第30話
ハイルがいなくなったと最初に気がついたのは、マーサである。
悲鳴をあげ卒倒した。一瞬とは言え完全に意識を失うほどのダメージだった。
その時の彼女の城中に響き渡るのではないかというその悲鳴は、ハイルの部屋に向かおうとしていたユスティにも届き、走ってマーサの悲鳴がした方へ向かいそこでハイルの行動を知った。
短いけれどずっと一緒にいた、これからもきっとそうだと疑わなかったハイルが、このヴァールストレーム辺境伯爵領地のためにと思いした気持ちを押しはかる事は出来る。
それはハイルの気持ちを理解したのかと言う問題とは別だ。全く違う。
ユスティはマーサからハイルの置き手紙とも言えない走り書きを奪う様に受け取り、父親がいる執務室に飛び込んだ。
扉が壊れかねない勢いで開いたそれに、ヴェヒテは驚き思わず腰を浮かす。
「ハイルが、出ていった」
「何を……?」
「出ていった!ここにいたら迷惑をかけると思ったんだろ?」
誰にもぶつけられない怒りを父親にぶつけるユスティの怒りを、ヴェヒテは奥歯を噛んで飲み込んでやる。
なんとかしなければと思いながら、いい手がないと悩んでいた。ハイルがこんなことを迷わずする様ならば、用意する時間がないとか言わずにとにかく逃すべきだったという後悔がそうさせた。
自分だって自分に、同じ様に怒鳴りたい。ヴェヒテの本音であった。
「今すぐに、迎えに行く」
「今勝算があるのか?お前とハイルと共倒れになりかねないんだぞ?」
「じゃあ、父上にあるの?あるなら今すぐにやってよ!いなくなったんだよ!!殺されるかも……かもじゃない!!きっと殺されるのに!」
分かっている!というヴェヒテの声が室内に広がった。
来た時同様あっという間に王都へ帰還した騎士団は、虫も殺さない、いや殺せそうにないあまりに小さな子供が犯人とはどうしても思えないまま、彼を国王らに言われた様にある塔へと連行しそこの一室に押し込んだ。
終始無言でただ全てを受け入れている少年ハイルがひどく不気味で、一度気のいい団員が「死ぬんだぞ。何か言いたいことはないのか?」と思わずと言った形で聞いたが、ハイルは「なにもない」と小さく言ってそれ以外は一言も何も言わなかった。
この子供がひと一人、しかも“公爵家の愛された三男”を殺せただろうか。という疑問が団員に広がっていったのは自然のことだろう。
なにせ“殺されたハイル・ロルフ・アスペル”は健康な16歳。この細く小さな子供から身を守る事が出来ないとはどうしても、彼らは思えなかったのだ。
自分達が連行している子供はどう考えても12か13ほど。しかも細身で少し押したら簡単に倒れそうな、力の入れ具合によっては骨が簡単に折れるのではないかと思う様な、そんな体つきだった。
間違っていると思いますが、と言おうとした団長はそれよりも先に国王直々に「連行したそれがまさに罪人である」と言われ反論出来るはずもなく、言われたままにある塔──────拷問でもなんでも可能な史上最悪の塔と言われるそこへ少年を入れるしかなかった。
申し訳なさそうな、同情的な、不思議な視線を受け牢へ入れられたハイルは、ここよりも家族に押し込められていた部屋の方がひどかった事に驚いた。
こんな時でなかったら思わず笑ったかもしれないほど、ここの方がよっぽども清潔的だ。
忘れてしまえばいいとシュピーラドやユスティにも言われたけれど、あの部屋の事も受けた虐待も、なかなか忘れられない。
一生このままなのかそれとも違うのかも分からないが、今だに──────幸せな時間が積み重なっている今でも、あのおろそしい日々思い出して震えてしまう。しかし今は頼れる人、怖くて泣いても縋れる人が出来ると知った。
正直、自分はこの先死ぬんだろうなと思うし、怖いと思う。
愛し子だと慈しんで大切にしてくれたシュピーラドは落胆するだろうなとか、悲しむだろうなとか、そういう事も思った。
けれどもそれよりもハイルは自分を優しく温かく包んでくれたヴァールストレーム辺境伯爵家の人たちや、シュピーラドを含む彼らと過ごしたヴァールストレーム辺境伯爵領地を守りたい気持ちが勝ってしまったのだ。
(ユスティさまの大好きな領地だもの)
ユスティが、ハイルの好きなキラキラした幸せを振りまく顔で領地のいいところを語る姿を、その顔をつくる領地を、ハイルは失いたくなかった。
もっとハイルが周りを利用する事を覚えていれば、誰かが教えていれば、愛し子に尽くしたいと集まる精霊に言っていれば、仮に攻め込まれても全て跳ね返せたかもしれない。いや、跳ね返しただろう。
冷静になって、シュピーラドに相談する術を考えたかもしれない。
それをするには、ハイルは優しい中で“正しく”育ってしまっていた。
シュピーラドも“愛し子はそのままでいい”という方針で、純粋で素直なハイルのままでいいと思い、精霊を“利用”する事を教えなかった。
傷つき、人の傷にも心を痛めるハイルに、彼らは利用出来るものは利用して戦う術を教えられなかったのもある。そのうち、もう少し強くなったら教えよう。そう考えて教えていなかったのだ。
その結果、自分を犠牲にするという安直な方法で守りたいものを守るハイルになってしまった。
「ユスティさまが、幸せでいられます様に」
こんな時に願うのは彼のこと。
いつの間にか、シュピーラドとは違う特別と思える人になったユスティ。
どんな特別か理解するにはハイルには難しいようだけれど、確実にハイルは愛情で満たされてきていた。
精霊の国と人間の世界では時間の進み方が違う。
そう聞いていたからこそユスティはシュピーラドを待つなんて考えなかった。だからと言って父親の策を待とうとも思っていない。
ユスティは自分で驚くほどに冷静ではなくなっている。
ハイルがいなくなった、死ぬかもしれない。そう想像したらユスティの中で何かが膨らんで今にも爆発しそうなのだ。
それをなんとか抑える理性だけは残っている。
けれどもう抑えられそうにない何かが、ユスティの中で暴れ回り始めた。
王都に乗り込んでも何も出来ないだろう事も、ハイルを助けて二人で逃げるなんて出来ないだろう事も、ユスティは正しく理解している。
けれどユスティの中で「だからなんだ」と、何かが声を上げるのだ。
自分で自分を律せない、それが恐ろしくてユスティは部屋に篭った。
家族もマーサもみんな心配したが、それを安心させる材料がない。
口を開けば何を言い出すか、自分でも分からないのだ。
けれどひとつだけ、何がどう暴れても感じられる事がある。
(ハイルが、愛しい)
ずっと一緒にいたい、なぜか惹かれた。
その理由がなんだろうか、と不思議に思って過ごしていたけれどそんなのはどうでもいいかと思うほど、そんな事を忘れるほど手の届くところにハイルがいて当たり前で、ハイルの笑顔が可愛くて、ユスティさまと嬉しそうに呼ぶ声をずっと聞いていたくて。
いなくなってわかった。
──────ハイルがいてくれれば自分はなんだって出来る。
そう思い嫌いなことも頑張れたのは、誰にも負けないようになるのだと血を吐いてでも力を手に入れようとしたのも
「ハイルを俺、こんなになるくらい、好きなんだ」
好き、口に出したらユスティの何かが爆発した。
自分の周りを何かが包んだが、何が包んだか見当もつかないままユスティの体は何かに包まれパッと消えた。
空に向かって光の柱が目撃されたのもこの時である。
嫌な予感にヴェヒテはユスティの部屋に走った。
部屋には誰もいない。
ユスティが握りしめていたらしい、ハイルの置き手紙がベッドの上に置いてあった。
まるで誰もいなかった様に、それが置いてあるだけである。
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