第20話
精霊は自分の名前を軽々しく口にしない。
仮に相手が名前を知っていたとしても、自分からは名を告げない。それが“常識”である。
自ら名を告げた王にヴェヒテは息を飲み、思わず頭を深く深く下げた。
姿は隠したままだが、暫くここにいたい。
そう言った精霊王シュピーラドをそのままに、ヴェヒテは城内に戻る。
その道で何度も深く大きく息をついたが、それだけ感情が激しく動いたし、また疲労感もあった。
感情に関してだけ言えば、今もさまざまな感情が自分の心を激しく揺さぶっている。はっきり言って、ハイルがそれをするかどうかは別としても、代わりに罵倒したい気持ちだって残っている。しかし彼は間違いがあってはいけないとそれらを息と共に吐き出していく。
そして朝食なんて後回しにしなければ、そもそも全ての仕事さえ後回しにしなければ、そして今すぐにドンにこれを伝えなければ、と足早に城内を歩きドンの部屋のノックする。
いつもよりも大きく激しいノックに室内に控えていた従者が何事かと扉を開け、ヴェヒテは彼にしばらく出て行く様に告げるとドンにだけ聞こえる様な小さな声で言った。
「今、敷地内の神殿に、精霊王シュピーラド様がおいでになっております」
この時のドンの顔を、“全てが終わった後”のヴェヒテはこう振り返る。
これが表情を無くした顔かと思った、と。
一人になりたいと言われている事、それとハイルの加護なしが何を示しているのか、全てと言っていいほど全てが解決した事も告げると、ドンの顔がくるくると変わる。
こんなに人は表情を変えていけるのかと思うほど早変わり。ドンらしからぬあまりな状態にこんな時ながら笑ってしまいそうなほどの百面相っぷりだ。
朝食をドンの部屋に持って来させ、二人で今後の事を話し合う。
ハイルを知る大人たちは全員、出来れば全員でシュピーラドに話を聞いた方がハイルのためにもいいのではないかと、二人は考えている。
情報を共有するために報告書なりなんなりにして配るのも手かもしれないが、こんな事を報告書で残すのは今は危険であるし、残すのであれば全てが終わってからにすべきだろうと、口には出さないが二人揃って思う。
それになるべくなら、それにこんなに大切な事であるのなら本人──シュピーラドの事だ──から聞いたほうが“間違い”がなくていい。
何をどこで誤解してしまうか判らない。
小さな誤解や勘違いが大きくなる可能性だってある。
ハイルを「わたしの愛し子」と呼ぶシュピーラドなら、多分この提案に頷いてくれるだろうと二人は思った。
昼食後にヴェヒテが神殿に向かうと、シュピーラドは王座に座った状態で姿を表した。
「精霊王にぜひとも聞いていただきたい願いがございます」
「ヴェヒテの望みなら聞いてやってもいいが……聞くのと叶えるのは別であるぞ」
「わかっております」
膝を着こうとしたヴェヒテをシュピーラドが手を振ってせいする。
「あれほどわたしに怒りを向け、精霊の事は心底わからぬと思っていたのだろう?別に構わん。ハイルはお前に助けられたのだろう?ならば構わぬ。多少の心で敬えばそれで構わん。それにお前は『俺』と言うそうだな?辺境伯爵はみなそうか?懐かしくていい」
ヴェヒテは思わず笑って、しかしハッとしてそれを抑え
「加護なしについて、また愛し子について、ハイルのためにも我々に教えていただきたく思っております。本来ならば私が聞き伝えるべきかもしれませんが、これは間違ってはならない事」
シュピーラドは「ふむ」と言って
「ならば今夜。ヴェヒテが望む場所へ参ろう。お前にも契約している精霊がおろう?それに言付ければいい。言付けの仕方はお前たちの言う精霊魔法と同じ様なものだ。ああ、便利そうだと思っても精霊はわたしの
ふわりと空気に消えていった。
ヴェヒテとドン、彼らの妻、エディトもニコライにグスタフ、そして今回はマーサ、志願してどうにか同席をもぎ取ったリネーが夜、内緒話の部屋に集まった。
ヴェヒテは疑い半分で精霊魔法の要領で伝言を頼むとすぐにシュピーラドが窓の前に現れた。
やはり身長は高く、見合った手足の長さ。少しピンクの入ったプラチナの髪は腰よりも長く、それを見たマーサが「ハイル様と同じお色……」と思わず言った。
「ハイルと同じに見えるか?愛し子の方が愛らしいプラチナであろう?」
嬉しそうに目を細めて言う姿は、教会に対して怒りをぶつけていた時の視線をどこかにやってしまったように優しく美しい。
今夜は満月。
この部屋のカーテンを開ければそれが山の上に輝いている姿を見る事が出来る。
その窓の前でシュピーラドはゆったりと何かに座る様な仕草をすればキラキラと光る透明な何かが床から伸び、神殿の王座の様な形の、まるで透明度の高い水晶出てきたようなそれにシュピーラドは腰掛けた。
カーテンが開いていれば、きっと幻想的で美しく、一枚の絵画の様だっただろう。
「椅子の心配はこの通り無用。わたしの
どうやら精霊のなんらかの力で椅子の様なものが出来上がっている様で、シュピーラドが手をひらひらさせたのを合図にそれぞれも着席した。
「して……まずは何が知りたいのか。わたしがハイルのためになると思うことは聞かせてやろう」
これにすぐさま手を上げ発言したのはなんとリネーである。
「精霊王様におかれましては」
「かまわん。ここにいるものがハイルに心を砕いておるのは十分見聞きした。その様に堅苦しいものはいらん。言葉よりもお前たちの心にわたしを含め精霊への敬意、そして敬愛、そうしたものを正しく持ち合わせていれば、それだけでいい。まあ、しかし人とは不便なものであろう?多少“改まった”言葉使いでかまわん。ほら。辺境の男は代々ぞんざいな敬語であったが、しかしその心は実に良い。様もいらぬぞ」
「でしたら、お言葉に甘えて──────精霊王に伺いたい。私たちの疑問に答える中で、私たちがハイルを都合よく利用出来ると感じる様なものもあるでしょう。それを私たちに聞かせ、ハイルに危険がないと考えていらっしゃるのでしょうか?」
「はッ……ははははは!面白い。お前は……そうか、ヴェヒテの倅か。面白い。実にいい。わたしが“起きた”今、その様な事をすればわたしが許すはずもないだろう?その様なことをすれば、ハイルがどれほど頼もうと、わたしがお前たちを消してしまうのだから。それにリネー、わたしはこれでも恐ろしいぞ?」
「それを聞き、私たちがハイルに畏怖し今までの様な態度で接する事が出来なくなるとは思いませんか?」
「はははッ……これは、ヴェヒテ、お前の倅は実にいい。精霊王とて人の心を覗く事は出来ぬ。が、健気にもわたしに尽くす僕がこの世界には溢れておる。わたしは神殿でひとり、ハイルへの懺悔で時間を過ごしていたわけではない。あれらにハイルを保護してからのお前たちの事を聞き出しておった。今リネー、お前が話した様な心配をするほうがバカだと、それで十分わかっておる。たしかに、この先はわからんだろうが、もうわたしは“目覚めて”おるでな」
「この短い間にハイルの今までの事を全て?」
「それはわたしがいかに精霊王でも無理だ。お前たちが思うほど、万能ではない。悲しいがな。ヴェヒテ、お前がハイルを保護したところからだけだ」
さて、リネーの疑問は解決したか?とシュピーラドが言ってからが、“本番”だった。
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