば……。現状、『魂の晩餐』を執り行える場所が少なく、私としてもぜひご協力をお願いできないかと思っておりまして……」

「そう、困っている」


 それまで黙り込んでいたレオノーラが同意した。話の間、暇だったのか、ラテを抱きかかえ、ラテもまんざらでもなさそうな表情を浮かべている。


「『魂の晩餐』は死を連想させる。だから、普通の人々は儀式そのものを嫌がる」

「そうなんです。その魂そのものが目に見えてわかってしまう儀式なので、皆さん不気味に思われるのか、場所を提供してくれるところはほぼ皆無というのが現状でして……」


 そういった事情もあり、『魂の晩餐』は年に一回、城の一角を借りて執り行うのがやっとらしい。


「せめて一週間に一度は執り行いたい」

「そうですね……。各地に魔物が出没している報告が続いている現状では、むしろ毎日のように執り行うべきなのかもしれません」


 ……ええ? 本当に? というか、魔物が溢れているのに、儀式やらないの?


「だから困っているんだ。どうか協力して欲しい」

「レオノーラは『魂の晩餐』をとりまとめる、一角獣騎士団の団長でもあるのです。どうか協力してもらえませんか?」

「この通り、よろしく頼む」


 頭を下げるレオノーラを見ながら、俺は考えた。ここで『魂の晩餐』とやらを開くということが知られたら、店には間違いなく悪評がついて回るだろう。


 とはいえ、エリーは大切な友人でもあり、窮地を救ってくれた恩人でもある。無下に断るのはしのびないし……。


 そんなことを考えていると、俺は頬のあたりに視線を感じ取った。目線の先では、何かを言いたげな表情のラテがいて、俺は思わず軽くため息を漏らした。


(わかったよ、ラテ。そうだな、困ったときはお互い様だよな?)


 決心した俺は二人に向き直る。


「是非とも協力させて欲しい。俺にできることだったらなんでもするよ」

「本当かっ!?」

「透さん、ありがとうございます!」


 手を取り合って喜ぶエリーとレオノーラの様子に、まんざらでもない気持ちを抱きながら、俺はささやかな疑問を呈した。


「でもさ、魂が喜ぶようなご馳走なんて作れないぞ? なにが好物かわからないし」


 死者を相手にご飯を振る舞った試しなどないのだ。まして、相手は魂という曖昧な存在である。一体どんな料理を作ればいいのだろうか?


「そんなに難しく考える必要はありません。ごくごく普通の料理であっても、魂にしてみればご馳走なのですから」

「って、言われてもなあ……」

「ふむ。であれば、いっそ浄化に必要なものを使った料理はどうだろう?」


 口を挟んだレオノーラはそういうと、「必要なものって?」と尋ねる俺に、得意げな顔で応じるのだった。


「オリーブオイルと塩だ。どちらも儀式には欠かせないぞ?」


 ……材料じゃなくて調味料じゃないか、それ。なんのアイデアにもなりゃしないよと、うなだれた矢先、とある食材を視界に捉えた俺は、瞬間的にとある料理を思い出した。


「気に入るかどうかわからないけれど、たっぷりのオリーブオイルを使った料理ならあるなあ」

「なに、店主!? ほんとうか!?」

「店主じゃなくて、透な」

「わかった、透! であれば、儀式の参考までに、いま、その料理を作ってもらえないだろうか!?」


 身を乗り出したレオノーラは、自身の食欲を抑えきれないのか、期待の眼差しを向けている。……絶対、自分が食べたいだけだろ。


「……すみませんが、お願いできませんか?」


 恐縮したようにエリーが小声で囁いた。まったく、エリーのお願いがなかったら作らなかったぞ?


 もっとも、作らなかったら作らなかったで、ピザを焼かされるんだろうなと悟った俺は、おとなしく調理に取りかかるのだった。


***


 小型のフライパンに刻んだニンニクと鷹の爪、たっぷりのオリーブオイルを加えたら香りを出す。


 一口大に切った鶏肉を加えて火を通したら、しめじにマッシュルーム、カットしたポルチーニ茸を加え、塩で味を調えつつ、さらに加熱。


 具材全体に火が通り、オリーブオイルがぐつぐつとなってきたら完成だ。バケットを添えるのをわすれないように、っと。


***


「お待たせ! たっぷりきのこのアヒージョだよ!」


 オリーブオイルの海に各種キノコと鶏肉が浸っている。そのまま食べても美味しいのだが、バケットにオリーブオイルを付けながら食べるのもまた格別である。


「はふ……! ふはいっ!!」


 説明している途中だったのだが、すでにレオノーラはバケットに具材を乗せて食べ始めている。気に入っていただけるようならなによりですが。


「美味しいです、透さん! 鶏肉も柔らかくて、きのこも食感が楽しくて」

「うーん、ニンニクの風味で、ますます食欲が出てきたぞ……! バケットおかわり!」


 あなた、さっきまでピザ三十一枚食べてましたよね……? 本当にどれだけ食べたら気が済むんだ? ラテなんて化け物を見るような視線を向けてるもんな……。


 ……まあ、美味しく食べてもらえるならいいか?


 そんな風に考え直しながら、追加のバケットを用意していると、エリーはフォークを運ぶ手を止めてから、表情を改めた。


「これであれば、きっと、魂たちも満足してくれるはずです。あらためて透さん、儀式の件お願いできますでしょうか?」

「ああ、任せてくれ」


 こうして、俺は『魂の晩餐』の料理担当に任命され、儀式の連絡があるまで準備を進めることになったのである。

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