第2節『シーネイ村にて』

 アカデミーを出発してから、もうずいぶんと歩いた。冬の陽は早々に西に傾き、夜のとばりがおり始めている。シーネイ村まで約2日の行程のうち、そろそろ半分を消化した。この行程においては『ケトル・セラーの街』が最後の大きな市街区で、そこを過ぎると一気にひと気はなくなる。手付かずの自然が旅人を歓迎する様相となり、3人は街道を取り囲む森に差し掛かっていた。シーネイ村まで、かろうじて道は整備されてはいるが、舗装はされておらず、獣道と大差ないものであった。夜間にそこを行くのには大きな危険が伴うことが予想される。特に、この少し南方まで『奇死団』が来ているのだとすれば、その分隊、もしくは『リッチー・クイーン』に引き寄せられた別の『彷徨える屍』と、偶発的に遭遇しない保証はない。したがって、森が深まる前に、野営をしようということになった。


「今日はこのあたりにキャンプを張りましょう。」

 ソーサラーは荷物を降ろし、あたりを確認しながらそう言った。幸いにして近くに清水をたたえた小川が流れており、水の補給ができそうである。

「さすがこの季節だな、陽が落ちるのが早えぜ。」

 荷を下ろし、薪を集め始めながらウィザードがこぼした。

 ネクロマンサーはさっそく数体のゴーストを召喚し、テントの設営を手伝わせている。薪集めを終えたウィザードがそれに魔法で火を起こすと、すっかり陽の落ちていた周囲にあたたかい明かりが戻った。


「食事にしましょう。」

 そういうとソーサラーは焚火に鍋をかけ、持ってきた携帯用の食材をその中に入れる。しばし炒めた後でそこに水といくばくかの食材を追加し、鍋料理を作り始めた。メインの食材は鶏肉で、その他にいくらかの野菜と魚介の干物が添えられていた。それらが鍋の中でぐつぐつと音を立てはじめる。ネクロマンサーは夜中に焚火を絶やさないよう、テントの設営を終えたゴーストたちに薪拾いをさせていた。

 ソーサラーは鍋に調味料を加えて味を調えながら、鼻歌を奏でている。ウィザードは、3人分の水筒と、何本かの空の薬瓶をもって近くの清水まで水の補給に行った。


 冬の空は透明感があり、そのガラスのドームのような天球に、美しい星座が軌跡を描き始めている。星々の瞬きは麗しく、月あかりが静かに3人のいるあたりを照らしていた。


「そろそろいいわよ。」

 ソーサラーが2人を呼ぶ。

 彼女は貴族の嫡出令嬢ではあったが、使用人をよく使うためにはまず自らが様々なことを知り、経験しておかなければならないという両親の教育方針を受けて、幼少のころから調理・裁縫・掃除といった家事の一通りをわきまえていた。特に調理については、よほど腕のよい料理人に仕込まれたのであろう、その手際と味付けは見事なものであった。

 3人は、各々の荷物から小ぶりの椀とさじを取り出し、焚火を囲んでソーサラー自慢の料理を賞味し始めた。用意できる食材は、干物か魔法瓶詰しかないため、それほど凝ったことはできないはずであるが、彼女の手が織りなすその鍋料理は実に美味で、まる1日歩き続けてきた空腹を満たすに充分であった。


 3人は、葡萄酒を開けた。ここ魔法社会でも、齢20歳に満たない者の飲酒は原則として禁じられているが、満16歳を迎えた後は、葡萄酒とビールの飲用についてだけは、適量に限り認められていた。

 先ほどウィザードが汲んできてくれた清水で椀を軽くすすぎ、そこに葡萄酒をついで乾杯した。その葡萄酒は例の貴婦人が餞別にと持たせてくれたもので、なんでも体力と魔力の回復に効果があるのだそうである。


「旅の成功に!」


 そうして椀を傾ける。その酸味とアルコールが1日の疲れを癒してくれた。3人は、もう一杯ずつ葡萄酒を椀に入れ、ゆっくりと酔いしれていく。出た話といえば、年相応の少女のものであったが、この3人は特段異性には興味がないらしく、恋の話には花が咲かなかった。

 その一方で、おしゃれや衣類、好みのお店から食べ物などについては大いに話が盛り上がる。アーカムで供されるそこでしか飲めない不思議なお茶のこと、貴婦人がたまにおみやげに持たせてくれる古のお菓子のこと、話はつきることがなかった。ほろ酔いになった3人は、ネクロマンサーを中央にして肩を寄せ合い、互いの身体を温めあいながら、古い童謡を一緒に歌ったりして親交を温めた。その傍らで、ゴーストが集めてきた薪をせっせと火にくべている。

 夜もすっかり更けてきた。ネクロマンサーは数体のゴーストを見張りに立てるとともに、護衛用に力の強い死霊を何体か召還して、テントの周囲に配置した。


 この魔法社会では、アンデッドは人間の生活と密接に関連する、いわば隣人のような関係にあった。それは、制御を失うと『彷徨える屍』となって人に害をなすようになるが、召喚者または作成者による制御が効いている間は、実によい労働力であり、時に兵力であって、魔法社会における不可欠の一翼を担っていた。だからこそ、奇死団のように、アンデッドが結託して人を襲うというのは、身近に差し迫る脅威だったのである。

 3人はテントの中で身を横たえ、しばし明日の行程などを確認した後で早々に眠りについた。まだまだ旅の道のりは長い。


 月が星々と星座の間を縫うようにして天空をゆっくりと駆けていく。あたりは一層静けさを増し、ときおり聞こえる獣の遠吠えがその静寂を一層際立たせていた。


* * *


 翌朝は美しい晴天であった。清水からきりが立ち上っており、冬の朝日の光を受けてそれはきらきらと輝くヴェールのようであった。まだ時間的には早かったが、不測の事態に備え一刻も早くシーネイに到着しようと、3人は出発の準備を急いでいた。テントや寝袋といった大きな荷物はゴーストたちに片付けさせ、その間に3人は清水で顔を洗い、手拭いで簡単に身体を拭いてから焚火の場所に戻った。そこでは健気なゴーストが一晩中番をしてくれており、火を絶やすことなく守ってくれていた。

 3人はその火で湯を沸かし、簡単に淹れることのできるコーヒーを準備して、昨日と同じ椀に注いで朝食をとった。朝食は乾パンと干し肉、いくばくかの野菜の魔法瓶詰という簡単なものであったが、その日はじめの滋養摂取としては十分であった。


 ゆっくりとコーヒーで身体をあたためながら、その日の行程を確認していく。途中特段のことがなければ、夕方にはシーネイ村落に入れるはずで、今晩はそこで宿をとるか野営するかし、翌日には村人に事情を説明して、避難活動を開始しようということで段取りが決まった。今日もほぼ一日歩き詰めになる。コーヒーを飲みほした後、椀をしまい、火の始末を確実にしてから、各々大きな荷物をしょって再び歩き始めた。


 荷物をゴーストに運ばせれば楽できるわけであるが、それらは日中の日差しを極端に嫌う。あまり長時間日光に当て続けると灰になってしまうため、原則として彼らを使役できるのは陽が落ちてからか室内に限られていた。腐肉を残すアンデッドの方は、日光による灰化の心配こそないものの、その肉体は文字通り腐敗が進んでいるためあちこちもろくなっており、荷の重さに耐えられずに気が付いたらどこかで潰れていたというようなことがよくある。そうした厄介を回避する意味で、面倒ではあるが、荷物については自分たちで運搬しようということになっていた。


 太陽が東から南に、そして西に、まるで彼女たちの歩みがその原動力になっているかのように、天上を駆けて行く。せっかちな冬の陽がいよいよ地平線に差し掛かろうかというころ、3人の目前に、天然のままでなく人の手で管理された原風景が広がり始めた。シーネイの集落に到着したのだ。といっても、まだ街道の脇は田や畑ばかりで人家はまばらであったが、そこから1時間も歩かないうちに、人里にたどり着くことができた。藁ぶき屋根の小屋が連なるその小さな村落には、生活感がありありと感じられ、そこに息づく人々の活気と活力が伝わってくるようであった。


 3人は街道で出会った村人に村長の家を教わり、ひとまずそこを訪ねることにした。陽はすっかり西に傾き、青紫色の空に一番星が瞬いている。


「ごめんください。」

 ソーサラーが先ほど教えらえた家の戸をたたく。村長というからには、それなりに高齢の人物なのであろうことを想像していたが、中から出てきたのは、齢40歳そこそこの、短い栗毛の髪に碧眼の、美しい顔立ちの女性であった。


「いらっしゃい。旅のお方かしら?」

 女性が問うた。

「はい。現在、西方国境を沿岸沿いに北上中の奇死団から、みなさんの安全を確保するためにギルドから派遣されたものです。」

 ソーサラーがかいつまんで事情を説明した。

「そうなの。わかったわ。ここじゃなんだからとりあえず入って。」

 そういって女性は3人を家に招き入れた。そこは藁ぶき屋根の小さな小屋であったが、室内は綺麗に整理整頓されており、清潔感に満たされていた。ちょうど食事の準備の最中であったのか、かまどにかかった鍋からは空腹を刺激するなんともいえないあたたかいかおりが漂っていた。室内はあたたかく、3人の凍えた身体をやさしく癒してくれた。

 女性は食卓につくよう3人に促し、自分も席についた。テーブルには6人分の座席があったが、彼女が普段使っているのであろうその椅子以外は、ずいぶんと厚い埃に覆われていた。3人はローブの袖で軽くその埃をはたいてから、ゆっくりと椅子に腰を下ろす。

「いま、食事の準備をしているから、ちょっとお待ちね。」

 台所から女性の声が聞こえてきた。

「お気遣いなく。」

ソーサラーはそう答える。

「こんなものしかないけれど…。」

 そう言って、女性は寸胴鍋いっぱいにこしらえたシチューをテーブルに運んできてくれた。

「いけません。私たちはご用件をお伝えしたらすぐに失礼しますから。」

 そう言うソーサラーの横でウィザードはその鍋の中身にくぎ付けになっている。


「遠慮なんてすることないよ。あたしはここで一人暮らしだら、時々こうして何日か分の食事を作り置きするのさ。あんたたちが訪ねて来たのが今日でちょうどよかったよ。ひとりで摂る食事ほど味気ないものはないからね。私に付き合うと思って、一緒に召し上がりなさいな。」

 そういうと女性はお椀を用意して、そこにシチューをついでくれた。ウィザードの茜色の瞳がきらきらと輝いている。


「それでは、せめてものお礼に…。」

 そういうとネクロマンサーは、自分の荷物からまだ封を切っていない新しい葡萄酒の瓶を取り出した。

「いいのがあるじゃないか。ご相伴にあずかるよ。」

 そう言うと、女性は台所に戻って木製のコップを4つテーブルに運んできた。

 そこにネクロマンサーがゆっくりと葡萄酒をついでいく。

 女性が作ったシチューの香りと葡萄酒の香りがあいまって、3人と、今知り合ったばかりのもう一人の女性の空腹と食欲を大いに刺激していた。

 食事を始める前に、4人は自己紹介を交わした。その女性は、ネリーという名で、一昨年までは彼女の父親がここの村長をしていたのだが、狩りの途中で運悪く彷徨える屍に遭遇し、村の仲間数名とともに帰らぬ人となったのだとのことであった。その後は、公選を経て、彼女が村長の仕事を引き継いでいるのだそうだ。


 ネリー村長の用意してくれた食事と、ネクロマンサーが供した葡萄酒は食卓を華々しく彩った。用意されたシチューは兎の肉を煮込んだもので、その肉は口の中でほどけるほど柔らかく、旅の疲れを癒すには十分すぎるほどの美味であった。香辛料を少し強めに効かせたその味付けは、3人の舌をすっかりとらえていた。


「それで。」

 酔いが回ってしまう前にと、ソーサラーが切り出した。

「奇死団のことはご存じですね。」

「ああ、もちろん知ってるさ。ついこの間も、ここからしばらく南に行った先にある集落がやられたばかりだよ。」

 葡萄酒を傾けながら、リリーはため息交じりにそう言った。彼女が言っているのは、おそらく、白銀の銃砲団の12人の隊員が犠牲になった、オッテン・ドットの遭遇戦のことであろう。隔地の情報が辺境の地域でも共有されているということは、その脅威が着々と間近に迫っているのであることを物語っていた。


「実は現在、奇死団は西方国境を沿岸沿いに北上していまして、その進行速度から逆算すると、これから約8日後にここシーネイの村落付近に出没すると見込まれています。それを受け、私たちは『南5番街22-3番地ギルド』の依頼により、皆さんの安全を確保するためにここにやってきました。」

 相変わらず、理路整然とソーサラーが事情を説明する。

「『南5番街22-3番地』って、聞いたことのないギルドだね?」

 ネリー村長はコップを片手に小首をかしげた。それもそのはずである。当の3人も実はそれがどのようなギルドなのか、そもそも実在するのかどうかさえ知らないのだ。しかし、『アーカム』から派遣されてきたというわけには、もちろんいかない。


「これをご覧ください。」

 ネクロマンサーが自分の荷から1巻の書状を取り出して、それを広げて見せた。それは件の『南5番街22-3番地ギルド』による、ギルドの職務と任務についてしたためた一種の辞令ないしは証明書で、もし身分を証明する必要があるときにはこれを相手に見せるようにと、貴婦人から言われてネクロマンサーが預かっていたものである。

「この辞令は確かに本物みたいだね。まぁ、この魔法社会にギルドはいろいろあるからね。変なのでなければ、特段気にはしないよ。それで、私たちにどうしろっていうんだい。」

 ネリー村長が問う。

「はい、残念ながら、このところ奇死団の勢力は増す一方で、情報通りここに姿を現した場合、対抗する術はありません。」

「もっともだね。」

ネリー村長は一口葡萄酒を含んだ。

「ただ、幸いにして、現在『アカデミー特務班』がここから半日ほど南の場所で大規模なキャンプを展開しています。ですから、まずは村の方全員、そこに移動していただき、その後はアカデミーの指示で市街地に設営された被災地救援所へ移動していただきたいのです。」

「私たちにこの村を捨てろっていうんだね?」

「残念ながら。」

 ソーサラーの声が曇る。


「政府軍隊がアカデミーとは別の組織を結成して近々運用を始めるような話も耳にしたけど、そういう応援が得られる可能性はないのかい?」

「はい、現在のところ、政府とアカデミーの間で調整が難航しており、あと8日のうちにこの村落全体を護衛するのに十分な増援の到着を期待することはできません。」

「そうかい…。」ネリー村長が視線を下に移す。

「私たちも最大限の支援と協力をいたします。ですから、どうかご理解ください。」

「そうだね、あんたの言うことがもっともだ。わかったよ、明日さっそく集会を開いてみんなにそのことを伝えよう。ただね…。」

 ネリー村長が言葉をつまらせた。

「あたしゃこの若さだろ。まぁ、あんた達に比べればずいぶん老け込んではいるが、正直村長というには少しばかり威厳が足りなくてね。だから、あたしのいうことを素直に聞いてくれない村民もきっといると思うんだ。彼らをどう説得したものか、少々難しいかもしれないね。」

 そう言って、更に葡萄酒を口に含む。

「その点については、私たちからも説明と説得を行います。」

 ソーサラーがそう言い、ネクロマンサーとウィザードも力強く頷いた。

「そうだね。あんたらの言うことであれば、耳を傾けるかもしれないね。なにせ、こんな辺境まで命がけで来てくれたあんた達の言うことだ、邪険にする道理もないさ。」

 そういって、ネリー村長はコップをあけた。


 そのとき、夜はずいぶん更けていた。おそらく21時をまわったくらいであっただろう。


「今夜はどうするんだい?」

 ネリー村長が訊ねた。

「手ごろな場所を見つけて野営するつもりです。」

 ソーサラーがそう答える。

「この寒い中でかい?」

「はい、昨日も森の中で過ごしました。必要な準備は整えているので、ご心配には及びません。」

「でもね、わざわざ遠くから足を運んできてくれたあんたたちを寒空の下に放り出すというも、こちらの気が引けるね。」

 そういってネリー村長は首をかしげた。

「祖父と父が使っていたベッドは処分してしまったから、床で雑魚寝にはなるけど、外よりはましだろうよ。よかったら泊っていきな。」

「でも…。」

 言いよどむソーサラー。


 というのも、ギルドの職務執行中は、可能な限り現地住民に面倒をかけてはいけないことになっていて、救急救命に関する場合を除いて、自立行動をとることが義務付けられていた。

「ギルドの掟は知ってるけど…、母も魔法使いだったからね。そんなことは、言わなきゃバレはしないよ。それに何よりこのあたしがあんたたちをちっとも面倒とは思っていないんだ。年上のいうことは聞いとくもんだよ。」

 そういって奥の戸棚から何枚かの毛布をとりだし、それを手渡してくれた。

「ありがとうございます。それではお言葉に甘えます。」

 ソーサラーは丁寧に頭を下げた。

「この家に風呂はないけど、水場はこの奥にあるから、顔と手を洗うくらいはできるよ。それじゃあ、あたしはもう休むから。また明日。」

 そういうと、ネリー村長はベッドがある自室の暗がりへと姿を消していった。3人は教えられた水場で手と顔を洗い、手拭いで簡単に身体をふいてから毛布をかぶって眠りについた。


 若くして村を率いなければならない重圧。ソーサラーはネリーのことを考えていた。彼女もまた、有名貴族の嫡出令嬢として常に周囲の期待を背負わされ、息の詰まる思いをすることが多かった。また期待というのは、それに応えられたときはよいが、裏切れば思わぬ事態を引き起こすこともある。瞼の裏の美しい黄金色の瞳の上に舞う銀の砂を眺めながら、遠い昔のハンナとの一件を思い出していた。

 静かに意識が眠りの中に吸い込まれていく。やがて、銀の砂も見えなくなった。


* * *


 翌朝、ネリー村長は早朝から起きだして、各家々を回り、正午に緊急の集会を開くことを知らせて回った。小さな村落であるとはいえ、そこそこの人家があるため、すべての家を回るのに要した時間は2時間を下らなかった。

 ソーサラーとネクロマンサーは、出かけるネリー村長から、朝食準備の許可を得ており、せっせと台所を動き回っている。ふたりが朝食の準備をしている間、ウィザードは一人、村に出かけてその集落の状況をつぶさに確認していた。万一遭遇戦となった時の退路の確保などについて考えをめぐらせているようである。

 時刻が9時に差し掛かろうとしていたところに遅めの朝食である。パン、ベーコン、鶏卵、サラダ、それにコーヒーとさまざまな料理が食卓を彩っていた。あらかたの準備が終わったところに、ネリー村長とウィザードが戻ってきた。


「こりゃあ、ありがたい。こんなにきちんとした朝食をとるのは何年かぶりだよ。」

 ネリー村長の声が弾んでいた。

「おかえり。どうだった?」

 ソーサラーがウィザードに訊く。

「とりあえず、正面門を閉めて、裏から村人を順次移動させていけば大丈夫なはずだぜ。あとは時間だけの問題だ。見通しではあと7日。3,4日で移動準備が完了すれば、安全にキャンプまでたどりつけるだろう。」

 ウィザードは先ほどの見分の結果を伝えている。

「さあさあ、みなさん。朝食にしましょう。」

 そういって、ネクロマンサーが淹れたてのお茶のポットをもって台所から食卓へとやってきた。めいめい席について、朝食のひと時が始まる。

「それで、集会の首尾はどうですか?」

 ソーサラーがそう尋ねると、

「正午に開催する予定に決まったよ。一応全部の家が参加するそうだ。あとは、うまく話をまとめられるか、だね。」

 そういいながら、パンをコーヒーでのどに送った。

 朝食を済ませて、その後片付けをしていたら、正午はどんどんと近づいてくる。4人は、村人に告げる内容、その順番、提案の仕方といった事柄を詳細に打ち合わせ、11時30分に村の集会場へと向かった。


 その集会場は古いラファエルの教会を改装したもので、40から50名が一堂に会することのできる広さの場所だった。

 4人が到着したとき、すでに何組かの村人が、集会場の中で待っていた。

「今日はありがとう。」

 ネリー村長が挨拶をして回るが、その中に一人、彼女の挨拶に対して首を背ける中年の男がいた。村長は気にするでもなく集会場の奥の、かつては説教台であったのだろうところに行って、居住まいをただした。

 そうこうしているうちに時刻は正午となり、集会場には村人が一堂に会した。会場内は静かにざわついている。

「みんな、聞いてちょうだい。」

 ネリー村長が話し始めた。

「ギルドから派遣された魔法使いのお嬢さんたちの話では、今日から1週間のうちに奇死団がこの村の近くに現れるそうだ。その規模と数からして、あたしたちだけじゃあとても対抗できないから、南に展開されているアカデミーのキャンプまで、みんなで移動することにしたい。」

 会場のざわめきが一気に大きくなる。村人は心配そうな面持ちで互いに顔を見合わせていた。

「みんなの心配はよくわかるよ。あたしとしてもなんとかこの村を守りたい。しかし、相手はあの奇死団だ。ついこの間も、ここから南の集落が襲撃されて、偶然居合わせたアカデミーの特殊部隊もろとも全滅したことはみんなも知ってるだろう。村を離れることには生活の心配が付きまとうが、殺されちゃあ元も子もない。だから、あたしは、村長としてみんなに頼むよ。ここを離れて南に移動しよう!」

 彼女がそう言い終わるのを待たずして声が聞こえた。

「俺たちにこの村を捨てろというのか?」

 さきほどネリー村長の挨拶から顔をそむけた男だ。

「奇死団が来るというが、誰かがそれを見たわけじゃねぇ。第一、ここ数か月この界隈に彷徨える屍は出ていねぇんだ。自分の親父がそいつらに殺されたからって神経質になりすぎてるだけのことだろうよ。」

 男は続ける。

「なぁ、みんな。ここは先祖代々守り続けてきた村だ。ここにいようぜ!」

 集まった村民の一部からその言葉に対して賛辞が送られた。拍手をしてい者もいる。その一方で、命あっての物種、村長の言う通り逃げるが賢明と言い出す者ももちろんいて、その場は一気に騒然となった。がやがやと議論ともつかない言葉の応酬が繰り広げられた。


 どうにも収集がつきそうにないので、ネリー村長は多数決をとることにした。ネリー村長の提案に対して、賛成が21,反対が18が、保留が7という非常に難しい結果となった。


 ソーサラーとネクロマンサーのふたりで、現有の戦力では実力による対抗は不可能であること、政府もしくはアカデミーからの増援は期待できないこと、残り日数に限りがあって一刻も早く移動を開始する必要があること、さらには、アカデミーが災害救助施設を用意しているので、そこまで行ってしまえば、当座の生活の心配はないことなどを具体的に説明して見せた。その後に再度多数決をとると、結果は、賛成が30,反対が11,保留が5というように変わった。


 しかしながら反対派の一部は実に強硬で、何があってもここを離れることはしないの一点張り。議論は完全に膠着してしまった。ネリー村長が「これは既定の村長決定だ!」としてかまをかけたりもしたが、反対派は聞く耳を持たなかった。幸いなのは保留派が、多数派への恭順の意思を示したことくらいだった。結局その日はそれ以上の説得は難しかったため、ウィザードとネクロマンサーが、賛成派の誘導準備を翌日から開始し、ネリー村長とソーサラーで村の防備にとりかかる、ということでとりあえずの落着を得た。


 冬の陽はすでに大きく西に傾いており、濃いオレンジ色の光がその古いラファエルの教会を染め上げている。3人はそこに懐かしい人の瞳の色を垣間見ていた。


 ネリー村長が、3人に物見やぐら付きの、今はもう使われていない粉ひき小屋をあてがってくれた。おかげで3人は、当面の準備が整うまでの作戦遂行拠点を得ることができた。そこは古い石造りの小屋で、中は粉と埃と蜘蛛の巣でいっぱいだったが、ネクロマンサーの召喚した幽霊たちはそれをせっせと掃除して、どうにか人が居住できる状態に整った。ウィザードは持参した羊皮紙にこの村の見取り図を描いて、防衛のための計画を練り始めた。

 3人にこの場所を提供してくれたとき、その去り際にネリー村長の言った「面倒かけてすまないね。」という言葉が彼女たちの心にとげのように刺さっていた。


 冬の陽はすっかり沈み、片付けや掃除を終えた3人が夕飯にありついたのは22時を回ってからのことだった。その日は、乾パンと干し肉、少々の魔法漬けだけを口にして早々に床に就いた。といっても、固い石畳の床の上で、村長が貸してくれた毛布をかぶるだけの簡易な床であった。冬の寒さは厳しくなる一方であったが、幸いにもこの粉ひき小屋には煙突付きの暖炉があり、ウィザードがそこに火を準備してくれたため、寒さをしのぐことはできた。


 月が夜空高く青白い光を放ち、その周囲を冬の星座たちが彩っていた。明日からはただでさえ少ない人員を二手に割いて作戦に当たらなければならない。3人は緊張をかかえながら、静かに眠りに落ちていった。

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