第8話

「マーキング……?あの動物がなわばりだと主張するあれと同じ感覚で捉えて宜しいのか?」


伺う様に聞いたのはリネーだった。

全員がその返事を待っている。

「ええ。私の知る言葉で他に何と喩えて良いか、ちょうど良い言葉を私が持ち合わせていないのが申し訳ない。加護はなんというか……精霊が『この人は自分のである』と知らしめる様なものではないか。と私が読む事が可能であった書物からは伺えました」

リネーは少し考えて

「それは、つまり私たちの世界で言う……例えば婚姻の様なものだろうか?」

「なるほど!そういう考えもあるかもしれません。ですが婚姻──────ええ、発表はされていませんが、破棄されるケースもあると考えると、婚姻よりも婚約が妥当かもしれません」

司祭の言葉にドンが珍しく声を荒げた。

「破棄!!!?破棄……ま、まさか加護を失う場合があると?」

「ええ。滅多に報告されませんが……いえ、報告されないだけで、もしかしたら報告された事例よりもずっと多いかもしれません。なにせ加護の判定した時以外、加護があるかどうかを他者が知る術が今はありません。また、今のでお分かりと思いますが、加護を失っても目に見えて困った、不幸になった、そんな人はおりませんから、態々失ったと報告する人はごく稀であって当然でしょう」

「なんということだ……」

青ざめぐったりと椅子の背に体を預けたドンを労わる様に、カルロッテがドンの肩を撫でる。

司祭の話を黙って聞き、何度も咀嚼する様に考えていた様子のリネーが口を開いた。

「あの……婚約でもマーキングでも、どちらの言葉が正しかった──────いえ、精霊にとって近いものだったとしても、マーキングは動物が『ここは自分のものだ』となわばりを主張するものですよね?ですがそれが重なる事や、別の種族と同じ場所に縄張りを持つ場合もあります。そう言う事が加護には起きないのしょうか?」

「ええ、マーキングだと思うとそう捉えられるのも分かります。私も読めた書物から判断して、思う事がありました。そうですね、例えとして現実的なお話をしましょう。今現状の加護の特定方法であると、そうですね、私の場合で例えましょう。私は『唱礼の加護』を持っております。この加護が何かは置いておきますが、加護の判定の際判る事はこの『唱礼の加護』です。どの精霊がこの加護を私に与えてくださったのか、それは判別出来ないのです」

青ざめたままのドンがわなわなと口を動かし

「そういうことになると……まさか」

「ええ、そうなります。ドン様が考えていらっしゃる通りです」

リネーが意味が分からないと司祭とドンを交互に見る。グスタフも気がついた様でハッとした顔をしていた。カルロッテは口を抑えて震えている。

「リネー、同じ加護も持つ人間も多いが、加護にはいくつか同じ様なものがあるね。豊穣だの実りだの、あと満作もあったか。同じ様な加護なのに、僅かにその加護で得られるものにが出る」

「はい。それは知っております」

「その差を誰も気にしていなかった。私も今まで、今の今まで、なんとも思っていなかったよ。けれどもしかしたら」

ドンは司祭をちらりと見た。司祭も小さく頷いている。やはり二人とも同じ考えであった。

「加護はひとりの精霊から与えられる場合もあれば、複数の精霊が与えてくれる場合があるのではないか、という事だ」

「なんと……」

「今の話を思うと、鍛治に関する加護を持つものは、火と土など……そういう組み合わせかもしれない」

「今まで『ひとりの精霊からひとりの人へ』と考えられていましたが、『複数の精霊からひとりの人へ』の場合も行われているかもしれなくて、その精霊の組み合わせによって加護も変化している場合がある。という事でしょうか?精霊の基準は不明ですが、加護は複数にわたっている可能性もあると……?今の判定方法であると『ひとつである』という考えで判定されているから『ひとつ』しか判定されないという事になると?もし『ひとつ、もしくは複数』と考え判定すると複数持っているものが見つかる可能性があるという事になる、かもしれないと?」

司祭とドンは黙って頷いた。

「しかし、でしたら加護なしというのは一体……」

リネーの声が掠れている。

「婚約、婚姻、マーキング……どういった意味であれ、それが出来ない相手には加護を与える事が出来ないという事になるのでしょうか……?ですが、なぜ?」

部屋には沈黙だけであった。



大人たちの沈黙と驚きが多い話し合いから離れた部屋では、マーサとユスティが寝ているハイルの部屋にいる姿がある。

マーサはハイルの様子を見ながら刺繍をしており、ユスティはハイルの寝顔を眺めつつ課題をこなしていた。

保護した時は骨と皮であったハイルも、マーサの治癒魔法と彼女が持つ『平復の加護』のおかげなのか

「なんだか少し健康に見える様になった気がするよ」

ユスティの声にマーサが顔をあげ、腰を上げるとハイルの顔を見る。

「確かにそうでございますね……少しふっくら、それでもあまりに細いですが、ふっくらされてきたような気も致しますね。ですがユスティ様、私がいくら『平復の加護』を持っていても、これはあくまで、この場合では治癒魔法の効果が上がるだけのもの。この様にふっくらしていくような効果はございませんよ」

「そうだよね。でも良いよ。健康的になってる気がするから」

「ですが治癒魔法とポーションではもう限界です。そろそろ起きて何か食べていただかないと……」

心配な顔をしたマーサは刺繍道具を脇に置き、ハイルの頭を優しく撫でる。

その動きを見ていたユスティは思わず、本当に思わずこぼす。

「叩いたら起きるかな……」

マーサの声がすぐさま入る。

「まあ!ハイル様はじゃございませんよ!この様に弱っている方になんという事を考えるのですか!」

ユスティは母ヘレナに文字通り叩き起こされていた経験があった。ユスティは知らないし、マーサはリネーの“名誉”のために言わないが、実はリネーも同じくである。

ピシャリと言われ肩をすくめたユスティは両手を軽くあげて降参の意を示し、ハイルの頬を指先でつんつんとつつく。

「早くここもふっくらすると良いんだけどな」

「でしたらなおの事、起きていただかなければなりませんね」

「うん」


こうして“いつも通り”の日々を送り、辺境地に来て半月、ユスティの休暇も残り半分となったところだった。

その日の朝、ユスティがリネーとドン、カルロッテを起こし回った。

彼らがいつも起きる時間よりもずっと早い。

朝焼けで空が綺麗な紫色をしているような、そんな時間だ。

ユスティが全員を強引に──彼らは寝衣にガウンを羽織っただけだ──連れて行く先はハイルを守っているその部屋。

そっと開けた扉の先ではマーサが甲斐甲斐しくベッドの上の少年に世話を焼いている。

いつもと同じものだけれど一つだけ、大きく違うところがあった。

彼、ハイルが起きていたのだ。

扉の前で全員が佇んでいる中、なぜか得意げなユスティと驚いたリネーを押しやってカルロッテが部屋に入る。

ハイルはそのカルロッテに気がつき一瞬体を硬くしたが、マーサが何か言うとその緊張も解かれた。

カルロッテの啜り泣く様な声の合間に、何かをハイルに囁いているのも判る。扉の所から動いていない彼らには聞こえないくらいの声だけれど、カルロッテの雰囲気、マーサの表情からよかったよかったと泣いている様だ。

孫と同じ歳の子供が衰弱し、理不尽な暴力に耐え、今にも死にそうであるそれに心を痛めていたカルロッテは、いつのまにかハイルに孫を思うような気持ちを持っていたのだろう。

その様子を見ているだけだった男三人の前に、いつの間にかマーサが立っていた。

は私とカルロッテ様にお任せください」

三人の返事も聞かず、部屋の扉はしっかりと閉められた。


この日、目を開けたハイルは見慣れない天井に、死んだか生まれ変わったかしたのかと本気で思った。

しかし死んだとしても、生まれ変わったとしても、『呪われた子』という意味は分からないけれど“どうやら良からぬ何か”を持つ自分がこんな場所にいるなんてどういう事かと。こんなにもにどうして自分がいるのだろうか、と思い動こうとした。けれども起きようとした体の自由が効かない。

一瞬拘束具でもついているかと思ったハイルではあったが、そういう事ではないとに気が付き理解した。

拘束具は身につけた。何かとさまざまな理由がついて。その理由をいちいち覚えてはいない。覚えておく必要なんてひとつもなかったから、それに教えてもくれなかった。

拘束具はないが動けもしない、声を出していいかも判らない。

ジッとしているとどこかで「あ!」と驚く様な声がし、ハイルが誰の声なのかと確認するより先に誰かが出ていった気配がする。

気配はなんとなく感じられた。人の出入りには否応なく敏感になった。

途中からは「もうどうでもいい」という感情さえ擦り切れて人の気配も気にしなくなっていたけれど、無意識に警戒をしていたのか出ていった気配を感じ取れたようだ。敏感になったものは変わらずハイルに残っていた、と言う事なのだろう。

ぼんやりと天井を見ていると、また人の気配を感じたハイルの耳に今度は掠れた声が届いた。

「ようございました、ほんとうに、ほんとうに……ああ、神様」

視線を動かすとそこには突然現れた少しふくよかな女性がおり、半泣きの顔でハイルの世話を始め、震える声で起きてよかったと言い続ける。

ハイルは返す言葉も持たず、けれど不思議と恐怖はなかった。

半分は今まで以上の事が自分の身に降りかかってもどうでもいいか──────いや、それよりも流れに身を任せていればいいや──ハイルには自分の生き死にを含め、だと思っている節がある──という気持ちもあったのだろうけれど、彼女──彼女はマーサと名乗ってくれた──の手のひらから伝わる治癒魔法の暖かさに恐怖も何も顔も出さなかったのだ。

ただそれから暫くして登場した貴族らしい女性が登場した時、ハイルは身を固くしてしまった。これはもうハイルにもどうにも出来ない“条件反射”である。

けれどもしかし、温かい手のひらを持つマーサが「あのお方はカルロッテ様でございます。ハイル様のお目覚めを今か今かとずっと待っておいででした」と涙を流し言う上、カルロッテも啜り泣いているのを見てハイルはすんなりとそれを信じた。

信じたと言うのも語弊が生まれそうではあるが、自分のためにあんなにキラキラした涙を流してくれた人は今まで一人もいない。あのキラキラした涙には、嘘はない気がすると言う途方もない直感の様なものだった。

こんな直感はハイルにとって初めてだったが、二人の優しい手が頭を頬を撫でるそれが真実だと不思議とハイルに教えてくれる。

なぜだか、伝わったのだ。


その日は寝たり起きたり、けれどいつだって二人はハイルのそばで世話を焼いてくれた。

部屋を満たす暖かさに、ハイルは初めて暖かさと言うものを知る。

冷たいばかりでいたからこそ、些細な暖かさに驚けた。

ハイルは感謝を伝える言葉を一つしか知らない。


「ありがとうございます」


二人の泣き顔に、ハイルはなぜか思い切り泣いた。

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