第2節『果たされた約束』

 『アーカム』の貴婦人から『死霊のローブ』を託された日の翌日、3人は改めて『インディゴ・モース』の『グランデ・トワイライト』本社を訪ねた。今回の取次はスムーズで、3人はいまグランデの研究室にいる。


「お待たせしました。マリアンヌさんを救うための具体的な準備が整いました。」

 そういうと、ネクロマンサーは、グランデに死霊のローブを差し出した。

「これは?」

 グランデが問う。

「死霊のローブという禁忌法具です。これを身に着けることでリッチー・クイーンの『死を呼ぶ赤い霧:Crimson Fog Calling Death』を無効化することができます。これでマリアンヌさんに近づくことができます。」

 グランデはそのローブをまじまじと見つめている。


「しかし、このローブは呪われているので、これを身に着けているときに死の恐怖を感じると、冥府の門に誘われてしまいます。」

 ネクロマンサーはその半面についても説明した。

「死の恐怖か…。」

 こぼすように、グランデが言った。

「マリーお姉さまを亡くしてから、もはや私にとって死は恐怖の対象ではないわ。マリーお姉さまがアンデッドの女王として君臨していることが分かった今、ある意味で死は私にとってお姉さまとの絆を回復してくれる可能性を秘めた概念ですらあるの。とても皮肉なことだけどね。だから、私が死を恐れることはありません。お姉さまを救うために、あなた方に同行しましょう。」

 グランデは思いを定めたようだった。また、マリーお姉さまに会える、その事実が彼女の心の虚空に新しい希望の火を灯していた。


 ここ中央市街区から『アナンダ氷原』までは、約3日の行程である。すぐに出発すれば、『奇死団』と会敵するのはちょうど生誕祭の日ということになろう。奇しくも、それは、あの約束の日と重なっていた。

 その後、4人はそれぞれ準備に奔走する。ウィザードは薬の買い出しに、ソーサラーは武具と防具を整え、グランデは効果のありそうな魔法具を集めた。また、ネクロマンサーは厚生労働省に打診して、マークスとの連絡を取っている。


「リッチー・クイーンと対峙する準備が整いました。これからマリアンヌさんの救出作戦に向かいます。」

「わかりました。政府からの応援は必要ですか?必要があれば、人員を回します。」

「いえ、死を呼ぶ赤い霧を無効にできるのは我々4人だけです。厳しい戦いになりますが、我々だけで作戦を決行します。」

「そうですか、わかりました。それではアカデミー特務班をあなた方の南方に配置して退路を確保します。」

「助かります。お願いします。」

「それで、首尾よく『魂魄の結晶』を入手出来たら、『隔地運搬:Magic Gate』の術式を使ってすぐにそれを私のところに届けてください。こちらで必要な処置を行います。」

「わかりました。入手次第、そちらに届けます。」

「きっと、お願いします。それで、ほかに必要なものはありますか?」

「いいえ、大丈夫です。なお、本作戦にはグランデ氏が同行します。それについて何か問題はありますか?」

「問題ありません。『苦痛と苦悩を分かつ石』の呪いを何とかするために彼女の協力が必要になるのは間違いないところです。事務的な手続きはすべてこちらで済ませておきます。みなさんのご無事と作戦の成功を祈っています。」

「ありがとうございます。最善を尽くします。」


 こうして、4人は必要な準備をことごとく済ませた。魔法社会を覆う雪は一層深くなり、比較的南部に位置する中央市街地も、すっかり一面の銀世界となっていた。これから、師団規模のアンデッドの大軍勢に、たった4人で挑むことになる。どうにも無謀が過ぎるが、対『奇死団』戦は数による解決が非常に難しいのも事実であった。準備が完了したその翌日、いよいよ4人はアナンダ氷原への旅路についた。


 * * *


 行軍を開始して、はや3日目、明日にはアナンダ氷原に到着するだろうというとき、3人は目的地にほど近い『セルノニア平原』でキャンプを張った。平原といってもこの季節は深い雪に覆われており、雪原と呼ぶ方が適切かもしれない場所だ。雪以外に何もないその地で、彼女たちは最後の野営を行った。この作戦の無謀さを考えれば、文字通り最後の晩餐といった趣である。

 ネクロマンサーは力の強い霊体をかなりの数呼び出して、周囲の警戒に余念がない。ウィザードは、雪深い中、薪もろくにない中で火おこしに格闘していた。ソーサラーは食事の準備をし、グランデがそれを手伝っている。

 どうにかこうにか火おこしに成功したウィザードが、そのことをソーサラーとグランデに告げた。

「これが作戦までの最後の食事よ。しっかり食べて明日に備えましょう。」

 そういって、ソーサラーは鍋を火にかける。

「それに、今日、23日はグランデさんのお誕生日でしょ。あまり盛大にはできないけれどお祝いしましょう。」

 ネクロマンサーがそう提案した。


「あら、そんなのいいのよ。それより、明日に備えなければ。」

 遠慮するグランデ。

「気にするなよ。ここまで来たら、なるようになるさ。」

 ウィザードが彼女を気遣って見せた。

「ありがとう。それにしてもあなたたちって面白い人よね。見ず知らずの私とお姉さまのために命を賭けようっていうんですから。」

 そういって、グランデは少し微笑みを浮かべる。

「まぁそれもあるけどよ。どっちにしたって『奇死団』を放っておくことはできねぇしな。なりゆきってもんだぜ。」

 ウィザードが少し照れくさそうに返答した。


「本当にありがとう。まさか、ここにきてお姉さまを救い出せる希望が持てるとは正直思ってもみなかったわ。」

 グランデは神妙な面持ちをしていた。

「お気持ち、わかります。あなたのマリアンヌさんへのその思いは、きっと通じると思います。ですから、希望をもって明日を迎えましょう。」

 ネクロマンサーが励ますように言う。

「そうね。」

 そう言って、グランデは満点の星空を見上げた。明日お姉さまに再び会える。そう思うとこの8年間の心の虚空がなにかあたたかいものに俄かに満たされるような感覚を覚えた。

 その目の前で、鍋が煮え時を知らせるぐつぐという音を立て始めていた。

「もうすぐよ。今夜はちょっと奮発して、冷凍運搬してきた牛肉を使ったの。おいしいわよ。」

 ソーサラーがいたずらっぽくそう言った。

 鍋の中をのぞくと、それはいい色合いで、とっておきの牛肉と野菜が旨そうに踊っていた。


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 *ソーサラーとっておきのビーフシチュー。彼女の腕前はいつも一級品である。


「さあ、そろそろ頃合いよ。食べて頂戴。」

 そう言って、ソーサラーはめいめいの椀に料理をつぎ分けた。空腹を誘う香りがあたりにただよっている。

「いただきます。」

 そういって4人は晩餐を始めた。

「こりゃうめぇ。」

 ウィザードが感嘆の声を上げる。

「こんなにおいしいものをいただけるなんて思ってもみませんでした。」

 ネクロマンサーも喜んでいる。

「まさに、最後の晩餐にふさわしいメニューだわ。」

 グランデが冗談交じりに言った。

 ひとしきり食事を終えた後で、ネクロマンサーが荷物から葡萄酒を取り出す。

「これもとっておきです。乾杯しましょう。」

 そういって、各々の椀に葡萄酒をついでいく。

「この間、『ラ・ノワール』から取り寄せたんです。おいしいですよ。」


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 *ネクロマンサーが取り寄せてくれた『ラ・ノワール』の高級ワイン。


 彼女は、この日のために特別な一本を用意してくれていた。やはりみな、心中には決死の覚悟があるようであった。

「おめでとうございます。グランデさんのお誕生日に!乾杯!」

 そういって4人は杯をあわせた。

 極上の渋味とアルコールがその疲れたのどを癒していく。

「ありがとう。あなたたちのおかげでいい誕生日になったわ。」

 グランデがそういう傍らで、

「こりゃ、うまい!」

 ウィザードが舌鼓をうっている。

「あなたったら、さっきからそればっかりね。」

 とソーサラーがそれをからかい、しばしの笑いが巻き起こった。

「マリアンヌさんって、どんな方だったのですか?」

 ネクロマンサーがグランデに問いかけた。

「とてもやさしいお姉さまだったわ。わずか12歳にして高等部に飛び級し、右も左もわからない私をとてもかわいがってくださった。それだけでなく、陰ひなたになって、助けてくださったのよ。だから、今度は私がお姉さまを助けるの。」

 その瞳には確固たる決意が感じられた。


「お力添えします。きっと、マリアアンヌさんを救い出しましょう。」

「ありがとう。期待しているわ。」

 ネクロマンサーとグランデは互いをまっすぐ見据えて、握手を交わした。その傍らで、ウィザードとソーサラーが肩を寄せ合ってうたたねしている。穏やかな時間であった。


 冬の空はいよいよ美しく、まばゆい星々が星座の軌跡を描き出していた。その星々の間を縫うようにして、白い雪が舞っている。いよいよ明日だ。ネクロマンサーは火の番を霊体にまかせ、船を漕いでいるふたりを起こしてテントに誘い、周囲を再度確認してから、グランデとともにテントに入っていった。


 雪は一層深くなり、テントに重く覆いかぶさっている。ウィザードの配慮によってテントの中は寒くはないが、外はずいぶんと冷えるようだ。さきほどからせっせと、霊体が焚火に薪をくべている。夜が静かに更けていった。


 * * *


 いよいよその時が来た。奇死団との決戦である。アナンダ氷原を前にして、すでにその大軍を目視することは容易であった。夥(おびただ)しい数のアンデッドが氷原に蠢(うごめ)いている。その数はゆうに10000を下らない。4人に俄かに緊張が走る。


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 *アナンダ氷原に集結するアンデッドたち。その数は尋常でない。


 その群れの最奥に、リッチー・クイーンの姿はあった。


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 *夥しい数のアンデッドに取り囲まれ、守られているリッチー・クイーン。


「マリーお姉さま!」

 思わず駆けだそうとするグランデをネクロマンサーが静止して、彼らとの距離を慎重に図っていく。

「で、どうする。正面衝突じゃあ勝ち目はないぜ。」

 そういうウィザードに、ネクロマンサーが作戦を伝えた。

「正面の大隊は私の召喚魔法で蹴散らします。あなたは奥の部隊に打撃を与えてください。」

「わかった。任せとけ。」

「その後、中央に突破口を開きます。それは『氷刃の豪雨』で。」

 ネクロマンサーがそう言うと、

「任せておいて。私にも秘策があるの。楽しみにしておいて。」

 ソーサラーが不敵に笑って見せた。

「わかりました、方法はお任せします。それで、グランデさんは私たちの後ろについて、絶対にそばを離れないでください。私たちがきっとあなたをマリアンヌさんのもとへ連れていきます。」

 グランデは、力強く頷いた。


 『奇死団』に属する死霊がけたたましい声を上げている。どうやらこちらに気づいたようだ。

「いよいよです。みなさん覚悟はいいですね!」

「もとより、死は恐怖にあらず!」

 そういって4人は位置についた。

「すぐに回復はしますが、このあと私はしばらく魔法を使えません。迅速に連携してください。」

 そういうとネクロマンサーは詠唱を始めた。

『慈悲深き加護者よ。我が祈りに応えよ。その英知と力をその庇護者に授けん。我が頭上に冥府の門を開き、暗黒の魂を現世に誘わん。開門せよ!暗黒召喚:Summon Darkness!』

 おそらく全魔力を一気に振り絞ったのであろう、彼女の頭上に描き出された冥府の門から膨大な数の死霊が一気に召喚された。『奇死団』全部と同数というわけにはいかなかったが、数千から5000程度の強力な死霊があたりを取り巻いている。

「契約のもとに、我が敵を滅ぼせ!」

 ネクロマンサーの命を受けて、その死霊の群れは奇死団の前衛に向かって果敢な特攻を仕掛けて行った。耳をつん裂くようなその声とともに敵の前衛と大乱闘が巻き起こす。


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 *敵のアンデッド軍団の中央をこじ開けようとする見方のアンデッド。


 相手は有象無象の『彷徨える屍』、それに対してこちらは魔法によって強化された強力な霊体、勝負は明らかで、その前線を押し込むことに成功した。

「後衛をたたいてください。」

 ネクロマンサーのその声に続いて、ウィザードが詠唱を始める。


『水と氷を司る者よ。天候を司る者とともになして、わが手に雲を集めん。その雨の性質を変じ、あらゆるものを溶解せよ。酸の雨:Acid Rain!』


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 *強酸の雨は生物的特性をまだ残すアンデッドに対して効果てきめんであった。

 天空を俄かに毒々しい色の雲が多い、そこから敵の大軍勢の後衛めがけて、強酸の雨が降り注いだ。それはとりわけ腐肉を残すアンデッドに有効で、瞬く間にその大半を溶かしつくしてしまった。前衛と後衛に大打撃を与えることに成功した。残るはリッチー・クイーンまでの活路を開くだけだ!

 ソーサラーがさっと前に踊りでる。


『水と氷を司る者よ。我は汝の敬虔な庇護者なり。今、わが手をもって氷の牢獄をなさしめよ。とらわれた者に永遠の死を与えん。滅せよ!鎮魂の牢獄:Prison of Requiem!』


 詠唱を終えると、猛烈な冷気があたりを覆い、リッチー・クイーンを守護している一団を瞬く間に凍り付かせた。


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 *ソーサラーの術式により凍り付くアンデッドの一団。


「けどよ、アンデッドを凍り付かせたって…。」

 そういうウィザードをしり目に、ソーサラーは不敵に笑って詠唱を続けた。


『破壊:Brake!』


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 *粉々に砕け散るアンデッドたち。


 そう言うと、さきほど凍り付いたアンデッドの群れは、粉々の氷の屑に砕け散り、跡形もなく消え去った。こうしてリッチー・クイーンに至る道筋がついに開けたのである。その道を確保するかのように、ネクロマンサーの召喚した強力な霊体たちが、左右に敵陣を抑えこんでいる。

「いまよ!」

 ソーサラーのその掛け声で、みな一目散にリッチー・クイーンのもとに駆け出した。文字通り、決死の行軍だった。一つ間違えれば、周囲で蠢くアンデッドの群れに飲まれて終わりである。だが、だれもその危険を顧みるものはいなかった。死霊のローブを身に着けた時点で、各々覚悟は決まっていたのである。


 こうして、ついに4人はリッチー・クイーンとその面前で相対することとなった。


 * * *


 馬上から冷たい視線が4人に注がれる。

「マリーお姉さま!」

 グランデは、声の限りに彼女に呼び掛けた。だが、反応はない。やがてそれは呪わしい詠唱を始めた。


『冥府を支配する者よ、わが声を聞き入れよ。我が前にあだなすものに安らぎと使命を与えん。その肉を喰らい、魂を我がものとしよう。死を呼ぶ赤い霧:Crimson Fog Calling Death!』


 来た!そう思って身構える4人。血をまき散らしたような真っ赤な霧があたりを覆うが、4人の身体と精神を死霊のローブが保護している。どうやらその防御効果は本物のようだ。


「お姉さま。マリーお姉さま。私です。グランデです。どうか、どうか目を覚ましてください。」

 グランデの悲痛な声が聞こえる。

「グラ…ンデ…。」

 そう言うとリッチー・クイーンは彼女の方を見つめた。


 リッチー・クイーンに対して致死性の魔法を繰り出そうとするウィザードを、ソーサラーは必死に止める。

「馬鹿ね!死ぬつもりなの。まずはあの石をどうにかしないと。」

「そりゃそうだけど。このままじゃ手詰まりだぜ。」

 敵の前衛を左右に押しとどめている死霊が幾分か押し戻されているようにも見える。あの波に飲まれれば後はない。4人に緊張が走る。

「今日は、12月24日。生誕祭の日です。お姉さまとの約束を果たすために私はここに来ました!目を覚ましてくださいお姉さま!!」

 その声を聴いて、リッチー・クイーンの胸元に光る法石が、色を明滅させる。はじめは赤白く明らかに呪われた色を放っていたその石が、今は青白い光を放っていた。


「あれは、あれは『愛と喜びを分かつ石』の色!」

 そう言ってグランデが叫ぶ。

「いまよ、いまこそ、お姉さまを、マリーお姉さまを止めてください。」

 その声を聴くやウィザードが詠唱を開始する。


『火と光を司る者よ。我が手に炎の波をなせ。我が敵を薙ぎ払い、燃えつくさん。殲滅!炎の潮流:Flaming Stream!』


 彼女の手から、猛烈な勢いの炎の潮流がほとばしり、それはリッチー・クイーンの身体をまともにとらえて、それを馬上から吹き飛ばした。しかし、その反動がウィザードに返ってくることはない。彼女は落馬して、その体を雪と氷に強く打ち付けた。

 4人はすぐさまその傍に駆け寄る。起き上がろうとするリッチー・クイーンを、ソーサラーが『束縛:Bind』の術式で拘束し、ネクロマンサーが彼女の前に歩み出た。


「もうすぐです、マリアンヌさん。もう心配しないで。」

 そういって彼女は、リッチー・クイーンの上体に手をかざし、呪文を詠唱した。その詠唱が終わると彼女の体内から乳白色の美しい結晶が浮かび上がってくる。これが『魂魄の結晶』に違いない!


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 *リッチー・クイーンの体内から抽出された魂魄の結晶。美しい乳白色をしている。


 ネクロマンサーはそれを手に取ると、すぐに転送用のゲートを開いてそれをマークスに送り届けた。


「これで大丈夫のはずです。マリアンヌさんに呼び掛けてください。」

 ネクロマンサーに促され、グランデが語り掛ける。魂魄の結晶を抽出されたリッチー・クイーンはその場でぐったりとしていた。周りのアンデッドの集団も動きを停止したようだ。

「マリーお姉さま、わかりますか。私です。グランデです。」

 グランデは瞳にいっぱいの涙を浮かべてリッチー・クイーンの肩にしがみつく。

「グラ…ンデ。」

 そう言うと、リッチー・クイーンは上体を起こした。

 片手を彼女の方に伸ばして、言う。


「グランデ、あぁ、あなたなのね。」

「お姉さま、私がわかるのですね。」

「もちろんよ、私のかわいいグランデ。ずいぶん長く眠っていた気がするわ。今日は何日かしら?」

「今日は生誕祭の日、約束の24日です。お姉さまが眠っていらっしゃる間に私はもう22歳にもなりました。」

「まぁ、グランデ。いつのまにか私はあなたに追い抜かれてしまったのね。美しくなったわね。」

 そう言うと、リッチー・クイーン、いやマリアンヌは暖かい微笑みを見せた。


「それじゃあ、大人になったあなたに、あのときの約束を果たさないとね。」

「あの約束を覚えていらっしゃるのですか?」

「もちろんじゃない。それを果たすために、私はここに帰ってきたのよ。」

「マリーお姉さま、そう言うとグランデはマリーに抱き着いた。」

「まあまあ、どんなに大きくなっても、あなたはあの甘えん坊のグランデね。」

 そういってマリアンヌは優しい微笑みを浮かべた。

「ほら、頭を出してごらんなさい。」

 そういうマリアンヌの手には、ひとひらの増魔のリボンが握られていた。

「約束よ。これをあなたに結んであげる。」

 そう言って、マリアンヌは手にした増魔のリボンをグランデの頭に優しく結んでやった。

「よく似合うわ、グランデ。」

 そう言って彼女はグランデの頬を優しくなでた。グランデはその手をとって涙している。


「泣いては駄目よ、グランデ。やっと約束を果たせたんじゃない。長かったわ…。」

「今日まで、増魔のリボンをせずに、ずっと待っていてくれたのね。ありがとう。」

「マリーお姉さま。」

 ふたりがそう言って固い抱擁を交わした時だった。

 マリアンヌの、リッチー・クイーンとしての身体が静かに灰になり始めた。

「お姉さま!?」

 グランデが狼狽する。3人も何が起こっているのか俄かにわからない顔をしていた。

「いいのよ、グランデ。これで私はやっとあの呪われた身体から解放される。今、とても幸せな気分よ。大人になったあなたにも会えた。」

 彼女の胸元の石が、青白く美しい光を奏でている。

「これが愛と喜びなのね。あなたが私にそれを教えてくれたのよ。だから泣かないで、グランデ。」

 彼女の身体はどんどんと灰化していく。


「お姉さま、せっかく会えたのに。行かないで。私の傍にいてください。」

 泣きじゃくるグランデの頭にそっと手を置いてマリアンヌが言う。

「まぁまぁ、いつまでも甘えん坊さんね。あなたはもうこの増魔のリボンを身に着ける立派な大人よ。私がいなくてもしっかり歩んでいけるわ。」

 そういってマリアンヌは目を閉じた。

「もう一度あなたに会えてよかった。約束を果たせてよかった。強く生きてね、グランデ。幸せになるのよ。」

 そうして、彼女の身体は完全に灰になって消えていった。その刹那、周囲のアンデッドたちは力なく崩れ落ち、それきり物音ひとつ立てなくなった。あたりの静寂をグランデの鳴き声が際立たせていた。そこには、ひとつ、青白い光を放つ、愛と喜びを分かつ石だけが残されていた。

「マリーお姉さま!」

 その声があたりにこだまする。そのあとには深い深いしじまがその場を支配していた。


 * * *


「ありがとう。」

 その静寂を破ったのはグランデだった。

「いえ、でも…。」

 ネクロマンサーが言いよどむ。

「いいのよ。最後にお姉さまと話ができた。そしてお姉さまは呪われた体から解放されたわ。今はそれで、それだけでいいのよ…。」

 そう言って、グランデは頭上の増魔のリボンを優しくなでた。

「お姉さまは約束を守ってくれたもの。」

 そして、グランデは立ち上がった。

「ごめんなさい。こんなつもりじゃなかったんです。」

 深く謝罪するネクロマンサー。グランデはそれに対し、首を横に振って応えた。

「あなた方が悪いのじゃないわ。それに、最後のお姉さまは幸せそうでいらした。愛と喜びを分かつ石を通じてそれは私にも伝わるもの。だから気にしないで。ほんとうにありがとう。」

 そういうと、グランデは手にした愛と喜びを分かつ石を懐にしまい、それからネクロマンサーの手を取った。ネクロマンサーはその手を握り返し、ウィザードとソーサラーがその上に手を添える。

「ごめんなさい。」

「ありがとう。」

 その言葉が、地平線に輝く1番星にこだましていた。


 こうして、リッチー・クイーンと『奇死団』との一件は静かに幕を下ろした。許せぬのは、虚偽の情報をよこしてマリアンヌを2度目の死に追いやった、かのマークス・バレンティウヌである。

 もちろん、ネクロマンサーは話が違うと彼に談判を持ち掛けたが、「マリアンヌに人間の心を取り戻させることができるとは言ったが、彼女を完全に救うことができるなどとは言っていない。結果的に彼女の魂をその呪われた身体らから解放できたのだから、感謝こそされ、恨まれる筋合いはない。」そう言うなり、マークスはそれ以後の連絡を一切絶ってしまった。たしかに、彼の言葉に嘘はなかったが、その巧みなレトリックは、3人の怒りに大きな火を灯した。3人は静かに打倒マークスの決意を固めていく。


 12月24日、魔法社会の全体で、生誕祭が盛大に祝われていた。この辺境の氷原で、このような結末が訪れていたとは露知らずに…。

 降り続く雪はあたり一面を白く深く覆っていた。春までは長い。3人の魔法使いとグランデは胸中にそれぞれの思いを抱えながら、中央市街地へと向かって歩みを進めていた。

 その姿が静かに雪景色に溶けていく。


 * * *


「マークスが『魂魄の結晶』を手に入れたようです。」

「これで彼の計画は最終段階に向かうわね。」

 そういうと貴婦人はいつものように、お茶のカップを一口傾けた。

「こちらも、すこし急いだほうがいいのかもしれないわね。」

 そういうと彼女は誰かを呼んだ。

「あなたに、折り入ってお願いがあるの。」

 そういう貴婦人の言葉に、その人物は頷いて答えた。

「アッキーナ、あれを用意してちょうだい。」

「よろしいのですか、マダム。」

 少女アッキーナはその意向を確認する。

「今こそ、これを使うべき時だわ。これ以上の好き勝手は困るもの。」

「わかりました。」

 そう言うと、いつものように少女アッキーナはよちよちと店の奥に姿を消していった。

「あなたには、これからアカデミーに出向いてもらって、あるものをとってきてほしいの。」

 アーカムのカウンターをはさんで、貴婦人ともう一人、ふたりの女性が言葉を重ねている。外では冬の寒さが一層際立っていた。

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