! 第32話

身体中、見えるところも見えないところも、久しぶりにひどく暴力を受けたハイルが今牢の中にいるのはなのである。

指も一本も動かせそうにない痛みに、ハイルの意識は混濁し、彼は今起きているのか寝ているのかも判らないし、生きているのか死んでいるのかだってよく判っていない。


ユスティが“それ”を読み、王都の人間が撒き散らす嘘をきっとほとんど聞き尽くしたのはこの頃であった。


爆発したと思った次の瞬間突然王城が見えるどこか──後でそこが王都が一望出来る高台だと知ったのだが──に立ちすくんでいた彼は何が起こったのか、時間の経過も一切分からないまま、今自分が王城が見える場所にいるのだと気がついてタウンハウスに向かう事にした。

高台からなんとか道に出ると持ち前の人懐っこさで王都に荷物を運んでいると言う幌馬車の荷台に乗せてもらい、平民が多く住むそこで降りるとあとはひたすら歩いた。

走って途中で苦しみ休むより、一定のペースで歩き続ける事をユスティは選んだ。

タウンハウスに着く頃には、突然高台に立った時から丸1日が過ぎていた。

急に現れたハイルに使用人たちはとても驚いたが、それもなんとか適当に誤魔化し、ユスティはとにかくハイルがどこにいるのか探そうとそれから毎日王都を歩き回った。

そんな生活をしていれば、いつかきっと自分がここにいる事が辺境地にいる父親の耳に入るだろう。そうなれば連れ戻される可能性だってある。

ユスティの気持ちは急く。

そしてついにハイルが処刑されると耳にし、その翌日には“悪しき加護を封印した。尊い犠牲を払った”と言う教会の発表も耳にしたのだ。

このままではハイルが処刑される。しかも全くの冤罪で。

ユスティの中にまた、グワッとしたが広がった。

あの時の様に、このままではがまた起きてしまう。

ユスティはなんとか治めなければと、自室のベッドの上で体を丸くしジッとした。

両手でタオルをきつく握り、力を分散させようともがく。

あの時は王都に飛んで来れたけれど、次こそどこに行ってしまうか分からない。

ハイルの処刑が──────日が決まっていない様だが、確実に決行されるのに今どこかへ行ってしまったら助ける事も出来ない。

どうにかしてこの感情を、何かよく分からない暴走しそうなものを抑え込もうとしているユスティの耳に、唐突に聞こえた。

ユスティの名前を呼ぶ、優しいハイルの声が。

「俺のハイルを、返せ」

思わず呟いてしまったらダメだった。

ユスティの、理性の様な、それに似た何かが一瞬で膨らみ爆発した。

本当には、刹那の出来事である。


気がつけばどこか、窓のない薄暗い廊下にユスティは立っていた。

息を潜め柱の影にそっと身を隠す。この場所がどこか分かっていない今無駄に動く事は避けた方が賢明だと思えるくらいには、ユスティは冷静になっていた。

誰も来ないと判断し、ゆっくり歩く。どちらに行けばいいか分からないから、ここに出てきた時に向いていた方へ向かっている。

迷っているよりも歩いた方がいいと、そういう考えだ。

少しすると人の気配がした。

ハイルを守るために本気で訓練をしていたユスティは、気配を殺す。

誰がそこにいるのか、どんな職業の人間か、一般人なのか兵士なのか貴族なのか、全く分からない。だからこそ、判じる材料を探してジッと息を潜めた。

何分、何十分かも分からないが時が経ち、気配のそれがポツリと言う。

声は思う以上に空間に反射し、ユスティにはっきりと届けた。

「あんな子供が人殺しとは……自分が悪しき加護持ちだから、加護なしで愛されていたぼっちゃんを殺したって、ひでえ話だよ。ここにいるって知られちゃ暴動が起きるだろうけどさあ、俺もここに犯人がここにいるぞって言いたくもなるよ」

怒りで視界が真っ赤に染まった錯覚もあったが、それでもユスティは耐える。

時間が経っても先の声に何も反応がないのを見て、ユスティは“それ”が一人であると推断した。二人だったとしても、ユスティは今、負ける自信はなかった。

自分が死んでも、ハイルを助ける。何があっても、ハイルだけは守る。

その気持ちでユスティは素早く影から出ると、突然飛び出してきたユスティに驚いた男に飛びかかり、男が抜く前に男の腰にぶら下がっていた剣を抜くと、男の腹に切っ先を埋め同時にここに来る直前に握りしめていたタオルを男の口に捩じ込んだ。

モゴモガとしか言えない、死の恐怖を前に震え失禁する男の体に埋め込んだ刃をより深く入れそのまま横に、男の腹を切り裂く様に薙ぎ払う。

あたり一面に血が飛び散り、ユスティにもかかる。

ユスティは扉の近くの椅子にかかっていた今死んだ男のものであろう隊服で返り血を拭い、剣の血と油も出来るだけ拭った。

ピクリとも動かない男の体を探り鍵を見つけると、扉の鍵穴に入れ扉を開ける。

中はじめっとしており、空気の流れも良くない。

しかし扉を開けた事で中の空気が動き、それで中にこもっていた血の匂いをユスティが感じ取った。

暗闇に慣れると牢の一つに、こんもりとした塊がある。

ユスティは急いでそこへ近づくとそれがハイルである事に気がつき、手が震え剣が滑り落ち、その震えが止まらない手で必死に牢の鍵を探した。

男の死体から見つけた鍵は束になっており、全部で20もある。

一番大きなもので扉が開いたので、残りはここを含めた牢屋のものなのだろう。

焦るほどに手が震え、間違えてはまた焦る。

12個目でようやく牢の扉が開いた。

ユスティはふらふらと塊に近づき、暴行を受けボロボロになったハイルをそっと抱きしめた。

本当にかろうじて、なんとか、胸が上下している。

生きているのだ。


ユスティは泣いた。

こんな事にならないために、こんなふうにしたくないから、守れる様に強くなろうとしたのに。

大好きなのに、好きだってやっと自分の気持ちに気がつけたのに。

(俺が頼りないから、ハイルは自分達を守るためにこれを望んだ!俺がもっと、ハイルに言っていれば……ハイルに、ハイルが一人で恐怖と向き合わなくていいんだって、もっとちゃんと伝えていれたら)

悔しくて悲しくて、守ると決めたのに守れない自分が不甲斐なくて

「あ……あ、ああああああああああーッ!」

ユスティは王都中に響き渡るのではないかと言わん音声で、声のかぎり叫んだ。

「俺の、俺のハイルを──────」

自分の体からまた何かが溢れる。

ハッとユスティが息を呑んだその瞬間、あたりが一面真っ白になった。


王都の一角、罪人を収容する塔がひとつ吹き飛んだ。

大きな音を立てて崩れ落ちたそこには、生きているものの姿はひとつもない。

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