36.再びのお悩み相談とクラムチャウダー

 …………………はっ!? 


 いかんいかん、あまりに唐突すぎて思考が停止してしまったっ!


 まったく、このお嬢様はいきなりなにを言い出すかと思えば、たちの悪い冗談を口にして……、


「冗談ではありませんわ」


 ……ですよねえ? ものすごく真面目な表情をされていますし……。


 っていうか、なにがどうすれば俺をレオノーラの伴侶にみたいな話になるんだよ?


「うら若き男女がひとつ屋根の下で暮らすのです。そういったことは考えてしかるべきでしょう?」


 男女の友情は成立しない派閥の人なのか、この子は? いいかい、サラさん、よくお聞きよ。世の中にはね、複雑な人間関係というものが存在しているのだよ?


「ではお姉様と透様は、いったいどのような関係なのです?」

「どのような……って」


 あらためて聞かれると答えに困るな……。ご飯を作る人と食べる人? ……考えると虚しくなるからこれは却下だな。う~ん、関係性、ねえ?


「まさか、お姉様とは遊びのおつもりだったとか!? 不潔ですわっ!!」

「違うわい、落ち着きなさいっての」


 ませているんだか幼いんだか、よくわからないなあ、この子も。


 ……いや、ちょっと待て。まさかとは思うけど、この話、レオノーラにもしたわけじゃないだろうな?


「当然、お姉様にもお話ししましたわっ。将来の伴侶候補なのですか、と」


 ……………………やばい、本気で立ちくらみが。マジか、マジなのか……。


 レオノーラも気の毒になあ。あいつだってそんなつもりで、ここで暮らしているわけじゃないだろうに。


 と、そんなことを考えながら、俺は額に手をあて、頭を左右に振っていたのだけれど。サラはといえば、きょとんとした眼差しでこちらを見やっている。


「どうかなさいましたの? お姉様はまんざらでもなさそうでしたが」


 ……は? なんですって?


「ですから、お姉様もまんざらではないと。『そうか、透が夫か、悪くないな』と仰っていましたわ」


 …………言葉がない。


 いやいやいやいや、レオノーラさんってば、そんなそぶり見せていなかったじゃないですか。ていうか、俺が気付いていなかっただけで、そんなこと考えていたのか、あいつ。


 同時に脳裏へと思い浮かんだのはエリーの柔らかな笑顔で、胸にチクリとした痛みを覚えながらサラに向き直った俺は、大きくため息を吐いてから続けた。


「仮にだけど、もしも俺に意中の相手がいたらどうするつもりなんだ?」


 遠回しにエリーの存在を匂わせてみる。なにも同居しているのはレオノーラだけじゃないのだ。それを考えれば、ある程度は察してくれるかもしれない。


 ……と、そんなことを考えていたんだけど、甘かった。天使を思わせるような微笑みを浮かべたサラは、こんなことを言い出したのだ。


「当然、別れていただきますわっ! レオノーラお姉様のためにっ!」


***


「なるほど。で、ウチのところに逃げ込んできたっちゅうわけやな」


 湖のほとりに腰を下ろした女神は、糸目をこれ以上なく細くさせながら、愉快そうに呟く。


「透も色男やなあ? 美人二人から言い寄られるなんて男冥利につきるやん」

「そんなことあるわけないでしょう? 胃がキリキリして食事どころじゃないですよ」


 サラから話を聞かされた後の俺はといえば、置かれた状況に理解が追いつかずといった感じで、ただただ呆然としていただけだったのだ。


 おかげでパンは焦がすわ、せっかく作ったミネストローネの味はしないわで散々だったのである。


 さすがにエリーも異変に気付いたようで「どうしたんですか?」と心配そうな眼差しを向けてくるし。


 レオノーラはレオノーラで、「ん? 食べないのか、透? それなら透の分ももらっていいか?」とか言っているし。


 お前、ほんとうに俺のことを伴侶候補とか思っているのかよとツッコむ気力もないまま時間だけが過ぎていったのだ。


 で、俺がそれからどうしたかといえば、ワイン瓶とつまみを抱えて、湖まで足を運び、女神クローディアに悩みを打ち明けにやってきたと、そういうわけである。


「しかしまあ、なかなかに間が悪かったなあ? エリーのお嬢ちゃんと話し合った後やったんやろ?」


 ラテを抱きかかえたまま、クローディアはワイン瓶を口に運んでいる。ものすごい勢いで減っていく瓶の中身を見やっていると、くはぁと熱い息を吐いて女神は続けた。


「いっそのこと、二人とも嫁にもろうたらええやんか」

「タチの悪い冗談だなあ」

「いやいや、冗談でもなんでもなく。大真面目なアドバイスなんやけどね」


 糸目に眼差しを向けるが、女神クローディアの真意は読めない。


「奥さんは一人で十分です」

「そんな固いこと言わずに。貴族や上流階級は、嫁さんが何人いてもおかしくないやんか」

「俺は庶民ですよ」

「想い合ったら関係ないやろ、立場なんて」


 そう言って、クローディアはつまみに持ってきたチーズを口に放り込む。


「大事なんは自分の気持ちだけやと思うで、ウチはな?」


 反論を試みようとした、その時だった。クローディアの膝の上でくつろいでいたラテがなにかを訴えようと俺に飛び移ったのだ。


「にゃー。にゃにゃにゃっ。なぁぁぁ」

「どうした、ラテ。そんなに鳴きだして」

「アッハッハッハ。そらええわ、ラテ。名案やな」


 困惑する俺をよそにクローディアは愉快そうに笑い出すと、ラテの言葉を通訳してくれる。


「つまりな、ラテが言いたいんは『エリーとレオノーラだけじゃなくて、クローディアも嫁にしたらいい』ってことやんな」

「にゃあ!」

「ラテ、お前……。なにを言い出すのかと思えば……、ますます頭が痛くなるようなことを……」

「なあ?」

「もう、そんなこと言うてぇ。透ってば、照れてるんやないのぉ? こんな美人の女神を嫁にするとか言われてもなあ?」

「いや、女神云々の前に、酒乱を嫁にもらうつもりは微塵もないので。マジで」

「うっわ、めっちゃ辛辣やん。傷つくわあ……。これだけ傷つけられたら、これはもう嫁にもらってもらう以外ないなあ」

「これ以上、話を複雑にしないでくださいよ、まったく……」


 付き合いきれないとばかりに立ち上がった俺は、そのまま湖畔を歩き出した。まったく悩みを相談しにきたというのに、解決するどころか余計にこんがらがっているじゃないか。


 おとなしく散歩をしていたほうが気が紛れるよと思いながら、水辺に目を落とす。すると、そこには白色をした六センチぐらいの貝があって、俺はなんとなくそれをつまみ上げた。


「なんだろ、これ? ハマグリ……じゃないよな」

「ああ、湖畔貝の一種やね」


 振り返ると、すぐ後ろにはクローディアが佇んでいて、気配もなく近づいてきたことに驚きつつも、俺はこの貝について尋ねるのだった。


「湖に生息している貝ですか」

「せやで。焼いて食べるとコレがまたオツやんな。酒のあてにピッタリや」


 聞けば砂を吐かせる必要もないらしい。へえ、アサリと違って使いやすいなあ。この大きさなら、食べ応えもありそうだ。


 水辺にはまだまだ湖畔貝があって、ある程度の量は確保できそうだ。そんな俺の様子を見ていたクローディアは、ふっふっふと企むような笑みを浮かべると、こんなことを言い出した。


「じっくりと料理と向き合う時間も、立派な気分転換になるんやで」

「なんだか前にも聞いたようなセリフですが」

「ええやん。せっかくやし、それでなにか作ってくれや。自分もいい息抜きになるやろ?」


 期待を込めた眼差しでこちらを見やるクローディア。……はあ、なんだか上手く乗せられているような気がしないでもないけれど、気分転換になるのは確かだからな。


 エリーとレオノーラはサラに連れられて外出中だし、タイミングとしてはちょうどいい。湖畔貝を集めた俺は、クローディアを伴って自宅兼店舗へ戻ることにした。


***


 後片付けもそこそこに出かけてしまったので、キッチンには朝食で使い切れなかった野菜類が残ったままである。


 このまましまうのも面倒だなと思った俺は、これらの野菜を有効活用しつつ、さらに湖畔貝の旨みを引き立てるべく、とあるスープ作りへ取りかかることにした。


 湖畔貝は表面をよく洗い、水気を切っておく。ジャガイモ、タマネギ、にんじん、それにベーコンをサイコロ状に切り分けて、バターを溶かした深鍋で炒めておこう。


 別の鍋に湖畔貝と白ワインを加えて蒸し煮する。火が通ったら殻から中身を取り出しておくのだ。


 野菜類を炒めた深鍋にふるった小麦粉、蒸し煮した貝のスープ、コンソメスープを入れたら、塩コショウで味を調える。


 仕上げに貝の中身とミルクを加え、沸騰させないように煮込んだらクラムチャウダーの完成だ!


***


「ああ~……。これは酒飲んだあとにええわあ……」


 クラムチャウダーを口にした女神が、ほぅっと満足の吐息を漏らす。


「優しい味やけど、深みもあるスープやね。貝とベーコンから染み出てるんかな?」

「そうですね。ミルクがそれを包み込んでくれているというか」


 考えてみればロクに朝食を摂っていなかったのだ。優しい口当たりのスープに胃袋だけでなく、心も満たされていくのを感じながら、同時に俺はエリーとレオノーラにもクラムチャウダーを食べさせてあげたいなとなんとなく考えたのである。


「いま、なに考えてたん?」


 見透かしたように呟くクローディア。俺はなんとなく答えたくなくて、別に、と返したのだけれど、クローディアはすべてを察した様子で静かに笑って続けるのだった。


「まあ、納得いくまで考えたらええ」


 どう応じたらいいのだろうか。思考を巡らせていた、その時である。


 ドンドンドンっ! と、強く扉をノックする音が店内に響き渡り、俺とクローディアは顔を見合わせたのだった。


「誰やろね?」

「さあ?」


 話しながら席を立った俺は、入り口へと足を運び、そして、ゆっくりと扉を開けた。


 すると、そこにはずんぐりとした中年の男性が無言のまま佇立していて、無造作な頭髪と見事に整ったヒゲとのコントラストが印象的だなと、その外見に気を取られていた矢先、ずんぐりとした男性は肺を空にするかのように声を上げるのだった。


「頼もうぅぅぉぉぉぉぉぉっっ!!!!!!」

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