第3節『再戦と逆襲』

 年端も行かない少女アッキーナに、おしゃれの基本は何たるかを教授された3人は、その翌日、託されたあの勝負下着を身に着けて、辻々の警邏けいらにあたっていた。その日は、アカデミー前から進路を東にとってリック通りを北上し、クリーパー橋の高架下を移動している。ちょうど『アーカム』に至るために M.A.R.C.S. を辿るのに似た道筋だった。今日も雪は深く風が強い。吹雪くとまではいかないが、天候は荒れ、月は厚い雲の中に隠れていてた。星はちらちらとその瞬きを見せるが、冬の悪天候が3容赦なく3人に襲い掛かる。そんな中、ひとりそわそわしているのはウィザードだった。


「どうしたのよ?」

 ソーサラーが訊ねると、

「いや、あっちーんだよ。おまえらなんともねーのか?」

 そういってウィザードが毒づく。

「私は寒いわよ。外がこれだけ寒いってのに、中まで寒くて芯にいるわ。」

「私はなんだか身体が消えていきそうです。」

 ソーサラーとネクロマンサーはそう応じた。

 この服飾を身に着けていられるのは3時間。それ以上は身に危険が及ぶ。3人は慎重に時間を計りながら、警邏けいらを続けていた。クリーパー橋の高架を抜けて南大通りを南下するころにはちょうど時限を迎える。今日はひとまずそこまでになりそうだ。


「着替えてからもう少し警邏する?」

 そう訊くソーサラーに、

「おいおい、こんな真夜中に、通りのど真ん中で素っ裸になるってのかよ。勘弁だぜ。」

 そう言ってウィザードは首を横に振った。


 雪はどんどん深くなり、風もひっきりなしに鳴いている。熱かったり寒かったり、消えそうだったりと、三者三様の事情を抱えながら、クリーパー橋の高架下を過ぎて南大通りを南下していた。その日はマーチン通りを経ていないので、あたりが霧に覆われることはない。アーカムへ至る暗号は極めて精緻に機能していて、わずかでもその所定の道筋を外れると目印となる霧を生じることは決してなかった。


 南大通りを南下している途中、喧騒な事態に出くわした。

「あそこだ!」

「追え!」

 そんな声が聞こえる。

 その声のする方に駆けてみると、先日煮え湯を飲まされたあのローブの人影が『アカデミー治安維持部隊』と交戦しているのに出くわした。

 治安維持部隊も必死に対抗しているが、実力の差は明らかで、どんどんと戦況は悪くなっていく。

「こいつ、抵抗するな!」

 そう言って所持している錬金銃砲を発砲した。弾丸は命中するが、一向に効いている様子がない。そうこうしているうちにも、その影が繰り出す強力な魔法によって、たちまち窮地に追い込まれていった。

 3人はそこに駆けて行って、声を上げる。

「ここは『南5番街22-3番地ギルド』が引き継ぎます。怪我人を連れてすぐに退去してください。」

 その声を聞くや、治安維持部隊は撤退を始めた。

「すまない、よろしく頼む。我々の手には負えない。」

 そう言って引き上げを開始する治安維持部隊の面々。

「ここは任せてください!」

 こうして、再びそのローブの異形と対峙することになった。相手は禍々しい殺意に満ちている。果たしてこの勝負下着とやらがどこまで効果を発揮してくれるのか未知数だったが、残された時間がそれほど長いわけでもない。3人は各々その異形との距離をとって対決姿勢を鮮明にした。


 * * *


「このやろう。前回の借りは返してやるぜ。アッキーナ様直伝の勝負下着の威力を見せてやる!」

 それもどうなのよ、と言いたげなソーサラーを尻目に詠唱を始めるウィザード。


『火と光を司るものよ。水と氷を司るものとともになして、わが手に力を授けん。火と光に球体を成さしめて我が敵を撃ち落とさん!砲弾火球:Flaming Cannon Balls!』


 中等術式だが、根限り輻輳を効かせて、これでもかという数の火球を繰り出す。先日とは違い、今日は相手も回避行動をとってくる。明らかに直撃を嫌っているようだ。繰り出した火球の何発かが命中した!

 相手は大きく上半身をのけぞらせ、火球が命中した個所から火を噴きだし、その箇所が赤く燃え上がっている。

「効果があるぞ!」

 ウィザードが声を上げた!

「どうやら、アッキーナのアドバイスは間違いないようね!」 

 そう言って、ソーサラーが『氷刃の豪雨』の術式を詠唱する。


『水と氷を司る者よ。我は汝の敬虔な庇護者也。わが手に数多の剣を成せ。氷刃を中空に巡らせよ。汝にあだなす者に天誅を加えん!滅せよ。氷刃の豪雨:Squall of Ice-Swords!』


 数多の氷刃がその影を襲撃する。障壁を展開し、防御を図るが、いくつかの氷刃がその体を捉え、確実にそれを切り裂いた。

 低く、おぞましく唸る声が聞こえる。勝負下着の効果は確かで、基礎魔法威力を高めることにより、相手の耐性能力を上回ることができているようだ。そのローブの人影は見覚えのあるぎこちない動きを連続させながら、居住まいをただしてこちらに向き直った。

 その手に魔力が込められるのがわかる。


「来るわよ!」

 ウィザードはソーサラーのその声に呼応して『光の盾:Light Shield』の術式を展開した。相手は凄まじい勢いの雷撃を放出したが、どうにかそのすべてを遮蔽することができた。どうやら、勝負下着の効果は攻撃術式だけではなく防御術式にも及ぶようだ。

 その傍らでネクロマンサーが詠唱をしている。


『慈悲深き加護者よ。我が祈りに応えよ。その英知と力をその庇護者に授けん。我が頭上に冥府の門を開き、暗黒の魂を現世に誘わん。開門せよ!暗黒召喚:Summon Darkness!』


 彼女の頭上に冥府の門が開き、そこから多数の死霊が飛来する。ローブの人影は、前回と同じように対霊術式を行使した。一部の死霊はそれに飲まれて消滅するが、今回はそれに耐えるものも少なくない。やがて3、4体の強力なレイスがその人影にとりつき、ひとしきり格闘した。耳を破るような叫び声のたびにその人影を食いちぎり、引き裂く。人影はとても人間のものとは思えない、どす黒い血を噴き上げながら、手にした術具であろう剣で悪霊を薙ぎ払っていた。

 もう一息。そう思ってネクロマンサーは詠唱を重ねる。


『天候を司る者よ。我が手に暗雲をなせ。大気を帯電し、その力を解き放たん。我が敵を撃て!Thunder Cloud!』


 詠唱が終わるや、あたりに一層の暗雲が垂れ込め、そこから幾筋もの稲妻がそのローブの人影をめがけてほとばしった。それは『転移:Magic Transport』の術式を駆使した巧みな回避行動でそのほとんどを交わしたが、それでも幾筋かが確実にその身体を捉える。稲妻の命中したところからは閃光と炎がほとばしり、その影は明らかに怯んで狼狽していた。その身体からは、いよいよ炎が吹き出し、燃え盛らんばかりとなったが、その瞬間、その異形は『転移:Magic Transport』の術式を行使してそこから逃げ去ってしまった。


「ちきしょう。あと少しだったのに!」

 ウィザードが悔しがる。

「まぁ、撃退できただけでよかったわよ。」

 ソーサラーはそう言いながらも肩で息をしていた。

「それにしても、強いですね。今日はたまたまタイミングが良かったですが…。」

 そういって、ネクロマンサーもその場に片膝をついている。

「こちらにタイムリミットがある以上、そう何度もやりあえるわけじゃねぇ。早めにケリを付けねぇといけねぇな。」

 ウィザードは言い聞かせるようにそう言った。

「時間と言えば、今、何時?」

 ソーサラーが慌てて聞く。

「大変、もう1時20分を回っています。急いで着替えないと!」

「って、こんなところで真っ裸になるのか!勘弁してくれよ。」

 ウィザードが嘆いた。

「死ぬよりましよ。」

 そういって、服を脱ぎ始めるソーサラー。

「まて、まて、いくらなんでもやばすぎる。おい、死霊召喚してくれよ。そいつらを目隠しにしてくれ。」

「こんな夜中に誰も見ちゃいないわよ。とにかく寒くてたまらないわ。」

 そういってどんどん服を脱ぎ始めるソーサラーの周りを、ネクロマンサーの召喚した死霊たちが覆い隠すようにして集まってくる。3人は、着替えを済ませ、なんとか人心地ついた。

「この方法はリスクがありすぎるぜ。」

「確かにね。もうすこし抜本的な解決策を考えないと、今後やっていけないわね。」

 ウィザードの懸念にソーサラーもそう答える。

「とにかくも、ひとつ前進ではあります。」

 ネクロマンサーは静かにそう言った。

「これで、まったく対抗できないということはなくなりました。あとはもっと効果的な方法を探すだけです。」

 3人は深く頷いてから、リック通りまで撤退していた治安維持部隊に追いつき、状況を説明してから帰寮した。


 天候は荒れる一方で、改善の気配を見せない。冬の厳しさはまだまだ続いている。空はうなるように風の音をしきりに響かせていた。春はまだ遠い。


 * * *


 その翌日、3人の姿は『アーカム』にあった。

 今日の扉は押し開きで、少年アッキーナが3人を迎えてくれる。

「いらっしゃい。昨晩はご活躍だったみたいですね。」

 お茶を淹れながらアッキーナが言った。

「あなたが勧めてくれたあのアンダーウェアの効果は確かに間違いがなかったけれど、今後あいつとやりあうにはもう少し抜本的な対策が必要になるわ。」

 ソーサラーがそう告げる。

「そうですか。まぁ、確かに、3時間というのは便利が悪すぎますよね。あれをいつも着ているというわけにいかないわけですから。」

 アッキーナも、それは承知していたという調子で言った。

「なにかいい方法はないものかしら?」

 そう訊くソーサラーに、

「とにかくも、魔法下着は皆さんが思っているよりも重要です。呪われたものを身に着ける必要はありませんが、魔法力の拡張に優れたものを常に身に着けるようにしてください。」

 とアッキーナは答えた。

「それは今回のことでよくわかったわ。でも、今の私たちにはもう少し現実的な対策が必要なのも事実よ。」

 ソーサラーは、はっきりと現在の懸念を伝える。

「確かにそうですね。まあ、とりあえずはお茶を。今日は『ガリーニーデン』です。」

 そういって、彼は3人にお茶をふるまった。


 そのお茶は、にんにくのような辛みとショウガのような薬味の効いた独特のもので、ウィザードはとても飲めたものじゃないというような顔をしている。

「遠からず、あれとは再戦しなければならないわ。アッキーナ、何かもっといい対策はないかしら?」

 ソーサラーが訊いた。

「皆さんが、『禁忌術式』や『究極術式』を身に着けてくだされば解決なんですが…。」

 そういうアッキーナに、

「でも、そんなことをしたら、あたしら揃って退学だぜ!」

 ウィザードが食い下がる。

「ごめんなさい。わかっていますよ。困りましたね…。」

 そう言いながら、アッキーナはポットをゆっくりとゆすっていた。


「いらっしゃっているの?」

 奥から声が聞こえた。

「はい、おいでになられています。」

 その声にアッキーナが答える。

「すぐに行くわね。」

 そう言うと足音が近づき、奥から貴婦人が姿を現した。

「いらっしゃい。」

「お邪魔していています。」

 3人は貴婦人と挨拶を交わした。

「通り魔に手を焼いているようね。」

 アッキーナが淹れたお茶のカップを傾けながら貴婦人が話を始める。

「そうなんです。呪いの下着は確かに効果がありますが、いつでも使えるわけではありません。」

 ソーサラーはいまのところの状況を説明した。

 貴婦人はいつものように目を細めてから、

「いっそ、あなたがたも、裏口の魔法使いになる?」

 そう問うてきた。

「いや、それは…。」

 言いよどむ3人を前にして、

「ごめんなさい。ちょっと意地悪を言っただけよ。あなたたちにそんな無理を強いるつもりはないわ。」

 そういって、貴婦人はさらにカップを傾ける。彼女の言う、あなたたち「も」というのが少し気になった。

「実は、あなた方に立ちはだかっている相手は、とても強力なの。本当は、政府やアカデミーが中心となって対処すべき問題なのだけれど…。」

 言いよどむようにして貴婦人は続けた。

「残念ながら、今は彼らの協力を請うことは難しいわ。事態は深刻な局面を迎えつつあるの。そういえば、P.A.C.についてはまだお話ししていなかったわね?」

 3人はその言葉に、食い入るようにして聞き入った。

「P.A.C.とは、Production of Artificial Creaturesの略、つまり、人工生命体の製造ね。」

 驚くべきことを貴婦人はさらりと言った。

「マークスは、アカデミーから簒奪さんだつした遺体を、錬金術と魔法を用いて冒涜することで、そこから人為の生命体、いうなれば『人為の魔法使い』を錬成しているのよ。」

 お茶を一口含んでから貴婦人はなおも続けた。

「あなたたちが、これまで対峙してきた敵、ポンド・ザックの闇市や、P.A.C.商店、リリーさんのお店で戦ってきた相手はみんなその犠牲者の成れの果て…。」

 そう言うと貴婦人は大きくため息をついた。

「そして、『奇死団』の一件を経て『魂魄の結晶』を手に入れたマークスは、ついに究極の P.A.C.を開発することに成功したわ。先日来、あなた方が交戦してきたのはその究極の P.A.C.の中の一つよ。」

 3人は息を飲む。

「それはもうあらゆる点で人間を凌駕しているわ。いまや、正直呪いにでも頼らなければ、傷一つつけることはできない存在となっている…。」

 そう言って彼女は再び深いため息をついた。その美しい瞳は静かに虚空を見つめている。


「マークスの狙いは一体何なのですか?無差別殺人が目的とも思えないのですが…?」

 ネクロマンサーが貴婦人に訊いた。

「おそらく…。」

 静かに口を開く貴婦人。

「彼は、創造主になったつもりなのでしょうね。」

 それに続く言葉を3人は固唾をのんで見守った。

「おそらく、何か明確な目的があるというよりも、自分の力で生命を思うままにできるということ、それ自体が、今、彼の心を深く捉えてているのだと思うわ。自分の生み出した究極の生命が他の生命をむしばんでいく。そのこと自体を純粋に楽しみ喜んでいるのでしょうね。」

 貴婦人は驚くべきことを口にした。

「そんな、それって…。」

 ソーサラーが驚嘆の面持ちでこぼす。

「そう、狂気ね。彼、マークスは今、完全な狂気にとらわれているわ。自分は万能の創造主になったという幻想の生む狂気にね。」

 そう言うと、貴婦人はカップを空けた。

「あなたたちと、それから、この魔法社会それ自体が、とんでもない狂気との対峙を迫られているのよ。」

 貴婦人はそう言った。


「私たちに、私たちにできることはありませんか?」

 ネクロマンサーが声を震わせて貴婦人に訊いた。

「そうね、あなたたちにできることは、マークスを止めることだけ。でも、その力はあまりにも強大だわ。」

 3人は言葉を失う。

 しばしの沈黙がその場を覆った。

「アッキーナ、あれを持ってきて頂戴。」

 貴婦人が静かにその静寂を破った。

「かしこまりました、マダム。」

 そう言うと、少年アッキーナは奥に姿を消した。


「あなた方は正義をどのように考える?」

 貴婦人は難しいことを聞いた。

「正義ってのは、あれだろ。悪を挫いて弱きを助ける。悪辣あくらつを退けて、善を敢行するってやつだ!」

 ウィザードが自信満々に答えて見せた。

 貴婦人は、いつものように一層目元を細めてから、

「若いっていいわね。でも、その純粋さは嫌いじゃないわ。いいでしょう。あなた方に力を授けます。呪われたものではなく、本物の力を。ただし、それを決して私欲のために濫用しないとここで約束できるかしら?」

 不敵な笑みを浮かべて、そう言った。みな、突然の申し出に当惑を隠せない。

「正直なのはよいことよ。」

 そう言って、貴婦人はポットから自分のカップにお茶をついだ。


 店の奥からアッキーナが戻ってきたのはその時だった。その手には、いくつかの美しいティアラが携えられている。

「これがなんだかわかる?」

 貴婦人が訊ねた。

「『神秘のティアラ』ですよね?」

 ネクロマンサーがそう答える。

「あなた方に、本当に善を探求する意思があるなら…。」

 そういって、貴婦人はアッキーナの手からそのうちの一つを手にした。

「でもそれは、『終学:マスター』の位階を得るまでは、身に着けてはならないのでは?」

 アカデミーの規律についてネクロマンサーが懸念を表明すると、貴婦人はその言葉を受けて話始めた。

「力の資格って、いったい、なんなのかしらね?」

 3人は顔を見合わせる。

「私はね。思うの。それは形式ではないのだと。力を授かる資格とは、それにふさわしい意思を宿した時、そうではないかしら?」

 そういうと、その瞳に微笑みをたたえた。

「あなたがたは、この魔法社会のために、というより、あなた方の心の中にある善のために力を尽くしたいとは思わないかしら?」

 突然の問いに狼狽する3人。


「その善っていうのは、こうありたいとか、こうあるべきではないとか、そう思う心のことか?」

 ウィザードが訊ねた。

「そうね、それは近いわね。それで、あなたは『どうあるべき』だと思うの?」

 貴婦人は問う。

「あたしは、よくわかんねぇけど、自分が嫌なことを相手にするのはなしだと思うぜ。誰もがそれを守っていれば、きっと苦痛は減るはずだ。」

 「いいわね。」

 貴婦人が目配せすると、アッキーナはウィザードにティアラを差し出した。

「これをあなたに。」

 そう言って、それを手に取るよう促した。『真石ルビー』の見事なティアラである。

「あなたはそれにふさわしいわ。」

 貴婦人は一言そう言った。


「あなたたちはどう?正義をどのように考える?」

 貴婦人がソーサラーとネクロマンサーに視線を送る。

「正義とは…。」

 ソーサラーが口を開いた。

「きっと人それぞれにあるもので、画一的に決まるものではないと、そう思います。でも、きっと、喜びや愛を増し加え、苦痛や悲しみを退けるもの、それが正義なのだと思います。喜びは人に活力を与え、生に導きます。その一方で、苦痛は活力を削ぎ、希望を損なうからです。人は、みな生に向かって生きる希望と責務を負っているのだと思うのです。その道筋に連なるものが正義ではないでしょうか?」

 貴婦人はその答えに満足したようだ。アッキーナにそっと視線を送る。

「これはあなたにふさわしいものです。」

 それは、『真石エメラルド』で彩られた、極上のティアラであった。

「遠慮はいらないわ。それを手に取って身に着けなさいな。」

 貴婦人はそう言って、身に着けるよう促した。


 ソーサラーは恐る恐るそれを受け取って、そっと頭上に据えた。彼女の美しい銀髪の上で、それは見事な輝きを放っている。


「最後はあなたよ?あなたにとって正義とはなに?」

 貴婦人はネクロマンサーに優しいまなざしを向けた。

 しばしうつむいてから、こぼすように答えた。

「ごめんなさい。正直私にはわかりません。でも、生きること、生き続けることは人間にとって大切なことだと思います。私たちは生まれたその瞬間から死を運命づけられ、いわば有限の時の中で、ある意味では無為な人生を紡ぐことを強いられています。しかし、その歩みは決して無意味なものではなく、喜び、悲しみ、怒り、愛情、そういったかけがえのない感情に彩られています。そのひとつひとつの経験、瞬間が人生の意味を形作るのだと、そしてそれらがその人なりの正しさを紡ぐのだと、私はそう思っています。」

 そういう彼女に、貴婦人はあたたかい視線を送った。

「正直なことはよいことです。迷いもまた人生の重要な要素。でも、その中であなたは確かに大切なことを掴みつつあるわ。」

 そう言って、アッキーナに合図を送った。

「これをどうぞ。」

 彼が、『真石パール』に輝くティアラをネクロマンサーの前に差し出すと、

「これは、あなたにふさわしいわ。」 

 貴婦人はそう言葉を添えて、それを手に取るよう促した。


 ネクロマンサーは、それを静かに頭上にいただいた。つややかな黒髪の上に、乳白色のティアラが放つまきとてりが、優雅に鎮座する。

「少し早いけれど、あなた方の新しい第一歩よ。」

 そう言ってから、貴婦人は3人の顔を眺めた。

「このティアラは呪いの品などではなく、本物の『神秘のティアラ』です。あなた方の魔法特性を大きく拡張してくれるでしょう。これからあなた方の前には、力の強い巨悪が立ちはだかります。いざという時は、これを身に着けてそれらと対峙しなさい。」

 その言葉を聞きながら、3人は、頭上に輝く『神秘のティアラ』を静かになでていた。


 『神秘のティアラ』とは、上等位階、すなわち高等部を卒業して『終学:Master』の位階に進んだものだけが身に着けることを許される、いわば修行修了の証であった。実際は、各々が魔法具店で、めいめいの懐事情にあうティアラを購入するのが魔法社会の習わしであったが、その場合には、真石を配したティアラはあまりに高価すぎて、まず手にすることはできなかった。しかし、貴婦人は、その成長の証として、真石をあしらった本物のティアラを、3人のために用意してくれていたのである。これで、下着の着用時間に煩わされることなく、各々の力を存分に引き出すことができるようになるだろう。


「それは、あなたたちがこれまでに様々な困難を乗り越えて、立派に力を獲得した証です。アカデミーでそれを身に着けるのは、学則上いろいろと問題があるでしょうけれど、必要な時にはそれを頭上にいただいて、信じる道をお進みなさい。」

 そう言って、貴婦人は3人に優しい視線を送った。


 * * *


「さあさあ、せっかくですから、鏡をごらんなさいな、っと。」

 そういって、少年アッキーナが鏡を持ってきた。3人は『神秘のティアラ』を頭上にいただくそれぞれの顔を見て、照れくさそうにしていた。


 その時である。

 普段は滅多に訪れる者のないアーカムの入り口を、乱暴に打ち破る轟音が響いた!


「やっと見つけたぞ!」

 聞き覚えのある声がする。

「こんなところに隠れていたのか。面倒な暗号を張り巡らしおって。」

 その声はマークスのものだ。

 3人と、そしてアッキーナ、貴婦人が入り口を見やると、そこには、異形の存在を伴ったマークスの姿があった。


 彼は、彼女たちを見据えて言った。

「これはこれは。これまで私の崇高なる研究をたびたび邪魔してくれた面々が勢ぞろいではありませんか。好機とは実にこのことですな。」

 そう言ってなんとも嫌な笑顔を浮かべる。

「その上に、かの失敗作もご同席とは!これはいい!!」

 それを聞いてアッキーナが渋い顔をした。

「君たちのおかげで、私の研究は思いがけない時間を要することになった。しかし、同時に君たちが道化を演じてくれたことで、奇しくも完成にこぎつけることができたのだよ。その礼だけは、たんとさせていただかなければならんだろうなぁ。どうか心ゆくまで、私のこの素晴らしい研究の成果をその身で堪能してくれたまえ!」

 彼がそう言うと、その背後から甲冑とローブに身を包んだおぞましい存在がゆっくりと姿を現した。


「ある意味、君たちのおかげで完成した究極の P.A.C.:人為の魔法使いだよ。その成果を確かめるための被検体には、君たち以上の存在はないと、そう思ってね。ずいぶんかかったが、ようやくここを突き止めることができた!さあ、歓迎してくれたまえ!!」


 その究極体なるものがゆっくりと前に歩み出てくる。

 3人は、ティアラを着けたまま、椅子の背に掛けてあったローブをさっと身にまとい、それと正面から対峙した。通り魔は、ここ『アーカム』に至るための道筋を夜な夜な探していたのだ。そして、ついにあのコイル巻きの暗号を解読して、今、ここに立ちはだかっている!マークスとの直接対決時がついに到来した!


 両者の間の空気が鋭く張り詰めていく。

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