第4話

夕食の場に現れないヘレナ、難しそうな顔をしたままのヴェヒテ。

ユスティは困惑のまま食事をする。

ヴェヒテは一日に起きた事──────それがどんな些細な事であったとしても、夕食の場で子供──辺境地に残ったままの長男リネーがいれば彼も──に話してもらう様にしていた。

──────は親が思っているよりも短い。

ヴェヒテが実感したそれは、子供との時間を大切にしたいと思う様になる一端だった。

だから何はなくても「今日は何かあったか?」と始めていたのに、そのヴェヒテは無言のまま黙々と目の前の料理をいっている。

給仕をしている使用人も異様な様子に、仕事をするのも躊躇いがちだ。

「父上……母上に何か?」

伺う様な視線と共にヴェヒテに問うとヴェヒテはハッとして首を振り「違うよ」と難しそうな表情を隠した。

「後で、ユスティに聞きたい事があるから、食事が終わって寝る支度をしたら、俺の部屋に来てほしい」

「はい」

「ティナは大丈夫。少し疲れているだけだ。安心おし」

よかった、とユスティが安心して小さく笑うとヴェヒテの表情もやっと柔らかくなる。

使用人も二人を見て無意識に入れていた肩の力を抜いた。


父に言われた通り寝るだけの状態になったユスティが、ヴェヒテの私室に入った。

夫婦の寝室を挟んで、その左右にヘレナとヴェヒテの脂質が並んでいる。

夫婦それぞれの私室はそれぞれの好みに仕立てられており、その違いは「こんなに好みが違うんだ……!」と始めて二人の私室を見た今より幼いユスティを驚かせた。


ヴェヒテはどっしりとした椅子にユスティを座らせ、間にある、椅子に負けないどっしりした重厚なテーブルにカップを二つ置いた。

一つは自分のために少しブランデーを入れた紅茶、もう一つははちみつを入れたホットミルク。

それぞれの前にそれを置いて、ヴェヒテも椅子に腰掛ける。

「母上はどうされたのですか?」

開口一番の言葉にヴェイテは居住まいを正す。

「今日、彼の報告書が出揃った」

「俺にも見せてください!」

立ち上がらんばかりの勢いにヴェヒテは「だめだ」と鋭い声で言い

「ティナはその報告書で参ってしまっている。けれど強い彼女は、それを読み返しながら彼女のを得るために部屋に篭っているよ」

「参って……?」

「そうだ。お前にあの報告書を読ませる事は出来ない。お前はまだだからだ」

はっきりと言われユスティの顔がムッとする。膝の上に置いた手はグッと握り込まれていて、悔しさが滲み出ていた。

「ユスティだけじゃない、リネーにも見せないだろう。お前が思うより、あの子の姿から想像している以上に、酷いものだ。親として、まだお前たちにあの報告書を見せるわけにはいかない」

落ち着いた声でゆっくりと言い聞かせる。けれどそれでも納得していない息子にヴェヒテは話を少し逸らした。

「ユスティ、報告書は置いて、お前はあの子をどう思っているんだ?毎日あの子の部屋で過ごしているね」

「はい。ハイルと一緒にいます。俺の事、家族の事、あと領地の事など、たくさん話してます」

「そうか……。ヘレナから、ユスティが『恐ろしいのは彼をあそこまでにした周り』そう言っていたと聞いたよ。お前は彼が呪われていると思うかい?」

「まさか!」

ヴェヒテは驚いた。

ユスティが否定した事ではなくて、その反応の速さだ。ユスティの返事はヴェヒテの言葉は終わる前に割り込む様に入っていた。

「彼は、ハイルは呪われてなんていません!もっとこう……ハイルは温かい何かに包まれています」

「ん?それは……あの部屋をマーサが整えているからとか、治癒魔法のせいではないのか?」

マーサはあの部屋をひだまりの様に暖かく整えている。それに治癒魔法を使うとその場がほのかに暖かくなるものだ。

ユスティはヴェヒテの発言を大きな声で否定した。

「いいえ、違います!父上、そういう理由ではありません!」

どう言う事かと伺うヴェヒテの様子にユスティは胸を張って答えた。

「父上、俺には分かるんです。ハイルは暖かいのです。優しい何かに包まれているのです。俺には分かるんです。ハイルは、ハイルには得難い何かがあるんです。俺は、そばにいたいと思ってます」

「それは、捉えたら……いいんだ?」

「俺にも分かりません。でもハイルがいいんです。よく判らないけど、ハイルのそばにいたいと思う気持ちが溢れるんです」

父に『ハイルに触れたい』と言うには憚れたようでそこは言わずにいたが、興奮して、けれど言葉を──ユスティなりに──選んで伝える。

その様子にヴェヒテは思わずと言った感じでつぶやいた。


「……お前は、彼に惚れているのか?」


言い方は悪いが、正直言ってハイルの今の状態を見て惚れる要素があるかと言われればゼロだ。マイナスと言ってもおかしくはない。

なにせここに来てから一度も起きていないから会話も出来ない。性格も解らないし、健康な状態の容姿だって不明。

今のハイル、いや、彼らが知るハイルはあの姿と、報告書に記載されているものだけだ。

それでどうして、ユスティはまるで一目惚れした様な事を言えるのか。

ヴェヒテは全く理解出来なかった。


「惚れて……いや、でも……そうなのかもしれません」

「ハッ?」

驚きで目を見開くヴェヒテにユスティははちみつ入りミルクの入ったカップを見つめて言う。

「俺、ハイルが好きなのかもしれない?」

ヴェヒテは一体どう言う事なのか、一つも解らず天を仰いだ。

しかしヴェヒテに見えるのは、なるほどヴァールストレーム辺境伯爵家のタウンハウスに相応しい綺麗な木目の天井だけで、答えではないのである。

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