第16話
「体の中には、血の様に魔力が流れています。ハイル様にも、ユスティ様にも、わたくしにも。それがどこに溜まっているのか、溜まりやすいのか、それを探していかなければなりません。これは人によって様々なので、こればかりは自分だけが頼りになります。わたくしは左右の手首にございますよ。ここまでで、何か質問はありますか?」
「じゃ、じゃあもし、そこがなくなったりしたら……魔法が使えなくなるの?」
「いいえ、その様な事はありません。しばらくは体の中で魔力が身動きを取れずにコントロールが難しくなりますが、魔力はまた違うところに溜まりどころを作るでしょう。またそれを探していけばいいのです。一度成功していれば感覚で覚えているものですので探すのも簡単とされていますが、初めての時はそれがありません。ですから難しいのです」
「ぼくにできるのかな……」
「できるよ。俺も出来たよ」
ニッコリ笑うユスティにハイルは眉を下げる。
ハイルは否定された時間より肯定された時間が圧倒的に短く、何かを達成した事も少ない。ここにきて漸く絵本を読んだとか、残さず食べたとかで達成感を感じるようになったのだ。
自分に対して自信がない。だから何事も必要以上に難しく考え、やれると思えない。
大丈夫だよと言われれば「がんばってみる」とは言える様になったものの、基本的にハイルは自分は何も出来ない人間が根底にある。
それが払拭されるか、自分で立ち向かえる様になるまでは、誰かが背中を押してやるのがいい。
ユスティは率先してそれをしていた。
「ユスティさまは、どうやって見つけたの?」
「俺は目を閉じて指先から意識をこう……なんていうんだろう?体の中を旅してるつもりっていうのかな?探ってみたんだ。指先、手のひら、手の甲、手首、頭からお腹、足の先、何度もやってみると『あれ?』って言う場所に行き当たった感じかな。なんだかこう、バチッとする様なのが見つかったんだ」
「うーん……難しそう。旅って……お散歩のもっと遠くまで行くことでしょ?体の中も見たことがないし……」
ますます眉が下がって困っているハイルに手を伸ばすのは、教師エディトその人だ。
「ハイル様。これは感覚でございます。ユスティ様のやり方と、ハイル様とが同じではないのですよ。そうですね……わたくしの場合は目を閉じて体のあちこちに触れてみました。何度もそうしていると両手首が重い様な不思議な感覚がしていると気がついたのです」
「重い……。エディト先生は重くて、ユスティ様はバチッとしたんだ。ぼくはなんだろう?」
「それを楽しみに見つけてみましょう?1時間で分かる人もいれば、半月かかる方も、1年もかかった方もいます。ひとによって様々ですから、焦らないでいきましょう?勉強の合間にでも探せますから、ハイル様のペースでされればいいのです」
「うん」
「あと、自分が落ち着く場所でやるという方もいましたね」
エディトの言葉にハイルは立ち上がる。
今日も窓からはいい光が入っていた。
これまでと違い、気持ちがいい空気に光。
ハイルは知ってしまったこの、素晴らしい空気や光をもう手放せそうになかった。
そばに控えていたマーサにお願いして、お気に入りのクッションを取ってきてもらう。
それまでに一生懸命窓を開けた。力が今も弱いから、この部屋の大きな窓を開けるには気合も必要だ。
こうした事にはなるべく手を貸さない様に、とヴェヒテからのリクエストもあって、今は部屋にいないがマーサもユスティもエディトも、ハイルが頑張ればなんとか出来そうな事は手伝わない様にしている。
どうにかこうにか自分の望むくらいに開けた窓に満足しているハイルに、戻ってきたマーサがクッションを持ってきてくれた。
お気に入りのブランケットも一緒だ。
「好きな体勢になってもいいの?」
「ええもちろんですとも」
“成長”したら注意したりしなければならない行動も、なにも知らない様な今は目を瞑り好きにさせる。これも“今の”教育方針である。マーサは大きく頷いた。
ハイルはクッションを窓の側にあった三人は悠々座れるソファに起き、そこに寝そべる。
お気に入りのブランケットを抱きしめた。
ジッとしているハイルを見守っていたが、ハイルが上半身を起こしおずおずとユスティを見て
「ユスティさま、手をギュッてしてくれる?」
言って唇をキュッと噛んでしまったハイルにユスティは慌てて立ち上がり
「もちろん!よろこんで!まかせて、ハイル!俺がずっとぎゅってしてあげる」
ここにグスタフやニコライ、ユスティの両親でもいいが彼らがいれば「ずっととは言われてないだろう」と突っ込んだだろうが、ここでは誰も突っ込まず、飛ぶ様にソファまで行きソファの下に座り込んで手をこれでもかと大切そうに握るユスティの行動を呆然と見ているだけ。
ユスティがハイルを大切にしていると言うか、甘いと言うか、そういうところがあるのはよくよく知っている二人も、この“行動力”には驚いた。
エディトに至っては「とってこーい!」と言っておもちゃを投げたご主人の元に、おもちゃを咥えてしっぽを振り回し戻ってくる犬の姿と重なったほどだ。
「これから、毎回、俺がこうしてギュッとしてあげるからね」
「うん」
この日からエディト先生の授業の合間に『魔力溜まり』を見つけるという時間が入った。
これになるとユスティはクッションとブランケットを嬉々として運び、窓を開け、ハイルを抱き上げ、同じ様にソファに寝かせるとソファの下に座り手を握る様になる。
ハイルがやめてと言わないのを良い事に、ハイルが目を閉じる前に額にキスをするようにもなった。
まさに、実に、“やりたい放題”である。
いやじゃないのかとマーサがこっそり聞いたら『家族にはするって絵本に書いてあった。嬉しい』と嬉しそうに言うからユスティに何かを言う事も憚られ、しかしハイルはマーサにも『ぼくはマーサにもしてほしい。ぼくもしていい?』と言い出して悩み悩んでヴェヒテとヘレナに相談。
ユスティを止めると『家族からキスをもらえない、嫌われた』となりかねないハイルがいるため難しい。となり、ハイルが気を許し笑顔を向ける人間がハイルに望まれたら、ハグをしたりおやすみのキスをする事でまとまった。
マーサとリネーは挨拶の際に抱き締める。ヴェヒテとドンは頭を撫でるようにした。そしてヘレナとカルロッテは頬にキスをするとした。
これを知ったユスティは悔しがったが、自分の気持ちよりはハイルの喜ぶ事を優先し泣く泣く──比喩表現ではない──諦めたのである。
ハイルは他者からの目に見える愛情──今の段階でハイルにとって絵本で書かれている事が“真実”に近い──であるハグとキスに、心が温かくなる事が増えた。
家族というものが“血を分けた人たち”である事は絵本で学習済みである。
ハイルに取って今ハイルを気にかけてくれている人たちは家族ではなく、血のつながりのない他人という事になるが、その他人から愛情を“向けてもらえる”事も絵本で同様に知った。
つまりこれがそれなのだろう、とじわじわ実感し家族というべき人たちから何ももらえていなかった事に絶望──しかしハイルはまだ『絶望』という言葉を知らないので、彼は他人にこの気持ちをこの言葉で説明出来ないが──もした。
落ち込み泣いた日、時間は多い。
けれどいつも側にいてくれるマーサは、ハイルが知った『愛情』を目一杯くれる。ユスティも同じように、愛情をたくさんくれた。
そろそろマーサ、ユスティ、そして彼らに次いで一番長い時間を過ごしていると言ってもいいエディトだけに“依存”するのではなく、ハイルを知り彼を保護している人とも多く触れ合う時間を増やし、ハイルの“加護なしという謎”を含めヴェヒテが信頼する他の人間へも紹介し、徐々にハイルの行動範囲を広げ“人を知る”機会を設けようと大人たちが思い始めた頃。
この日は朝から快晴だった。
昨日まで降っていた雨も上がり、早朝はランドリーメイドたちの「やっと気持ちよく干せる」と喜ぶ声が洗濯物を干す一角を占拠していた。
いつもの様にエディトとの勉強は午後からで、ハイルはその時間を心待ちにしている。
読み書きも出来る様になった。難しいスペル──────絵本以上のスペルはまだまだだけれど今までを思えば成績優秀。
解る事が増えた事でハイルの好奇心は上がり、向上心も生まれた。
だから頭が良くなんでも知っているエディトの授業は1日の中で、甘くて美味しいポーションを飲む時間の次に楽しみにしていると言ってもいい。
余談だが──────
ポーションが美味しいと顔を綻ばせて言うハイルにリネーは「しまった……嗜好品にしすぎたか。ハイル、それは菓子ではなく栄養補助食品だ」と言い、ハイルが『嗜好品』と『栄養補助食品』の意味を理解したのは、つい最近である。
ともかく、この快晴の日。
クッションとブランケット、そしてユスティに手を握られ目を閉じていたハイルは、唐突に自分の胸あたりが温かいもので満たされている事に気がついた。
最初はこれが『愛情があたたかい』と書いてあった絵本のそれかと思ったがそうではない。そう気がついたのは、温かなそれが体を巡っていると、よく理解出来ないまま実感した時だ。
この変化にエディトも手を握っているユスティも気がついた。
人は魔力溜まりを見つけると、魔力を自覚する。そうすると全身に巡るそれを実感し、“何かが変わった”と周りも気がつくのだ。
不思議と、魔力に気がついた瞬間はそう言うものだった。
「ユスティさま!わかったよ」
「うん、俺もわかったよ。よかったね、ハイル!」
抱き合い喜ぶ二人を微笑ましく見守るエディトとマーサ。
これで魔法の勉強も出来るんだ、と喜ぶハイルの目が目に見えて輝いている。
よく晴れた夜の空に浮かぶ、星の様にキラキラと。
この瞬間、ハイルの人生はまた大きく変わっていくのである。
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