第5章

第1節『思いがけない依頼』

 魔法社会におけるリッチー・クイーンと奇死団の脅威は、いよいよ高まりを見せていた。いまだアナンダ氷原から動く気配を見せないものの、一団に属する死霊たちがその南東方向、すなわちアカデミーや政府庁舎のある中央市街区の近縁にまで頻繁に出没するようになり、侵攻の前触れではないかとして、人々を大いに震撼させている。

 アカデミーが差し向けた『ルビーの特殊銃砲団』は、リッチー・クイーンの姿のない場でこそ目覚ましい戦果を上げたが、アナンダ氷原にごく近縁で缶所が臨場した遭遇戦においては、なんとその全員が『死を呼ぶ赤い霧:Crimson Fog Calling Death 』の犠牲となってしまった。彼女の身に着ける『苦痛と苦悩を分かつ石』の効果もまた著しい脅威となり、彼女への迂闊な攻撃は許されず、政府およびアカデミーにできることは、ただただその動向を探ることよりほかに、ほとんどなくなってしまっていた。


 事態が長い膠着状態に陥っていたあるとき、『全学職務・時短就労斡旋局』を経由して、例の3人に呼び出しがかかった。

 彼女たちは今その事務所に集まっている。


「君たちに集まってもらったのは他でもない。例の奇死団について相談したいという御仁がおいでになられている。厚生労働省のマークス・バレンティウヌ氏だ。」

 当局の担当官はそういって一人の男を紹介した。

 その顔を見た3人は驚く。そう、その人物こそ、分不相応に毎回『アカデミーによる葬送』に参列していたあの男であった。


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 *厚生労働省の技官を務めるマークス・バレンティウヌ。


「ご紹介にあずかりました、マークス・バレンティウヌです。厚生労働省の技官を務めています。はじめまして。」

 そういって、その男は手を差し出した。

 ネクロマンサーは握手を交わす。

「はじめまして、『南5番街22-3番地ギルド』の者です。」

「存じ上げております。さあどうぞ。まずはおかけください。」

 そう言うと彼は3人に席を進め、そして自分はその対面に腰を掛けた。

「シーネイ村でのあなた方の活躍は聞いています。」

 男はそう切り出した。

「それで、対アンデッド戦において実績のあるあなた方にお願いがあって本日は参りました。」

「それはどのようなことでしょうか?」

 訊ねるネクロマンサー。用意されたコーヒーを一口含んでから男は続けた。

「奇死団とリッチー・クイーンのことはもはや言うまでもありませんね?」

 3人は頷く。

「実は、リッチー・クイーンは、かつてこのアカデミーの学徒だったのです。」

 男は驚くような事実を告げた。3人は思わずその男の顔に見入る。

「今から8年前、不慮の事故により絶体絶命に陥ったマリアンヌ・イゾルデという女学徒が、死の間際に禁忌の屍術から力を解放してリッチー・クイーンに姿を変えたのです。」

 なぜ男はそんなことを知っているのか?そんなことが3人の胸中を駆け巡ったが、そんな彼女たちの動揺を慮るでもなく男は続けた。


「私は、彼女を、そう、マリアンヌ・イゾルデを呪われた屍術から解放したいと考え、そして、そのために力をお貸し願いたく、こうしてあなた方を訪ねたのです。」

「しかし、すでにアンデッドの魔法使いになった人物を救い出す方法などあるのですか?」

 訝しそうにネクロマンサーが訊ねた。

「ご懸念はごもっともです。ただ、私の研究によるとその方法は確かにあります。」

 男は意味深に言葉を続けていく。


「『古代屍術の魔靴』の力を解放して『最高死霊リッチ』となった者は、その体内に『魂魄の結晶』という秘宝を内包します。それを彼女の体内から摘出することで、彼女に人間の意識を戻させることができるはずなのです。」

「しかし、どうやってその秘宝を取り出すのですか?彼女の周りは師団規模のアンデッドが取り巻いていますし、なにより彼女自身の力が強大すぎて、私たちだけではどうにもなりません。」

 ネクロマンサーは隠すことなく懸念を伝えた。

「あなた方が言っておられるのは『死を呼ぶ赤い霧:Crimson Fog Calling Death』と『苦痛と苦悩を分かつ石』のことですね?ご心配はよくわかります。事実私たちもその点に手を焼いています。」

 ふたたびコーヒーカップを傾けながら男はそう言った。


「しかし、ひとつだけ方法があるのです。周囲のアンデッドはすべてリッチー・クイーンに呼応し、彼女の命令で動いています。つまり、彼女の動きを封じれば、活路を開くことができるのです。ただ、そのためには彼女が持つ『苦痛と苦悩を分かつ石』を何とかしなければなりません。」

「それは、その通りだと思います。」

 ネクロマンサーは冷静に対応していく。

「そして、その石について、分かったことがあるのです。それは、グランデ・トワイライトという人物が、アカデミー在学時に彼女に送った人為の法石がもとになっている可能性があるようなのです。それで、製作者のグランデ・トワイライト氏ならば、その石の効果を止めるための方法に、きっと何らかの心当たりがあるのではないかと、我々はそう考えているわけなのです。」

 そう言うと男は、「失礼」とひとこと断ってから煙草をくゆらせた。


「それで、私たちにどうしろとおっしゃるのですか?」

 ネクロマンサーが訊ねると、

「はい、あなた方にはグランデ氏を訪ねていただいて、その石の魔法効果を停止する方法を聞き出して欲しいのです。」

 男はそう答えた。

「なぜ、私たちなのですか?厚生労働省において直々にお尋ねになればよろしいかと思いますが?」

「ごもっともなご指摘です。実は、それはすでに何度か試みたのですが、彼女は心を開いてくれません。そこで、年齢の近いあなた方であれば、もしやと思った次第なのです…。お願いできませんか?」

 男は妙に神妙な顔をする。

 3人は互いに顔を見合わせた。

「そのグランデさんと、リッチー・クイーンはどのような関係だったのですか?」

「特別な姉妹のような関係です。」

 そういって男は手に持った煙草を消した。


「アカデミー在学時代、彼女たちは特別な親交をあたためました。それでグランデ氏が例の石をリッチー・クイーン、すなわちマリアンヌに送ったのです。」

 男は上目遣いにネクロマンサーの顔を見た。

「それで、そのグランデさんは、リッチー・クイーンがマリアンヌさんであることを知っているのですか?」

 そう聞くと、

「はい。我々が彼女にその事実を伝えましたが、どうやら、それがまずかったようで。」

「と、おっしゃいますと?」

「グランデ氏はその事実を受け入れることができず、一層心を閉ざしてしまいました。それで、もはや私たちではもはや手の打ちようがなくなってしまったのです。」

 男はそのように事情を説明した。


「それは、そうでしょうね。」

 ネクロマンサーは視線を下に落とす。

「ですから、シーネイ村で様々な困難を克服して同村を守ったあなた方に、ぜひとも彼女との接触を図って、例の石のことを聞き出してほしいのです。」

 そう意男に対して、

「かいかぶられても困ります。」

 いつも物静かなネクロマンサーが語気を強めた。


「そう言わずに、ぜひ頼まれていただけませんか?彼女を説得する材料は皆無ではありません。先ほど申し上げた通り、私の研究では、リッチー・クイーンが体内に内包している秘宝『魂魄の結晶』をその身体から取り出すことができれば、マリアンヌに意識を回復させることができるはずなのです。それはきっとグランデ氏の心を動かすきっかけになるでしょう。いかがですか?せめて彼女に会ってみるだけでも。」

 そういうと男はカップをあけてテーブルに置いた。


 3人はしばらく顔を合わせてから頷く。

「わかりました。結果は保証できませんが、試みてみましょう。」

「そうですか、それはよかった。これは厚生労働省からの正式の依頼です。事務的なことは、『全学職務・時短就労斡旋局』を通して、必要な手続きはこちらの方で済ませておきます。首尾については、当局に報告書としてあげてください。その結果によって改めてご連絡致します。本日はご足労頂きありがとうございました。何か質問はありますか?」

 いくばくか緊張の解けた面持ちで男は訊ねた。


「そのグランデさんにはどのようにしたら会えますか?」

「おっと、そうでした。これは大変な失礼を。グランデ氏はあの有名なブランド『グランデ・トワイライト』の末の娘さんで、同社の主任デザイナーを務めておいでです。ですから、同社をお尋ねいただければお会いいただけます。もしよろしければ、アポイントメントだけは厚労省でおとりしますが…。」


「いえ、大丈夫です。私たちから一度出向いてみます。」

「そうですか。それではお願いいたします。」

「わかりました。」

 男は立ち上がり、そう答えたネクロマンサーたち3人を戸口へ案内した。

「失礼します。」

 そういって3人は面談室を後にした。


「でもよう、実際どうするんだよ。」

 各々の教室に向かいながら、ウィザードが訊ねる。

「そうね、まるで雲をつかむような話だもんね。」

 ソーサラーも確信が持てずにいるようだ。

「とにかく、一度そのグランデさんに会ってみましょう。リッチー・クイーンをこのままにしておけないのは確かなことですから。」

 ネクロマンサーがそう言うと、あとの2人も頷いた。


「ひとまず今度の休日に、グランデ・トワイライトの本店を訪ねてみましょう。」

 そう提案するネクロマンサー。

「そうだな。」

「でも、グランデ・トワイライトは大きな会社よ。アポイントメントなしで大丈夫かしら。」

 ソーサラーは心配そうな顔をしている。

「そのときは、出直しましょう。今回の場合あまり形式ばらない方がいいように思うんです。」

「確かにそれは一理あるな。」

 ネクロマンサーとウィザードが言葉を交わし、ソーサラーも頷いて同意したようだ。


 次の土曜日の午前8時にゲート前で待ち合わせることにして、それから3人はそれぞれの教室に向かっていった。


 冬の陽は一層低く、斜めに明るい光を発しながら、降る雪と積もる雪を照らし出している。もうじき12月の半ばを過ぎる。いよいよ年末が近づいてきた。 


 * * *


 約束の土曜日、約束の時間に3人はアカデミーのゲート前に集合した。『グランデ・トワイライト』社は、瀟洒しょうしゃで都会的な街として知られる『インディゴ・モース』の大通りに本店を構える大会社で、魔法社会を代表する一大ブランドとして著名であった。同社は、人為の法石『グランデ・アクオス』の開発に成功したことで急成長し、同法石を搭載した優秀な魔法具を手広く取り扱っている。


 いま3人はその本社前にいた。


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 *インディゴ・モースの大通りに店を構えるグランデ・トワイライト本店の正面。


「でけぇ。」

 ウィザードがその茜色の瞳を見開いている。

「本当ですね。」

 ネクロマンサーも怖気ているようだ。

「大丈夫よ。私ここの常連だもの。」

 さすがは貴族令嬢である。ソーサラーは手慣れた所作でその店に入っていった。

「あいつ、本当にお嬢様なんだな。こんなところの常連なんて。」

「そうですね。さすがです。」

 そういって2人も彼女について店に入った。


 カウンターから接客の女性が姿を現す。

「まぁ、お嬢様でしたか。いらっしゃいませ。今日は何をお求めで?」

「グランデ主任デザイナーにお会いしたいのですが…。」

 ソーサラーが用件を伝えると、受付の女性は困った顔をした。

「そうですか。デザイナーのグランデはどなたともお会いになりません。アポイントメントはお持ちですか?」

「いいえ、ないわ。でも、できればお取次ぎいただきたいのだけれど。」

 ソーサラーが踏み込む。

「困りましたね…。お嬢様のご要望ですからなんとかして差し上げたいのはやまやまなのですが…。」

 そういって彼女は首をかしげる。本当に困っているようだ。


「マリアンヌ・イゾルデに関する話だと伝えてみてくれ。」

 ウィザードが切り出した。

「それはどちら様ですか?」

 あれから8年も経つ。マリアンヌとグランデ氏のアカデミー時代の関係を知らない従業員もいるようだ。

「そう伝えてもらえば、話を聞いてもらえるかもしれないんだ。頼むよ。」

 ウィザードが懇願する。

「わかりました。連絡だけはしてみましょう。」

 そういうと彼女はカウンターに備え付けられた通信魔法具を使って内線連絡を取り始めた。

「はい、わかりました。それでは…。」

 3人の元に戻ってきた彼女は、

「お会いになるそうです。」

 そう伝えて、3人を奥に案内した。


 一流ブランドとして名高いその店の店内は実に洗練されていて、見事な内装であった。その洗練された様子は、3人にかつてのリリーの店を思い出させていた。


「こちらです。」

 そういうと彼女はドアをノックした。

「どうぞ。」

 中から声がする。声の主がグランデ氏か?

 返答を受けて受付の女性はそのドアを開き、3人を中に案内した。その部屋はありとあらゆる錬金具と魔法具に満たされており、まさに研究室といった様相であった。ちょうど、美しい青い瞳のブロンドの女性が法石らしきものを錬成しているところのようである。高度な魔法を行使しているのであろうに、その女性は、なぜか増魔のリボンを身に着けていなかった。


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 *自室で法石を錬成しているらしいグランデ・トワイライト氏。


「他人の思い出に土足で踏み込むとは、ずいぶんな方たちね。」

 思いがけない切り出しに3人は当惑した。

「私が、グランデ・トワイライトよ。それで、なんの御用かしら?見ての通り、私は山積した仕事に追われているの。手短にお願いしたいわね。」

 どうにも、あまり協力的とは言えない様子だ。

「それでは単刀直入にお話しします。」

 ネクロマンサーが思い切って切り出してみる。

「マリアンヌさんを救える可能性があります。そのために『愛と喜びを分かつ石』について教えていただけませんか?」

 そういうと、グランデ氏はため息をついてから言った。

「そう。あなたたちは厚生労働省の回し者なのね。マリーお姉さま、いえ、マリアンヌさんを助ける方法があるですって?あなたたちはリッチー・クイーンに対処するために愛と喜びを分かつ石のことが知りたいだけでしょう?」

 なかなか手厳しい答えが返ってくる。

「そうではありません。」

 しかしネクロマンサーもひるまない。毅然として続ける。

「『魂魄の結晶』という秘宝についてご存じですか?」

 そういうとグランデ氏の顔色が俄かに変わった。

「知らないわ。それがどう関係しているというの?」


 どうやら、厚生労働省の役人は、リッチー・クイーンがマリアンヌさんの転身であることは伝えたが、魂魄の結晶のことは話していなかったようである。その点に若干の違和感を覚えつつもネクロマンサーは続けた。


「リッチー・クイーン、いえ、マリアンヌさんの体内には、魂魄の結晶という秘宝が内包されています。私たちが調べたところでは、それを彼女の体内から分離することによって、彼女を人間に戻すことのできる可能性があるのです。」

 それを訊いたグランデ女史の態度は明らかに変わった。

「それは、本当なの!?お姉さまを、お姉さまを人間に戻せるというのね!?」

「はい、その可能性があります。しかし、彼女の身体からそれを取り出すためには、周囲のアンデッドを処理した上で、彼女に接近する必要があります。そのためには、どうしても愛と喜びを分かつ石について知る必要があるのです。」

 ネクロマンサーは事情の説明を続けた。


「そう。」

 そういって少し視線をそらしてから、グランデ氏はゆっくりと言葉を紡いだ。

「おそらく、リッチー・クイーンの身に着けている『苦痛と苦悩を分かつ石』は、お姉さまが『古代屍術』の力を解放したときに一緒に呪われてしまった『愛と喜びを分かつ石』のなれの果てなのでしょう。」

 彼女は目元をぬぐう仕草をして言った。

「愛と喜びを分かつ石は、本来、それを与えた者と受けた者の間で、愛と喜びを分かち合い、それらを増し加える作用をもっていた魔法の石です。しかし、ご存じの通り、今では与えた者と受けた者の間で苦痛と苦悩を分かち合う、呪いの品となっています。」

 彼女は目を閉じ、震える声で話す。

「その石の作用を止めることはできないのですか?」

 ネクロマンサーが訊いた。

「どうでしょうね。あれを作ったとき、私はまだ13歳でした。ですから、あの石には不完全なところが多々あり、まあ、だから禁忌具の影響を受けて呪われてしまったのだと思いますが、私自身もその魔法作用を止める方法を用意していなかったのです。」

「そうですか…。」

 それを訊いて3人は落胆した。


「なぁよぅ。その何とかの石があんたの声に応えるってことはないのかい?だって、それはもともとあんたの心を相手と分かち合うものだったんだろう?」

 そう訊いたのはウィザードだった。

「さぁ、わかりません。私も、古代屍術の魔靴については調べてみましたが、それは人間を超えた力を授ける代わりに、使用者の精神と肉体を代償として求めると聞きます。おそらくお姉さまはもう私のことを覚えていらっしゃらないでしょう。私の声がわかるかどうか…。」

 彼女はすっかり消沈してしまった。


「それは、やってみないとわからないんじゃない?」

 そう切り出したのはソーサラーだ。

「あなたとマリアンヌさんの間には特別な関係があったと聞いているわ。文字通りそれは愛と喜びで結ばれたものだったのだと私は思う。」


「知ったようなことを!」

 グランデ氏は語気を荒げたが、その言葉を遮って、ソーサラーは続けた。

「あなたは、マリアンヌさんにもう一度会いたくはないの?もし、あなたにその気持ちがあるのなら、彼女に会いに行きましょう。護衛は私たちが責任をもって行います。必ずあなたをマリアンヌさんのもとに連れていきますから。そこで彼女と話をしてみませんか?」

 その黄金色の瞳が、グランデ氏の美しい青い瞳を見つめる。


「…、厚生労働省の方から、リッチー・クイーンがマリーお姉さまだと聞いたとき、激しく狼狽ろうばいしたわ。正直信じられなかった。お姉さまが呪いをうけてしまったなんて。でも同時にお姉さまが生きていらっしゃる、…生きているという表現が適切なのかはわからないけれど…、とにかくこの世界にまだ存在していらっしゃることを知った時は、嬉しくもあったわ。もしかして、お姉さまを救う方法があるのではないかと。それで、古代屍術の魔靴を始めとして、ありとあらゆることを調べてみたのよ。私なりにね。でも調べれば調べるほど絶望に襲われたわ。あらゆる情報が、お姉さまの呪いを解くことはできないことを示していたから…。」


 そういって、彼女は錬成の手を止めた。

「その情報の中に『魂魄の結晶』についてのものはありましたか?」

 グランデ氏は静かに首を横に振った。

「それならば、私たちに賭けてみませんか?彼女の体内から『魂魄の結晶』を取り出し、マリアンヌさんを取り戻しましょう!」

 熱を込めてネクロマンサーが提案する。

「あなたたちに賭けるか…。そうね。確かにあなたたちの提案は、マリーお姉さまを救う可能性を秘めている。賭ける、か…。」

 そういうと彼女はしばらくの間押し黙り、それからやがて口を開いた。

「しかし、実際にどうするつもりなの?周囲のアンデッドは、魔法でどうにかできるとしても、『死を呼ぶ赤い霧:Crimson Fog Calling Death』を防ぐ術を考えないことには、私たち全員がアンデッドにされて終わりよ。私はお姉さまの傍にいられるならそれでも構わないけれど、あなたたちは困るでしょう?」

 その指摘はもっともだった。


「それについては考えがあるわ。」

 そう言ったのはソーサラーだった。

「私たちには、そうした問題に詳しい助け手がいます。その人たちに具体的な対処方法を相談してみますから、そのすべが確立したら、私たちと一緒にリッチー・クイーン、いえ、マリアンヌさんとの接触を図ってみる、というのはどうかしら?」

「なるほどね。あなたたちが突然ここを訪ねてきて、マリーお姉さまを救うという提案をもってきたのも何かの運命かもしれないわね。いいわ、その賭けに乗りましょう。」

 グランデ氏は意を決したようだった。

「ただし、私にも要求があるわ。」

 グランデ氏は続けた。

「たとえ、マリーお姉さまを人間に戻すことができなかったとしても、せめて、…、せめて、お姉さまをあの呪いから解放して安らぎを与えて差し上げて欲しいの。それを約束してもらえるかしら?」

「できる限りのことをします。」

 3人はそう答えるのが精いっぱいだった。

「そうよね、そうとしか言えないわね。」

 グランデ氏はため息をつく。

「申し訳ありません。でも、最善を尽くします。」

「そう。少なくともあなたたちの真摯な姿勢はわかったわ。」


「ありがとうございます。それでは、改めてご連絡します。」

「ええ、吉報を待っています。」


 そうして、3人は彼女の部屋を後にした。先ほどの受付の女性に促されて店外へと向かっていく。


「またあそこに行かないとな。」

「そうね、なんとかの1つ覚えみたいだけど、今はそれしか手がないもの。」

「それでは急いで向かいましょう。」

 そういって3人は、雪の上に足跡を刻みながら、例のマークスをたどっていった。


 * * *


 今、3人は『アーカム』にいる。

 アッキーナ婦人が出迎えてくれた。また、貴婦人も来店している。


「いらっしゃいませ。今日はどうしましたか?」

 アッキーナ婦人が話を振り向ける。3人は、現状をつぶさに伝えた。

「『死を招く赤い霧』を防ぐ方法ですか?」

 そう言ってアッキーナ婦人は顔をしかめる。どうやらなにか心当たりはありそうだ。3人がそう思って彼女の顔を見入っていた時、貴婦人が傾けていたお茶のカップをソーサーに置いて言った。

「アッキーナ、あれをもってきて頂戴。」

「よろしいのですか?」

「ええ、この際よ。」

「かしこまりました。」

 アッキーナ婦人はそう言うと、店の商品棚の方へと姿を消していった。


「ところで、あなたたち。」

 貴婦人が声をかける。

「その依頼は、厚生労働省の何という人物から持ち掛けられたの?」

「技官のマークス・バレンティウヌという人物です。」

 ネクロマンサーが答えた。

「そうでしたか…。」

 そう言うと貴婦人は少し眉をひそめた。

「『魂魄の結晶』については、その人物があなたたちに伝えたのね?」

「はい。」

「そう…。」

 そう言うと、彼女はお茶を一口傾けた。


 アッキーナ婦人が手に1着のローブをもってこちらにやってきたのはその時だった。

「マダム、お待たせしました。」

「ありがとう、アッキーナ。」

 そう言ってから貴婦人は3人の方に向き直って、そのローブの説明を始めた。

「これは『死霊のローブ』という禁忌法具です。死を呼ぶ赤い霧を無効にする効果を持ちますが、同時に着用者を冥府の門に誘う機能を持っています。」


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 *呪いの法具である『死霊のローブ』。


「それじゃあ、死んじまうじゃねぇかよ。」

 ウィザードが口を挟んだ。


「いえ、死にはしません。死ぬというより、生きたまま霊体になります。つまり、リッチー・クイーンと同じような状態になるわけですね。」

「しかし、それは事実上、使うことができないというのと同じことですよね?」

 ネクロマンサーも懸念を表明する。

「そうね、心配はわかるわ。でも、このローブが着用者を冥府の門に誘うのは、これを身に着けた者が死の恐怖にとらわれた時だけ。ですから、このローブを身に着けているときに死のことを考えさえしなければ、危険はありません。」


 貴婦人は目を細めて続けた。

「つまり、このローブを身に着ける者には、万難を排して生に向かう強靭な精神力が求められるわけです。それさえあれば、死を呼ぶ赤い霧から身を守りつつ、リッチー・クイーンに近づくことができるでしょう。」

 しかし、それは実際には非常に難しい課題であった。夥しい数のアンデッドを相手に、死をまったく意識せずにいるというのは容易なことではない。3人の顔は緊張にこわばっていた。

「他に方法はねぇのかよ。」

 ウィザードが訊ねてみる。

「そうね。他にはあなたたちがアンデッドになるくらいしかないわね。」

 重苦しい空気がその場を覆った。沈黙が続く。

 それを破ったのはネクロマンサーだった。


「わかりました。やってみます。確かに死は喪失ですが、それは生の半面でもあります。死を知らずして生を語ることはできません。そして死をよく知れば、それを恐れることはなくなります。なぜなら、死は生の前提であり、その帰結だからです。私たちが死を恐れるのはそれを喪失だと考えるからです。そうではなくて、死と生を人生の両面と捉えて、自然の循環の過程だと認識すれば、少なくとも恐れる対象ではなくなります。できると思います!」

「さすがね。」

 そういって貴婦人は一層目を細めた。


「他のお二人はどうかしら?」

 そうしてウィザードとソーサラーの方に流し目を送る。


「私も差し迫る死を経験したことがあります。しかし同時にこの子が、常に希望はあることを教えてくれました。希望ある限り、死を恐れる必要はありません。私もできると思います。」

 ソーサラーはそう答えた。

「とにかく、びびらなきゃいいってことだろ。あたしたちは生きるために生まれてきたんだ。死ぬためじゃねぇ。確かに死は誰にも訪れるが、それは人生の当然であって、びびることじゃあねえんだ。やってやるぜ。」

 ウィザードにも覚悟ができたようだ。

「そう。その心意気なら、きっとこのローブに飲まれることはないでしょうね。」

 そういう貴婦人の目には満足の色が浮かんでいた。


「『死霊のローブ』をあと3着用意してちょうだい。」

 貴婦人が店の奥に向かって声をかけた。アッキーナ婦人は、すでにある1着をたたんでいる。

 しばらくして、店の奥から例の仮面の店員が姿を現した。彼女は綺麗に折りたたまれた3着のローブを3人の前に差し出した。

「くれぐれもこれを身に着けて死のことを考えてはいけません。いいですね。あなたたちに会えなくなるのはさびしいですから。」

 貴婦人は念を押した。


「わかりました。ありがとうございます。」

 ネクロマンサーが感謝を告げる。

「ここの品物が本当に呪われているということは、彼女がよく知っているはずです。」

 ソーサラーが頷く。

「くれぐれも用心して。」

 そういうと、貴婦人はカウンターの上で3人の前に置かれているそのローブを袋にしまって、ネクロマンサーに渡した。

「幸運と成功を祈っています。」

「ありがとうございます。」

 そうして、4人はアーカムを後にした。


 冬の色が一層濃くなる。あたりは白色と寒さに染まっていた。3人の後ろ姿がその景色の中に消えていく。


 * * *


 3人が去ったアーカムの中を冬の静けさが覆っていた。


「本当によろしいのですか?」

「そうね。止めるべきかもしれないけれど…。」

「このままでは、『魂魄の結晶』をみすみす彼の手に渡すことになりませんか?」

「その通りよ、アッキーナ。おそらく、まんまとせしめるでしょうね。」

「しかも、彼女を救うことはできないわけです。彼女たちには衝撃が大きすぎませんか?」

「あなたの言うことはよくわかるわ。」

 貴婦人は一口お茶を傾けた。


「でもね、その事実に、彼女たちと、それからグランデ・トワイライトがどう向き合うのか、それを見守りたく思うの。どんな絶望の中にも、必ず希望の光はあるものよ。救いのない人生はないわ。そうは思わない、アッキーナ?」

「確かにそうですが…。」

「いずれにしても、このままでは誰も救われないもの。私はね、彼女たちの約束がきっと果たされてほしいと、心からそう願っているわ。」

「そうですね。その約束の実現が彼女の魂の救済となることだけは確かです。」

「できれば、もっと完全な救済を与えてあげたいけれど…。」

 そういうと貴婦人は静かに目を閉じて、ひとつ大きなため息をついた。


 アーカムの店内を一層の静寂が包む。その中で、アッキーナ婦人と仮面の店員が日常の用を務めていた。


 冬の陽が静かに暮れていく。

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