第7話

領地、この場内でハイルが治療を受ける部屋は、客室のうちで一番警備がしやすい場所となった。

話を聞いたリネーがそこを整えておいたのだ。

マーサは続きの使用人部屋で寝泊まりをしている。

ユスティは当然毎日この部屋に顔を出し──────いや、入り浸っていた。

ドンは持ってきた資料をリネーが用意してくれた部屋で広げ、この城にある図書館──書庫というには広すぎる──から本を借り加護についてここで出来る限りの研究を始めている。

ドンの妻、カルロッテはドンが研究をやめるまでと同じ様に助手の様に手伝い、時にはヘレナの代わりに教会へ顔を出し、そこでヘレナがしていたのと同じ様に子供たちに読み書きを教えていた。

カルロッテが教会へ行くのには理由がある。ヘレナの代わりのボランティアは勿論だが、もう一つ大きな理由があるのだ。


この領地では誰でも──子供でなくても構わない──読み書きや簡単な四則計算、商家などで働く際に必要最低限のマナーなど、生活をする上で必要となる勉強を教えてくれる無料の学校がある。

領主城がある城下街だけではなく、まさに“領地内”にいくつもあった。

その学校だけではなく、家の手伝いをせざるを得ない子供のうち勉強したいものを対象に、領地内の教会も学校で学べる事を教えていた。

また小さな村にも教会が存在するので、学校を建てるには難しい小さな村では教会が学校代わりにもなっている。

その教師役に抜擢されているのが、ヴァールストレーム辺境伯がこれまで雇い入れていた使たち。彼らの中から教えるのがうまいものを各学校、教会へ派遣した。それぞれが得意とする分野の教師になってもらうのだ。また彼らはヴァールストレーム辺境伯で働いていたため、マナーの教師としても完璧である。

このマナーに関しては、希望すれば“ヴァールストレーム辺境伯爵家程度の貴族家で働くために必要最低限基準”のマナーだって学べた。

退をした使用人の再雇用先のために増えた学校。そこで学び巣立っていく生徒。いい循環が起きている。


この一大事業に協力している教会は、王都の教会とは少しだけが違う。

ヴァールストレーム辺境伯爵領が平和になったのはここ最近と言ってもいいほど、最近の事。

孤児が増え、教会自体が被害を受けても、王都の教会は何もしてくれない。

すべてを元通りにし多大な寄付金を送ったのは、歴代のヴァールストレーム辺境伯だ。

ここの教会で働くものは王都の教会関係者よりも、ヴァールストレーム辺境伯関係者を頼り、彼らの行動に敬意を払い、そして信頼している。

だから王都、また他の領地の教会ではも得られる可能性があるのだ。

そこでヘレナの母親のカルロッテが教会へ出向き、彼らに他では聞けない話を聞かせてもらおうと思っての行動だった。

別に核心に触れる様な事ではなくていいのだ。

噂ですけれど、で始まるの様な事でいい。考える人間にとってがあるだけで十分なのだから。



この日の城にはこの領地の教会をまとめて監督する立場にある司祭が訪れていた。

彼は領内の教会を周り教会関係者はもちろん、領民と交流し要望を聞いて回っており、それが終わって報告をするために登城している。

些細な困り事から自分の暮らす町や村の心配な事、多種多様さまざまな相談を受ける教会に集まった声を領主に届けるのだ。

直接領主に物申すなんて無理であると分かっていた数代前のヴァールストレーム辺境伯爵が、関係がぐっと良くなった教会と手を組み始めた取り組みはこの領地を豊かにするのに一役も二役も勝っている。

領地が潤えば喜ぶのは領民、そして領主、当然教会もだ。

今では定期的に司祭直々に回って話を集め、領主へ報告をする形になっている。

今日は代行のリネー、ヴェヒテの優秀な側近、そして領主ヴェヒテ直々に『領主となにか』を教えてほしいと言われているドン、彼らが報告を受けた。

領民の『些細な問題や困り事』が長い目で見れば『領地の困り事』になる事も少なくない。

それらを実際に見聞きしてきた司祭からじっくりと聞き、会議を開き、対策をしていく。

教会としても聞いてきた事を、些細な事でも真剣に聞き必要を感じれば時間がかかっても対策をしてくれる歴代領主には信頼を置き、進んでこの仕事を担ってくれた。


「それでは、今日はこの辺りで失礼致します。報告書は後日お渡しいたしますが、今話した事と変わりはありませんから心配される様な事は何一つございませんよ」


柔らかい顔でそう言う初老の男。

真剣に、けれどどこか緊張の面持ちで聞いていたリネーのそれを解こうと、彼は終始穏やかな語り口だった。

「教会の協力のおかげで、この領地の平穏と安泰があると思っています。これからもよろしくお願いいたします」

「いえいえ、ヴァールストレーム辺境伯爵さま、そしてご家族様の協力があるからこそです。領内の教会はみな、この城に足を向ける事は出来ません」

目尻に皺を寄せて笑う司祭にリネーも漸く頬が上がった。

緊張しきりの本人は気がついていなかったが、顔がどこか硬っていて、頬の筋肉はぴくりとも動いていなかったのである。

嫡男であるリネーは、不必要なプレッシャーを自分自身にかけてしまうところがあった。父ヴェヒテも、そしてドンもそんなリネーを初々しく、しかし肩の力をほぐせるようにと何かと気を配っていた。それは自分自身も父親にそうされていたから当たり前のようにしている事で、彼らもリネーにそうするたびに自身の父親の気持ちを思って苦笑いする事もある。

この司祭は若き次期当主の初々しさが、とても良い意味で可愛らしく思っていた。

成長していく若者を見る事、その成長の手助けをする事が楽しいという司祭らしい気持ちで、彼なりに見守っているのだろう。

「失礼ながら、リネー様」

そうしたところ、それに加え幼い彼に精霊学について教えていた関係もあって、司祭はヴァールストレーム辺境伯爵兄弟を名前で呼ぶ。

リネーもその呼び名にホッとした様子だ。

「どうかなされたか?」

「年寄りのお節介とお思いください。何やら年老いた私の知識を必要とされている様子。私で宜しければいくらでもお力になりたく思っております」

今度こそリネーは全身から力が抜けた。この司祭の発言にどれだけ安心したか。

「助かります。司祭殿の知識をお借り出来ないだろうか」

「ええ、ええ、喜んで。年寄りの知識がこの領地のお役に立てるの言うのであれば、喜んでいたしましょう!」

司祭に返事をしたのはドンだ。

「それはありがたい!孫バカと思われるだろうが、婿殿にも『領主のなんとやらを仕込んでほしい』と言われていてね。これはありがたい」

この部分だけを切り抜けば、若い時分は王都の教会で地質学者としても有名だった司祭の『地質学者』としての知識を借り領地をよくしたいと思う、若き時期伯爵の願いを聞き届けると言う形だろう。

またヴァールストレーム辺境伯爵の義理の両親であるガルムステット前侯爵夫妻は、領主としての能力が高いとも評判だ。孫を可愛がる姿は社交界でも有名。その二人が若き時期伯爵のために彼らの持つ知識で手助けしようと思っているのだろうとも思うだろう。

しかし司祭もガルムステット前侯爵ドンも、そしてリネーも、わざわざ「力になる」だの「助けてほしい」なんてこんな“公の場”で言うだろうか。

最後の会話はそう思って欲しいと思う人間の、である。


そうして彼ら──────リネーをはじめとするハイルを知る人間のうち、ハイルの看護をしているマーサ、この場にいない方がいいだろうと判断されたユスティの二人を除く全てが司祭と共に、この城で一番“内輪話”をするに良い部屋に揃う姿が、翌日に見れた。

ここには防音となる術式が刻まれており、当主、またその血筋を持つ人間がそれを扱える。しかしそれを知る人間は一部だけ。

この日も当然それを用いて外へ音が漏れない様に配慮されていた。

「司祭殿は、私の弟が今ここにいることはご存知だと思いますが」

「ええ、ユスティ様が流行り病とか」

「──────そうです。そう言う事になってはいるのですが……」

そう前置きをしたリネーは父やここに来たグスタフたちから聞いた限りの事を、そして王都での出来事をほぼみていたグスタフが補足をし、ドンがそれに自身がヴェヒテから聞いた事を付け加えていく。

ハイルの事を、ヴェヒテが拾ったきたところから全て聞き終えた司祭に、リネーがこう言ってしめた。

「そして、弟ユスティが、どういうわけか彼に惹かれている様です。本人も理由が全く分からない様な素振りもありますし……これは何か理由があるのではないかと」

「なるほど……そういえば、ガルムステット前侯爵様は」

「司祭殿、ドンでかまいません」

「でしたら、ドン様、と。ドン様はたしか精霊の研究をされていましたな」

「ご存知でしたか」

「ええ。教会からかかった圧力も」

司祭は悲しそうに視線を落とした。

重厚な家具が完璧に配置された部屋の中に置いて、今一番“重厚”なものは司祭のその視線だろう。

苦しみ悲しみ、そうしたものが詰まっている。

「あの頃、私は中央へ進言出来るだけのものを持っておりませんでした。ただの地質学者のようなものでしたからね……あの圧力は間違っている。声を上げる事も出来なかった自分を今でも悔やんでおります」

「悔やまないでいただきたい、司祭殿。もしあなたが声をあげていたら、あなたの身に危険が及んだ事でしょう」

そう言われても司祭の気持ちは晴れない。後悔しているその視線がゆらゆらと揺れていた。

「それが嫌でしてね。ここの地区の司祭になりたい人間はおりませんでしたから、これ幸いとこちらに。その時から私は中央ではなく、ヴァールストレーム辺境伯爵への恩と感謝で生きている様なものです。ですから、私の知る事は全て」

必ずお役に立ちましょう。と言う司祭の目は先のものとは違い、強く輝いていた。

自分を老人という彼の年齢が嘘の様に、若く力強さに溢れている。

その視線を受けドンが

「今保護しているエングブロム公爵家の三男、ハイル・ロルフ・アスペルは加護がありません。私はと考え、その研究をしようと思っておりました。正確に言えば、『加護はなぜ一つなのだろうか』と言うものです。精霊とする際はどの様な属性の精霊とでも、複数であっても契約出来る。加護に似たものを与えられた事例もあると聞きます。しかし加護は一つだけ。この辺りを研究したかったのが始まりでした」

司祭は興味深く聞き入っている。

「私は『加護を得られないものは呪われている』と言う教会の発言も気になっていました。どこでそんな結論に達したのか……。そのうち確証は何もありませんでしたが、『呪われた子は一人もいない。加護が得られなくとも、同じ事である』これが証明出来るのではないかと、そう思っていたところで……あのように。加護がもらえるという事は素晴らしいと考えております。この国の人間は皆、そうでしょう。でなければ『加護なしは呪われている』との見解に納得するはずがありません。けれど私はどうにも腑に落ちないのです」

「なるほど……」

司祭は少し考え、しばらく黙り込んでからこの部屋にいるすべての人と目を合わせて行った。

彼もただ歳をとってきたわけではない。

特殊能力なんてものではないけれど、これから話す事を聞いて、いやを見極めるくらいは出来る。

「私は、地質学者として教会の資料を読む権利がありました。その知識で当時の上層部を助け、結果彼らの“手柄”が増えていたのです。私が手柄を得ない事に納得させるために、教会は私を司祭にしたようなものでしょう。ですから私が読める書物にはいくつかの古いものも。上層部は地質にしか興味のない学者崩れの聖職者としか思っていなかったのでしょうね。自由に閲覧しても良いと許し与えた鍵で開く書庫の中に、彼らが読ませたくないものが一部含まれているなんて考えもしなかった、そして鹿の私が読むとは思いもしなかった」

司祭は大きく、深く、深呼吸をして


「加護とはつまり、だと、私はそう思っております」

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