第4章
第1節『アカデミーによる葬送』
時が経つのは早いもので、『スターリー・フラワー』の一件からすでに4年の歳月が流れた。みな、『魔術と魔法に関する高度専門論文試験と口頭試問』の関門をくぐり抜けて無事に高等部への進級を果たし、それから早くも2回目の冬を迎えようとしている。
『アカデミーによる葬送』の儀式を告げる重苦しい鐘の音が、冬特有の鉛色に煙る空に向かって、式場から学内全体へと響き渡っていた。
『アカデミーによる葬送』とは、アカデミーの課した任務によって不幸にもその命を落とした学徒および教職員を、丁重に荼毘に付すための荘厳な葬儀である。その名の通り、式典自体はアカデミー内の聖堂で執り行われるが、その挙式の一切は、政府厚生労働省のアカデミー管理部門が一手に担っており、アカデミー側は、その指揮監督のもとで、衛生部門に具体的な司式を遂行させているだけに過ぎなかった。その二重構造のため、この儀式を巡っては、情報の錯綜もしばしばみられるようである。
このところ、月に数度という異様な頻度で葬送の儀式が執り行われており、アカデミーはもとより魔法社会全体に大きな不安をもたらしていた。その原因は、『リッチー・クイーン』という名の強大な『裏口の魔法使い』に率いられたアンデッドの大群である『奇死団』がもたらす辺境集落への頻繁な襲撃にあった。裏口の魔法使いとは、アカデミーの禁に触れて分不相応に秘術を身に着け、あるいは禁忌とされる魔法具の力を不正に解放して、アカデミーから追われるようになった者をいう。ここ魔法社会の、警察と軍事は政府とアカデミーの二重構造になっており、一般的な犯罪・事件や外敵の侵攻については政府警察と政府正規軍が対応するが、裏口の魔法使いなど、アカデミーとの関連性が直接に認められる事柄については、最高評議会のもとに組織されたアカデミーの私設警察および私設軍隊が対処にあたることとされていた。両者の関係はいわゆる縦割りで、よほどの重大事件や大規模紛争の場合には、相互に協力をする場面もないではなかったが、基本的には事件の性質に応じていずれが担当すべきかが厳然と決まっており、相互に干渉を嫌ったのである。
今日もまた、南西部『オッテン・ドット地区』の辺境警備中に偶発した『奇死団』との遭遇戦で犠牲となった『白銀の銃砲部隊』の隊員を悼み、その亡骸を丁重に葬るべく、葬送の儀式がしめやかに執り行われようとしていた。この儀式には、犠牲者の関係者、葬送の実務を取り仕切るアカデミーの衛生部門と厚生労働省の関係各署の職員、そして高等部在籍の学徒、および全教員が出席することとされていた。
「またかよ。」
「ここのところ、多いですね。」
「アカデミーはこの事態をいったいどう見ているのかしら?」
見知った3人の姿がそこにあった。3人?
そう、そこにウォーロックの姿はなかった。彼女は、高等部に進級して間もないころ、アカデミーが厳に接触を禁じる禁忌術式と究極術式、およびその行使に際して必要な大天使の神秘に関する情報に不正にアクセスしたことで、『裏口の魔法使い』として追われる身となっていたのである。今となってはその生死を確かめる術すらなくなっていた。
会式の始まりを告げる鐘が荘厳な音を立てる。参列者は決められた位置につき、司祭の言葉に静かに耳を傾けていた。
「見ろよ、あいつ今日も来てやがるぜ。」
ウィザードが小声でささやく。
「本当ですね。」
と応じるネクロマンサー。
「厚労省の高官といったって、彼は確か技官のはず。どうしてそんな立場の人間が毎回参列しているのかしらね?」
ソーサラーはそう訝しがった。
聖堂の内側を讃美歌と聖歌の合唱がつつみ、その式典は粛々と進行する。天井にも達するパイプオルガンが神聖な音律を奏でていた。今回の犠牲者は12人。看過できる数ではないが、アカデミーはそれでもなお、対『奇死団』作戦においては、近時結成されたばかりの、錬金銃砲で武装した『錬金銃砲団』による集団戦術で対処する方針に固執しており、犠牲者の数は増える一方であった。アンデッドの専門家集団であるネクロマンサーのギルド『死霊術師・屍術士共済組合』は、召喚したアンデッドの大軍を奇死団にぶつけるのがもっとも犠牲の少ない方法であると度重ねて具申しているが、最高評議会を中心として、その提案を積極的に採用する意向は、今のところないようである。
事態を重く見た政府軍事部門では、最高評議会と異なる見解も主張されはじめたようであるが、しかし、目下のところ少なくとも政府厚生労働省は、アカデミーの姿勢に追従して、衛生部門を通じて粛々と葬送の儀式を執り行うばかりであった。
司祭による
アカデミーの任務によって命を落とし場合、一般にその遺体の損傷が激しいため、残された遺族の悲しみと心情に配慮して、アカデミーは遺体の開示および引き渡しを行っていない。この慣行はある時期から例外なく守られるようになった。一部の遺族からは、せめて最期に自分たちの手で葬ってやりたいという要望も強く寄せられているが、公共の福祉への配慮であるとして、アカデミーはそれに応じることをしないでいた。犠牲者の遺族には政府およびアカデミーから手厚い補償がなされるため、多くの者がそれ以上の要求を思い留まるようであり、それでもなお、という声も皆無でこそないものの、アカデミーの姿勢は頑なに貫かれた。
荘厳な雰囲気を始終保ったまま、本日の葬儀が終わった。関係者および参列者は解散となる。
「『奇死団』問題、深刻ですよね。私は『死霊術師・屍術士共済組合』の提言が的を射ているように思うのですが…。」
そう、ネクロマンサーが言う。
「最近の、襲撃事件の頻度は少々異常だぜ。」
「そうね、『リッチー・クイーン』の目的は一体何なのかしら?」
3人は最近の世情について語りながら、それぞれの寮室に戻っていった。
* * *
『リッチー・クイーン』は『リッチ《最高死霊》』という呪われた位階をもつ裏口の魔法使いで、死霊術の奥義を駆使しては、彷徨える屍となって各地を徘徊するアンデッドの群れを糾合して、強大な軍隊組織をしつらえた存在である。その目的は全くの不明であるが、被害は凄惨かつ苛烈を極め、襲われた村落の住人はみな惨殺されるか、アンデッドとして奇死団に組み入れられるかという、いずれにしろ救いようのない最期を迎えることを運命づけられていた。
奇死団は、集団として恐ろしいだけでなく、リッチー・クイーンその人の卓抜した呪いの魔法力によって、その脅威を幾重にも増し加えていた。まず、彼女は、常に『苦痛と苦悩を分かつ石』という神秘の法石をあしらった軽鎧付ローブを身に着けており、彼女に対する攻撃は、それがもたらす苦痛を攻撃者にそのまま反射した。つまり、致死性の攻撃は、攻撃者にも同様に致死的効果をもたらすということであり、それ故に、迂闊には彼女に手を出すことができないという深刻な問題を惹起していた。
また、彼女が行使する呪われた禁忌の死霊術『死を呼ぶ赤い霧:Crimson Fog Calling Death』は、その場に存在するすべての生者を無差別にアンデッドに変えて奇死団に組み入れるという実におぞましいものであったが、こうした種々の脅威に対する姿勢は、政府とアカデミーで大きく異なっていた。
事態をより重く見た政府軍事部門は、アカデミーが管轄する私設軍事部門に直接働きかけ、最高評議会の決定とは違う方向からの局面打開を模索していた。しかし、その取り組みは、組織間連携の難しさが際立つばかりで遅々として前進していない。
それに対して、最高評議会を頂点とするアカデミー側は、アンデッドに効果があるとされる『魔法銀の法弾』で武装した『白銀の銃砲部隊』の、奇死団に対する十分な抑止効果を誇張し、現状それ以上の対策は必ずしも必要ないとする消極的な姿勢を一貫していた。
不思議なのは、たとえば『魔法銀の法弾』よりも更に対アンデッド効果の高い『炎鉄の法弾』の量産や、『炎鋼の法弾』の新規開発に関する予算の拠出をアカデミーが渋っていることである。彼らのこうした消極的姿勢については、魔法社会における人権向上委員会などをはじめとして、学徒の生命と尊厳を著しく軽んじる残酷な方針の維持であるという鋭い糾弾がなされているが、遺族に対する補償が十分であることから、そうした批判が十分な世論の後押しを得られていないのもまた事実であった。
いずれにせよ、いま魔法社会全体が、アンデッドの襲撃による絶望と恐怖に打ち震えていたのである。
* * *
数日後、アッキーナからの呼び出しを受けて、3人は『アーカム』に集まっていた。そこには例の貴婦人も同席している。
「急に呼び出してごめんなさいね。」
貴婦人が3人を気遣った。
「構いません。それで今日はどうなさったのですか?」
ソーサラーが応じる。
高等部に進級した頃からであろうか。これまでは、彼女たちの方からアーカムを訪問するばかりの一方通行であったものが、双方向に連絡をとる形へと変わっていた。といっても、なにかしら特別の手続きを経るわけではなく、今ではすっかり魔法社会に普及・定着した通信機能付きの携帯式光学魔術記録装置に、アッキーナからの着信がある、というだけのことであった。もちろん、その日のアッキーナの姿までは装置越しに直ちにはわからないわけであるが、そのマジック・スクリプト《発信者を識別する番号のようなもの》は1つであったことから、発信者がともかくもアッキーナであると識別することは容易であった。ちなみに今日は、少女アッキーナからソーサラーの端末に着信があった。
「『奇死団』のことはもちろん知っているわよね?」
「はい、最近アカデミーでは犠牲者が後を絶たず、葬送の儀式が頻回に執り行われています。」
ネクロマンサーが深刻な声で言う。
「あいつらはもう彷徨える屍の集団ってレベルじゃねえよ。ちょっとした軍隊だぜ。」
ウィザーも話に加わった。
「今日お呼びしたのはまさにそのことなの。アカデミーのあの不十分な対応をこれ以上黙認しておくのは忍びなくなってきました。あなたにはこの意味がわかるわよね?」
貴婦人は、その目を細めてネクロマンサーの顔を見た。
「はい。相手がアンデッドの場合、最良の策は、こちらもアンデッドの大軍を繰り出すことです。そうすれば少なくとも生者の犠牲は出ませんし、リッチー・クイーンの『死を呼ぶ赤い霧:Crimson Fog Calling Death 』の脅威を事実上無効化できます。手前味噌というわけでもないですが、私は『死霊術師・屍術士共済組合』の主張が的を射ていると考えています。」
「さすがね。」
貴婦人は一層目を細める。
「とにかく、このままアカデミーに任せていたのでは、事態が悪化する一方なのは目に見えています。それであなたたちにお願い、というわけなのです。」
3人は顔を見合わせた。
「調べたところによると、次に奇死団が出没する可能性が高いのは、アカデミーから南西の方角にある『シーネイ村』という小さな農村だということがわかりました。どうやら奇死団は先日遭遇戦があった『オッテン・ドット地区』から西部国境を沿岸沿いに北上しているようなのです。
そこで、あなたたちにはその村の護衛をお願いしたいの。護衛といっても、大切なのは奇死団と戦うことではなく、村の人々を無事に退避させて、その被害を最小限に食い止めることです。ちょうど、そこから少し南に下ったところに『アカデミー特務班』」がキャンプを張っていますから、そこまで彼らを安全に誘導していただきたいのです。」
そう言うと貴婦人は、手元のカップを一口傾けた。
『アカデミー特務班』というのは、アカデミーの衛生部門に所属して厚生労働省の直々の指揮で動く、遺体回収のための特別チームである。有力な魔法使いと高度な回復・治癒術式を身に着けた僧侶および聖女からなる文字通りの特別編成で、被災地や紛争地の近くにキャンプを張って、そうした現場で被害者が出た場合に、後日『アカデミーによる葬送』を完遂するため、犠牲者の遺体または瀕死体を速やかに回収する特別任務を負っていた。その部隊の実力は折り紙付きで、どのような過酷な現場からであっても、確実に犠牲者の遺体を回収していた。その任務が失敗したのは、ここ10年程の期間でたった1度だけだと伝えられている。
もちろん、それほど速やかな遺体回収が可能なのであれば、彼女たち自身を増援として差し向け、犠牲の回避をまず図るべきではないか、とか、犠牲が出る前に彼女たちに退路を確保させればよいのではないか、などという至極もっともな批判は後を絶たないが、とにかくも、アカデミーによる手厚い補償という事柄が、まるで麻薬のように人々の批判的思考を麻痺させていたのであった。
「人命救助だな、任せとけってんだ。ついでにあたしが奇死団を壊滅させてやるぜ。」
そう息巻くウィザードを貴婦人が諫めた。
「それはいけません。護身・護衛のために最小限度の交戦をすることはやむかたないところでしょう。しかし、深追いや全面衝突は絶対にお避けなさい。特に、もしその場にもしリッチー・クイーンが臨場していたら、ほかのことは一切考えないで、村人と一緒に特務班のキャンプまで一目散に逃げるのです。それが約束できないのであれば、今の話は忘れなさい。」
「すまねぇ。」
ウィザードがしょげる。その顔を見て貴婦人が言った。
「大丈夫です。あなたの心根はよく知っています。その正義感と向上心はいつかきっとあなたを大きく成長させるでしょう。ただ、何事も直情に任せてはいけない場合がある、ただそれだけのことです。」
それから、彼女は奥に向かって声をかけた。
「お茶を淹れかえてくださるかしら?」
いつもなら、エメラルドの瞳の少女がよちよちと奥の台所に姿を消していくところである。しかし、件の少女は樽に腰かけてクラッカーをポリポリとかじるばかりで一向に動く気配がない。
そうなのだ。3人が高等部に進級したころ、ちょうどアーカムとの相互連絡が始まったあたりと期を一にして、ここアーカムに新顔の店員が現れたのだ。
その彼女はいつも、正体を隠すかのようにローブを目深に着込み、魔法の呪印が複雑に施された仮面を身に着けて顔を隠していた。3人はすでに彼女とも馴染みであるが、その仮面の下の素顔を見たことはただの一度もなかった。
アッキーナの話では、北方騎士団との領土境界線にあって小競り合いの絶えない『ノーデン平原』での紛争に不運にも巻き込まれ、その際、顔に大やけどを負い、剰え、その喉は火の熱さによってつぶれてしまったのだったということである。
奥からその女性が、お盆を持って姿を現した。3人と貴婦人に軽く会釈をしたあと、めいめいにお茶をふるまっていく。今日のそれは『マリンガの黒ゴマ茶』という一風変わった風味のもので、強めの薬効とゴマ油の風味が独特なエスニックな特徴を醸していた。貴婦人の説明では、飲む者の生命力を高め、次の行動に向かう活力を促進する代物なのだそうだ。
少女アッキーナとウィザードはこれが少々苦手なようだったが、ソーサラーとネクロマンサーは美味しそうにカップを傾けていた。
* * *
「どうでしょう?引き受けていただけるかしら?」
ウィザードは合点承知という顔をし、人助けならばと、ネクロマンサーもまんざらでもない。そのなかでひとり、ソーサラーだけが複雑な表情を浮かべていた。
「相手は、アンデッドの集団なんですよね。」
そういう彼女の瞳には明らかな翳りが見えた。
「私の術式は…。」
そう言いかけたところで、貴婦人が目を細めて言った。
「あなたの心配はわかるわ。あなたは水と氷のソーサラーとしてとても優秀だけれど、対アンデッドということになると、その効果はどうしても限定的になるものね。」
そうなのである。水と氷の術式は、押し流すか凍らせるか、あるいは氷刃のようなもので切り裂くかであるが、それらの特性はことごとく対アンデッドという点では不利に働いた。スケルトンやゾンビのような、腐肉を残すアンデッドが相手の場合には、それでも高水圧で粉砕したり、氷刃で切り裂いたりすることに一定の効果が期待できたが、ゴーストやスペクターなど、すでに腐肉を失った霊的存在に対しては、それらのアプローチはほとんど意味をなさなかった。また、霊的存在を低温によって凍りつかせるということも不可能であるため、ソーサラーは一般に耐アンデッド戦において大きな弱点を抱えていたのである。
これほどの天才でも自分の能力に限界を感じる場面というのがあるのか?ウィザードにとってソーサラーのその反応は意外だった。その場に俄かに重苦しい雰囲気が漂う。
その時だった。『マリンガの黒ゴマ茶』と交換に、その前に飲んでいたお茶のカップを下げるべく台所に戻っていた仮面の女性が、両手に一振りの剣を携えてその場に姿を現した。
「ありがとう。」
そういうと貴婦人はその剣を女性から受け取り、ソーサラーの前に示す。
「これは『ソウル・セイバー』という呪われた剣です。しかし、随所にあしらわれた真石パールが、極めて優れた耐アンデッド性能を与えています。これをあなたに貸し出しましょう。」
そう言うと貴婦人は、そのまがまがしく青白い光を放つ剣をソーサラーに差し出した。
「ただし、この剣を決して直接に武具としては振るってはいけません。これを剣として振るうたびに、それを握るあなたの手指からは血が奪われ、長く使っているとあなたがアンデッドになってしまします。」
では、どうすればよいのか?そんな面持ちでソーサラーは貴婦人の瞳に見入った。
「この剣は、武具としてだけではなく、術式を引き出す媒体としてもとても優れています。そして、今話したように優れた対アンデッド性能をもっているわけです。つまり…。」
それを聞いてソーサラーがハッとした表情を浮かべる。
貴婦人はその美しい目を一層細めた。
「できると思います。」
ソーサラーは頷いて見せた。
「では、これをあなたに。」
そういうと、貴婦人はソーサラーにその柄を握らせた。
「くどいようですけれど。」
貴婦人は声のトーンを落とす。
「これを剣として振るってはいけません。それだけはくれぐれもお忘れないように。お化けになったあなたになんて会いたくないですから。」
そう言うと貴婦人は冷めかけたお茶を一口傾けた。
「できるだけのことをやってみます。」
ソーサラーは身に着けていたローブを脱ぐと、そのむき身の剣を包んで膝に抱いた。
「それでは、お引き受けいただけるということでよろしいわね?」
3人は頷いて応える。
「これは、ギルド『アーカム』から、あなた方への正式な依頼です。もちろん報酬はお支払いします。また、万一の時には保険契約に基づいて十分な補償をいたしましょう。」
貴婦人が目配せすると、仮面の女性が保険契約に関する書面を持ってきて、めいめいに渡した。
「それにご署名くださいな。」
その促しを受けて3人は書面にサインをし、用紙を仮面の女性に手渡した。それには、どのような場合にどのような条件で保険金の支払いが行われ、またその他の補償内容の対象になるか、蟻のように小さな文字で約款がしたためられていた。
「これで契約完了です。みなさんの健闘に期待しておりますわ。」
* * *
ここ魔法社会では、アカデミーは教育機関であるだけでなく、実務機関として、また慈善団体としての性格を併せ持つ総合的な組織であった。
実務機関であるとは、そこに在籍する高等部および一部中等部の学徒によって、労働力の提供が魔法社会に対して実際にされるというという意味である。実務の依頼は、各々が所属するギルド、例えばネクロマンサーであれば通常は『死霊術師・屍術士共済組合』からなされ、その依頼を受けて職務に当たるのが一般的な仕組みになっていた。この社会では、彼女たちは10代前半の実に早い時期から経済的自立を迫られるのであり、親元に貴族が多い裕福なソーサラー科の学徒達を別にして、みな何かしらの社会的機能を担わなければ生活を維持できないという事情があった。
今回の場合、有力貴族の嫡出令嬢であるソーサラーにとっては、依頼の諾否によって経済的影響を受けるということはなかったであろうが、身寄りに乏しいウィザードやネクロマンサーにとっては、ある種の死活問題であったのである。
いずれにせよ、事程左様にして、3人はシーネイ村村民の護送任務に着手することになった。
シーネイ村は、アカデミーを中心に地図を見ると、そこから南西に2日ばかり行ったところにある村落で、アカデミー特務班のキャンプはそこからさらに半日ほど南に下ったところに展開されていた。
3人は念のため、衛生部門に連絡を取り、そのキャンプの展開状況を確認したが、貴婦人の説明は当該部署による説明と精緻に一致しており、信頼のおける情報であることが確認された。
『全学職務・時短就労斡旋局の事務所』に寄って、公務遂行のための休暇取得願いを提出する。依頼元を『アーカム』とすることはもちろんできないわけであるが、虚偽の情報を記載しても、アカデミーからの照合によって、すぐに露見してしまう。貴婦人が言うには、『南5番街22-3番地ギルド』と書けば大丈夫ということであったので、3人はその通りに記載した。
ほどなくして公務のための休暇取得は許可され、3人はシーネイ村へと向かう準備に奔走する。水、食料、水薬、回復薬、魔力回復薬、着替え、ローブ、その他の装具に武具、持参すべきものは非常に多い。アーカムで依頼を引き受けたその2日後、大荷物で達磨のようになった3人はゲート前に集合していた。
「シーネイ村までは、ここから約2日の行程ね。」
そういうソーサラーに、ネクロマンサーが続いた。
「マダムの話では、その北上速度から逆算して、シーネイ村付近に奇死団が姿を現すと見込まれるのが、今から約10日後。つまり、現地に着いてから約1週間は、住民の方々の避難誘導に割ける時間があることになります。」
「特務班のキャンプまでは普通に行って半日ほどだから、大人数・大荷物で移動しても1日、2日あればたどり着けるだろうぜ。キャンプには十分な物資があるはずだし、特務班の精鋭がそろっているから、そこまでの移動にさえ成功すれば、安全は確保できるはずだ。」
ウィザードが任務の見通しを確認した。
「それじゃあ、行きましょう。」
ネクロマンサーを先頭に置いて、3人は任務への旅路についた。
時はすでに12月の初旬を過ぎてその中ごろに差し掛かってる。日々寒さは増すばかりだ。灰色に煙った空から粉雪がちらついている。
人影とも荷物の塊ともつかないその姿は、かすむ冬の気配の中に静かに消えていった。道のりは長い。
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