第3節『小さなカリギュラ討伐隊』
『タマン地区』の宿を出てから、街道沿いにかれこれ2時間近く歩いたであろうか。あたりは相変わらず厚い雲と白い
遂にはその獣道も潰えて、3人は完全に森の中へと踏み込んでいく格好となった。足音は、ざくざくと落ち葉を踏むものに変わり、腐葉土の匂いがその嗅覚を捉え始める。カレンが、地面に足跡のようなものを見つけたのはその時だった。
「これを見て。」
その指が示す先には、およそ人間のものとは異なる、長さにして50センチはあろうかという巨大な足跡が刻まれている。しかし、その形は人間のものに似ており、いかにも巨人の足跡という様子であった。
「この辺りにいそうね。十分に周囲を警戒しましょう。」
そう言うシーファの言葉にリアンは怯え、あたりをしきりに見回している。カレンが見つけた足跡を辿るようにして、少女たちは更に森の奥へと踏み込んで行った。木々の遥か上の方の枝では、鳥たちが何やら賑やかな鳴き声をあげている。カレンは、道に迷うことのないようにと、目印にできそうな大きな木を見つけては、そこに魔法の呪印を刻んでいた。その慎重な準備の良さは
更に奥へと踏み行っていくと、腐葉土のものとはまた異なる、動物的な糞尿の匂いを織り交ぜた不快な臭気が、
3人は、一層警戒を強め、おのおの得物を取り出して身構えては、不測の事態に備えながら、ゆっくりと一歩ずつ足を繰り出して行く。そうして進み行く3人の視界に、やがてひとつの大きな人影が捉えられた。探し求めたその巨人は、森の真ん中でひとり
近くの岩陰に身を隠しながら、3人はその動向をじっと見守る。
「あれね。」
そう言うシーファに、
「どうやら間違いないようです。」
カレンがそう答えて見せた。リアンはいよいよ恐怖で肩を震わせている。
「大丈夫よ。」
小刻みに振動するその小さな肩に両手を置いた、シーファはリアンの顔を見た。それは今にも泣きだしそうな相貌を滲む涙とともに浮かべていたが、シーファの微笑みを見たことで、いくばくかの冷静を取り戻すことができたようである。
「でも、どうしますか?」
カレンが作戦を問うた。
「そうね…。まだ気づかれていない今がチャンスと言えばチャンス。奇襲をかけて一気に勝負をつけるというのはどう?」
シーファそのように状況を分析してみる。
「悪い選択ではないと思いますが、せめて先に動きを止めるようなことはできないでしょうか?」
対象的に、カレンは慎重な姿勢を崩さない。
「動きを止める、か…。そうね。それなら、やっぱり奇襲が一番よ!」
そう言うが早いか、シーファは砲弾火球の術式を、法具を用いて引き出し、目の前の巨体めがけて複数の強力な火球を繰り出した。
『火と光を司るものよ。法具を介して加護を求めん。水と氷を司るものとともになして、わが手に力を授けよ。火と光に球体を成さしめて我が敵を撃ち落とさん!砲弾火球:Flaming Cannon Balls!』
十分に輻輳を効かせたのであろう、その威力は高く、速度も早い。3発ほどがカリギュラの巨体を捉えると、その巨躯は
巨大なる存在は身体の向きを変えると、ゆっくりと3人の少女たちを見据えた。見つかってしまった!そう思った刹那、その巨体は右手に携えた石造りの巨大メイスをゆっくり持ち上げると、勢いよくそれを振り回し始めた。複数の木々に衝突しては、それらをなぎ倒していく。けたたましい音がして、倒木が大地を揺らした。
「きゃあぁぁぁぁぁぁ!」
少女たちは岩の後ろで身を固く、小さくする。あれほどの巨躯が振り回す巨大な石塊のメイスである。直撃すれば即死は必至だろう。少女たちの間に、一気に緊張が高まった!カリギュラは得物を高く掲げながら、ゆっくりと3人に近づいてくる。どうやら、すでに召喚者の制御は完全に失われているようで、魔法生物の本能のままに、外敵を排除しようとしているように見えた。
「あぶない!散って!」
シーファの掛け声とともに、3人はそれぞれ三方に素早く身をかわした。刹那、先刻まで3人が身を隠していた岩に巨大なメイスが直撃して、それを粉々に砕く!間一髪だ。3人はカリギュラを取り囲むように位置取って、魔法を繰り出していった。
『水と氷を司る者よ。法具を通して加護を求めん。我が呼び声に応えよ。水流を圧して力と成せ。いまそれを解き放たん!加重水圧:Hydro Pressure!』
リアンが、その巨大な背中に向けて高圧水流を解き放つ。圧縮されたその水塊は、その背にまっすぐ命中して、眼前の巨躯を大きく前につんのめらせた。間髪入れずにカレンも詠唱を始める。
『天候を司るものよ。法具を介して加護を請わん。わが手に閃光をともせ。雲を呼び集めよ。雷光をもってわが敵を打ち払わん!雷:Lightning!』
人為のオパール製のワンドからほとばしるその雷は、前のめりになったカリギュラの胸元を捉え、今度は反対に大きく後ろ手にその身体を反らせた。そこ機を見出したシーファは、立て続けに高出力の『火の玉:Fire Ball』の術式を繰り出す。高温の巨大な火球がカリギュラの頭部に命中すると、その巨躯は周囲の空気をすべて振動させるような大きな悲鳴を上げて、片膝をついた。
やった!!
しかし、そう思ったのは束の間で、巨人はすぐに立ち上がるや、その大きなメイスでシーファの身体を思い切り薙ぎ払った。すんでのところで防御障壁の展開が間に合ったため、直撃こそ免れることができたが、彼女の小さな体は後ろ手に大きく吹き飛ばされ、彼女は立ち木に背中を強烈に打ち付けてしまった。背中を通して呼吸器を襲うその衝撃で息ができない。全身が激痛に襲われる。損害の大きさは相当なものだ。そこにカレンが駆けつける。
「大丈夫ですか?」
背中を強打した影響で、シーファは話すことができない。
「待っていてください。」
『生命と霊の均衡を司る者よ。法具を介して助力を請う。傷を癒し、安らぎを与えん。癒しの光:Healing Light!』
回復術式を用いてシーファの傷を癒そうとするカレン。シーファはようやく息ができるようになった。身体の痛みも幾分かは軽くなったように思える。
「ありがとう。」
彼女がそう言いかけた瞬間、カレンは、今度は横手に思いっきり飛んだ。巨大なメイスがリアンを捉えようとしていたのである。ギリギリのところでその小さな体を腐葉土の上に横倒しにして、なんとか直撃を免れた。カレンは体を起こして、リアンを立ち上がらせるが、その瞳は大きく恐怖に震えていた。
カリギュラは、仕留め損ねたカレンとリアンの方にゆっくりと向きを変える。その時だ!巨人はちょうどシーファに背中を向ける格好になった!!
今しかない!
そう思うや、咄嗟に魔力拡張したエペを握り直すと、シーファは背後を向けるその巨体に飛びかかり、得物をその右脚に勢いよく突き立てた!!カリギュラは、再度大きな悲鳴を上げるとその場にひざまずき、痛みに
「今よ!!」
シーファの声に合わせるようにして、カレンとリアンは動きの止まったカリギュラに向けて矢継ぎ早に術式を繰り出した。カレンの撃ち放った電撃は、その巨躯を捉えてしびれさせ、痙攣によって大きな頭をもたげさせる。その頭部をリアンの繰り出した複数の氷礫が間髪入れずに繰り返し殴打して、遂にその頭蓋を割ることに成功した!巨人は、その割れた額から地面に崩れ落ちるようにして倒れこみ、それきり動かなくなった。
3人は、その周囲で膝をつき、肩で大きく息をしている。なんとか仕留めることはできたが、本当にギリギリだった。古城以来の恐怖が3人の少女を襲っている。まだ緊張が解け切らない中で、カレンの通信機能付光学魔術記録装置に着信があった。マジック・スクリプト《発信相手を示す番号のようなもの》は知らない相手のものだったが、応答すると、その相手はリリー店長でからのものであった。
「あんたたち、大丈夫なの?」
そういうリリーの声を聞いて一気に安堵したのか、3人の身体から力が抜ける。
「ええ、大丈夫です。今、ちょうどカリギュラを仕留めたところです。」
「そう、すごいじゃない。で、怪我なんかはしてない?」
「シーファが負傷しましたが、治癒を終えました。もう大丈夫です。」
「そう。それはよかった。」
「それで…。」
安堵の声をこぼすリリーに対し、カレンは、カリギュラのその哀れな遺体に視線を移しつつ、質問と懸念を発した。
「この巨大な身体を、私たち3人で運搬することはできません。血清を錬成するには、どうするのがいいですか?」
「そうね。どこか適当に身体の一部を切り取って持ってきてくれるというのでもいいんだけど、もし『転移:Magic Transport』の術式が使えるなら、全身をここまで送ってちょうだい。あて先は、このマジック・スクリプトのところで大丈夫よ。全身が手に入れば、十分な量の血清を作ることができるわ。」
リリーはそう提案した。
「わかりました。試してみます。それにしてもどうしての私のマジック・スクリプトが分かったのですか?」
不思議に思って、カレンが訊ねてみる。
「あたくしを誰だと思っているのかしら?これでもいろいろと精通しているのよ。」
リリーは、それだけ言うと、一方的に通話を切ってしまった。
さて、3人の中で『転移:Magic Transport』の術式を修得しているのは、今のところリアンだけである。彼女は最後に高出力で『氷礫:Ice Balls』の術式を使用したことにより、ずいぶんと魔力を消費してしまっていた。3メートルを超えるこの巨躯を魔法で転送するということになると、更に多くの魔力を要するのは必至であった。そこで、シーファとカレンの二人はは、リリーから預かった急速魔力回復薬を、まずリアンに飲ませて、彼女を少し休ませることにした。やがて、魔力が戻ったことを示す魔法光がほんのりとリアンの身体に灯る。
「じゃあ、お願いね。リアン。」
シーファがそう呼び掛けるが、リアンはその術式の制御になんとも自信がないようだ。
「大丈夫よ。きっとうまくいくわ。」
そう言ってカレンも激励した。
二人の言葉を受けて、リアンは小さく頷くと、
「こんなに大きなものを転送したことないけど、やってみるですよ。」
そう言って詠唱を始めた。
『時と空間を司る者よ。法具を介して助力を請う。我が目前にある者を指し示す彼方に転送せん。転移:Magic Transport!』
詠唱が終わると、まばゆい魔法光がカリギュラの遺体の全体を包み、その色を複雑に輝かせた。やがて、その巨躯は足先から光の粒となって中空に消え始め、最後には、かち割られたその頭蓋も光の中に消えていった。どうやら転送は無事に成功したようである。
「やるじゃない!」
シーファがリアンの手を取った。カレンもその小さな体を後ろから抱きしめている。
「できたのですよ!」
リアンも、嬉しそうに声をあげた。彼女は十分な魔法的素質を持ってはいるが、その精神的な未熟さも影響しているのであろうか、魔法制御が著しく苦手で、特に出力制御には多くの課題を残していた。しかし、少しずつではあるが、確実な成長を見せていることは間違いないようである。
* * *
「他の魔法生物がまだいるかもしれないわ。早くここを離れて急いで『タマン地区』に戻りましょう!」
そう言ってシーファが立ち上がった、その時だった。
「もし…。」
森の奥から3人を呼び止める声が聞こえる。こんなところに人がいるとすれば、それは『裏口の魔法使い』と思って間違いない。3人の間に一気に緊張が戻る。声の方を振り向くと、そこにはローブをとフードで顔をしっかりと隠した魔法使いらしい人物の姿があった。
「あなたたち、あのカリギュラを仕留めるとは大したものだねぇ。その力を見込んでひとつ頼みがあるんだが、聞いてみちゃあもらえまいか?」
どうやら、その声に敵意はないようである。
「あなたは、どなたですか?」
訝しがって訊ねるカレンに、
「私のことなんてどうでもいいじゃあないか。もちろん只でとは言わないよ。この『真石ルビーのレイピア』をあげるから、頼まれておくれよ。」
その手に握られていたのは、柄の部分に大きな真石ルビーを配し、そこから刀身の真ん中にまばゆい魔法光をほとばしらせる、それはそれは美しいしつらえの細剣だった。
「あんた、せっかくのエペを折ってしまっただろう。それでは、この先、さぞかし不便だろうて。さあ、悪いことは言わないよ。頼まれておくれな。」
そう言うが早いか、その人物は背後から大きな包みを取り出した。
「それは?」
シーファが訊ねると、
「これを『アーカム』に届けてほしいんだ。今、これを必要とする人がいてね。私は事情があって市街区に戻ることはできないんさね。お願いだよ。」
そう言うと、魔法使いは荷をカレンに無理やりよこし、それじゃあといって、シーファに先ほどのルビーのレイピアを手渡した。
「これで、交渉は成立だからね。頼んだよ。」
そう言い残して姿を消そうとする人影に、カレンが声をかける。
「でも私たちは、その『アーカム』がどこにあるのか知りません。行き方を教えてもらえませんか?」
それを聞くと、魔法使いはなんとも意味深な言葉を残した。
「大丈夫。大丈夫。あなたたちが本当に運命の輪にとらわれているのなら、必ずやそれを知る者と
そう言い終わるか終わらぬかのうちに、魔法使いはまるで立ち消える煙のように、そこからいなくなってしまった。
「一体、何だったのかしらね。」
その美しいレイピアを見つめながらシーファが言う。
「いずれにしても一つ用事が増えましたね。とにかく『タマン地区』まで帰りましょう。」
そのカレンの言葉に、シーファとリアンは頷いて答えた。
陽はもうずいぶんと西に傾いていたが、それでもなお、夜までにはまだ時間があることを、鈍く
* * *
タマン地区にある宿屋に戻ってきたのは、それから2時間ばかり歩いた後のことである。陽は地平線のすぐ傍まで移動し、光線を茜色のそれに変えながら、なおも雲の裏で鈍い色を揺らしていた。
3人は、宿に入り部屋に向かうと、カリギュラとの戦いですっかり汚れたローブと服を脱ぎ捨てて、真っ先にシャワーを浴びた。あたたかいお湯が疲れた体に心地よい。お湯に溶けたシャボンの香りが浴室を満たしていく。汗とともに疲れもまた洗い流されるようだ。シャワーを終えた3人を、あたたかい食事が迎えてくれた。
その日のメニューは羊肉を焼いた料理に、種々の焼き野菜を添えたものであり、それに新鮮な野菜サラダとジャガイモのスープが添えられていて、3人の疲れた身体を存分に癒してくれた。
「まだ傷が痛みますか?」
シーファに訊ねるカレン。
「いえ、あなたのおかげでもう大丈夫よ。それにしても手ごわい相手だったわね。」
「本当に強敵でした。3人いて、かろうじて勝てたという感じです。」
「シーファがくれたリボンのおかげで、なんとかとどめを刺せたのですよ。」
リアンは、そう言うと頭のリボンをそっと撫でた。
「今日のあなたは大活躍だったわね。」
優しく微笑みかけるシーファ。リアンは照れくさそうにプレートの野菜をつついていた。
「明朝、ここを発ったらまっすぐにリリーさんのお店に向かいましょう。血清の錬成にどれくらいの時間がかかるのかわかりませんが、リアンのおかげで、既にリリーさんの手元にカリギュラの遺体があるはずです。それを考慮に入れれば、先生方がお戻りになるまでには十分に間に合うでしょう。」
カレンがそう提案する。
「そうね。賛成だわ。」
「あの魔法使いから預かった荷物はどうするのですか?」
リアンが小首をかしげて訊いた。
「そうね。あれはひとまず、学園に持ち帰って、先生方のご指示を仰ぎましょう。場合によっては荷の中を調べる必要もでてくるわ。」
シーファのその言葉に、ふたりも賛同し、今後の段取りが取り決められた。夏の夜はまだまだ始まったばかりであったが、3人は、その日一日の疲れから、もう眠気に襲われている。シャワーの心地よさと羊肉の美味がそれに拍車をかけていた。
「ちょっと早いけど、もう休みましょうか?」
そう言って、床に就くシーファ。。
「そうですね。」
「はい、なのですよ。」
カレンとリアンも、続いてその疲れた身体をベッドに沈めた。
朝方以来の重い雲は幾分なりを潜め、夜空にちらちらと星が輝いているのが窓からのぞき見える。明日も忙しくなりそうだ。そんなことを思う意識はすぐに夜の沈黙に飲み込まれていった。
* * *
あくる朝は昨日と打ってかわっての美しい晴天であったが、日差しと熱さは一層厳しさを増している。ぎらぎらと照り付ける太陽で肌が焼けそうであった。3人は預けていたすべての荷物を受け取った後、朝9時に宿を出て、リリーの待つ『スターリー・フラワー』へと急いで行った。サンフレッチェ大橋で裏路地の暗号を実行すると、いつもであれば気温がいくばくか下がるはずであったが、その日は周囲の暑さの方が勝っており、立ち込める霧とあいまってなんとも蒸し蒸しと、舌が出るような心持ちである。
店に到着して扉を開けたが、リリー店長の姿が見えなかった。おそらくは奥で血清の錬成をしているのであろう。3人は、戸口で挨拶をしてから、奥へと歩みを進めていった。以前と同じく、魔法具の陳列部屋の奥に広いホールが続いていて、その奥には『Jewelry Division』と『乙女のひ・み・つ』のコーナーがあり、従業員控室を経た更にその先がリリー店長の私室へとつながっていた。リアンは乙女のひ・み・つに興味津々であったが、そこがどういう場所であるのかを知っていると思しきシーファが、そんなものに関心を寄せてはいけないというふうにして、リアンの手を無理やり引いて奥へと進んでった。その後をカレンがついていく。
戸口をノックすると、
「おかえりなさい。どうぞお入りなさないな。」
そう言うリリー店長の声が3人を迎えたくれた。ドアを開けて中に入ると、そこは非常に
床には、その部屋にはどうにも不釣り合いな醜い魔法生物のむくろが横たえられている。その腕には管付きの針が刺されており、その管をたどると、おおぶりのフラスコにつながっている。そのフラスコに対してリリー店長がしきりに魔法を行使していた。
「
魔法の作業を続けながらリリー店長が言う。
3人はその言葉に従って、注意深くそのむくろを避けつつ、作業が行われている机の周りに集まった。
「今ちょうど血清を錬成しているわ。もうすぐよ。」
そう言うと、店長はそのフラスコから管を抜いて、別のフラスコに刺しなおした。むくろの血液と思しきものが別のフラスコをゆっくりと満たしていく。リリーは、先ほど魔法処理を加えたフラスコに、更にいくつかの水薬を加えて小刻み振った。するとその中身は、どす黒い赤色からオレンジがかった黄色に色を変えて、ほんのりと魔法光を放つようになった。
「できたわ。これが『カリギュラの血清』よ。」
そう言うと、店長は、血清を薬瓶に移してくれた。
「さぁ、これでご注文の品は全部揃ったわよ。他のものについては、店の方にまとめてあるから、一緒にお持ちなさいな。お見事だったわね。」
リリー店長は、3人の顔をまじまじと眺めた。
「ありがとうございました。すっかりお世話になりました。」
シーファが頭を下げる。
「いいのよ。あんたたちの先生方には大恩があるしね。それに、あなたたちの勇気と実力にも感動したわ。」
「そう言っていただけると励みになります。」
カレンも照れくさそうにはにかんだ。
「そう言えば、お嬢ちゃんたち。夏は忙しいの?」
ふと、そんなことを訊ねるリリーに、
「この子はウィザード科の代表選考試合を控えています。」
そうカレンが答えると、
「もうそんな時期なのね。でも、それが終わればしばらく夏期休暇でしょ。よかったらアルバイトにでもいらっしゃいな。歓迎するわよ。」
そう言って、リリーが微笑みかける。
「ありがとうございます。またきっとお会いしたいです。本当にありがとうございました。」
挨拶を交わしてからリリーに深々と頭を下げると、少女たちはスターリー・フラワーを後にした。その後ろ姿をリリーがあたたかく見送っている。
3人がアカデミーに帰着したのは、その日の昼下がりのことであった。夏の陽はまだまだ高く、容赦ない光で学内をまぶしく照り付けていた。石畳がその熱で焼けている。
3人は、さっそく『全学職務・時短就労斡旋局』の事務所に寄って、今回の任務について、口頭での報告を行った。同局の職員の言うところでは、本件については、ウィザードは書面での報告を求めているとのことであったので、3人は必要書類を預かって引き上げた。聞いたところでは、先生方はまだ戻って来ておらず、帰還時期はその時点で未定ということである。3人が調達してきた物品は、それまでの間、同局が慎重・適切に管理・保管してくれるとのことであった。
こうして、少女たちの新しい冒険がひとつ幕を閉じた。彼女らは見事無事に託された使命をやり遂げたのである。
そのころ先生たち3人は、リセーナ・ハルトマンを伴って『バレンシア山脈』に向かい、東の荒野を進んでいた。そこは、中央市街区のほぼ真北よりやや北東よりにそびえる険しい山脈で、『プリンス・ピーク』と呼ばれる一段高い尾根には、人の叡智を試すと言われる古の竜の住処があると伝えられている。その竜の瞳は、すべてを見通し、次元すらも超えて万物を眺めることのできる力を備えているとされていた。彼女たちは、今、その『竜の瞳』を求めんがために、その居場所へと先を急いでいるのだ。
東の荒野は夏でも強い北風が吹きつけ、中央市街区やその他の地域よりもぐっと気温が低かった。嵐と言うほどではなかったが、4人の旅人は襲い掛かる肌寒い北風に抗いながら、その日も北上を続けていた。山脈が近づくほどに気温は下がり、風はその強さを増していく。
夏の日差しは、北風に押し返されていた。
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