23.魔法の話とビシソワーズ

 その日の夜。


 帰宅したエリーとレオノーラを交えて夕飯を済ませた俺は、二人の留守中に起こったエルフたちとの騒動について話していた。


 三十年後はさておくとして、マリウスもアレクシアも友人や知人を連れての来店を約束してくれたので、とりあえずは良かったと一安心したいところなんだけど……。


 ハイエルフもダークエルフも、お酒についてはひとかたならぬこだわりがあるのだ。間違っても、お酒を使ったお菓子を振る舞わないよう気をつけたいところである。


「たぶんですけれど、大丈夫だと思いますよ」


 話に耳を傾けていたエリーは、ラテを抱きかかえたまま呟いた。


「エルフたちがこだわっているのは、あくまで自分たちが作ったお酒に対してだけですから」

「そうなのか?」

「エルフたちがワインやエールに文句を漏らすというのは、私も聞いたことがないな。そんなに気にする必要はないと思うぞ」


 ブランデーケーキを口いっぱいに頬張りながらレオノーラが応じる。どうでもいいけど、それ、アルコール強いから、酔わないように気をつけるんだぞ?


「問題ない。私は酒に強いからな」

「そう言っているヤツほど、酔っ払うと厄介なんだよ」

「レオノーラは酔うと静かに眠りますから。ご心配には及びません」

「その時はラテさん、一緒に眠ろう」

「にゃあ」

「それにしても、このブランデーケーキ。本当に美味しいですね。ケーキの甘みと、ブランデーの芳醇さがこんなにも合うなんて」


 一口大に切り分けたケーキを口に運びつつ、エリーは感嘆の声を上げた。二人にも気に入って貰えたようでなによりだ。


 ……そういえば、ブランデーケーキで思い出したけど、二人に聞きたいことがあったんだ。


「時間を操る魔法、ですか?」


 エリーが確かめるように、問いかけを繰り返した。そうなのだ、女神クローディアによって三日間もの時間を経過させたことによって、ブランデーケーキは美味しく作れたといっても過言ではないのだ。


 もし、時間を操れる魔法が存在するのであれば、熟成が必要な調理も一瞬で終わるだろう。出汁を取ったり、ソースを寝かしたりといった工程も楽に行える。


 そう思って尋ねてみたのだが、二人の表情はといえば憮然としたものだった。


「時間を操る魔法、というのは、聞いたことがないですね……」

「魔法の常識をはみ出しすぎているぞ、透。なにかの間違いじゃないのか?」

「もしくは女神様だけが扱える魔法、とか」

「うーん、やっぱりそうなのかあ」


 いくらなんでも時間をコントロールできるなんて、デタラメ過ぎるもんなあ。女神と呼ばれるだけあって、クローディアだけが使える神秘的な力と考えるほうが妥当か。


 もっとも、普段の様子から察するに、とんでもない能力を秘めた人物とは思えないのが残念だけど……。


「あっ」


 名案を閃いたのか、エリーは声を上げた。


「例の梅酒とコーヒー酒。女神様に頼んで熟成を進めてもらうのはどうですか? 時間を操れる魔法が使えるなら、それも可能なのでは?」

「いやあ、俺もそれは考えないでもなかったんだけどね」

「なにか問題でも?」

「なんというか、情緒がない」


 梅酒とかはさ、じっくり寝かせるからこそありがたみとか美味しさが際立つのであって、それが一瞬で完成しちゃうと、なんだか味気ない気がするんだよな。


「透も妙なところでこだわりがあるんだな? ソース作りが楽にできるとか言っていたじゃないか」

「それはそれ、これはこれ。風情というものも大事なんだよ」

「そういうものですか?」

「そういうものなの」


 ……とはいえ、クローディアのことだ。梅酒の存在がバレたら、頼んでもいないのに、みずから梅酒の時間を経過させるかもしれない。


 ある程度の覚悟は決めつつ、俺はさりげなく話題を転じた。


「そういえば、二人はどんな魔法が使えるんだ?」


 魔法について言えば、個人的な知識はゼロに近い。以前、ピクニックに行った際は、それぞれ火と氷の魔法を見せてもらったけれど、他にはどういった種類のものが存在するのか気になったのだ。


「そうですね、私ですと基本的なもの以外でしたら聖魔法とか光魔法とか……」


 答えたのはエリーで、こちらは聖女らしく、解毒や悪しき魂の浄化、魔物などに対する攻撃手段として魔法を用いるそうだ。


 一方のレオノーラと言えば、


「私は魔法の素養があまりない。火と風と氷ぐらいだな」


 と、整った眉を微妙な角度に動かした。いやあ、それでも魔法の使えない俺にしてみたら十分なものだと思うけどなあ。


 ここで、ちょっとした疑問。


「ちなみになんだけど……。魔法で氷を作ったとするよね。それって食べられたりするのか?」


 前に氷で固められた魚を見た際に思ったのだ。これだけ立派な氷が作れるなら、食用に応用できるんじゃないか、と。


 すると、エリーは大きな瞳をぱちくりとさせて、確かめるように呟いた。


「た、食べるんですか? 魔法で作った氷を……?」

「え? うん。イケるかなって」

「さすがに……。食べるのはどうかと思いますけれど……」


 プラチナブロンドの美しい髪を揺らすように、エリーはゆっくりと頭を振ってみせる。なんでも、魔法の氷は精霊の力によって作られることもあり、食べても安全かどうかはわからないというのだ。


「魔法の氷を食べたいなんて、まったく、食い意地が張っているなあ、透は」

「にゃあ……」


 ……お前にだけは言われたくない。レオノーラの声を聞きながら、俺は反論した。


「違うって。食用として使えるんだったら店で提供できるメニューの幅が広がると思ったんだよ」


 氷が使えるのであれば、アイスコーヒーやアイスティーが振る舞えるようになるぞっ! ……と、そんな期待から尋ねてみたんだけど。食用として使えないんだったら、用途は限定されるかなあ。


「冷やすとか凍らせる程度であれば、問題なく行えると思いますけれど」

「そうだ。透、私はアイスが食べたいぞ。あれは冷たくして作るお菓子なのだろう? それであれば、私たちにも手伝えるはずだ」


 励ましにも近い二人の声を聞きながら、俺は考えを改めた。それもそうか、別に食用に限らなくても、材料の保管や料理の保冷に使えばいいだけの話だよな。


 そう思えば利用方法もいろいろ広がるわけで、レオノーラが言うとおり、アイス作りも比較的簡単にできるはずだ。


 とはいえ、魔法を使った調理は未知数であり、どのぐらいの効力があるのか知っておく必要もあるわけで……。


 俺は未だに減らないジャガイモの山を見やりつつ、キッチンに足を運びながら二人に頼みごとを伝えるのだった。


「明日の朝食に、魔法を使った料理を作ろうと思うんだけど、よかったら手伝ってくれないかな?」

「もちろん。喜んでお手伝いしますけれど……。透さんは、いまからなにを作られるんです?」


 大きな鍋を取り出しながら、俺はエリーに答えた。


「下準備に出汁を取っておくのさ」


***


 翌日の早朝。


 エプロンに身を包んだ俺たちは、早速、朝食作りに取りかかった。


 ジャガイモの皮をむいて薄切りし、水にさらしておく。同時にタマネギも薄く切っておこう。


 水気を切ったジャガイモとタマネギを鍋で炒める。野菜が柔らかくなってきたら、前日に作っておいた出汁――コンソメ――を加えるのだ。


 コンソメは鶏ガラをベースに、鶏肉と野菜を加えて煮込んだものを用意した。豚肉とか牛肉を加えても良かったんだけど、今回はお手軽にできるものを使うことにしよう。


 コンソメを加えた鍋を弱火で煮込む、ジャガイモが崩れてたらミルクを加え、塩コショウで味を調えて、火から下ろす。


 ジャガイモを潰しながら、なめらかになるまで混ぜ合わせたら、いよいよ魔法の出番だ。


「鍋の周りを包み込むように、氷の魔法をかけてくれるかい?」

「わかりました。やってみますね」


 頷くとエリーは鍋に手をかざし、それから「アイスストーム」と呟いた。


 手のひらから氷の粒が飛び出して、上部分を上手く避けながら、鍋の側面から底の部分を覆っておく。正確なコントロールに見惚れていると、手の空いたレオノーラが囁いた。


「エリー、そんなに慎重にやらなくてもいいんだぞ? 氷が鍋を包み込んだところで、私が叩き割るからな」

「鍋ごと破壊するつもりか、お前は」

「大丈夫……。もうすぐで終わるから……」


 そう言うとエリーは、かざした手を下に下ろした。見事に鍋の周りだけが氷で包まれていて、女剣士の出番がないことに俺は心から安堵した。


「ありがとう! 完璧だよ!」

「よかったです。でも、せっかく作ったスープをどうして冷たくするんですか?」

「そうだぞ、透。スープは温かいからこそスープじゃないか。冷やしてどうするんだ」

「にゃ」


 疑問符を漂わせる二人と一匹をチラリと見やりつつ、俺は氷で覆われた鍋の中身をかき混ぜ合わせる。


「いやいや、これが美味しいんだよ。まあ、ちょっと待ってて」


 あっという間に冷やされるスープを深皿に盛り付け、細かく切ったパセリを散らしたら、ジャガイモの冷製スープ『ビシソワーズ』の完成だ!


***


 ビシソワーズを口に運んだ二人は、表情一杯に驚きを浮かべて、まじまじと深皿を見つめている。


「美味しい……。さっぱりしているのに、コクもあって……」

「うん、これはパンが進むスープだなっ。冷たいスープに温かいパンのコントラスト……。たまらないぞっ」


 そう言って、エリーはゆっくりと、レオノーラは豪快にビシソワーズを口にするのだった。


「スープが冷たいっていうことに抵抗があるんだけどね、一度味わうとクセになるから不思議だよなあ」

「本当に、やみつきになりそうですね」

「透っ。こういう料理を作るなら、いつでも私やエリーを頼ってくれ。魔法の一つや二つ、バシバシと使っていくぞっ」


 片手にスプーン、片手にパンを掴んだままレオノーラが声高らかに宣言する。釣られて食事中だったラテも「にゃあ」とひと鳴きし、俺とエリーは顔を見合わせて笑うのだった。


 とりあえず、魔法を使った調理は成功したといっていいだろう。見たところ、威力も調整できるみたいだし、使い方次第では冷蔵庫や冷凍庫みたいなものも用意できるかもしれない。


 何より、二人の協力で、冷たい料理や甘味がいつでも作れるようになったのは嬉しい。様々なものを提供しているとはいえ、ここはカフェ。カフェと言えばでお馴染みの、“あのメニュー”を用意するためにも、いまから準備を進めなければいけない。


 詳細については、また別の機会に話すことにしよう。

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