シュピーラドの恋情
あこ
第1章
第1話
この国はこの世界において珍しく、この国で生まれた国民全員に精霊から加護が与えられる。
それがどうしてなのか、という事は教会の奥で秘匿とされる文献の中に記述されていると言うが、真実かどうかは定かでは無い。
精霊王に愛された国、と言われているピエニ国。
歴代精霊王によって守られていると言われているおかげで、小国ながらもこれといった侵略を受ける事もなく平穏な時間を過ごせていた。
現在の精霊王はシュピーラド。彼の加護が国を包んでいると言う。
しかし平和でいればいるほど、人は忘れてしまうのだ。
さまざまな、そして非常に大切な事を。
その男、ヴァールストレーム辺境伯ヴェヒテ・イーヴァル・レンナルトソンが、やせ細りボロボロの子供を見つけたのは偶然だろう。
今にも死にそうな、骨にどうにか肉がついているだけの様な体の子供が、あるタウンハウスの裏手から投げ捨てられたのだ。
死んだペットを投げ捨てたのかと思ったほどに、投げ捨てられたものは死骸だと決めつけそうになったほどに動かずうめきも上げず、だからヴェヒテは動物の死骸だと疑わなかった。
その場に出くわすのも気まずいと、暗がりに隠れるようにジッとしているとそれを投げ捨てた、この家の執事と思しき男は屋敷を囲う塀の裏口から中に入る時に吐き捨てて言う。
「ようやくこれで呪われたモノが消える。やっと消えて清々するわい」
重厚な音を立てしまった裏口の扉を確認し、ヴェヒテは執事らしき男の言葉が気になってそっとそれに近づくと、それが動物の死骸ではなく、骨にどうにか肉がついているだけの様な体の子供である事が判って驚き声を上げそうになった。
辺境地を預かる人間として様々な“脅威”と戦ってきた男だが、これほど“酷く哀れ”な子を前にして声にならない悲鳴をあげそうになったのである。
このまま放っておくなんて事、ヴェヒテには出来なかった。
呪われたのどうのと言っていたのは気になったが、ヴェヒテと言う男は自分で調べ納得しなければどの様な事も納得しない。
目の前の死にかけた子供が仮に呪われていたとしても、本当がどうか、自分の目で確かめない限りそうだとは思わないのだ。
自身のマントで子供を包み込み、連れていた馬に乗る。
静かに、けれども素早く、ヴェヒテは王都にある自身のタウンハウスへと急いだ。
腕の中の子供の心音を何度も確かめながら、何度も鞭を打った。
タウンハウスの門をくぐると屋敷の扉が開き、向こうから筆頭執事のニコライが慌てて出てくる。
ニコライの隣にはヴェヒテの息子、ヴァールストレーム辺境伯次男になるユスティ・ヴィクトル・レンナルトソンもいた。
ユスティの顔は安堵で彩られており、ニコライもユスティに「ようございましたね」と言っている。
父親がくるまで待てないとユスティは飛び出した。
「父上!申し訳ありませんでした!!」
「構わん!これに懲りたら馬の管理を怠るな。お前がしたいと言ったのだ、責任を持てぬのなら言うんじゃ無いぞ」
はい、と声を上げようとしたユスティはここで漸く落ち着けたのだろう、父親が何かを持っているのに気がついた。
「あの、……父上?腕に抱えているのは一体」
「ん?俺にもはっきりとは言えん。しかし、見てしまったからには放っておけぬ。グスタフ!グスタフはいるか!」
ヴェヒテは馬上から声を荒げ、少しすると屋敷から走ってヴェヒテの元にきた初老の男。
初老と言って差し支えない顔つきだが、その体つきは老人とは程遠い武人の様にガッシリとしている。
身につけている服が執事のそれでなかったら、武人か何かと思うだろう体格であった。
「旦那様、まずは馬からお降りくださいませ」
ヴェヒテは確かに、と言って腕の中に抱えた子供をそのままに馬からさっと降りた。体格に似合わず身軽である。
「グスタフ、この子供に治療を。治癒魔法が使えるマーサにも世話を頼んでくれ。悪いがマーサにはつきっきりで看病する様にとも言っておいてほしい」
「へえ?子供でございますか……──────え?この軽いものは、子供でございますか!?子供ですと!!!?」
ヴェヒテからマントに包まれた子供を受け取ったグスタフは素っ頓狂な声を上げた。
彼が体躯に見合った力持ちだったとしても、この軽さは異常だと思った様だ。
「そうだ。頼んだ。事がはっきりするまで、決して誰にも口外するな。母上が建てた離れで治療してくれ」
そこまで言うと、ヴェヒテは息子ユスティとニコライにもしっかりと言い含め、子供を託したグスタフも連れて屋敷に入る。
すぐにグスタフには指示通りにと言って、ニコライとユスティには明日話そうと言ってそれぞれの部屋に戻し、自分は自身の執務室へと行った。
子供をグスタフに渡してから気持ちが少しずつ落ち着いてきて、あの執事らしき男が言った『呪われたもの』が頭に引っかかったのだ。
何かのおりにそんな話を聞いた様な気がする、と。頭の端で、それの記憶がチカチカと光っている様な気がしている。
執務室の椅子に深く腰掛け、眉間を指で揉み込み考えていると小さなノックの音がした。
入る様にといえば、美しい女性が入ってくる。
「ティナ……」
「ヴェヒテ様、おかえりなさいませ。何かあったようですけれど……?」
ティナ、と呼ばれた女性はヴェヒテの妻であるヘレナ・クリスティーネ・レンナルトソン。ヴェヒテと同じ歳の、元侯爵令嬢である。
ヘレナは嫋やかなまま室内に置いてある一人掛けのソファに座った。この執務室にあるのはこのソファとヴェヒテが腰掛ける執務用の椅子だけ。
そこまで広くしないでくれと言ってヴェヒテの養父が作った執務室には、仕事で使う家具や道具を除くと一人掛けのソファと小さなテーブルを入れるくらいしか出来なかった。
ここで前辺境伯爵である養父は、大きな体で執務をしていたのである。そのギャップは面白いものがあった。
そのソファに斜めに腰掛けたヘレナは、ヴェヒテににっこりと笑う。
ヴェヒテは椅子から立ち上がり、ヘレナの腰掛けるソファの前にあるテーブルに座った。
はっきり言って“お貴族様”がやるには行儀が悪い行動だが、ヘレナは「子供たちの前でしないのであれば、かまいませんわ。だってヴェヒテ様ですもの、お行儀良くなんて難しくいらっしゃいますでしょう?」と笑って許している。
「実は今日、ユスティに任せた馬が逃げてな」
「ええ、存じでおります。ユスティは『父上が見つけてくれると言っていましたが……母上、俺、どうしたら』とオロオロしていましたの。ヴィヒテ様はちゃんと見つけてきたんでしょう?ユスティが喜んで報告にきましてよ?」
「ああ、馬はよかったんだが……その、問題がな」
言ったヴェヒテは大きく息を吐き出すと、また眉間を揉み込んで
「子供を拾ってきた」
「まぁ!!」
思わず大声になったヘレンのその意味を、ヴェヒテはよく分かっている。
目に止まった子供全員を救えないと理解しているから、彼らは取捨選択しなければならない。
一人だけ救っても多くが残る。多くを救えないのに戯れの様に一人を救うべきでも無い。
そう思うヴェヒテは領地で一人でも孤児を少なくしようと、その活動に勤しんだ。養父の父の時からの活動は身を結び、スラムが完全になくなるまでになったが、孤児はまだ多く問題も抱えている。
領地を預かり守る領主として、一人を贔屓するわけにいかない。だからこそ、いつか少なくなる様にと手を尽くすというヴェヒテが子供を連れ帰ってきた。
その行動にヘレナは驚いているのだ。
「どうしてですの?何か、ございまして?」
当然の疑問を投げかけるヘレナにヴェヒテも正直に言った。
子供が捨てられた様子や、その子供の姿。
そして頭に引っかかっている『呪われた子』という発言。
全てを黙って聞いていたヘレナは「まあ、まあまあ……」と言って両手を胸の前で組む。
「何か、知っているのか?『呪われた子』に心当たりでも?」
訝しげに聞いてくるヴェヒテにヘレナは頷き、慎重に口を開いた。
「きっとその子はエングブロム公爵家のハイル・ロルフ・アスペル……きっとそうですわ」
その名前を聞いてヴェヒテは「ああ」と声を出し、大きく頷いた。
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