第2話

エングブロム公爵家のハイル・ロルフ・アスペル

この名前には『呪われた』が飾りのようについてくる。


なぜなら、彼はこの国で生まれたすべての人が与えられる『精霊からの加護』を与えられなかった、唯一の人間だからだ。

貴賤関係なく、この国に生まれた人間は一歳を迎える月にこの国にあるいずれかの教会で『加護の儀式』を受ける事が出来る。

努力義務とされてはいるが殆ど国民の義務という状態、しかし無償で受けられ加護によっては“成り上がり”も可能かもしれないと、法的拘束力がなくても国民は皆『加護の儀式』に参加した。

孤児やスラムの人間は平民よりも必死で、もしかしたら這い上がれるかもしれないと、『加護の儀式』当日は目の色が変わる。

そんな貴賤関係なく与えられる加護を、このハイルは与えられなかった。

最初は公爵家のプライドで『これには重大な意味がある』と言って教会を攻め立てたものの、教会、そして事を大きく見た王家から帰ってきた返答は

──────加護を与えられなかったものは、これまで通り変わらず、呪われた悪魔の子である。

──────しかし殺せば悪魔に呪い殺され、国が破滅するであろう。

呪われた公爵家、そう言われ始めたが彼らは逆手に取った。

──────呪われた子を我が子である事には変わらないと慈しみ、けれど外に出し悪意に晒される事は分かりきった事。屋敷から出さずしかしのびのびと、愛情を持って育てている。

そう言って触れ周り、それが事実であるとのだ。

ハイルの兄と姉は呪われた弟を可愛がっていると言う。興味を持って会いたいといえば「悪意を持って、何か悪い思いで会おうとしている人に会わせるわけにはいかない。弟を傷つけたくない。もし会わせた後偶然にも不幸な事が起きたら、弟のせいだというだろう。そんな可能性があるから会わせない」と言って、ただ興味だけで会いたいという人間に“興味本位で会って不幸になっても大丈夫ですか?責任取りませんよ”と匂わせた。

それでも会いたいのだと、心配から言ってくる人間には素直に会わせた。

あった人は口々に言う。

──────愛されて育っている、かわいい子だった。

──────ご両親に似てブロンドに真っ青な目で美しい子だった。

──────他人に慣れていないから口数は少なかったけれど、聡明そうだった。

などなど、『呪われたエングブロム公爵家』の愛情深さが事実であると言う話ばかり。

それが広がっていつのまにか『呪われたエングブロム公爵家の愛されている子供』となり、ハイルが参加したあの加護の儀式から年月の経った今では『呪われた子』と聞いたヴェヒテが「どこかで聞いた事がある様な」という程度のものになっている。



ヴェヒテは、調が得意な部下に『エングブロム公爵家のハイル・ロルフ・アスペル』について調べさせた。

この部下を“素早いが上澄を掬う”と言っても、それを不満に思っているわけでは無い。

多くの人がを詳しく調べるに置いて、この部下の右に出るものはいないのだ。

人の噂が『本当』の事の様に広がっていく事なんて、ある事。

彼は噂が本当かどうかを調べるわけでは無い。噂でもなんでも、人が本当の事の様に話す、もしかしたら本当では無い事をどこまでも詳しく調べる事が出来る。

ヴェヒテはまず、この部下に彼の才能を遺憾なく発揮してもらい、この様に調べさせていた。

そして二日で調べてきた報告書は分厚いものになり、三日目の今日報告書を持ってきた彼の目にはくっきりとクマがある。

早くというとどうしても無理をさせてしまう事をヴェヒテは詫び、特別給与と休暇を与えた。

部下はそれをいつもの様に申し訳ないと言って、しかしありがたく頂戴しますと言って執務室を後にする。

部屋に一人になったヴェヒテは素早くそれらを隅々まで読んでいく。

、妻ヘレナが聞いていた通りの、『呪われたエングブロム公爵家の愛されている子供』の人生が書いてあった。

あまりに良く出来ている話に、ヴェヒテは無意識によった眉間の皺を指先で伸ばす。

これがかどうかはあと一週間もしないうちに分かるだろう。

もう一人の部下が持って帰ってくる報告書ではっきりとするのだ。

この部下はこの報告書を持ってきた男と違い、時間がかかる──とはいえ、情報収集に時間をかけるのが惜しい事が多い辺境領地が抱える部下だから、“早い”のだけれど──が真実を調べきってくる。

「俺はこういう言い方は好かんが。これは嘘だろう」

ヴェヒテは自分で調べ納得しなければ信じない、納得もしない。

二つの報告書が揃ったら改めてじっくりと読み、信頼のおける部下である筆頭執事でもあるニコライと従者グスタフと読み込み話し合い、自分の信じる事実を読み解く。

それでもヴェヒテは思う。強く感じた。

『呪われたエングブロム公爵家の愛されている子供』なんていないと。


その頃、『呪われたエングブロム公爵家の愛されている子供』が治療を受けている離れでは、この家の侍女であり、訳あってヴァールストレーム辺境伯爵家長男と次男の乳母も務めたマーサが、ハイルにつきっきりで看護している姿がある。

マーサは『呪われたエングブロム公爵家の愛されている子供』のハイルと聞いていたが、としか見ておらず、我が子の様に献身的に務めていた。

彼女マーサの弟は幼い頃に病気で亡くなっており、その時よりも酷い状態のハイルを見ていると

(私がハイル様を健康にして差し上げないと!!)

思う気持ちが強くなるんだそうだ。

グスタフとニコライに「呪われた子ということになっているが、大丈夫か?」とマーサの事を案じて聞かれたが、彼女はアッハハハと豪快に笑って

「精霊様も何もしない子を呪ったりしませんとも。何かしたからこそ、精霊様に呪われるんでしょう」

そう言ってあの日、ハイルがここにきた時からずっと離れで生活していた。

いつもハイルとマーサで過ごしているこの離れ。

本宅と離れの間にある綺麗に整っている庭が見える、一番の部屋で手厚い治療を受けるハイル。

マーサはハイルにこの美しい庭を見せたいと思う。そして走り回れる健康な体を手に入れる手助けをしたいと願っている。

死ぬんじゃ無いかと思う事は一日何度もある。けれどそんな事にはさせないと、マーサは固く決意していた。


布団は太陽の香りであった方が元気になれる。

そう思ったマーサは毎日布団を一番の場所に干す。

今日も太陽のおかげでポカポカになった布団を取り込もうと腰を上げたマーサは、後ろに今取り込もうと思った布団を持って立っているユスティに驚いて「ひゃあ!」とかわいい声をあげた。

すぐに気がついて恥ずかしそうに

「ユスティ様!まったく驚かさないでくださいませよ」

「ごめん。布団を干していたから、取り込んでおこうと思って。マーサは彼につきっきりだから……手伝いたくて」

「まあ、ありがとうございます。けれど使用人の仕事ですよ」

優しく言うマーサにユスティはニカッと眩しい笑顔を作って

「ここでマーサの手伝いを出来るのは、彼のコトを知ってる人間だけだから。これくらいいいじゃん」

「よくありませんけれど……マーサはうれしゅうございます。ユスティ様もリネー様も本当に、旦那様と奥様の様に優しい方に育ちましたね」

マーサが言った『リネー様』はリネー・カスペル・レンナルトソン、ユスティの兄でヴァールストレーム辺境伯爵家長男である。

いくら限られた人間以外近づけないとはいえ、マーサは実にテキパキと、まさにメイド・オブ・オールワークの働き。さすが辺境の荒波に揉まれ生きてきた侍女だ。

元々は下級使用人だったというのもあるかもしれない。そんな彼女が今では上級使用人である侍女。出世も出世だ。

これもすべて、能力も重視する歴代辺境伯爵家があったからで、とりわけ彼女を買っていた先代伯爵がいたからだろう。

「それにしてもユスティ様。こちらの方が“どのような方”がお分かりになって、おいでになったのですか?」

いろいろな意味を含んで聞くマーサにユスティは笑顔のまま頷いた。

マーサは先の通りの考えなのでハイルと関わって呪われると考えたりしていないけれど、それはマーサがそう考えているから。

ヴァールストレーム辺境伯爵夫妻は自分で納得しなければ呪い云々は信じない。けれど万が一呪いが本当であった場合、自分の領地領民を守らなければら無いとも思う気持ちがあるからか、離れに来た事はない。

ハイルがここにいる事を知る大人はみなその様に考え動いているが、ユスティは何を思っているのか。場合によっては出ていかせなければならないと思いマーサが聞いたのだが、ユスティの笑顔は変わらない。

「俺、呪いってと来なくて……。ただ俺と同じ歳の男の子が、マントで包まれていたとしてもあんなに小さくて、死ぬかもしれないほどなんて……。そう思ったらやっぱりじっとしていられなくて」

話しているうちにユスティの顔が少し辛そうに歪んでいく。

「グスタフとニコライから聞いたんだ。まだ起きていないって。俺、聞いたコトがあるんだ。毎日話しかけると目が覚めたり反応があったりするんだって。学園が休みの今、なのは俺だし、俺、せっかくここにいるんだから起きて美味しいもの食べて、元気になって欲しくって」

ユスティの気持ちにマーサは思わず涙ぐむ。

数日間とはいえ四六時中つきっきりで看病しているのだ。

ハイルの現状もあってマーサはすっかりハイルの保護者きどりである。

「でしたらまず、旦那様と奥様に」

「大丈夫、許可はもらってるから」

「まあ、お早い事ですね。ですがユスティ様、学園からの課題などはございませんでしたか?」

乳母の睨みにユスティは苦笑いを一つこぼして

「持ってきてるよ。ニコライに持たされた。いくならむこうでやれって」

「まあまあ、さすがニコライ様です事!」


この日から離れは賑やかになった。

ユスティは骨と皮の様なハイルが治療を受ける部屋の邪魔にならないところで、学園で出された課題をこなしながら、時々ハイルに話しかける。

話題は自分や家族の事、領地の特産品や名物料理、他には昨日食べた夕食やマーサの好物まで。

なんでも思いつくままに話した。

そんなふうに過ごすユスティにきっぱりと「骨と皮だけの子供です。哀れとは思いますが、恐ろしい姿とは思いませんか?その気持ちがあればもうおやめなさい」と聞いたのは母ヘレナ。

ユスティはなんでそんな事を聞くのか全く分からず首を傾げ「え?なんで?恐ろしくないよ!恐ろしいのはあんなふうになるまで苛め抜いた人たちだ」と言って怒って見せた。

ヘレナが聞いたのはヘレナがそう思うからではなく、もし少しでもそう思う気持ちがあればそれはハイルに伝わる、今は寝ているから伝わらなくても起きた時にきっと、あれだけ酷い目にあったから敏感に感じ取りユスティもハイルも傷つくと思うから聞いたのだが、ユスティの気持ちを聞いてヘレナはそれきり聞く事はせず「ちゃんと宿題をする様に」と言って離れでの生活を本当の意味で許可した。

なるべく夕食ギリギリまでハイルのそばにいるユスティ。

そばにいる様になって四日目。

ユスティはそっと、今にも壊れそうな砂を固めたものを持ち上げる様に、そっと優しく、ハイルの手を握りしめた。

どうしても触れたい衝動が抑えられなくなったのだ。


マントに包まれている時も中が何か分からないのに、ひどく惹かれた。

それが興味を持ったとか、好奇心とかではない。のだ。

両親にやっと許可され離れでハイルを見た時、と思った。

何が『やっぱり』なのかハイルもよく分からなかったけれど、やっぱりだと強く感じた。

マーサには「ユスティ様はハイル様を前にするとソワソワされますね」なんて言われたが、それは当然だとユスティは思っていた。

よく分からないけれど、ユスティはハイルに触れたくて仕方がなかったのだ。

マーサに語ったのは本音だけれど、ある意味本心を隠した本音だった。

やはりよく分からないし言葉に出来ないけれど、ユスティはハイルのそばにいたかった。

どうしてもそばに。


「ねえ、俺をそばに……そう、そばにおいておいてよ。早く起きて、俺を見てね、ハイル」


ハイルの手を優しく握ったユスティはその手に頬を寄せて、そう懇願した。

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