第5話

父親に言われユスティは次の日から、ハイルの部屋で彼を見つめながら自分の気持ちを考える様になった。

ヴェヒテの一言のせいで『好き』とのは嫌だから、ユスティは今まで一番、始めてと言っていいほど考えた。

話をした事もないのに、健康だったその時の容姿だって知らない。

どんな価値観を持っていて、どんな性格で、何を大切に思い、どんな事をしたいのか。何も知らない。

けれどもなぜか、どう言うわけか、惹かれてしまった。

考え考え数日経過しても分からない。ユスティは決めた。

(ま、いっか!)

誰の影響なのか、ユスティはに生きている。

分からないならそれはそれでいい。今惹かれているのだからそれでいいか。この気持ちはの“好き”で、どんな意味を持って“ハイルに触れたい”と思うのか、けれど、自分がそう思っているのだからそれでいいや。

ユスティはにした。

すると途端にスッキリする。自分の気持ちが、誰かに説明する事が出来なくても、自分の中では解決したのだから。

「ハイル、起きたらいっぱい話をしよう。それで教えてね。俺がどう言う意味でハイルを好きなのか」

楽しみだなあ、とユスティはワクワクしながら目を閉じたままのハイルの頭をゆったりと撫でた。



母ヘレナはこのところ喉に何かが引っかかった様な感覚を覚えていた。

それはヴェヒテが「呪われた子」と聞いてひっかかったのと同じ様なもので、何かこう、昔聞いた何かがそうさせている。

「呪われた子」という言葉に引っかかったのではなく、言い表せないがこの話から滲み出る様な雰囲気といった様ながヘレナにその感覚を与えているのだ。


ハイルはこのまま、健康になるまでヴァールストレーム辺境伯爵家で保護し、健康になるまでは以外には口外しないと言う形で落ち着いた。

その先の事は、健康になったハイルがどうしたいか、それを聞いてから考えようと言う事になっている。

だから落ち着いたヘレナは今、ユスティの事を考えて悩みため息をつく事も多い。

ユスティの“好き”の意味によっては対応が変わってくる。母として辺境伯夫人として、何が一番いいのか考えなければならないのだ。

本人に聞いても「分からない」なのだから、この辺りはハイルの目が覚めてからになるのだろう。

いくつか考えておけばいい、そう思ってそれらは頭の隅によけ、ひっかかったものが何か、頭から取り出そうと一つ大きく息を吐く。

ユスティの今後と同時に考えて思い出せる気配はなかった。


ヘレナ付きの侍女はそっとヘレナのカップに紅茶を入れる。

ヘレナがそれに侍女を見て頷く。侍女は小さく頭を上げ、薔薇のジャムを紅茶に少し入れた。

「ありがとう。しばらく一人にしてもらえるかしら?」

「かしこまりました。いつでもお呼びください」

静かに出ていく侍女を確認し、ヘレナは娘時代からつけている日記を全て取り出しテーブルの上に並べた。

ここにある分は婚姻後すぐにこのタウンハウスに引っ越した時に持ってきたものだけ。婚姻後に書いたものは──今使用している日記帳は別として──領地の方に置いてある。

日記を付け出したのはヘレナが母に「文字の練習になるのよ」と言われてからだから、本当に幼い頃からだ。

初めての一冊、その時の文字はとても拙い。自分で書いたとはいえ、所々暗号かと思うが混ざっている。

食べたケーキが美味しかったとか、家族に対しての愚痴の様なものまで多岐にわたる日記。

ヘレナはひっかかりを取り除くために自分の日記を読んでいるのに、昔の自分の考えや感じた事が面白く、ちょっとした読み物感覚で楽しんでしまっている。

小さい頃の自分を思い出して恥ずかしいと思っていた気持ちは、あっという間に霧散した。

「まあ、お母様ったら……そうそう、お母様はわたくしを喜ばそうと思ってなさったのよね。懐かしいわ」

クスクスと笑ってページを捲り続ける。

2枚、3枚と進み、1冊、2冊と読み終えた日記を重ねていく。

3冊目も終わり4冊目にかかったところでインクの色が変わった。

これまではピンク──少し色褪せて茶色ががかってきているけれど──だったのに、今度は濃紺に。この色は彼女の母が好きなインクの色で

「そう、お母様に近づきたくて、色を真似たんだわ」

母にお願いして同じ色のインクにしてもらったのだ。

幼い自分の背伸びをする姿を目に浮かべ笑みが浮かぶ。

インクの色が変わった日記を読み進めていたヘレナは「あ」と一つだけ音を口からこぼし、読んでいた日記を閉じ、重ねておいてあった、これから読もうとした日記からいくつか取り出した。

取り出したものを一枚一枚、けれど気持ちが逸っているのか時々ページを上手く捲れない事もありながら、を探した。

「あ、あったわ。これよ、これ」

ヘレナはそのページを何度も読み返す。

今よりずっと若い頃の日記だ。もしかしたら聞き間違えた可能性もある。父親と母親の会話を、そのつもりはなかったが盗み聞きしてしまい、あまりに驚いてこの自分しか見ないだろう日記帳に残したのだ。

を当時の彼女は見つけなかった。残そうとしか思わなかったのだ。

緊張と興奮でおぼつかなくなっている足を叱咤し不要な日記を全て元通りに片付けると、見つけたものが書いてある日記帳を胸の前できつく抱きしめた。

両手で握りしめていないと落としてしまいそうなほど、ヘレナの手が震えている。

何度も深呼吸し、震えがおさまったところでヘレナは部屋を出て足速にヴェヒテの執務室を目指す。

いつもなら誰かに「今時間があるか確認して」と頼んでからいくのに、その時間さえ惜しい。

ノックもいつもよりも強くなる。

入室を許可する声を聞いたヘレナは、執務室に飛び込む様に入った。


「ど、どうした、ティナ」

「正しい事は分かりませんの。けれど、もしかしたら、何かの助けになる気がして、昔盗み聞きを」

「え?何を?」

「いいえ、聞くつもりはなかったのですけれど、聞いてしまって。わたくし、お行儀の悪い子供ではなかったんですのよ?ですが、タイミングが悪かったんですの!」


扉を閉めた途端捲し立てるヘレナをヴェヒテは迎えに行き、そっとソファに座らせる。

ヴェヒテは置いておいた水差しに入ったハーブと蜂蜜が入った水をグラスに注ぎ、ヘレナに渡した。

淑女らしからぬ勢いで飲み干したヘレナは、グラスをテーブルに置いて深く大きく息を吐き

「わたくし、ずっと引っかかっている事が……。それが何か、何も分からなくて。子供の頃の日記に答えがあるのではないかと探しましたの」

「日記に?そういえばティナは日記に書いていたな」

「ええ。ええ、そうですの」

ヘレナは持ってきた日記帳のその部分を開きヴェヒテに見せる。

ヴェヒテはそれを読んで

「そうだった……お義父上は精霊について研究されていたとか……」

「そうです。父は学生の頃から、卒業してからも、精霊について研究していましたわ。けれど、知っているのは一握りですの。ヴェヒテ様はご存じでしたか……」

「いや、俺たちの婚姻の時に誰かが……そう、誰だったかが酔った勢いで『精霊研究より侯爵当主の方が安定しているもんあ』と言っていたのを聞いたくらいだ」

「まあ、ヴェヒテ様にはお父様から直接話をされているかと」

「いや、一度も聞いていなかったよ」

開いたままの日記帳を持って、ヴェヒテはあの日と同じ様にテーブルに腰掛ける。

「この日記によると、お義父上は加護について教会と対立する寸前だったと言う事になるんだが……日記以上の事を今、思い出せるか?」

訊かれてヘレナはこの日の事を思い出しながら話した。


この日記の日、ヘレナは初めて作ったサシェを父にプレゼントしようと、遅くまで頑張って起きて待っていた。

漸く帰ってきたわずかな音に反応し、使用人に見つからない様にこっそりと父がいる場所を探して歩いていると最低限の明かりだけで照らされている屋敷内の一角で、煌々とした灯りが見え、ヘレナはますます注意してそこへ近づく。

扉がちゃんと閉まっていないその隙間から廊下へ、室内の灯りが漏れていた様だ。

部屋の中からは母の声もし、ヘレナはそっと扉に隠れる様に中の様子を伺った。

話が終わったところで出て行こうと、そう思って。

その時、聞こえたのだ。

「これ以上は難しい……お前たちに万が一の事があってはいけない、研究はここまでにしよう」

「ここまでしてこられたのに」

「今まではよかったのだろうが、加護についての研究になったところで教会の動きが少しな……。ここで止めれば問題はないだろう」

「そう……悔しいと思うけれど、あなたが納得してるのならいいの」

「そうだな……クリスが嫁に行き、私の爵位をマクギーに譲ったら、またやってもいいかもしれんな」

「そうね。わたくしはいつでも、あなたのしたい事を応援しますからね。いくつになっても!」

「ありがとう。お前がそう言ってくれるから、こんな事をしていられたよ。加護についてはどうしても研究したかったんだが、まあ、教会の雰囲気を思えばここらが今は、潮時だろう」

これ以上聞いていていいのかどうか、子供だったヘレナは急に怖くなって部屋に帰った。

教会から圧力がかかった様な父の発言に、幼いヘレナは言いようもない恐怖を感じたのだ。


「ですけれどわたくし……怖かった気持ちもそのうち忘れてしまいましたのね。子供でしたし、あの後はお父様が研究に充てていた時間をわたくしや兄に付き合って遊んでくれたり、そうやって家族の時間にしてくださったから、嬉しくて、きっと忘れてしまったんですわね」

「お義父上は子煩悩でいらしたからな。俺も色々子育てについては教えていただいた。俺の事も実の息子の様にしてくださっているし」

「今は孫煩悩とでもいうのかしら?甘々おじいちゃんですわね」

今にも溶け出しそうに顔を緩めて孫を可愛がる父を思い出し二人で笑ったが、目があってどちらともなく咳払いをした。

「となると、加護について研究しようと思ったお義父上は、教会から何かしらの圧力を感じそれをやめたと」

「ええ」

「加護にはなにかあるのだろうか?」

「わたくし、今まで考えもしなかったのですけれど、どうして加護はなのでしょう?全員一律でひとつだなんて、なんだか不思議な気持ちになりません?必ずひとつ与えていただける加護。なぜ、ひとつなんでしょう?で始まったとされるのでしたら、二つ三つつく方がいらしてもおかしくありません?」

「確かになあ。まあその辺りは俺たちには解らない事になるのだろうな。それこそ、お義父上の研究分野なんじゃないか?」

「ですわよね」

二人はしばらく顔を見合わせていたがどちらともなく頷いた。

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