第28話

エングブロム公爵家ハイル・ロルフ・アスペルの遺体が、教会の前に落ちてきた。

顔は美しいままであったが首から下はもので、教会を守る聖騎士も目を逸らしたり口元を押さえたとか。

噂は一気に王都を駆け抜けた。

エングブロム公爵家のタウンハウスにいた公爵と長男、そして筆頭執事にが教会に出向いた。

彼がハイルなのかの確認のためだ。

遺体が安置されている場所に着くと、聖騎士以外の騎士もそこにいる。

彼らは王国騎士団から派遣されてきた騎士だ。

数年前にを増すためにと、教会内で遺体の確認をする際に騎士団から数人騎士を派遣し同席する事が決まっていた。

彼らの前で美しい顔のまま目を見開いた“ハイルとされる青年”は、確かに美しい。

しかし、その首から下を見た三人──公爵、長男と筆頭執事だ──は聞いていた以上の惨状に顔を顰め、執事は吐きそうになって慌て外に出た。

公爵は「彼は本当にエングブロム公爵家のハイル・ロルフ・アスペルか?」との問いに頷きだけを返したが、長男はその場でつぶやいてしまった。

この信じられない状況に“正常な判断”が出来なかったのだろう。


──────こんなところに、いるはずがない。のに。



王都からヴェヒテが守る辺境地まで、情報が届くまでに時間がかかる。

王都での事件──────教会の前にハイルの死体が落ちてきたと言う騒ぎはまだ、ここまで届いていない。

シュピーラドの耳には入っているが、彼にとってを態々ヴェヒテたちに伝える事はなかった。

この事件を耳に入れたのが精霊でなければ──つまり人であれば、と言う事なのだけれど──ヴェヒテたちに伝えたのだろうけれど、シュピーラドからすればどうでも良い事である。

なにせ耳に入れたシュピーラドは「かわいいしもべたちの悪戯」として片付けた。

シュピーラドには“そんな事”よりも大切な事と楽しみがある。

愛し子とその唯一──と考えられている相手──の交流を眺める事、それの方が“教会に死体が落ちてきただのなんだのより”も幾分も大切だし重要である。

シュピーラドにとってハイルは我が子の様に愛おしく可愛い愛し子であるが、彼は何よりもハイルの幸せが大切。

ヴェヒテはそんな事はしない様だが、もしハイルとユスティが恋人同士になった後、ヴェヒテたちが反対をしたら二人を遠くに匿ってしまうのも厭わないほどにだ。

シュピーラドには精霊界を治世しても人間界をつもりはないし人間界の“常識”を無視するつもりはないが、それにかといえばいささか違う。

愛し子の幸せを守るためなら、それこそなんだってしてしまうだろう。だからこそ愛し子の存在は重要だ。

愛し子がもし「世界なんて消えて仕舞えばいい!」なんていえば、そうなりかねないのだ。精霊の考えと常識は人のそれとは同じとは言えない。決して。

だからこそシュピーラドの祖父は「あまり早くから愛し子の生活に介入すべきではない」と言ったのだろう。


「よかったなあ。わたしの愛し子がというので」

「はい?」

ヴェヒテの執務室から見下ろせる庭では、一心に剣を振るうユスティと、それを応援しているハイルが見えた。

ハイルのそばにはマーサがおり、近くの簡易テーブルには飲み物やタオルなども見える。

シュピーラドは執務中のヴェヒテがいる執務室の窓の前に立ち、楽しそうに下を見ていた。

「我らにとって愛し子は人が思うよりも重要でな。わたしが『ハイルがわたしの愛し子だ』と思うだけだった時よりも、こうして共に過ごしている時間が長くなった今、ハイルが望むなら叶えてやろうと言う気持ちが強くある」

「ハイルが『この国滅べ』って思えばしてやるのも、やぶさかではない。と?」

「まあなる」

ペンを落としそうになったヴェヒテにシュピーラドは「あっはははは」と笑い

「でもまあ安心していい。わたしは個人的に、おまえたちも好ましく思っているからな。仮にそうなっても助けようぞ」

「……安心しろと言われても、安心する要素があまりないんですね」

「そうか?……そうなのか。ふむ」

考え込んだ精霊王にを教えるのは不可能でも、少し考えて発言してくれたらいいな、とヴェヒテは思った。

(しかし、このお方が敵に回る事がないのなら安心していいのかもしれんな)

この地と領民を守ると決めて育った幼少期。

そのために何でもかんでも、役に立つと思う事を学んできたのだ。

結果、立派な息子だと養父には喜ばれ、反対に実の兄には疎まれたが、それでもなすべき事をなすためにしてきた事だ。後悔はない。


ハイルを保護した件だってそうだ。


今でこそ愛し子であるとか、加護なしの意味などを知ったが、それがなくてもきっと今の様にしていたのではないかとヴェヒテは想像している。

彼は後悔する様な事をしない、した事は後悔しない。そう思うからそうなのかもしれない。それになんていう見えないものを想像する事も難しいのだけれど、それでもヴェヒテは今と同じ様に執務室の下で息子とハイルは笑っているだろうと思えるのだ。

「そうであろうな。ヴェヒテはそういう“情”と“引きの良さ”で、この先も生きていけるであろう」

「考えが読めるのですか?」

「まさか。だ。わたしはお前よりもずっとずっと年寄りだからな」

クッと口角を上げて笑うシュピーラドは神官風の衣服を翻すとふわりと消えた。

下で「ラドさま!」と喜ぶハイルの声がする。賑やかな二人に我慢出来ずに移動したのだろう。

精霊だから、と言いながらもヴェヒテたちが何気なく言った言葉に反応し、時にはヒントを与えたり助けたりしてくれる、気まぐれな王様は今日もやはり王都でのハイルの遺体事件については口を閉ざす様である。


さて、辺境伯領の城にも商人は訪れる。

城の人間の必要なものを仕入れるのにわざわざ城下にいくと手間になるため、兵士も騎士も、使用人たちも、兵舎や寮で暮らしているものは週一度、商人が来る時にまとめて注文していた。

その時同時に領主家族のための物はもちろん、この城に必要なものも注文し届けてもらうと言う形を取っている。

商会それぞれに得意分野があるため、複数の商会から商人が登城していた。

ユスティが帰ってきていると賑やかになるのは知っていた彼らも、そこにもう一人可愛い少年──残念ながらハイルは実年齢以下にしか見えない──が増えた事に気がついている。

もしかして養子を取ったのか、それとも誰かの子を預かっているのか。

商売になるかもしれないとそれとなくまずは兵士たちに聞き回れば「ラド様という高貴なお方をチュータ後継人にもつ、ハイル様」とすぐに判明した。

と誰もが言うのでここにいる理由などは不明のままだが、ヴァールストレーム辺境伯爵夫人のヘレナがユスティでもリネーのものでもなさそうなものを注文していたと思い出し、どうやら領主夫妻にとっても大切な客人なのだと彼らは見た。

週に一度来る時にそれとなく商人の彼らが見ているとユスティはよくその“ハイル”について回っており、実に仲が良く楽しそうにしている。それに時々たしかに“高貴なお方”としか思えない雰囲気を持つ“ラド様”も“ハイル”の世話を焼いている様だ。

あの年頃の貴族──チューターがいるのならそうだろう、という認識である──の子供が好きそうなものを集めておくといいかもしれない。

そう商会へ帰り報告すれば何か仕入れてみようかと言う話にもなった。仮に売れなくても裕福な家は辺境地にもある。無駄にはならないだろう。

辺境地とは思えないほどここは栄えているのだ。

ひとつの商会は子供むけの商品に強い。どうやらここがまず一番手で王都の方で仕入れをしようと出る様である。


彼が向かう王都、そこに聳え立つ王城の密会にうってつけの一室ではどう言う事だと、国王がエングブロム公爵に唾を飛ばし怒鳴っていた。

ハイルの身代わりは確かに公爵家が、隣国へ立ち去ろうとしたところで殺したと報告していた。

それを見届けたのは長男だ。彼の口からもはっきり聞いたし、何より身代わりの両目も持ってこさせていて王家にも届けている。

あんなにも綺麗な状態と不自然なほどのひどい体で、間違っても教会の前に落ちてきたりしないし、そうならない様に深い穴を掘り埋めてきていた。

「ならばなぜあんなところに落ちてきたのだ!!」

「わかりませぬ!」

怒鳴り合う二人はいつの間にか息切れをしている。

「お前は──────お前に任せると碌な事にならん!」

ならお前がやればよかっただろう、と言う言葉を公爵はどうにか飲み込んだ。

と言われていた、なんとか国王になった男だ。公爵はそんな男の足なんていつだってすくえた気がするが、国王に手を出すには勇気もいれば時間も必要。

ならばうまい事取り入って美味しい思いをするべきだろう、と公爵自身もその父も思っていた。だからこの男を国王へと押し上げたのだ。

「面倒な事をするな。ただでさえ加護を失うだなんだと面倒が起こっているんだ」

「必ず」

忌々しい気持ちを押し殺し頭を下げる公爵に国王は

は死んでいるんだろうな?それとも分からないのか?」

「使えない男が勝手に放り出しまして。死体の確認も出来ていませんが……あの状態で生きているはずもないでしょう」

「そうだろうな。あれで生きているわけもないな。しかし、生きていたらどうする?」

「そうですね……ならば加護を失う原因を作ったとして、ハイルを殺した男だと言って処刑でもしましょう」

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