第5節『愛と智慧と』
守護石像との激戦の後、ようやく口を開けた岩戸の、更にその奥へとつながる真っ暗な洞穴の中を4人は進んで行った。天上から滴る水音と、吹き抜ける風、そして4人の足音のほかに聞こえるものはなにもない。あたりを不気味な静寂が覆いつくし、視界は魔法の灯火の届く範囲に限られており、それがわずかに照らし出す石の壁と天井、および石畳の通路を除く他は、何物も彼女たちの視覚には届かなかった。奥に進むほど気温は低くなり、ローブの襟元をしっかりと閉じねばならぬほどだ。どれほど進んだであろうか。行く先に、手元の魔法灯火とは異なる、ぼんやりとした明かりが見え始めた。寒さを覚えるほどだった周囲の空気が
神殿内の聖所のような石造りの祭壇の中央に、古竜は巨体を横たえて、静かに息づいている。その姿は紛れもなく竜であったが、頭部には8つの瞳が並んでおり、額にあたる部分にはひときわ大きな9つめの瞳があって、それらが一斉にこちらをじっと見据えていた。
4人に
さっと法具を構えるウィザードを見て、古竜が話しかけてきた。
「やめておけ。無駄なことだ。」
その声を聞いて、ウィザードの身体に一層の力がこもる。
「力で瞳を奪うことはできん。汝らが消える方がはるかに早い。あきらめて武器をおさめよ。」
その荘厳な響きに圧倒され、ウィザードはなすすべなく構えを解いた。
「それでよい。」
一瞬うつむいてから、再度、静かに頭をもたげて、竜は言葉を紡ぎ始めた。
「リセーナ・ハルトマンよ。はるばるよく来た。その心身に残された生涯全ての時間を捧げる覚悟がついに決まったのか?」
声はリセーナにそう訊いた。
「はい。私の信じる道は、彼の願う道です。」
リセーナはそう応える。
「しかしその献身が何ものかを汝にもたらす保障はない。その道は汝にとっての空虚と絶望となるかもしれぬのだぞ。それでも良いのか?」
「はい、結構です。彼の喜びが私の喜びですから。」
二人は、3人にはわからない会話をしている。彼というのは、パンツェ・ロッティのことであろうが、なぜこの古竜がそれを知っているのか、そもそもリセーナとこの竜に面識があるのか、3人は当惑を隠せないでいた。しかし、それに構うことなく、リセーナと竜の会話は進む。
「では、これから汝に問いをなす。それにすべて答えよ。答えに満足したならば、この『竜の瞳』を汝に授けん。」
そう言うと、古竜は9つの目をすべて閉じ、それから再度それらをゆっくりと見開いた。額にあるひときわ大きな目が
「我は汝に問う。」
竜の声が暗闇に響いた。
「狂おしいほどに心をかき乱し、怒りを喚起し、恐るべき情熱を費やして相手に向けられるもの、それは何か?絆を断ち切り、
さっぱりわからないという顔をする3人をよそに、リセーナは戸惑うことなくそう答えた。
「憎しみです。」
「続けて、我は汝に問う。」
リセーナの答えに何ら言及することなく、古竜は次の問いを発した。
「狂おしいほどの欲求。心をかき乱し、怒りを喚起し、恐るべき情熱を費やして相手を思いやるものは何か?絆を結び、
第1問目と全く同じでいて違うような、不思議な質問が展開される。3人の頭は完全に混乱していたが、リセーナの
「愛です。」
ぐるる…。
古竜はその喉の奥をかき鳴らすような音を発しながら、なお、リセーナの返答について一切の言及をすることなく、更なる問いを繰り出した。
「さらに続けて汝に問う。」
その声は一層重く、畏怖と畏敬を抱かずにはいられないものになっていた。
「狂おしいほどの心の乱れも、心頭する怒りをも退け、熱情から醒まして全てを冷やし去るもの、それは何か?人々の心情に対するもっとも苛烈な返礼となる、それらの名を答えよ。」
その威厳に満ちた声は、リセーナをまっすぐにとらえていた。
リセーナは、大きく息を吐いて居住まいをただしてから、古竜の顔を見据えて答えを出した。
「無関心と拒絶です。」
それを聞いた古竜は9つの目を静かに閉じてしばしうつむいた。暗黒の空間を不気味な静寂が包む。ほどなくして古竜は顔を上げ、すべての瞳を開いた。
「よかろう。汝の心意気と覚悟は理解した。しかし、心に刻め。その献身と愛は大いなる憎しみの原初ともなり得るものだ。また滅私が常に報われる保障はどこにもない。無償の愛は時に脆弱であり、時に無力だ。ただ裏切りに
声がリセーナに決断を迫る。
「結構です。私の愛が、その全てが自己満足にすぎなかったとしても、それは私の選択です。すべてを賭けたが故の顛末であるならば、
リセーナの声には、一切の迷いが感じられなかった。それが、彼女の内心に
* * *
リセーナの決心が、まがいものでないことを確認したのであろう。古竜は頭を下げ、ゆっくりとそこに
古竜は、その手をリセーナに差し出して言った。
「汝の決意はしかと心得た。しかし、繰り返す。おそらくにして、汝の想いは無為をなし、その身をきっと破滅に導くであろう。その先には何一つ残らぬかもしれぬ。それでもよいというのであれば、確かにこれを受け取れ。」
そこには、古竜の瞳そのままの色彩と形をかたどった法石が握られている。
リセーナは、古竜の前にゆっくりと歩み出て、その場に両膝をつくと、両手でうやうやしくその法石を受け取った。
「ありがとうございます。これで大望がかないます。」
それから、彼女は深々と頭を下げた。
「その目に神秘を捉えんと欲する欲深き者よ。罪の深さをその身に刻め。過ぎた野心は必ずや大いなる意思の怒りを買うであろう。犠牲を
時空を超えてすべてを見通すというその古竜は、何のことだか全くわからない言葉を残して、静かに祭壇の奥へと姿を消していった。3人はあっけにとられてその有様をただ見送っていたが、リセーナだけは、古竜のその言葉の意味が分かるかのように、じっとその手の中の『竜の瞳』を見つめていた。
やがて、視線をこちらに向けて、リセーナが口を開く。
「ありがとう。あなた方のおかげでこれが手に入りました。あと少しです。」
何があと少しだというのだろうか?何もかもよくわからないという顔をして互いに顔を見合わせる3人の方を見て、
「帰りましょう。」
リセーナがそう言った。
行きがけは真っ暗だった洞穴はいつの間にかほんのりした明かりに包まれていた。また、あれだけ寒かった通路は、祭壇の周りで感じたあの不思議なあたたかさに包まれていた。古竜の
3人はその道を戻り、かつて岩戸に閉じられていた出口を抜け出て、石像と戦いを繰り広げた広場まで戻ってきた。その瞬間、洞穴の入り口には魔法光によって複雑な呪印が刻まれ、またたく間に、再び巨大な岩戸によって
4人は、昨晩キャンプを張った場所まで戻り、同じ場所で再び一夜を過ごすことに決めた。太陽はまだずいぶん高かったが、ふもとまで降り切るには時間が足りなかったし、その途中でキャンプできそうな手ごろな場所の心当たりもなかったからである。
リセーナは、固い岩の上に腰を下ろして、まじまじと竜の瞳に見入っている。彼女にとって、それはよほど大切なものなのであろう。ただ静かにじっとそれを見つめていた。
ネクロマンサーは昨日の夜と同じように、数体の力の強い霊体を召喚して、一部を見回りにあたらせ、残りを薪集めに繰り出していた。霊体たちが集めてきた薪を使ってウィザードは火おこしをしている。それはいつものキャンプの風景だった。
ソーサラーは、夕飯をどうしたものか思案しているようであったが、霊体が兎を数匹捕まえてきたので、その肉を焼いて料理することにしたらしい。すばやく血抜きして皮をはぎ、臓物を抜き取って、肉をこしらえると、それを串にさして、火にくべられるよう支度した。そのあまりに見事な手際にネクロマンサーがまじまじと見入っている。
「いいお嫁さんになれそうですね。」
「あら、あなた結婚になんて興味があるの?」
二人が、そんな会話を繰り広げている。
「それだけの腕ですもの。もらいては引く手あまたですよ。」
「男になんて興味ないわ。どれもこれも変なのばっかりだもの。」
「確かに、私の身の回りにもあんまり素敵な男性が現れたことはありません。少々おかしな方はよく見かけますが。」
そう言って笑顔を交わしている。
その横で、死霊たちがせっせとテントを設営し、ウィザードは、起こした火の加減を慎重に見ていた。やがて、火力が安定し、十分な薪も確保できたところで、
「そろそろいいぜ!」
みなにそう声をかけた。
その合図に合わせて、ソーサラーが串に刺した兎肉を持ってくる。それを受け取るとめいめい火にかざしていった。串の挿し口から肉汁がにじみ出て、表面が香ばしく焼けていく。ソーサラーはそこに少しばかりの塩コショウを振りかけて味を調えているようだ。和やかな時間が過ぎていく。リセーナは竜の瞳を見つめながら、懐かしい童謡を鼻歌で奏でていた。
太陽はゆっくりと西の空を進み、夜との交代の時期を見計らっている。
「そう言えば…。」
ネクロマンサーが荷物をごそごそし始めた。
「まだあったはずなんです。」
そう言って、リュックの奥からワインの小瓶を取り出した。
「みんなで飲むにはちょっと量が少ないですが、無事に竜の瞳を手に入れられた祝杯をあげましょう。」
ワインの栓を開け、めいめいにそれをつぎわけていく。4人の魔法使いたちは、串の兎肉をほおばりながら、乾杯をかわした。
「旅の成功を祝して!」
ワインの酸味と兎肉の芳醇な味わいが緊張をよくほぐしてくれた。石像との戦い、古竜との緊張感ある問答、盛りだくさんの1日だったが、日暮れのひと時がその疲れを忘れさせてくれた。
4人は、恋とは何か、愛とは何かについてさまざまな言葉を語ったが、しかし、洞穴で発せられた古竜とリセーナの問答ほどに真実を捉えた言葉はないようにも感じられた。
ともに、狂気にも隣接する激情をともなって人々の間で交わされる愛と憎しみの情、その心理的熱情の全てを奪い冷ます無関心と拒絶、そうした人間同士の営みと重なりが、この世界においていったいどのような意味を紡ぐのか、また、それらが行き着く先にいったい何が待っているというのか。更に、リセーナの願いとは何であるのか、そんなことを言葉で彩りながら、夕暮れの時間は静かに過ぎ去っていった。
朝方に周囲を覆っていた重たい雲はいつの間にかはれ、周囲を満点の星空が覆っている。標高の高いこんな場所にいると、上空だけではなく、足元以外の周囲全天が夏の星座で飾られているような、そんな錯覚を引き起こすほどに星々の煌めきは美しかった。高山特有の冷ややかで乾いた風が、汗をぬぐってくれる。心地よい瞬間だった。食事を終えてからしばし歓談した後、4人はテントに入って床に就いた。下山してアカデミーに戻れば、学徒たちが待っている。またリセーナにはリセーナの目的があった。
運命の歯車はまた少しずつ、その先に続く機構に新しい運動を伝えるべく、回転を続けていた。
* * *
翌日の下山にはそれほどの苦労を伴わなかった。というのも、下山さえしてしまえば、その後には大した困難が待ち受けている心配はもはやなかったため、その行程のほとんどを虚空のローブによる飛行で済ませたからである。魔法使いにとって、魔力枯渇は常に憂慮すべき問題であったが、必要な時に使ってこその魔法でもある。上る時にはさまざまな苦労を強いてくれた断崖や割れ目、険しい岩肌を遠目に見送りながら、その傍らをするすると下っていった。体で切る風は、標高の高い時は涼しく乾いていて心地よかったが、下に行くにしたがって湿気を帯びたものとなり、今が夏であることを思い出させる。ところどころで休憩をはさみながらも、ほとんど一気に駆け下りて、今4人は登山口の荒野に到達したところである。
「ここまでくれば中央市街区まであとわずかですね。」
ネクロマンサーが残りの行程を確認した。しかし、それでも中央市街区に帰り着くには、歩いてかれこれ二日はかかる。まだ、それなりの道のりが残されていた。
「あいつら、うまくやっているといいが。」
ウィザードは、『スターリー・フラワー』へ使いに出した教え子たちのことが気にかかって仕方がないようだ。ソーサラーは、メモと矢立を取り出して、今度書くべき錬金術の論文に関するあれこれを記録しながら歩いている。リセーナは、今後のことに思いを馳せているようであった。
* * *
途中、荒野での2回のキャンプを経て、4人はようようアカデミーのある中央市街区にたどり着いた。ハルトマン・マギックスは『インディゴ・モース』の繁華街にあるため、そこに帰るリセーナとはサンフレッチェ大橋の北で別れる手もあったが、学徒達がアカデミーに持ち帰っているであろう荷物を確認する必要があるからと、彼女も一緒にひとまずアカデミーに向かう手はずとなった。
サンフレッチェ大橋からマーチン通りを南下して、ようやくアカデミー前の大通りが4人の視界にとらえられてくる。帰ってきたのだ!
ゲートをくぐると、3人はリセーナを伴って、『全学職務・時短就労斡旋局』の事務所に寄り、そこで今回の任務が無事に完了したことを報告した。また、ウィザードは、シーファたちがすでに帰還していることを同局に確認し、同局職員から手渡された彼女たちの報告書に食い入るように見入っている。
「どうやら、あいつらも無事に任務を完了したようだぜ。カリギュラ退治なんてまぁ、無茶をやらかしやがって。あとでお灸をすえないとな。」
そう言って、報告書をめくるウィザードに、
「無茶は先生譲りよ。立派に育ったじゃない。褒めてあげなさいよ。」
ソーサラーがいたずらっぽい笑みを向けて言った。
カリギュラは政府環境省から害獣指定を受ける危険な魔法生物である。それを中等部の学徒3人だけで討伐するというのはただ事ではない。それをやってのけた3人の教え子のことをウィザードは内心とても誇らしく感じていた。その目にうっすらと光るものがある。
「ね、先生?」
ウィザードの肩を軽くたたくソーサラー。ウィザードはそれに頷いて答えた。
「先に帰還した3人から、リセーナ・ハルトマン様宛のお荷物をお預かりしています。こちらでお引渡ししてよろしいですか?」
同局の職員が訊ねてきた。
「そうですね。できれば、このマジック・スクリプトの先までそのままご転送いただけるとありがたいのですが。」
そう言ってリセーナは、ハルトマン・マギックス社の本社所在地を示すマジック・スクリプトを職員に見せた。
「かしこまりました。それでは、お預かりした荷物はすべてそちらに転送します。その前に、念のため目録をご確認いただけますか?」
職員がリセーナに、荷の一覧表を手渡した。彼女はそれを受け取ると、ローブの裾からペンを取り出して、ひとつひとつに慎重にチェックをつけ始めた。その印は用紙の上から下へ、どんどんと積み重なっていき、やがてその手が止まった。
「間違いありません。これで結構です。」
そう言ってリセーナは一覧表を職員に差し戻した。
「その一覧を貼付して、荷を転送してください。あて名はハルトマン・マギックスのリセーナ・ハルトマンでお願いします。急がせて申し訳ありませんが、明日までには転送いただけますよう。」
「かしこまりました。」
局員はリセーナの手から一覧表を受け取ると、軽く会釈して荷物の方へ向かっていった。
「あなたたちのおかげで、無事に研究を成し遂げられそうです。これが何のためのものであるか、その詳細を明かすのはもう少し先になりますが、少なくともこれで犠牲者を救済できるはずです。」
リセーナは、『人為の天使の卵』計画を思い出させる発言をした。今、アカデミーの暗部では、人間を生きたまま天使に転身させるという狂気の計画が動き始めているのだ。3人の魔法使いの使命は、それを止めることにあった。リセーナとは、そのために一時的な共同戦線を張ったわけである。
「研究の成果は、いずれ近いうちにお目にかけます。それでは、私は少々急ぎますので。」
そう言って、3人に会釈をすると、リセーナはアカデミーを後にした。その後ろ姿は凛として、彼女の意志の強さとその美しさを体現していた。
彼女の背中を見送ってから、ウィザードが、同局の職員に話しかけた。
「いろいろ面倒かけてすまないんだが、例の3人を面談室に呼び出してくれないか?」
「わかりました。今すぐでよろしいですか、先生?」
そう訊ねる職員に、ウィザードは頷いて答えた。やがて、呼び出しのアナウンスが学内にこだまする。
「中等部1年魔術師科シーファさん、純潔魔導士科リアンさん、看護科カレンさん。先生方がお呼びです。至急、『全学職務・時短就労斡旋局』の面談室までお越しください。繰り返します…。」
同じ内容が2度館内を駆け巡った。
「それでは、先生方は先にお部屋でお待ちください。」
職員はそう言って3人を室内に通してくれた。久々のソファが心地よい。職員が淹れてくれたコーヒーのカップを傾けながら、3人は、少女たちの到着を待った。
* * *
やがて、入り口をノックする音がした。少女たちがやってきたのだ!
「入れ!」
ウィザードの声とともに、
「失礼します。」
という声がして入り口が開き、3人の少女たちが姿を現した。3人はシーファを先頭に、リアン、カレンの順で入室した。カレンは何やら大きな荷物を背負っている。
「すでに報告書は読んだ。」
ウィザードが少女たちに声をかけた。
「どうぞかけてください。」
ネクロマンサーが席を勧める。ソーサラーはコーヒーカップを傾けていた。
「先生、ご用意した品物はあれでよかったでしょうか?」
そう訊ねるシーファに、
「品物に間違いはない。それはいいが、しかし、やり方は大間違いだ!」
声を大きくして、ウィザードが言った。
「誰が、あんな危険なことをしろと言った!お前たちが討伐に出なくても再入荷があっただろう?それを待てなかったのか!」
その脳裏には、かつて繰り広げられた、同じような懐かしいやり取りが浮かんでいた。
「確かにその通りですが、ひと月以上もかかるということでしたので、意を決してカリギュラ討伐に出かけました。幸い無事に戻ってこられたのですから、どうか、お怒りをお沈めください。」
シーファがそう弁明する。
「リリー店長に止められなかったのか?」
「店長は最初からご反対で、何度も私たちを止めようとなさいました。しかし、ひと月は待ちかねると申し上げて、私たちの側で無理に出向いたのです。」
「それなら、なぜ、あたしたに連絡しないのか?勝手な判断は身を亡ぼすぞ。」
「わかっています。申し訳ありませんでした。」
あの気の強いシーファが泣き出しそうだ。その肩を小刻みに震わせている。
「シーファだけが悪いのではありません。私たちも賛成して、ともに討伐に向かいました。罰するなら3人一緒に罰してください。」
カレンがシーファをかばう。リアンもその横でこくこくと頷き、ウィザードの瞳をじっと見つめていた。
「よしわかった。三人とも覚悟はいいな?そこに並べ!」
そう言うとウィザードはソファから立ち上がり、その手を動かす。少女たちが首をすくめて身体を固くしたその瞬間、彼女の両腕がやさしくその3つの小さな体を抱きしめた。
「3人ともよくやった。そしてよく戻ってきてくれた。おまえたちを誇りに思うぞ。」
ウィザードは腕に力を込めて、ぎゅっと3人を強く抱き寄せた。その周りで、ソーサラーとネクロマンサーがあたたかい笑みを浮かべている。
3人の少女たちは頭をあげてウィザードの茜色の瞳を見た。
「先生、ありがとうございます。本当にすみませんでした。」
その6つの瞳は涙で揺れていた。
「もういい、何も言うな。無事で何よりだった。感謝している。」
その腕の中で、小さな3人は静かに泣きじゃくっていた。
* * *
「さてと。」
そう言って、ウィザードは居住まいをただした。
「お前たちの報告書によると、リセーナ氏の依頼の荷の他に、何か別の預かりものがあるとのことだが?どういうことか、説明してくれ。」
「はい。カリギュラを討伐して、その遺体をリリー店長のお店に転送した後、不審な人物に森で声をかけられました。」
シーファが説明を始める。
「森で?ずいぶんと奇妙なことがあるものだな。それで?」
「はい。その人物に敵意はないようでしたので話を聞いてみると、ある荷を『アーカム』という場所に届けて欲しいと依頼されたのです。はじめは断ったのですが、その人物はそれを押し付けるようにしてよこして、それきり消えてしまいました。」
「『アーカム』、そいつは確かにそう言ったのだな?」
「はい。」
頷いて答えるシーファ。
「ふむ。」
そう言って、ソーサラーとネクロマンサーの顔を見やるウィザード。二人もここでアーカムの名が出ることが不思議であるようだった。
「それで、その荷の中身は見たか?」
ウィザードが問うと、カレンが持ってきた荷を差し出して、
「これがその荷です。中はまだ確認していません。」
そう言って答えた。
「賢明な判断だったわね。ちょっと待ってね。」
ソーサラーは術式を展開して荷を丹念に調べたが、特段罠などの危険は検知されなかった。
「開けて大丈夫よ。」
その促しに従ってウィザードが荷を開くと、中には美しい鎧付きのローブが入っていた。それは背に翼のような装飾があり、さながら『天使の鎧』といった面持ちの品であった。
「ローブのようですね。高等法具の鎧付き装具のようです。」
ネクロマンサーがじっとそれに見入っている。
「しかし、森の中でこれを預けてくるなんてずいぶんと不思議なことがあるものね。いったい何なのかしら?」
ソーサラーも首をかしげていた。
「なんでも、その者が言うには、いまこれを必要としている人物がいるので、『アーカム』に届けて欲しいのだそうです。」
そう補足するシーファ。
「そうか、わかった。届け先にはあたしたちの方で心当たりがある。差し支えなければこれはこちらで預かるがどうか?」
ウィザードがシーファに確認を求めると、
「先生がよろしければ、それでお願いします。いずれにしましても、私たちではこれを送り先に届けることができません。その所在を知りませんから。」
そう答える彼女に、
「結構。」
ウィザードが返事をした。
「いささかのイレギュラーはあったが、3人とも今回の件は非常によくやってのけた。いい働きだ。ギルドとしての正式の褒章と謝礼は当局に預けてある。このあと受け取って解散したまえ。以上だ。何か質問はあるか?」
「いえ、ありません。ありがとうございました。それでは、失礼いたします。」
そう言って3人は部屋を出て、同局の受付カウンターに向かっていった。初仕事を終えたリアンの表情は今までになくはつらつとしていた。
* * *
「さてと。で、これをどうするかな?」
3人の少女たちが去った部屋の中でウィザードが口を開いた。
「そうね。アーカムに届けろというからには、持っていくしかないんじゃない?」
そう応じるソーサラー。
「罠ってことはないでしょうか?」
いつにも増してネクロマンサーは慎重な姿勢を見せていた。
「見たところ、高等法具ではあるが、おかしなところはないようだ。アッキーナかマダムに見せるのが一番手っ取り早いだろうよ。」
そういって、再度その品を確認するウィザード。
「そうですね。とにかく今日の放課後にでもアーカムに行ってみましょう。」
ネクロマンサーも訪問に同意する。
「それじゃあ、みんな仕事が終わったら、ゲート前で落ち合いましょう。アーカムにつく頃には夜だろうけど、まあ、しょうがないわよね。」
そう言って提案するソーサラーに、ふたりは頷いて答えた。
3人はその特別なローブを荷に戻してから、各自の職場へと戻っていった。荷はウィザードが預かったようである。
「あたしはとりあえず、今回のことをパンツ野郎に報告してくるから、また後で落ち合おうぜ。」
そう言って3人はひとまず別れた。
夏の陽が、まだ夕刻というのは少々早い場所に位置していた。それはゆっくりゆっくりと西に傾いていく。高山とは違って、低地のこの辺りは夏特有の蒸し蒸しとした暑さに覆われている。3人はその現実的な季節感の中で、あるべき日常を思い出していた。
* * *
その日の夕刻遅く、3人はアーカムを訪れた。その日はたまたまアッキーナ婦人とともに貴婦人も居合わせていたが、閉店間近ということで、ゆっくりお茶をすることもないまま、例の荷を預けてすぐにその場を後にした。濃い霧の彼方で星がちらちらと光を放っている。
3人が去ったアーカムの、いつものカウンターで貴婦人と仮面の従業員が差し向かいで座っていた。
「このタイミングでこれをよこすなんて、ユーティもずいぶんと気が利くじゃないですか?」
そう言って、貴婦人はいつものように目を細めながらその美しいローブを眺めている。
「さすがは、ユーティ・ディーマーですね。その
アッキーナ婦人もそんなことを言っている。
貴婦人は、仮面の従業員の方を向き直って、
「さあ。これは、あなたのものよ。」
そう言って、例の鎧付きローブをその前に差し出した。
「これを身に着けて、あなたには一仕事してもらわないといけないわ。そこであなたが見るものは、おそらくとんでもないもの…。その事実と向き合うには相応の覚悟が必要なると思うけれど、大丈夫かしら?」
そう問う貴婦人に対して、
「もとより。」
やけどで潰れたそののどから、出るはずのない声がしみ出て、確かにそう答えた。
「たとえその場で何を見ても、何もしては駄目よ。どれほど強い怒りに駆られ、恐怖にとらわれたとしても、見ること以外、絶対に何もしてはいけないわ。」
貴婦人が釘を刺す。いったい何を見せようというのか?
「約束できるかしら?」
と問う声に、
「きっと、お約束します。まずは真実を確実に見据える必要がありますから。」
声を持たないはずの、仮面の下の口がそう返事をする。
「あなたは本当に強いのね。」
そう言って、貴婦人は仮面の女性の手を取った。
「あなたを、いえ、あなたたちをこんなことに巻き込んでしまって本当に申し訳ないと思っているわ。まさか私のあの一言がこんなことに繋がるとは、あの時は思ってもみなかったのです。迂闊と言えば迂闊、人間は本当に御しがたい生き物だわね。ごめんなさい…。」
「いえ、いずれにしてもこのままにはしておけません。お手伝いをさせてください。」
「ありがとう。感謝しているわ。」
そういってふたりは固く手を握りあった。その姿をアッキーナ婦人がエメラルドの瞳で見つめている。
過ちと贖罪、拒絶と歩み寄り。
人間の世界は常にそうした矛盾と相反に彩られている。必然と意外、偶然と迷走、予見し得ない人生という名の
夏の月は宵闇を高く照らし、一面を青白く彩っている。その色は果たして何を意味するのか?かの古竜の瞳はそれすらも見通すのであろうか?
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