第12話
それから2時間ほど経ってからだろうか。
ドンが資料を広げる図書館へ、マーサとエディトに連れられたハイルが入ろうとする姿がある。
怯え切っているハイルにエディトが何やら伝えるとマーサもそれを肯定する様に頷き、二人をそれぞれ確認する様に見てからハイルが「しつれいします」と震える声で言ってから一歩踏み込んだ。
ユスティを除く男性陣とは距離が残っているハイルの登場にドンは素直に驚いたが、それを出さない様に押しとどめ座ったままでハイルに小さく頷いた。
立つと自分の体格をまざまざとハイルに見せる事になる、というドンの配慮だ。
入り口でハイルを励ます二人の声がドンまで届く。
どこでもそうだが図書館は静かに使用するものだ。この距離では聞こえても不思議ではない。まあ、ここにはドンしかいないけれど。
「さあ、ハイル様」
「でも……」
「エディト先生もカルロッテ様も頭いいでしょう?ドン様もでございますよ」
「うん……」
頭がいいからなんだろうか、とドンは疑問符を頭に浮かべたがタイミングを測ったかの様にエディタと目が合い微笑まれたので、彼は気にしない事にした。
よくある貴族夫人の「今はそのあたり、どうでもいいでしょ?」というアレだなと、ドンは察知したのである。彼は頭のいいし空気も読めた。さすが、出来た領主、出来た侯爵と言われた男だ。
不安そうな気持ちを全身からあふれさせ、ハイルは絵本をギュッと握ったままドンの正面に立った。
調べ物などをする時に使う大きな机を挟んでなので距離はあるが、ハイルにとってこの距離ですでに恐怖を感じるものになるのだと分かるとドンの心も重い。
「どうかしたかな?」
キュッと口を真一文字に結んだハイルに今度はエディトが後押しする。
「ハイル様。ハイル様の事を何も知らない“愚か者”で“頭の悪い”人はここにはおりませんよ。みな、ハイル様を知りたい、知ろうとする“頭のいい方”ばかりです」
「うん」
「その絵本にもありましたね?『いじめるモノは愚か者で頭が悪い』と。頭のいい、愚かではない人間はいじめっ子ではないんですよ」
なるほど、そう言う事か。とドンは納得した。あの絵本はドンにも記憶がある。今ハイルが抱きしめている絵本はヘレナが好きな絵本の一冊でもあった、思い出深いものだ。
この絵本の『頭の良さ』や『愚かではない』は勉強が出来る出来ないの話ではないのだが、今のハイルにはそれでいいのだろうとドンは選んだのだろうエディトに心で拍手を送ったの同時に、いつかその絵本のいう『頭の良さ』や『愚かではない』をハイルが理解してくれたらいいなと願った。
「私は研究……そうですね、勉強をし続けて生きていました。自分で言うのもなんですが、頭はいい方ですよ」
聞いてからエディトを見上げ彼女が頷いたのを確認してから、ハイルはドンの正面の椅子に座る。
震えてはいたが「しつれいします」という姿にドンはいじらしさを感じてしまった。
何せ生きていた時間はユスティと同じなのに、彼には知識が乏しいうえ、何より見た目が幼い。栄養不足がたたってユスティよりも随分幼い子供にみえる。
「あの……その」
「ゆっくり話をしよう。何か困った事があったのかな?」
ハイルに話させると決めたのがどちらか、ドンは見当もつかないが二人のどちらが言い出したにせよそれでよしとしてハイルを連れてきたのだ。
きっと二人ではなくハイルから話す事に意味があるのだと、ドンは見ていた資料をさっと傍に避けて聞く体制に入る。
「ぼく……この間から、目の前がチカチカしたり……夜の星みたいにキラキラするんです」
「それはいつもですかな?」
ハイルは首を傾げて
「いつも……いつもじゃないです。ええと、ときどき。ときどき、キラキラ、チカチカします」
「ほう。どんな時になるか、わかるかな?」
ハイルがちらっとマーサを見た。マーサはハイルの椅子の後ろに立っており、エディトはハイルの隣に腰掛けている。
「大丈夫ですよ、ハイル様」
声に背中を押され、ハイルは大きく息を吸って
「マーサが……ぼくを治してくれるとき」
「治して?」
「ええと……まほう、魔法を使ってぼくを治してくれるとき。でも、それもいつもじゃなくて、時々……」
「ふむ。じゃあ今、マーサに使ってもらおう」
「ぼく、病気?おかしい?」
眉をこれでもかと下げて情けない顔になっているハイルに、ドンは大きく首を横に振った。
「仮に病気だったとしても、おかしくはありませんよ。ごく稀にですが、治癒魔法をうけて……治してもらう人と、治す人の魔力の違いで火花が……キラキラしたりチカチカしたりする事があるんだよ。これは仕方がない事なんだ。だから今、もう一度確認しようね」
「もし、それなら、ぼくはマーサに治してもらえなくなる?」
「そんなことないよ。そのチカチカやキラキラが嫌であればマーサではない人にしてもらうといいけれど」
「いやだ。ぼく、マーサがいい……マーサ、チカチカする?キラキラしたりして嫌になる?」
「いいえ、そんなことありませんよ」
ハイルは「よかった……うれしい!これ、嬉しい」と喜び、エディトに「じゃあまた試してみましょうね」と言われ恥ずかしそうに顔を覆う。
このところ恥ずかしい時はこの様な仕草を作る。どうやらマーサとカルロッテの真似らしい。
ドンはマーサに頷きで魔法をかける様に促し、マーサはハイルの隣に膝をつくとハイルの手をそっと取った。
エディトとドンが注視する中、マーサがハイルに治癒魔法をかける。ハイルはジッとそれを受けたあと首を横に何度か振る。
「これはちょっとキラキラしたかも……でもまちがってるかも……自信がないです」
マーサが今度は自身の加護も併用してかけると、ハイルだけではなく、ドンとエディトの目も大きく見開いた。
「これ、キラキラしてます!今も、キラキラ……──────あ、なくなった」
“頭のいい”ちょっと安心出来るエディトと、そのエディトと優しいマーサが大丈夫だという“頭のいい”ドンに『おかしくない』と言われ素直にキラキラを伝えるハイルと、ハイルに魔法をかけたマーサは目を見開いたまま呆然としている二人を不思議そうに見る。
「エディト?どうしたの?」
ちょんちょんとエディトのドレスを引くと、ハッとしたエディトはにっこり微笑んだ。
「今、キラキラがわたくしも見えた気がしましたの。驚きましたわ!」
「ほんとう?」
「私もなんとなくわかりましたよ」
「ほんと!?じゃあもしかして、ぼくも二人みたいに頭良くなるかな?」
ハイルはマーサに尋ねる。マーサは「もちろんですとも」と太鼓判を押した。
この夜、ハイルもユスティも寝てしまった後、ヴェヒテとヘレナ、そしてドンとカルロッテにエディト──彼女は住み込みの家庭教師。夫はエディトがガヴァネスを止めるまで城の兵舎に住む事にしている──、そしてグスタフもが“あの内輪話”にいい部屋に集まった。
マーサはハイルにつきっきりでの世話を頼んでいるので、いつもの様にハイルの続きにある使用人ようの部屋に下がっている。あとで情報は共有するが。
各自好きな飲み物を用意させた後、使用人は全員下がらせている。
「さて、なにかがハイルに起きたとだけは報告を受けたのだが……」
ヴェヒテの問い掛けにまずはエディトが、ハイルが「目のまえがチカチカするの。星空のキラキラみたいな、キラキラがあるの」と言い出したというところから、図書館へドンを尋ねたところまで説明した。
頭がいい人の下でヘレナが思わず微笑む。
「それで私が、他者との魔力によっては火花が散った様に感じる人もいるという話をしてな。マーサに治癒魔法をやってもらったんだ」
「なるほど。それでその結果で今ここに人を集めたわけですね。お義父上が実際見て何かを感じたか、何かに至ったという事でしょうか?」
「マーサは、ハイルの手を握ってそこを見ていたために気が付かなかった様子ですが、私とエディト女史ははっきりと」
エディトも静かに頷いた。
「普通の治癒魔法の時は、ハイル様に変化はありませんでした。けれど、マーサが自分の加護も併用して治癒魔法を使った時、ハイルが変わったのです」
「変わった……?ハイルちゃんに、なにかあったの?」
よくない方へ変わったのかと心配そうなカルロッテにエディトは「いえ」と短く否定し、ドンが後を継いだ。
「目が……」
「目?」
誰かの喉がゴクリとなって、誰かが息をグッと止めた音がする。
全員、一瞬を逃すまいとする、そんな意識が生まれていた。
「目が、輝く様にパッと、明るくなった。いえ、まさに星の様に輝いたと、そう言ってもおかしくはないかと思います」
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