第10話

学園には帰りたくないとふてくされていたユスティが「暫く休学。復学するための勉強は欠かさない様に」と言われ飛び上がった後、ガヴァネス女家庭教師が再び城に滞在する事になったとの追伸に凹んだ。凹んだと言うよりは、床に座り込んだ、が正しいのだろうけれど。

カヴァネスを務めるのは隣国から亡命してきた元伯爵夫人だ。

亡命後暫くヴァールストレーム辺境伯爵のこの城で保護されていた。保護されている間この国の事を学んでいたのだが、そこでこの城を守る騎士の一人と懇意になり、今では彼と城下で幸せな家庭を築いている。

祖国でひどい夫婦生活、最後には命さえ危なくなり逃げてきた彼女は実に優秀でリネーとユスティのガヴァネスをしていた。

時々この街の学校で教鞭も振るう。

「ええ……エディト……」

優しい風貌から想像出来ない厳しい彼女が来ると知り、ユスティは世界の終わりの様な気持ちを味わっている。

彼女の優秀さは学園に通いだしてよく分かった。

学園の教師より分かり易く、何より知識があった。

専門的な部分を深く掘り下げていけば専門の教師の方が、という事はあったが学園で最優秀生徒やそれに準じる成績を取る生徒になろうと思わないのであれば、教師はエディト一人で十分なほどの知識がある。

カヴァネスとして十分すぎるほどの能力。さすがは隣国で最難関の学院を成績優秀者として卒業しただけの事はあった。

「ユスティ、エディトが適任なのよ」

優しく論するのはカルロッテ。

手紙を受け取り確認したユスティがホールから動かないのを見かねて声をかけてきた様だ。

「ハイルちゃんには女性の方がきっといいのよ」

「そっか、ハイルのためか。ならいいかな」

あっさり切り替えたユスティは「ハイルに教えておくね」と言ってさっきまでの顔はなんだったんだと言いたくなる様子で階段を駆け上がっていく。

この調子だとハイルを引き合いに出せばなんだってやりそうだ。

遠ざかる足音を聞きながら

「あのこのアレは、一体どこからきたのかしら?ハイルちゃんのことと、関係があるのかないのか……どちらでもいいけれど、二人が悲しまなければいいわ」

まだ精神的に不安定なところは多くあり、訳もなく泣いたり、夜になればうなされたりして死人の様な表情になる事もあるハイル。

それでも錯乱しないのはユスティのおかげなのではないか、とカルロッテは考えていた。

カルロッテから見ても同じ歳とで、ハイルはユスティと柔らかい顔で話す様になってきている。

もしハイルの加護なしのせいで二人が悲しむ様な事があればと思うだけで、カルロッテは辛い気持ちになった。

感情移入しすぎだと言われてしまっても、あのハイルを見ていれば少ない時間であってもこうなっておかしくないと彼女の母性が訴えている。

加護なしが呪われていると思っていないのも要因の一つだろうが、それにしたってあれはひどい。

実の両親、家族が率先して行っていたという事実に悍ましさで吐き気すら覚えた。

加護なしの真実が早く判明すれば良い。そう思い願い、神に祈った。

ハイルはハイルの知らないところで、多くの人間に庇護されている。


「ハイル!」

「あ、ユスティさま」


ノックもせずに入ってくるユスティには

そもそもハイルはノックされた事もない。今まではノックなんてなく突然現れ暴力を振るわれていたのだ。ノックの“存在”もマーサのおかげで知った様なものである。

ユスティは部屋に入るとそそくさとベッドの足元に椅子を運び、そこに座った。

いつも同じ場所。

足元に椅子を置いて座ればハイルが上半身をひねる必要がない。上半身を大量のクッションで支え起き上がっている状態のまま、お互いの顔を見て話せる。

手の届かない場所にいるのは寂しいが、ハイルへの負担が少ないだろう事がユスティには大切だった。

「今日はどうしたんですか?」

「今度、俺たちのガヴァネスがくるよ」

「が&《《x3094;ぁねす?」

聞いた事のない単語で発音が拙いハイルに「ガヴァネスだよ」とゆっくり発音を伝えた後

「女性の家庭教師かな」

「家庭、教師……」

「大丈夫だよ。マーサみたいに優しい人だから」

ハイルの顔が安堵に変わった。ユスティはそれで気がつく。きっと家庭教師にもいい思い出がないのだ、と。

(いや、そもそも人に対していい思い出もなさそうだ)

ユスティはそう思い直して

「俺、もう少し学校休むんだ。だから勉強しろって。ついでにハイルもね」

「べんきょう……たのしい?」

またしても不安な顔に変わってしまったハイルにユスティは慌てた。

嫌だなと思う自分の気持ちで、ハイルの気持ちを変えたくなかった。

面白い事、興味があるものすらないだろうハイルには、先入観なしでさまざまな事を知って見て体験してほしいとユスティは随分ちゃんとした気持ちを持っている。

──────夜空にあれだけ感激してくれたハイルに、もっとキラキラしたものがある事を教えたい。

そう思うユスティは『勉強が怖い』とハイルに思ってほしくなかったのだ。

「うん、楽しいよ。夜空のキラキラを知った時みたいに、きっと驚くものを見たり知ったり出来るよ!」

「夜空のキラキラ……うん」

あの時の胸から鼻に何かが抜けてツンとしてグッときたものを『感動』と教えてくれたのはユスティだ。

怖い夢に泣いて起きた時、マーサがずっと撫でてくれて大丈夫だと言ってくれた時に生まれた気持ちは『安心』だと、カルロッテが読んでくれた絵本で知った。

この世界には自分の知らないキラキラして温かいものがある。ハイルはやっと、16年生きてきてやっと『喜怒哀楽』を知ったと言っていい。

喜び楽しさを知って、あれが恐ろしく悲しい事だったと本当のところで実感したと言うのだろうか。ハイルはそういう気持ちを、今はまだ自覚はないけれど気が付いたのだ。


「たくさんのことを知って、俺にそれを教えてね」

「はい」


キラキラ輝く目が嬉しそうに弧を描いた。

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