第14話
表情の大半が怯えであった頃から思うと、短い間に随分とそれの割合が減ってきている事に、マーサは嬉しく涙しそうになった。
彼女はここ、辺境を守る家に仕える侍女。
心に傷を負った子供も大人も多く見てきた。
自身も弟を失った悲しみで嘆き悲しんでいた時期もある。
虐待されていた時間を思えば僅か少し前までと言っていいほど最近まで虐待され続けていたハイルが、これほどまでに早く変化する様にマーサは安堵と喜びで見守っている。
精神的な部分での回復が不思議と早くも感じるが、過酷な生活環境の中にあっても彼の素直な性格が今も残っているからだろうとして、あまり深く考えないでいた。
深く考えるよりもハイルが元気に、そして穏やかで幸せに暮らしてくれる事が何より嬉しく、そうした時間を多く作ってあげたいと思い行動する方がマーサには大切だからだ。
「ハイル様、触ってみてくださいませ」
おずおずとハイルがボウルの中の液体に人差し指をつける。
ひんやりしている水に目を丸くさせた。
「では、ここからはユスティ様の力を借りたいと思います」
「俺?」
「ええ、『増幅』をわたくしにかけてくださいますか?」
「なるほど!」
ユスティがエディトに何か呟き、その後すぐにエディトがまたボウルに指を向けた。
しばらくするとビシビシとか、バリバリと音がし始め、ハイルがジッと見つめている中ボウルの中は大小様々な氷が出来上がっている。
「すごい……!」
恐る恐るハイルが氷を手に取る。
じんわりとハイルの熱を奪いながら溶けている氷をユスティに見せ、「すごいね」と笑う。
「じゃあ、俺もとっておき」
言うや否や、ユスティが両手を広げた。
室内に雪と、小さな氷の粒が降る。
窓から入る光に反射しながらキラキラと輝いて、その美しさにハイルだけではなく思わずエディトもマーサも見惚れた。
「ユスティさまがしたの?すごい!キラキラ……、綺麗!」
椅子から降りたハイルが落ちてくる雪や氷の粒を手のひらに乗せようと、まだ覚束ない足取りで室内を歩く。
見守る三人を振り返り嬉しそうに笑うハイルの瞳は、キラキラと輝いていた。
俺も今日は参加すると言って聞かないユスティ、そして蚊帳の外に置かれがちである事に不満を覚えているリネーも迎え、昨夜の面々で再び内緒話が始まる。
「まず、俺聞きたいことがあるんですけれど……」
全員が着席して一番最初に声を出したのはユスティだった。
今日はヴェヒテとヘレナ、そして二人の息子は同じ並びに、その前の席に残りの四人が座っている。
全員の前には飲み物だけ。
万が一を考え、メモを取る様な事はしないと暗黙の了解であった。
「みんなは、ハイルの目がキラキラしてるってどのところで感じるの?」
「そうだな……全員のそれを知っておくのはいいかもしれない」
ドンの同意で全員が『ハイルの瞳が輝いていると確認出来た時』を答えていく。マーサは先に必要になりそうな事は全てカルロッテに伝えているため、カルロッテが代わりに答える。
「──────つまり、全員……いや、ユスティ以外が『加護を付与した魔法を使った時』という事か」
「ユスティは、それよりも早いの?」
ヘレナに聞かれユスティはううん、と考えたのち
「魔法を使うって話前提でいいの?だとしたら治癒魔法かけたらキラキラしてる。でも、今日のエディト先生の魔法は俺の加護の手助けが入るまでキラキラしかなかったよ。あと、ハイルがエディト先生にすごいすごいって言うから、俺ちょっと精霊にお願いして雪を降らしたんだけど」
ここでヘレナ顔がニッコリと笑顔になる。これは『室内で雪なんで降らせて……!何を考えてるの!』という説教をすると決めた瞬間だ。
「その時もキラキラしてた」
ヴェヒテは聞き終えたところでエディトに
「エディト先生の魔法というのは?」
「水を出して、温め、熱湯に換え、冷まして。ここまではわたくしの魔法だけです。氷に変えるところでユスティ様に加護の支援をいただきました」
今度はドンが聞いた。
「エディト女史は精霊と契約は?」
「わたくしの生まれた国では精霊という存在は悪魔と紙一重とも考えていた時代が長く、そのせいもあってその意識が根深い国でした。そのためか、それとも何か違うのか、加護を与えられるという事もありませんでしたし、精霊と契約をするという発想もない国でした。こちらに亡命した後もある程度の魔法が使いこなせるので、困ってもおりませんでしたし契約をしようと考えてもいませんでした。わたくしは魔法のみしか扱えません」
「となると、魔法だから加護だからというわけではないのだろうか?」
ヴェヒテの呟きを拾ったのはカルロッテだった。彼女も自分の記憶を探る様に口から出した様な、つぶやく声だったが。
「そういえば……治癒魔法は精霊魔法とほぼ同じ可能性があると聞いたことがありますわ……」
隣でしっかりと聞いて反応したのはドン。
「そうだ……治癒魔法はいまだに解明されていない部分がある。あれだけは本人の努力でどうにかなるものではない魔法だ。昔読んだ書物には精霊魔法であると書いてあるものもあった」
「でしたら、治癒魔法は精霊魔法だと考えてみるとどうでしょう?あなた、そうなると」
「ああ」
黙って聞いていただけのグスタフが「なるほど」と言い、なにがなるほどだろうと彼を見つめたユスティとリネーに端的に伝えた。
「つまり、治癒魔法が精霊魔法であると仮定しまして、ハイル様の瞳がキラキラと輝くのは『精霊魔法の時』だけという事になります」
「精霊魔法……加護をもらえなかった、呪われた子だって言われているハイルが精霊魔法に反応するという事?」
「でしたら父上、おじいさま。なぜ『治癒魔法』で輝くというユスティと……いえ、ユスティは魔法云々ではないと言っていますが、今はそれは別として、とにかく『治癒魔法』で輝くユスティ、『加護付与魔法』もしくは『精霊魔法』で初めて目が輝くという他の方という形に分かれるのでしょうか?」
ユスティ、そして続けてリネーが疑問を投げかける。
ユスティは不思議に思ったから思わず、リネーは分からない事だらけであるし答えが返ってくるとは思ってもいないがつい、と言ったところの発言だった。
「精霊と関わり得なかったわたくしの仮定でよろしいでしょうか?」
静かに切り出したエディトは
「精霊と悪魔を混同したわたくしの国にも、治癒魔法がございました。仮に治癒魔法が精霊魔法であった場合、我が国にもわずかながら『精霊魔法』が使えるものがいたという事になります。詳しく調べたら彼らはこの『ピエニ国』の血が入っていたのかもしれません。今では確認のしようがありませんが、そうだとします。先ほども申しましたようにわたくしの国では精霊と関わりがありません。精霊魔法を使う方法すら知らないのです。治癒魔法が精霊魔法に準じたものであった場合『治癒魔法』は精霊と契約しなければ使えない魔法ではなく、契約するまでもないけれど精霊と相性がいいとか、何かそういう『本人の魔法の資質』と『精霊との相性』で使える魔法なのではないでしょうか?精霊魔法は契約した精霊に魔力を渡す代わりに使用するものですよね?加護は精霊から与えられたもの。精霊の影響力は、治癒魔法が一番少なく、加護付与の魔法、精霊魔法の順で影響が大きいのではないかと」
「エディト女史、どうして影響が加護付与の魔法の方が精霊魔法より少ないと考えたのです?」
「わたくしの主観でございます。わたくしが今日、実際に見ていた時、付与した魔法を使った時よりも、精霊魔法の時の方が、瞳が輝いていたのです。強く」
「ユスティ、お前はどうだった?」
「そんな、兄上……。ううんと……そうだなあ、言われてみればそうかもしれない。俺、ハイルが嬉しそうだったからそっちに気を取られちゃったんだ」
「お前なあ……お前には重要な役目があったんだぞ?」
「うん……ごめんなさい」
呆れたリネーと落ち込むユスティ。けれど大人はエディトの主観で仮定の話を続ける。
「治癒魔法が精霊魔法で、影響が最も少ない。加護を付与した場合はそれより影響が強く、精霊魔法が一番影響を受ける」
「お父様、ハイルの目の輝きが精霊の影響によるものだという事で考えていかれるのですか?お父様の今までの研究からそう思われましたの?それとも感のようなものですか?」
「そうだな、これは両方だと思う。ヘレナはカルロッテと時々ハイルの様子を見るだろう?その時さりげなく彼の目を観察してほしい。辺境伯爵夫人として忙しいのは分かるが、手の空いている時に頼まれてくれるだろうか?」
「分かりましたわ。お任せください。わたくし、お母様の様にお父様のお手伝いをしたいとずっと思っていましたの!」
父ドンの提案に娘ヘレナの顔が綻ぶ。
ヴェヒテは独り言の様に
「だとすると、ユスティだけがなぜ治癒魔法で輝きを確認出来るのか、も考えた方がよさそうだ」
「でも、俺、それ以外でも輝いていると思ってるよ?」
「お前だけが魔法に関係なく見える時があるのは……まあ信じるが、今はそれは置いておきたい。全員が確認出来るところから、考えていこうと思っている」
「そっか……分かった」
「あ、ユスティ様のそれも中央の教会に知られない様にしなければなりませんね。……ぼっちゃま、『俺、キラキラしたのが見れるんだ』なんて決して言ってはなりませんよ」
「わかってるよ。俺のせいでハイルがここでも傷つくかもしれないもの。言わない」
「さて、明日からまた考える事が増えたな。お義父上、調べるのもお一人では大変でしょう?もうしばらくでニコライも辺境に戻ってきます。彼を使ってください」
「それは助かる。感謝するよ。あとは司祭殿とまた話をしたい。都合をつけてもらえる様に手紙を出したいのだが、どうだろう。私はまた彼と付き合いが浅い。彼にここまでの全てを話して問題はないのだろうか?」
ヴェヒテとヘレナが同時に言った。
「問題なんてひとつもありません。司祭様は実に信頼に足るお人です」
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