第29話
初夏。
辺境の土地は緑が美しく眩しい季節になった。
春の鮮やかさとは違う、それでも非常に鮮やかなさまざまな緑が領地を彩り、領民の目を楽しませている。
この頃にはすでに『教会の前にハイルの死体が落ちてきた事件』が辺境地にも伝わっており、実行犯かと聞かれたシュピーラドが「精霊らにとって腹に据えかねる事があったのであろうな」と答え、関与を否定。
ユスティが何気なく「そんな事をするなら、王様が直々に潰しに行くんじゃない?」と言って周りを唖然とさせたが、概ね正解である。
有象無象に対して「次やったらこうしてやるぞ」なんて脅しをシュピーラドという精霊王はしない。
彼に取って精霊や精霊王の逆鱗に触れる様な事は、ずっと昔の愛し子を通じて教会に把握させているのだ。今更知らぬ存ぜぬなど、通じないのである。
王都では今もなお、加護を失うものが増え続けている。
不思議と王家、そしてエングブロム公爵家には被害はないと発表しており、ハイルを慈しんだからだと言う主張を繰り返した。
教会にも寄付や口止め料でかつてない潤いを見せている。
しかし平民だけが加護なしになるのであれば、抑えつける事も可能であっただろう。けれど被害は貴族も平民も分け隔てがない。
ついにある有力貴族の当主の加護がなくなり、彼は教会に出向いた。
その時の対応に不信感を覚えたのである。いつもなら気にならなかったかもしれない全てが、不安と怒り、精神的にも不安定だったのだろう、気になって仕方がなかった。
教会内部は安全なわけではない。有力貴族なら一人くらい子飼いのものを忍び込ませていてもおかしくはない。それだけ今の教会に対して貴族は純粋な思いを向けていないのだ。
その、貴族の子飼いの男は聞いてしまった。
大騒ぎになった顔だけが美しいハイルの死体がハイルではないのではないか、と疑っている聖騎士たちの会話を。
長男の言動に不信感がある事を話していた現場に出会し、息を殺して子飼いの男は話を聞いていた。
そして彼らは本物は生かされているのではないか、この混乱もエングブロム公爵家が何か関わっているのではないかと憶測を話していた。
子飼いの男はすぐに雇い主に報告をする。全て“聞いたまま”を。
同じ派閥の貴族、エングブロム公爵家に敵対している貴族も集め、有力貴族の男は聖騎士が話していた憶測を真実の様に語ってしまったのだ。
あとは転げ落ちる様に、怒りがエングブロム公爵家へと向いた。
議会の席で、国王の前で、エングブロム公爵を追求する貴族も現れた。
あまりに避難を向けられたエングブロム公爵家と王家はここでも手を組み、当初の予定を実行する事にしたのである。
──────加護を失う原因を作ったのは、ハイルが殺されたからである。ハイルを殺した男がいる。ハイルは殺されたのだ。
今はハイルと言う名でどこかに潜んでいるとの情報だけは掴んでおり、探しているところだと声高に“証言”した。
殺されたハイルはひどい状態であった事。あまりにひどく哀れで誰の目にも触れない様に深くひっそり埋葬した事。それなのにあの状態で現れあまりに驚いて長男があの様な発言をしたのだとも。
ハイルが加護なしと言われた時に教会が『殺せば悪魔に呪い殺され、国が破滅するであろう』と発表した通りの事が起きていると、生きているかどうかも分からない本物のハイルを槍玉に上げる事で、不幸な一体感を生み出したのだ。
この時ばかりは一瞬で、今までよりも早い速度で国中にこの話が広まった。
偶然にも『ハイル』という名をつけられてしまっていた人間は皆息を潜め、逃げる様にして街を出た。違うと言っても今は殺されかねない。
ハイルという名前である人間は全て殺せなどと暴論を言い出す人間や、教会などの発言に不信感や恐怖を覚えた平民は少しずつ移動を開始した。
殺伐とした空気も王都からじわりじわりと広がっていく。
ハイルを殺したハイルがいる。
これは当然辺境伯領へも到達した。
この時王都では、魔女狩りならぬハイル狩りの様相を呈していた。
ハイルという名前のものは男女年齢関係なく集められ、エングブロム公爵家と王家でひとりひとり尋問が開始される。
この時エングブロム公爵家と王家は本物のハイルを探しながらであった。
本物が出て来ればいい。もし長期間これをして見つからなくとも一番適当なものを、この事態を引き起こした罪人として公開処刑するつもりである。
同時に彼らは王都の外で見つかった『ハイル』にも気を配った。連れてくるのが面倒で金もかかる事から、容姿を判断材料にして捕縛を支持する。
虐待していたエングブロム公爵家だが、ハイルのあの目立つ、ほのかにピンクが入ったプラチナの髪色はしっかりと覚えていた。
プラチナ、もしくは若干ピンクの入った髪の“ハイル”は全て王都へ連行しろと王命が出た。
そしてある商人から、エングブロム公爵家へ連絡が入る。
ヴァールストレーム辺境伯爵が保護している少年が若干ピンクの入った髪の“ハイル”であったと。
商人はエングブロム公爵家と王家の発表を信じていたため、善行だと疑わずに報告した。
詳しく聞かれ全て淀みなく答えた商人を帰した国王は、持っていたグラスを床に叩きつける。
忌々しいヴァールストレーム辺境伯爵が保護している、それだけで怒りが湧き上がった。
あの男が保護しているのならばさぞ大切にしているだろうと簡単に想像がつく国王は、ここで領民の命と保護されているハイルの命を天秤にかけさせ、大切にしている子供を殺してやろう、殺してやりたいとドス黒い、本来の目的から外れた気持ちを生み出していった。
──────ヴェヒテの悔しがり泣く顔を嘲笑いたい。あいつのプライドもズタズタにしてやりたい。
その思考に支配された国王は、信頼出来る騎士団をヴァールストレーム辺境伯爵領へ向かわせた。
ハイルを引き渡せ、さもなくば罪人を匿っているとしてここへ攻め込む。と態度でも示すために必要以上に装備をしっかりとさせた騎士団を送ったのだ。
騎士たちの体力も考えない進軍速度で、彼らはヴァールストレーム辺境伯爵領に入った。
“若干ピンクの入った髪のハイル”を捉え連行するのだと言う事は、すでにヴェヒテの耳に届いている。
すぐにハイルを逃すべきかと考えたヴェヒテだったが、逃したところで彼が安全に暮らせる場所を用意する時間がない。
ハイルを安全に避難させる事だけでさえ、どれだけきちんと出来るだろうか。
今、シュピーラドはいない。
春が来て落ち着いたのを見計らい、彼は精霊界へ戻る時が増えた。
愛し子に過保護なシュピーラドだが、彼は精霊界の王である。彼にも人の国の王の様に、なすべき事が多くあるのだ。
彼の息子にあたる次代の精霊王も王として育ってきているとシュピーラドは言うが、だからと言って王の代わりに王子が出来る事は限られていた。
──────愛し子との時間が大切な事は十分理解しましたが、王としてなすべき事もなしてください!
そう息子に言われてしまった、と悔しそうな顔をしていたのは雪解けの前。
春になったらと言い続け、彼は王としての責務も果たすべく精霊界へ戻っている。
ヴェヒテたちはハイルにもユスティにも言わなかったが、人の口に戸は立てられない。
自分を捉えようとしている人間が王都からきたと、ハイルの耳にも入っていた。
それがどのような理由であるかも、ハイルは知ってしまう。
エディトの教育が悪い方へ作用したのもいけなかった。
自分の身一つで、この辺境地が戦いの場になるかどうかがかかってる事も、学んだ多くの事柄からハイルは感じ取ってしまっていた。
(しあわせだったもの。恩返しがしたい)
ハイルの心も健康になってきてる。しかし彼の心に深く根付いたものは簡単に消えない。
自己犠牲というべきか、自己肯定感が低いというべきか。
ハイルは驚くほど簡単に、自ら自分を捕縛にきた人間の前に出ようと決めてしまった。
城の中を走り回った事、そして馬に乗れる様になった事が、こんなところで役に立った。
ハイルは「いままでありがとうございました」と短い書き置きを部屋に残し、素早く部屋を出、廊下を走り、馬を勝手に借りるとほぼ裸馬の様な鞍で飛び出した。
本当はもっと色々と、一人一人にお礼を伝えたかったけれど、ハイルは何を書けばここでもらえた幸せに感謝している事を伝えられるか分からない。
悩んで書けたのが、一言だった。
城の門を走り抜けた時、門番がギョッとした顔をして見送ったのを横目で見たハイルは一層速度を上げる。
きっとここの優しい人たちは、加護なしと虐待をされた自分を息子の様に弟の様に可愛がってくれたヴァールストレーム辺境伯爵家の人たちは、自分を助けようとするはずだ。
そう確信するほどに、ハイルはここで愛情を受け取ってきた。
だからこそ、彼は迷わなかった。
相談する事もせずに、迷わずに行動した。
ヴァールストレーム辺境伯爵領の城下町へ入るあの門を抜けて走っていけば、城下町へ向かおうとしている騎士団一向が見えた。
「ぼくが、“ハイル”です」
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