38.乗馬訓練とローストビーフ

「よーしよし、上手いぞ。馬に乗っている姿も様になっているじゃないか。今度はそのまま、ジョセフィーヌをターンさせてみようか」


 草原で闊歩する馬を眺めながら、レオノーラは満足げに指示を出す。ついこの間、ジョセフィーヌを譲り受けたばかりだというのに、すっかりと乗馬が板に付いていて、俺としても驚きを禁じ得ない。


 ……もっとも、馬に乗っているのは俺ではないのだけれど。

「にゃっ! にゃにゃあ!」


 ジョセフィーヌの背中に佇立した黒猫のラテがひと鳴きすると、ジョセフィーヌはゆっくりと足の向きを変え、Uターンを始めるのだった。


「にゃ、にゃー」


 そしてラテがもうひと鳴きした瞬間、軽い足取りで草原を駆けていく。猫ならではのバランス感覚なのか、微動だにしないままのラテを見つめながら、レオノーラは藍色をしたポニーテールを揺らすように、うんうんと頷くのだった。


「どうだ、透。ジョセフィーヌを巧みに乗りこなすラテさんの雄姿は。まったく見事なものだろう?」

「いや、おかしくね!?」


 思わず女剣士へとツッコミを入れる。


「なんで俺よりも早く、ラテが馬を乗りこなしているんだよ!?」

「素質、というやつだろうな」


 大真面目といった感じで応じるレオノーラ。断言してくれるじゃないか、おい。


 そもそもだ、今日も今日とて乗馬の訓練を始めるぞと言ったのはお前だろう? 「お手本を見せるぞ」って言われたから、レオノーラが馬の扱い方を教えてくるのかと思っていたら、いきなりラテがジョセフィーヌに乗るんだもんな。


 そりゃあ俺もいろいろとツッコまざるをえないというか、置いてかれた感が強いというか、「ラテ、お前いつの間に……?」みたいな気持ちを抱くわけだよ。


「馬の乗り方はラテさんをお手本にするといいぞ、透」


 キリッとした眼差しをこちらに向けながら、レオノーラはなかば本気といった具合に口を開いた。


 ……お前、ドーンとかバーンとか、擬音とボディランゲージだらけでまともに教えてくれないと思っていたら、最終的には猫を見習えって、どんな指導方法だよ……。


「なるほどなるほど、これは苦労するだろうね」


 ブロンドのロングヘアを後ろで束ねたハイエルフが苦笑しながら呟くと、並び立った銀髪のショートヘアをしたダークエルフが呟いた。


「まったくですね。もう少し具体的な指示がないことには、透さんもお困りでしょう」


 他でもないマリウスとアレクシアのエルフコンビである。


 ガラス製の食器を納品しにやってきた二人だったのだが、雑談がてら「乗馬の訓練で困っている」ことを伝えると、二人とも「馬の扱いには慣れている」ということで様子を見に来てくれたのだ。


 ほどなくしてラテを乗せたジョセフィーヌが戻ってくると、マリウスは馬の首を撫でてやり、そしてラテと入れ替わるようにジョセフィーヌの背中にまたがった。


「はっ!」


 マリウスのかけ声とともに、ジョセフィーヌは駆けだしていく。あっという間に遠くなるその後ろ姿を唖然と見守りながら、俺はアレクシアに尋ねるのだった。


「エルフって乗馬が得意なのか?」

「ええ。移動や狩りには必須ですからね。馬だけではなく鹿にも乗りますし」


 鹿? 鹿って、あの鹿だよな? ……と思いきや、俺の知っている普通の鹿ではなく、家畜用に飼育された、普通より二回りほど大きなサイズの特殊な鹿らしい。


 スタジオジブリでいうところの『もののけ姫』に出てくるヤックルみたいなものかなと、想像の羽を広げていた矢先、ジョセフィーヌを乗りこなすマリウスが戻ってきた。


「どうだい、透君。僕の乗馬技術もなかなかのものだろう?」

「お見事です」

「君さえ良ければだが、店に来た際にでも乗馬の手ほどきをしようか?」


 マリウスがアレクシアへ視線を向けると、ダークエルフは同意するように首を縦に振った。


「そうですね。透さんにはいろいろとお世話になっていますし、お力になれるのであれば」

「本当ですか? それは是非ともお願いしたいです!」


 と、喜んで応じたその瞬間、シャツの袖をクイクイと引っ張られていることに気付いた俺は、視線を平行移動させた。


 そこにはうつむきがちのレオノーラがいて、落胆の微粒子を全身にまとわせた女剣士は、上目遣いで訴えたのだった。


「透……。私の教え方に不満があるのか」

「そ、そういうわけじゃ……」

「私が透に乗馬を手ほどきするはずだったのに……」

「い、いや、違うんだ、レオノーラ」

「しょせん私との関係は遊びだったんだな……」


 ……お前、人が聞いたら誤解を生みそうな発言をするなよ……。そういうんじゃなくて! 上手な人から多方面に教えてもらったほうが上達も早くなるかなと、そう思っただけであって、レオノーラから教えてもらうのをやめるわけじゃないんだってっ。


「本当か? 本当の本当か?」

「本当ですって! 今度ともご指導よろしくお願いしますよ!」

「ふふふ、それならいいんだ」


 そう言い残し、上機嫌でジョセフィーヌの世話をしに行くレオノーラ。はぁっと大きなため息を漏らす俺を眺めやって、マリウスは「ふむ」と呟き、腕組みをしながら続けるのだった。


「乗馬だけでなく、様々な相談にも乗ろうじゃないか。たとえば女性との付き合いとかね」


 ……それはそれは、深刻な事態に陥る前にお願いしたいですねえ。


 とにもかくにも。


 考え事をしているとお腹が空いてくるわけで、お昼ご飯にもいい頃合だと考えた俺は、エルフたちにも食事を振る舞うべく、自宅兼店舗へ戻ることにしたのだった。


***


 今日は前にセバスからもらった牛肉のブロックを使おうと思う。元気を出すためには肉が一番だ。豪華な一品を作ろうじゃないか。


 常温にしておいたブロック肉にフォークで穴を開けていく。すりおろしたニンニク、ハーブ類、塩コショウをまんべんなく揉み込んだら、オリーブオイルを引いたフライパンで焼き色をつけていくのだ。


 焼き色を付けた肉をフライパンから取り出す。今度は、一口大に切ったジャガイモとタマネギをフライパンに敷き詰め、その上に肉をのせるのだ。


 蓋をして弱火にかける。しばらくの間、蒸し焼きにしていこう。


 野菜に熱が通ったら、火を止める。じっくりと余熱で火を通したら、ローストビーフの完成だ!


***


「これは、ミディアムレアの焼き方とも少し違うな……。それにしても柔らかく食べやすい」

「ええ。牛肉の旨みをダイレクトに感じられてとても美味しいですね」


 ローストビーフの断面が、ほんのりとピンク色だったことに驚きと不安を隠せないといったマリウスとアレクシアだったけれど、口に運んだ瞬間、それらはどこかに消え飛んでしまったらしい。


 赤ワインとローストビーフを交互に味わいながら、恍惚とした表情を浮かべるエルフたち。


 一方、レオノーラと言えば、パンにローストビーフ、付け合わせの野菜を挟んで、乱雑なローストビーフサンドを作っては頬張るを繰り返している。


「パンと肉と野菜を交互に食べるのはまどろっこしいだろう? こうすれば一緒に味わえるし、満足感も高い」


 きっぱりと言い切って、ローストビーフサンドとの格闘を再開するレオノーラ。……今度ハンバーガーでも作ってやるかと思いながら、俺はふとした疑問を思い出し、マリウスとアレクシアへ尋ねることにした。


「そういえば、普段の食事はどういったものを召し上がっているんですか? お店に来たときの注文はほとんど甘味が中心ですけれど」


 そうなのだ。ハイエルフもダークエルフも、来店時は決まってお茶とお菓子を頼むのが常で、食事系はほとんど頼まないのである。


 下ごしらえをしていたところで出番がなく、そのまま俺たちの夕飯や朝食になってしまうので、最近はご飯ものの準備はおろそかになっているのが実情なのだ。


「特段、君たちと変わらないと思うな」

「そうですね。肉も食べますし、野菜や川魚も食べます。皆さんと違いないと思いますが」


 そうなのかあ。それならそれで店に来た際には食事も頼んでくれたらいいのになあ。


 俺が訴えると、マリウスとアレクシアは苦笑いを浮かべ、それもそうだと頷くのだった。


「このローストビーフも素晴らしいからね。今度からは食事も頼むことにしよう」

「ええ。上質な料理をいただけると、仲間たちにも教えておきます。次回は透さんオススメのメニューをいただくことにしますね」


 微笑む二人を見て、俺は安堵した。よかった、別に食べられないものがあるとかそういうわけじゃなかったんだな。そういうことなら、下ごしらえの量を元に戻しても大丈夫だろう。


 食事を注文してくれる、そんなささやかな約束を嬉しく思った俺は、少し前にチョコレートを入手したこともあって、うっかりと口を滑らせてしまった。


「そうしていただけると嬉しいです。その分、新しい食材も手に入ったのでお菓子作りもがんばりますから」

「新しい食材だってっ!?!?!?」


 俺の言葉に、ガタンと椅子を揺らしながら、マリウスとアレクシアは席を立った。


「そ、それはいったいどんな食材なんだい、透君!!!!」

「ええ、ええ! いったいどんなお菓子をお披露目してくれるのか!!! 私も興味がありますわ!!!!」


 俺の肩をつかみ、激しく身体を揺らしてくる二人組のエルフを眺めやりながら思ったね。この分だと、食事系のメニューを注文するのはしばらく先の話になるだろうなあって。


 ……はあ、仕込みはいままで通りで大丈夫かなあ……。

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