第3節『真実』

「君たちが探しているのはこれかね?」

 重厚なローブを身にまとったその声の主は、静かに振り向くと、手にした何か大きなものをこちらに投げてよこした。ドサリという音とともにそれはそこに横たわる。

「マークス!」

 ウィザードの声が響いた。床に横たえられたのはマークスの身体で、それはすでにこと切れている。

「どういうこと!」

 ソーサラーも驚きを隠せない。

「あなたはいったい誰なのですか!?」

 問いを向けるネクロマンサー。


「私かね?」

 そう言って、その人物はフードに手をかけた。

「確かに、君たちには真実を知る資格がある。」

 そう言って、声の主は重苦しいフードを後ろ手に送った。その姿を見た3人は驚愕のあまりに息を飲む。ただウォーロックだけはなおも静かにその姿と対峙していた。

「教授!」

 茜色の瞳を見開くウィザード。

「驚いたかね?」

「あなたが?あなたが、最高評議会議長なの?」

 そう訊ねるソーサラーに、男は応えて言った。

「そうだよ。様々なことに合点がいったかね?」


 パンツェ・ロッティがアカデミー最高評議会の議長だった。彼が、その若さで非常勤理事として最高評議会に出入りしていたこと、どう考えても覆りようのない告発を退けたこと、学内においてマークスの試みが露見しないよう巧みに隠蔽したこと、その背後で、アカデミーの様々な機関を用いた組織的悪事を巧妙に実行できたこと、彼が最高評議会議長であるというその事実は、様々な点と点をつぶさに結んでいった。


「君たちは私のことをただの好事家の無能だと思っていただろう?」

 その言葉にウィザードが眉をひそめる。

「君たちがそう認識してくれたことで、私の計画は実に進めやすくなった。感謝しているよ。」

 そういってパンツェ・ロッティはほくそ笑んだ。

「でも!でも、あんたはそれなりに教育熱心だったはずだ!それがどうしてこんなこと、こんな酷いことを?」

「こんなこと、というのは学徒の『天使化』のことかね?」

 教授は意味深な問いを発する。

「決まってるじゃねぇか?あんたは学徒を色目で見ることはあっても、危害を加えるような人じゃあなかったはずだ!」

 声を震わせて、ウィザードは詰め寄った。彼女は彼女なりに上司のパンツェ・ロッティに信頼を寄せていたようだ。

「危害?今、君は危害と言ったかね?」

 声ににわかに険しさが乗る。

「心外だな。私が目指しているのは魂の浄化と神秘に満たされた人の再生、そして、それに基づく世界の再構築だよ。」

 そう言う彼の瞳には、真剣さと狂気の色が綯交ぜに同居していた。

「何を言っているんだ!あんたのやってることは、ただの非道じゃぁないか?学徒達を愛しているのなら、あんな惨いことはできないはずだぜ!」

 ウィザードは今にもつかみかかりそうな勢いだ。ソーサラーとネクロマンサーも言うべき言葉を探している。

「愛、愛か…。」

 パンツェ・ロッティは視点を天井に向けた。


「私は君たちの若く可能性に満ちた美しさを心から愛しているし、その愛が、純粋な内なる霊から導かれるものだと信じていたかった。しかし、しかしだ!その感情には、常にこの肉体が呼び覚す、どす黒く汚らわしい欲望が付きまとうのだ。私は君たちの、その美しい姿を、またその素晴らしい素質と未来を、劣情によってけがしたり傷つけたりしたくはなかったのだよ。」

 何か、自責と後悔のようなものをにじませた言葉を紡いでいく。


「これを、見たまえ。」

 そう言うと、ローブのポケットから何ものかを取り出して、4人の前に投げてよこした。

「これは?」

 じっと見入る4人。それは、干からびた、何か人間の身体の一部を切断したような雰囲気のものであったが、直ちにそれが何であるかを了知することはできなかった。

「それは、かつて私の身体の一部だったものだ。」

 4人はハッとする。

「君たちの秘める大いなる魅力が、いかに私の感覚と肉体を捉えようとも、絶対にしてその劣情を発揮できないようにするために、私は自ら去勢したのだ。」

 4人の驚愕をよそに言葉はさらに続いていく。

「しかしである!身体をどうにかしただけでは駄目であった。真に肉欲のもたらす劣情を離れ、魂のけがれを取り去って精神の清廉を獲得するためには、私は神にならなければならぬのだ!そのことに気づいてしまった。すなわち、無垢で万能な霊性と魂を手に入れぬ限り果たせぬものであるのだと…。」

 もはや、彼の言葉は意味の分からないもののように感じられた。

「そのためには、天界の秘宝に触れ、天使を通じて真理そのものの神秘に触れるが必要があった。そしてその準備は、否応なく当然に求められることとなる。しかし、ついに!私は、人間、アンデッド、天使という輪廻を経ることで、霊的に穢れのない究極に純粋で無垢な魂をもつ、全く新しい生命体を錬成するその方法にたどり着いたのである。」

 その声が、俄かに神聖な荘厳さを帯び始める。

「君たちには、もはや私を止めることはできない。」

 そう言うと、彼は視線を天井から4人に差し戻した。


 * * *


「そのために、学徒達を犠牲にしたというのか!マークスという協力者を使って!」

 怒りを露わにするウィザード。

「協力者?協力者と言ったかね?こんな下賤を、私のこの崇高な理念の協力者などと思ってもらっては困る。確かに、手法が残酷であったことは認めよう。しかし、この男はただの駒にすぎん。」

 そう言って、パンツェ・ロッティはマークスの哀れなむくろを一瞥した。

「そうだな…。君たちには紹介しておくべきであろう。私の大望に手を貸してくれた真の協力者を。それはこの女性ひとだ。君たちも面識があるのではないのかね?」

 そう言って、奥の『至聖堂』に通じる扉に向かって呼びかける。

「入りたまえ。」

 静かに扉が開いて、奥からひとりの人物が姿を現した。


「リセーナさん!」

 ソーサラーが思わず声をあげた。そう、その姿はリセーナ・ハルトマンのものだった。

「リセーナさん、どうしてあなたが?」

 ネクロマンサーは激しく動揺している。

「どういうことだよ?あんたは子どもたちを助けようとしてくれていたんじゃねぇのか?」

 ウィザードはまっすぐにその疑念をぶつけた。


「あなた方をだますつもりはなかったのだけれど…。」

 申し訳なさそうに言うリセーナ。

「結果的にはそうなってしまったわね。ごめんなさい。」

 しかしその言葉とは裏腹に、彼女の顔にはある種の決意が浮かんでいた。

「わかんねぇよ。あんたは実際、シーファたちを助けてくれたじゃねぇか!子どもたちを救うのが目的だって!」

 そう迫るウィザード。

「子どもたちを救うというその言葉に嘘はないわ。」

 しかし、リセーナもきっぱりと言い切った。

「どういう意味だよ!だって…。」

「子どもたちを霊の穢れから解放して、そこに全き善なる魂を与え、その未来を喜びと幸福で満たすこと。それが人にとっての究極の救済であると、私は信じているわ。だから、それを実現する彼にすべてを賭けることにしたの。」

 その言葉には強い意志が感じられる。

「あなたたちも、彼の純粋な決意の証を見たでしょう?」

 そういって、床に打ち捨てられたかつてパンツェ・ロッティだったものを見た。

「彼は美しい魂の持ち主よ。あなた方に、学徒達に向けるその愛は本物だわ。」

「わかんねぇよ!」

 吐き捨てるようにウィザードが言う。

「そうね、理解は難しいかもしれないわね。」

「どういう意味だ!?」

「だってこれは、精神の問題ではなく、魂にかかわることだもの。理解と認知を越えた、霊の純潔、そして魂の救済の話。まぁ、そう言ってもきっと通じないのでしょうね?」


 3人は大いに困惑している。ウォーロックだけが、目を伏せて静かに彼女の話に聞き入っていた。


「リセーナ、もうよかろう。私たちが目指していることの真実を見れば、彼女たちにももしやその意味が分かるかもしれない。言葉は無力だが、霊と魂は有力だ。」

「そうですね、あなた。」

 そう言うと、リセーナは彼にその身を預けて、胸元に一つの法石を掲げた。

「はじめよう、リセーナ。霊の純潔と魂の解放のために。善と喜びに満たされた新しい世界をともに創り出そう。」

「はい。」

 そう言うと、リセーナは術式を詠唱し、その法石の中から1つの卵様のものを抽出した。それは、これまで目にしてきた『人為の天使の卵』とは似て非なるもので、地下施設でウォーロックが最後に魔術記録に収めた、まさにそれであった。


「リセーナ、君は僕の最後の希望だ。」

「わかっています、あなた。必ずやきっと…。」

 リセーナがその卵を胸元に掲げると、その殻が割れ、おぞましいものがそこから姿を現す。


 リセーナは大きく一息つくと、その卵の中身を一気に飲み干した。その瞬間、おびたただしくまぶしい魔法光が彼女の胸元を中心に広がって、その身に転身をもたらしていく。それは、ウォーロックや他の3人の先生たちを天使に転身させたときと似ていると言えば似ていたが、しかし、そこここに不穏な輝きを垣間見せていた。やがて、その光とも影ともつかない魔法光のほとばしりの中から、かつてリセーナだった者が姿を現してくる。


 神々しさと禍々しさが同居するその姿は、美しい悲壮をたたえていた。彼女がその手をパンツェ・ロッティの胸元に置くと、まばゆい魔法光とともに魔法陣が展開し、そこから何かがせり出してくるではないか!彼女は愛しむように両手でそっとそれを取り出した。パンツェ・ロッティは苦悶とも悦楽ともつかない表情を浮かべてそれに耐えている。やがて、リセーナは自身の胸元に両手でそっとそれを抱いた。それは小さな魔法の鍵であった。


 * * *


「では、行こう。」

 4人に背を向けると、パンツェ・ロッティはリセーナを伴って、静かに至聖堂の扉を押し広げた。その先には、まだ誰も見たことのない神秘の空間が広がっている。

「この先は、もはや喜びのための他に涙を流す必要のない、まったく新しい世界に繋がっている。君たちも来たまえ。」

 そう言うと、彼は4人についてくるよう促した。彼女たちは息を飲んで彼と歩みを共にする。


 アカデミー内では、最高評議会の議事堂の奥に至聖堂があることだけは知られていたが、そこに入れるのは最高評議会議長ただ一人で、その他の誰も、その内部を覗き見た者はない。また、その扉の開け方を知っているのも議長だけであった。


 ゆっくりと至聖堂の中に歩みを進めていく。

 そこは、入り口付近こそ見慣れたこの世界の聖堂であったが、最奥の壁面は大きく切り抜かれており、そこはに、明らかにこの世界とは次元の異なる全く別の空間が、神秘の顔をのぞかせていた。それは無限の空のようでもあったが、妖しい魔法光が渦巻いているほかに星々などは存在しない、不思議に満たされた高次元の空間である。


「見たまえ。この世界の始まりと終わり、生命と時間の神秘にまつわる全ての源があそこにある。」

 教授の指し示す先を、その場の全員が見入る。


「さあ、リセーナ始めよう。魂の救済を、世界の再生を。」

「はい。」

 リセーナはパンツェ・ロッティの身体から取り出した鍵を掲げて、その神秘の空間に向かって飛び立とうとした。


 その時だった。


「だめよ!いまならまだ間に合う。その鍵を使うことは、あなたの存在と引き換えなのよ。わかっているのでしょ!」

 初めてウォーロックが声を発した。リセーナは優しい笑みを彼女に向ける。

「あなたは優しいのね。ありがとう。でも、私は信じた愛にすべてを捧げるの。この人がそうしているように。私たちの心は、結局この世界で交わることはなかったけれど、次の世界で、きっと新しい愛を紡ぐわ。」

 そう言う彼女がその鍵を自身の胸元に当てると、おそらく堕天使の卵が座しているのであろうその位置に黄金の魔法陣が浮かび、そこから光を投影するかのようにして、漆黒の高次元空間に何かの像を映し出していった。


 それはまるで何かの扉のようで、暗黒の空間を、神々しい明るい光でにわかに照らしながら、その輝きの中心に鎮座した。


「さぁ、リセーナ。あの『神秘の扉』を開けておくれ。僕たちの望む新しい、完全な世界に繋がるあの扉を!」

 教授の声は歓喜と狂気に震えている。その瞳はまっすぐに、扉の中央でまぶしい光を放つ鍵穴に一心に注がれていた。

「あなた、ありがとう。新しい世界で、きっと…。」

 そう言うと、リセーナはその神々しくも汚らわしい翼を羽ばたかせ、身体を宙に浮かせて鍵を掲げ、ゆっくりとその扉の中央にある鍵穴へと近づいて行った。


「だめよ!その人の心が、あなたに向けられたものでないことはわかっているんでしょ!そんなことのために自分を犠牲にしては駄目よ!その犠牲は、決して報われることはないわ!彼の描く新しい世界は、あなたのためのものではないのよ!」

 そう叫ぶウォーロックを横目で一瞥こそするが、リセーナにもはや迷いはなかった。その瞳には、涙こそ浮かんでいたが、口元は揺るぎない決意をたたえている。愛と犠牲、献身と報い、期待と失望、信望と裏切り、それらをその一身に背負って、堕天使は鍵穴にそっと鍵を差し込んだ。


「だめ!!!!!」

 ウォーロックの声をかき消すように、鍵穴を中心に上下にまっすぐ光が走り、丸く同心円状の光が鍵と鍵穴を取り囲み、おのおの複雑に回転しながら中央付近に扉を開くようにしてスペースを生み出した。その中央はまぶしくまぶしく光り輝いている。

 パンツェ・ロッティは至福の表情でその有様をまっすぐに見据えながら、両腕を開いて、その胸の真ん中、ちょうどリセーナが取り出したあの鍵のあった場所をその神秘の門の中央と重ねてあわせていた。


 やがて、扉の中央から一筋の光が走り、それは一直線にパンツェ・ロッティの身体をとらえて、たちまちのうちにその全身を光に満たした。教授はもはや人型の光となって、その神秘の門の中に吸い込まれていく。

 彼の放つ光と扉の中央の光がひとつになったとき、つい先ほどまでそこにあったはずの至聖堂の壁と天井はいつのまにかなくなり、4人を乗せた床面だけが無限に広がる高次元空間のただ中に浮かんでいるではないか!そこは、もはや時間の概念があるのかどうかすらわからないほどに広大で、暗く、静かであった。

 神秘の扉は中央に向かって、円が小さく縮むように一度閉じたかと思うと、今度は中央から急拡散するようにしておびただしい光を放ち、あたりを一瞬にして真っ白に変えた。光と闇、善と悪、それはまるで世界創造の瞬間のようである。その白色のまばゆさは次第にかげりはじめ、再びあたりに高次元空間の漆黒を呼び覚ましていった。


 ようやく視界の戻ってきた4人が、門の中央があった場所を見ると、そこに広がる空間のただ中に、いまだかつて目にしたことのない姿が在った。


「称えよ。全ての法則を知り、全てを支配する、我が全能の名を称えよ。」


 それは、複雑に輻輳する声でそう語り掛ける。それは、耳に届いてくるというよりは、精神や霊を介して魂の内部に直接響いてくるような、そんな荘厳さをそなえた、パンツェ・ロッティの声であった。

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