第3節『再訪』

 講義が終わった。


 首筋を汗が流れ落ちる。既に夕刻に差し掛かっているが、夏の陽は高く、これからまだ何事かを成そうとするには十分な時間が残されていた。夜まではまだ長い。ゲートの柱に背をあずけて、誰かを待つ若いウォーロックはしきりに看護学部棟の方を見やっていた。昼間の約束は果たされるのか、ほんの少しの心細さとともにそこに佇んでいる。


 彼女は昨日からのことを思い出していた。コイル巻きの暗号と呼ばれる迷路に気づいたのはつい先月のことだ。この魔法の街の地図を広げて全体を俯瞰すると、ところどころに電磁コイルを巻いたかのような一連の通りの流れが現れるのだ。それを見出した時の興奮といえばなかった。辻々が織りなすそのコイル状の連鎖にはいくつかのパターンがあったが、なかなかその全容はつかめなかった。分からないならば試すしかない。若いウォーロックは持ち前の好奇心と行動力に身を任せ、全てのパターンを総当たりで試してみることにした。最初は、その道を左巻きにたどるべきか、右巻きにたどるべきか、それすらわからなかったが、あるとき、とある一連の通りを右巻き辿ると、クリーパー橋のところでうまくくるりと線が回らなくなることに偶然気づくことができた。それできっと左巻きが正解なのだろうと思い定め、それから毎日、ひとつひとつ候補となり得る通りをひたすら左回りに巡りながら、その街を彷徨った。思えば、コイル巻きの暗号というのもずいぶん怪しい情報だった。週間魔法誌の特集にたまたまアーカムのことが載っていた。記事は面白おかしくそこにたどり着くための秘密について書き連ねており、その中に「コイル巻きの暗号」という言葉があっただけなのだ。だから、コイル状に通りを巡っていけばアーカムにたどり着けるかもしれないというのは、その実は彼女の思い付きでしかなかった。そもそもその雑誌記事は、本気でアーカムを取り上げるでもない、ただの娯楽記事にすぎなかったのである。


 しかし、昨日、彼女はついにその道筋を見つけた!その突飛な思い付きは当たっていたのだ。アーカムへは、特定の通りを特定の順序で踏破することでたどり着けた。ポイントとなる通りは全部で5つ、クリーパー橋の西の切れ目から、マーチン通り、アカデミー前、リック通りを経てクリーパー橋の高架下を通りぬけ、最後に南大通りを南下する。すると本来は別の店があるはずのアカデミー前との交差点にアーカムが現れるのだ!肝心なのは、クリーパー橋を渡るのではなく、その高架下を行くことであった。このように進んでいくと、クリーパー橋の高架をくぐるあたりから周囲が霧に覆われてくる。南大通りを南下するに従ってそれは次第に濃くなっていき、アカデミー前との交差点に差し掛かるころには、周囲数メートルしか見えないほどになっていた。そしてそのただなかにアーカムはあったのだ。アーカムといえば、違法魔法具店の中でも、政府とアカデミーから第一級の指名手配を受けている特別の存在だ。だから、それがアカデミー前と南大通りの交差点に位置しているというのはあまりにも意外だった。木を隠すには森の中ということか。いずれにしても濃霧の中に『アーカム』の看板を見つけた時の感動は生涯忘れることはできないだろう。道順暗号の出発点となるところから、通りの頭文字を繋ぐと、マーチン通り:Martin Street、アカデミー前:Academy Avenue、リック通り:Rick Street、クリーパー橋高架下:under the Creeper Bridge、南大通り:South Avenueで、M.A.R.C.S.となる。このM.A.R.C.S.というのは、魔法社会に住む者なら誰もが知っているおとぎ話に登場する古いことばで、「魔法のお印」というような意味だ。偶然の一致かどうかはわからないが、そのお印の位置にアーカムは確かに存在していた。街全体には、コイル状に通りが巡る個所は他にもいくつかあったが、その頭文字が有意な意味を示すのはこの組み合わせしかなかった。


* * *


 そんなことを思い出していると、看護学部棟の方からこちらに小走りで向かってくる人影が目に入る。彼女だ!黒髪のネクロマンサーは、昼休憩の約束を反故にはしなかった。これで冒険が始まる。若いウォーロックの心は、興奮と好奇に満たされていった。


「遅れてごめんなさい。」


「いいのよ。看護学部棟からここまでは遠いもの。そんなに待ってもないし。それより随分走ったみたいね。大丈夫?」


「ええ、大丈夫です。回復術式の実習が長引いてしまって。それから、例の制服転売についての注意と指導が講義後にもあったりしたものですから…。」


「そうだったの。それにしてもその制服、そんなによく売れるのね。ウォーロック科のこの黒いのも売れないものかしら?まぁ、色気の違いってやつなのよね、きっと。」


 ウォーロックは苦笑いを浮かべてから、言葉を継いだ。


「さあ、行きましょう!といっても結局はここに戻ってくるんだけどね。」


「どういうことですか?」


「アーカムはここからすぐのところにあるのよ。昨日と同じ手順で行けるならね。でも、随分遠回りをすることになるわ。結構時間がかかるからすぐに出発しましょう!まずは、クリーパー橋の西端までいかないと。」


「そんなに遠くまで行くのですか?目的地はこの近くなのに?」


「そうなのよ。そこが迷路暗号の出発点。クリーパー橋の西を行き切って、マーチン通りからそれは始まるわ。そこから特定の道順でここまで戻ってくるの。面白いわよ。」ウォーロックはころころと笑った。


「さぁ、出発!」


「はい。」


 二人は歩みを進める。道すがら、二人は色々な話をした。お互いの名前、専攻科、それを選択した理由、将来の夢にはじまり、好きな魔法具のブランドから好みの異性の特徴まで、話に花が咲いた。面白かったのは、最初よそよそしい感じのしたネクロマンサーの少女が、思いのほか少女趣味で、ぬいぐるみやマスコットなど、外観のかわいらしいものをとてつもなく愛好しているという話であった。特に召喚したゴーストのおしりを愛でるのが好きで、いかにすれば一層かわいらしいゴーストを召喚できるかに多くの情熱を傾け、アカデミーでの研究に没頭しているというくだりは、アカデミーでする魔術や魔法学の勉強など退屈だとしか感じていなかったウォーロックにとって、とても新鮮に感じられた。その時のネクロマンサーの語り口はとても流暢で、朝方の遠慮がちに話す姿とは実に対照的であった。ネクロマンサーの方もまた、ウォーロックの、屈託なく気の置けない話し方に幾分かは慣れたかのようである。途中で休憩することも考えたが、二人とも興味の方が勝ったようで、そのまままっすぐにM.A.R.C.S.を辿って行った。


 昨日と同じように、クリーパー橋の高架下を抜け、南大通りに差し掛かったあたりから、天候の良さとは不釣り合いに濃い霧があたりを覆い始めた。そこからアカデミー前通りに戻ってくる頃には、あたりはすっかり真っ白で、照り付けていたはずの太陽は、霧のヴェールの外でぼんやりとした輪郭をだらしなくゆらしていた。霧は夏の暑さを強調し、ふたりとも汗がやまない。アカデミー前の交差点は、石畳が整備された清潔な場所のはずであるが、あたりの空気には不思議と土や草の香りが入り混じって、その場所のもつ特別な時代性を醸し出していた。やがて『アーカム』の看板が二人の前に姿を現す。


* * *


「ここよ。」


 声を弾ませてウォーロックはネクロマンサーに言った。


「ええ、驚きました。本当にこんなところにアーカムがあったのですね。」


 彼女の美しく黒い瞳もまた好奇の光で輝いて見える。


「さぁ、行きましょう。さらに驚くことがあるわよ。」


 ウォーロックはいたずらっぽく笑うと、昨日と同じ見慣れぬ錬金金属のドアノブに手をかけた。あの時と同じ冷たさがてのひらに伝わる。


「あれ?」


「どうしたのですか?」


「開かないわ。」


「でも、ドアには『商い中』とありますよ。」


「そうよね。でも開かないの。昨日は簡単に開いたのに…。」


 必死にドアを引っ張るウォーロック。その手に力がこもる。


「もしかして、押すんじゃないんですか?」


「え?でも昨日は引いて開けたのよ。」


「代わってみてください。」


 そういうとネクロマンサーはドアノブに手をかけ、ドアを押して見せた。ゆっくりとドアが開く。


「ほら。」


 ウォーロックは狐につままれたような顔で、ただ目を白黒させていた。


「さぁ、いきましょう。」


 ネクロマンサーに促されてふたりは店内へと足を進めていく。店内の様子は見た目には昨日と変わらない。細い通路の両脇にはありとあらゆる魔術具や魔法具が乱雑に積み重ねられており、その多くは埃をかぶっていた。でも何かが違う。ウォーロックにはそう感じられていた。そう、香りだ!昨日この店に入った時には、埃と黴かびの入り混じった咳を誘う独特の匂いが鼻についたが、今日はハーブのような芳醇な香りが店内を満たしている。


「素敵な香りですね。」


「そうね。昨日はこんな感じじゃなかったんだけど…。」


 言い淀みながらも共に奥へと進んでいく。狭い通路を抜けると例のカウンターが見えてきた。だがその様子もまた違っている。昨日は誰がそこにいるのか直ちには分からないほどのうすぼんやりとした明かりだったが、今日は瀟洒な飲食店の入り口のように、明るい光に照らされている。奥から、聞き覚えのあるようなないような声が聞こえてきた。


「いらっしゃい。」


 本当なら、そこには見知ったあの幼い少女の姿が見えるはずだった。少なくともウォーロックはそれを期待していたし、それと違うことが起こるとは考えてもみなかった。ところが、実際に目の前に姿を現したのは、ブロンドのボブカットにエメラルド色の瞳をたたえた少年だった。


 全体的な容貌だけなら昨日の少女に似ていないわけでもない。美しいブロンド、透きとおるエメラルドの瞳。白い肌。それは同じだ。でもその他が全く違っている。背丈は二人と同じかそれより高いくらいで、樽の上で脚をぶらぶらさせてクラッカーをかじっていたあの少女の面影はない。声も心なしか太く感じる。どうみても男の子だ!


「やあ、あなたでしたか。昨日ぶりですね。いらっしゃい。」


 明らかな驚きと動揺の表情を浮かべているウォーロックを見てネクロマンサーが小声で声をかけた。


「どうかなさったのですか?こちらが店主の方で?」


「え、え、その、そうね。そう…なのかしら…。」


 どうにも言葉にならない。ネクロマンサーはその顔をじっと見入っている。


「おかしな人ですね。昨日会ったばかりじゃないですか?もうお忘れで?僕ですよ。アッキーナです。アッキーナ・スプリンクル。」


 それを聞いてウォーロックの頭はますます混乱した。


「アッキーナですって!?でも、昨日は確か…。」


「あはは。面白い人だ。昨日も今日、も僕は僕ですよ。神秘の魔法具屋『アーカム』へようこそ。再訪を歓迎します。今日もべランドリウムでいいですか?」


「え、ええ。そうね。お願いするわ。でも…。」


 いましがた確かにアッキーナと名乗った少年は、いそいそとカウンター奥の台所らしきところに消えていった。


「どうしたのですか?様子が変ですよ?大丈夫ですか?」


 ネクロマンサーが心配そうにウォーロックの顔を覗き込む。


「アッキーナさんって、もしかしてアカデミーと政府から第一級の指名手配を受けている、あの彼ですか?手配の魔術記録とは随分違いますけれど…。」


 彼…?彼!?。確かに先ほどアッキーナと名乗った人物はちょうど二人と同じ年恰好の少年であった。


「そ、そうね。それはそう。でもね。私の頭がおかしくなったのかもしれないんだけど…。彼、そう彼ね。彼は私の知っているアッキーナではないのよ。」


 ネクロマンサーは意味が分からないというふうに眉をひそめた。


「昨日、確かに私はアッキーナに会ったの。でもね、それは年端もいかない女の子だったのよ。確かにそう、あれは女の子だったわ。」


 ネクロマンサーはますますわからないという顔をする。


「でも、先ほどの方がアッキーナさんなのですよね?彼は昨日もあなたが来たと言っていましたよ。昨日は別人とお会いになられたのではないのですか?」


「いえ、ちがうわ。確かに私は昨日ここにきて、そしてアッキーナに会った。それしか確かなことは言えないんだけれど。でも、それだけは確かだわ…。私は昨日、ここでアッキーナ・スプリンクルに会ったのよ。」


「でもそれは、先ほどの彼とは違う少女だった、と。」


「そうなの。私は夢でもみているのかしら。アッキーナは昨日そこの樽でクラッカーをかじっていたわ。ほら見てよ、まだクラッカーの欠片が散らばっているでしょ?」


 ウォーロックが指さした先の樽の下には、確かにクラッカーの屑が散らかっている。誰かがそこで、つい最近クラッカーを食べていたのは間違いないようだ。今朝方の、強引で押しの強い自信満々の姿とは対照的に、あからさまに動揺を見せるウォーロックの姿がさほど新鮮だったのか、ネクロマンサーは思わず噴き出してしまった。


「ちょっと、笑うことないじゃない!?」


「いえ、ごめんなさい。でも闇市に泥棒を捕まえに行って法石を取り返そうと息巻いていたあなたが、男の子ひとりに手玉に取られていて、本当に大丈夫なのかなって。」


そう言いながら、ネクロマンサーはこみ上げてくる笑いを堪えている。


「なっ!?でも、こっちが全然知らないのに昨日会ったなんて言われたらびっくりするのは当然よ。だって…。」 


 ウォーロックがいよいよ取り乱しているところに件の少年が戻ってきた。昨日は両手いっぱいに抱えていたのと同じお盆を軽々と片手に載せてカウンターまで運んでくる。そこには、昨日と同じ独特の色と香りのべランドリウムのお茶がしつらわれていた。


「どうぞ。」


 少年は二人の前にお茶を供し、席を進めてすすめて自分もカウンターの向こうに腰かけた。今日は樽ではなく椅子に。


「どうしました?冷めないうちにどうぞ。」


「あ、あの。今日はあの方はいらっしゃらないの?」


 ウォーロックは混乱と動揺の中で、声を絞った。


「あぁ、マダムですね。彼女がここにいることはめったにありません。昨日のあなたはラッキーでしたよ。ここで彼女に会えるなんて。ところで、法石の行方は分かりましたか?」


 それを聞いて、ウォーロックは俄かに我にかえる。


「ええ、もちろん。そのことで来たのよ。でも、ごめんなさいね。私がおかしいのかもしれないけれど、あなたは私が昨日会ったアッキーナではないわ。そして今日はマダムもいない。彼女から託された大切な話を、確信の持てない相手に話すことはできないわ。だから、はっきり聞くわね。あなたは誰なの?」


 少年は何か得心したような表情浮かべたあとで、口を開いた。


「あなたの驚きは分かりますよ。確かに昨日あなたが会ったのは今の僕ではありません。でも間違いなく、昨日あなたが会ったのも、今あなたの目の前にいる僕も、アッキーナ・スプリンクルです。訳あって詳細な事情は話せません。また、昨日のに会わせろと言われても、今すぐはできないんです。でも、僕はアッキーナで、昨日あなたが会ったあの女の子です。今は男ですが。もしなんでしたら、マダムと連絡しましょうか?彼女の言葉なら信じられるでしょう?」


 一瞬、返事に窮する。


「いえ、いいわ。ここにはあなたしかいなくて、そしてあなたはマダムと法石のことを知っている。私のことも昨日のことも。それは嘘とは思えないわ。だからひとつだけ訊ねるわね。私は昨日あなたに助けられたことがあるの。それが何だかわかる?」


「スペル・バインの透明ローブのことでしょ?いやぁ、あの時は肝が冷えましたよ。説明も聞かないでいきなり着ようとするんですから。あれを着てしまったらこの世界から姿が完全に消えてしまうんですよ!」


 それは本当に一大事だったという、そんな表情と声色で少年は話した。


「そう、その通りよ。分かったわ。目の前の事実は信じられないけど、あなたという人とあなたの言葉を信じることにするわ。」


「ありがとうございます、わかってくれて。本当はちゃんと説明すべきなんだと思うんですが。ちょっといろいろ複雑なんです。実は、さっき少しだけ嘘をつきました。本当は、昨日の姿に今ここでなって見せることはできるんですよ。でも、それをやったら、それこそあなたはびっくりでひっくり返ってしまうでしょ?だから今日のところはこの辺で勘弁してください。」


 申し訳なさそうな、いたずらっぽそうな表情を浮かべてアッキーナは続けた。


「で、法石の方はどうなりました?」


「闇市の開催場所と日時を知っている人物と接触できたわ。でも交換条件をもちかけられたの。このお店に『恋のしずく』という品物があるでしょ?それと引き換えに情報を教えてくれるそうよ。」


「そうですか…。」


少年の表情が俄かに曇った。


「あなたたちはアレがどんなものかご存じで?」


「惚れ薬でしょ。若い子たちの間では割と有名な話よ。」


「それは、市販のやつですよね。ここのは…。困ったな。今日はあの方もいないし…。」


「どういうこと?それがあれば、法石の場所がわかるのよ?ためらうようなことじゃないじゃない?」


「うーん…。」


少年の返事は重い。


「あれは惚れ薬なんかじゃあないんですよ。巷に出回っているのは、ここにある『恋のしずく』の模造品で、まあ、要するにまやかしなんですが、本物のアレは飲んだ後にはすっかり見た相手の虜になってしまうという厄介な代物なんです。」


「やっぱり惚れ薬じゃない!」


ウォーロックはいらだちを隠さない。


 その横で、ネクロマンサーはべランドリウムのカップを静かに傾けていた。


「その、虜になるというのが問題なんですよ。それは文字通り虜になるわけで、飲まされた相手は金輪際、自分とその相手のことしか認識できなくなるんです。」


「どういうこと?」


「まったくそのままの意味でして。この世で、二人きりの人間のことしかわからなくなるんです。飲まされた相手の世界には、もはや自分と相手しか存在しません。周りにどれだけ人がいようともうそれを永遠に認識することはできなくなるんです。」


「それって…。」


 その言葉を聞いて、ネクロマンサーもさすがに驚きを隠せなかったようだ。カップを傾けたままその黒い瞳をこちらに向けている。


「そんな危ないもの渡せるわけないじゃない!」


 ウォーロックは怒りをあらわにした。


「だから、困ってるんです。法石の在りかを知るためには、今のところそのなんとかさんの協力を得る必要がある訳ですよね?ところがそのためにはその何とかさんのかわいそうな想い人を犠牲にしなければならない。そういうのはなかなか困るんですよ…。」


「その通りね…。」


 場にしばしの沈黙が訪れる。


「あの…。」


その静寂を破ったのはネクロマンサーだった。


「それなら、模造品を彼女に渡してはどうですか?どのみち本物のことはわからないでしょうから、誰も傷つけないならそれが一番に思うのですが…。」


「でも、それでは彼女を騙すことにならない?」


年並みの正義感をのぞかせるウォーロック。


「確かにそうですが、アッキーナさんのお話を聞いてしまった以上、そのお薬を彼女に渡すことができないのは確かです。この際、嘘も方便ということでどうですか?」


「いいえ、それはできないわ。他人を騙すというのは気が進まないもの。そうねぇ、少なくとも嘘ではない解決策がないものかしら?」


 そう言うウォーロックの言葉を聞いて、少年が手を打った。


「それなら、こうしましょう!」


 二人の瞳が少年に注がれる。あたりをべランドリウムの柔らかい香りが包んでいた。


「このべランドリウムのお茶には、かつて『恋人たちのお茶』というニックネームがついていたんですよ。なに、初めての逢引のときにこれを飲むとその恋が成就するというありきたりなものなのですが、幸いにして外の社会にはもうこのお茶はありません。ですから、このお茶のいわれをちょっと誇張して、その何とかさんに差し上げることにしましょう!そうすれば少なくとも嘘にははならずにすみますよ。」


「いいわね。」


「はい。」


 ウォーロックとネクロマンサーは顔を見合わせた。


「それじゃあ決まりですね。お茶を包んできますよ、それらしくね。」


 そう言うと、少年はまたいそいそとカウンターの奥に消えていった。その後ろ姿には、確かに昨日のよちよちとした少女アッキーナの面影が微かにあるようにも感じられる。そんなことを考えながらウォーロックはその背中を見送っていた。


「いい案があってよかったですね。こうした古い『いわれ』って意外に効果があったりするものですから、もしかしたら彼女の復縁も本当に適うかもしれませんね。」


「そうね。確かにそうよ!とにかく、あんな危険なものを渡すことはできないもの。嘘もダメだし。」


 二人がそんなことを話していると、クラッカーをくわえ、手に小さな薬瓶を持った少年が姿をのぞかせた。


「お待たせしました。葉っぱのまま包もうかと思ったのですが、腐るものではないので、薬瓶につめてそれっぽくしてみましたよ。その何とかさんには、想い人と二人でお茶をするときに、その飲み物は何でもいいので、このべランドリウムのお茶を数滴加えるように伝えてください。サイン入りの添え書きにもその旨を書いておきました。これで体裁は整うでしょう。あとはこの古い言い伝えが嘘ではないことを祈るだけですね、っと。」


 そういうと、少年は薬瓶を添え書きとともに小箱にしまって包みをし、ウォーロックに渡した。


「法石のこと、頼りにしてますよ。」


「ええ、任せておいて。」


「お帰りは分かりますね?」


「コイルを逆順に、でしょ?」


「はい。」


* * *


 こうして、ウォーロックとネクロマンサーの二人は、アーカムを後にした。M.A.R.C.S.を逆順にたどるにはおよそ1時間かかる。二人が再びアカデミーのエントランスゲートに帰り着いたころには、西の空が赤く燃え、その学舎を美しく彩っていた。


「じゃあ、これをあなたに預けるわ。きっと、お願いね。」


「はい、明日彼女にこれを渡して闇市について教えてもらってきます。」


「それにしても、真面目で優等生のあなたが、私のこんな道楽に付き合ってくれるなんて、正直思っていなかったわ。ゲートで待ってるとき、本当はふられた気分だったのよ。」


「それはごめんなさい。そういえば、私とあなたは、確か運命共同体なのでしたね?だから話しますけれど、私にも欲しいものができたんです。」


「欲しいもの?」


「はい。なんでも今度の闇市には人為のロードクロサイトが出品されるそうなんです。私はそれを手に入れたいんです。」


「まぁ、あなたって意外と現金なのね!」


「現実的と言ってください。」


笑いながらネクロマンサーは続けた。


「さっき、アーカムに行く途中でゴーストのことを話したでしょう?人為のロードクロサイトがあれば、召喚するゴーストの姿をかなり自由にデザインできるようになるんです。それはあくまで幽霊ですが、女の子を男の子にしたりも…。」


「アッキーナのことね。」


「はい。彼を信用して大丈夫なのですか?」


「そうね…。正直、自信はないわ。でもあの透明ローブのことは、あの場所にいなければわからないはずよ。それを語る、えっと、彼ね。彼の言葉に嘘はないように思えたわ。だから信じてみることにしたの。」


「そうだったんですね。人為のロードクロサイトが手に入ったら、私の手でアッキーナさんを女の子にかえてみましょうか!」


「まぁ、それって、アッキーナを幽霊にするってこと!?」


「うふふ、そうなってしまいますね。もちろん今のは冗談ですが、私にも私の目的ができました。だからあなたのお手伝いをすることに決めたんです。」


「そう、ありがとう。心強いわ。」


「こちらこそ。」


「じゃあ、明日よろしくね。」


「わかりました。お昼にまた今日と同じ場所で会いましょう。」


「ええ。」


 そうして二人はそれぞれの寮室へと向かって歩き始めた。


太陽が西の地平線でゆらゆらと揺れている。生暖かい夏の風がさっと通りを吹き抜ける。それはまるで退屈な日常を掃き飛ばすようでもあった。星がちらちらと輝き始め、静かに夜の帳がおりてくる。

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