第2節『リセーナの依頼』

 シーネイ村でのこと、奇死団事件、更には、通り魔事件の解決を導いたことから、『南5番街22-3番地ギルド』は魔法社会においてすっかり有名になっていた。近時では、ウィザード、ソーサラー、ネクロマンサーの3人は、各々が担うアカデミーの役職をこなすのに忙しく、ギルドとして活動できる機会はめっきり減っていたが、それでも依頼は後を絶つことはない。

 今日もまた、『全学職務・時短就労斡旋局』の事務所を通して、ひとりの人物が3人への接触を図ってきたのである。それは思いがけない人物であった。3人は今、同局の事務所においてその人物と対面している。


「初めまして。『ハルトマン・マギックス』の最高執行責任者COO、リセーナ・ハルトマンと申します。」

 3人と対面する美しい銀髪の女性は、そう言って手を差し出した。

「初めまして。『南5番街22-3番地ギルド』の者です。本日はお声がけいただき、ありがとうございます。」

 ネクロマンサーが握手に応じた。

 リセーナは、一大魔法具店、『ハルトマン・マギックス』の共同経営者としてはもちろん、パンツェ・ロッティ教授の恋人として、この魔法社会で知らぬ者はいない著名人である。まさかそのような人物が自分たちを訪ねてくるとは、3人も思ってもみなかったようだ。


「みなさんのご高名を伺いまして、私の研究にお力添えをいただきたく、本日は参りました。」

 そうリセーナが話し始めた。

「どういったことでしょう?」

 用意されたコーヒーのカップを傾けながら訊ねるネクロマンサー。

「わが社はこれから、重要な研究の成果としてある錬金を行うのですが、そのための素材を集めてほしいのです。」

 美しい、黄金の瞳の持ち主はそう語った。

「どのようなものでしょう?錬金術の素材の調達であれば、私たちよりも、御社の方が遥かに長けていらっしゃるように思うのですが…。」

 ネクロマンサーがそう応えると、リセーナは微笑んで言った。


「確かに、大抵のものは、私と、それから姉の力で揃えることは可能です。しかし、いくつかはどうしてもあなた方の力をお借りしなければならないのです。」

 そう言って、リセーナは一枚のメモを3人の前に差し出した。そこには、その彼女の錬金に必要になるのであろう素材の一覧が書き記されている。メモの末尾にあって3人の目を特に引いたのが、『ガラドリエルの恵み』と『竜の瞳』であった。


「これは…?」

 そう訊くネクロマンサーに、リセーナが答える。

「まずひとつは、あなた方が持っていらっしゃる『ガラドリエルの恵み』を譲っていただきたいのです。あれは、生命と霊の均衡を司る特別の法石で、今回の私どもの研究にどうしても欠かせないものです。もちろん、ただでとは申しません。十分なお礼をいたします。なんとなれば、この依頼は、姉も承知している『ハルトマン・マギックス』社からの正式のものと思っていただいて差し支えありません。」

 リセーナは、一息ついてから更に続けた。

「もうひとつは、『バレンシア山脈』に生息すると伝わる古の『竜の瞳』です。これは私一人ではとても求めることができません。その入手のために、ぜひみなさんの力をお借りしたいのです。」

 そう言うと、リセーナは、コーヒーを一口のどに送った。


「いかがかしら?」

「そうですね。はじめに、ガラドリエルの恵みについて。これはある方から預かったとても大切なものです。ですから、目的が分からない事のためにご提供することはできません。」

 ネクロマンサーがそう応じると、リセーナはさもありなんという顔で、声が漏れないようにぐっと顔を近づけると小声でささやいた。

「お気持ちはよくわかります。私がそれを欲するのは、アカデミーのある秘密と関係していて、その深刻な問題を解決するためだ、と言えばどうですか?」

 それを聞いて3人は驚きを隠せない。リセーナが言っているのはおそらく『人為の天使の卵』計画のことであろうが、なぜ彼女がそれを知っているのか、俄かにはわからないことが多すぎた。しかし、その秘密を知っていてあえて嘘をいう必要と理由が彼女にはないはずだ。


「はっきりとお聞きします。」

 ネクロマンサーが居住まいをただして問うと、リセーナの黄金色の瞳はその姿勢をまっすぐに受け止めている。

「どういういきさつでその事実をご存じなのかはわかりませんが、今まさに犠牲にされようとしている子どもたちを救うことがあなたの目的だと、そういう認識で間違いありませんか?」

「はい、それで間違いありません。なぜ私がそれについて知っているのか、今すぐここで明かすことはできませんが、私が抱いている危機意識は、あなた方と同じです。私たちは同じ方向を見て、同じことを解決しようとしているのだと考えていただいて結構だと思います。これについては姉も承知しています。」


 その物言いからして、その言葉に嘘はないようだ。3人は互いに顔を見合わせてから、ネクロマンサーが代表して返事をした。

「わかりました。ガラドリエルの恵みはお譲りします。それから、竜の瞳の回収についてもお力添えいたしましょう。」

 それを聞くと、リセーナは安堵したように表情をやわらげた。

「ありがとう。」

「ただし、あなたが知る事実については、詳細とアカデミーの目的が明らかになるまで、絶対に公にしないと約束していただけますか?また、時期ときが来たら、あなたの研究について、私たちにもその内容を明らかにしていただけるものと考えてよろしいですか?」

 ネクロマンサーは、きっぱりとそう宣明する。

「わかりました。きっとお約束しましょう。」

 素直にそれに応じるリセーナ。

「では、正式なご依頼としてお引き受けいたします。」

「助かりますわ。」

 そう言葉を交わすと、二人は固く握手を交わした。


 * * *


「でもよう、これだけのものを集めながら、同時にバレンシア山脈まで出向くとすると、時間がかかりすぎるぜ。」

 ウィザードがもっともな指摘する。

「確かにそうね。少なくとも魔法具店で入手できるたぐいのものについては分担して揃えるべきだわね。」

 ソーサラーも同意見のようだ。

「これらの魔法具について、購入先にあてはありますか?」

 ネクロマンサーがリセーナにそう訊ねる。

「『サンフレッチェ大橋』を特定ルートで渡ることでたどり着ける『裏路地の魔法具店』であらかた揃えることがでるはずです。」

 その言葉に3人は思い当たる記憶があった。

「もしかして、そこは『スターリー・フラワー』という法具店ですか?」

 黒い瞳を丸くしながら、ネクロマンサーが訊く。

「まぁ、では店長さんがおっしゃっておられた方々があなた方なのですね?」

「おそらくそうだと思います。数年前、あのお店を一時的な休店に追い込んだのは私たちです。」

 申し訳なさそうにそう語るネクロマンサーに、

「まぁ、やはりそうでしたか!その顛末は店長さんから聞いています。彼はみなさんにとても感謝しておられましたよ。」

 そう言うと、リセーナは美しい笑顔をたたえた。

「ということは、リセーナさんもリリー店長とお知り合いでいらしたのですね。わかりました。それでは、もし差支えなければ、購入可能な魔法具については、その購入のために優秀な学徒達を差し向けるというのでもよろしいですか?」

「もちろんです。みなさんの教え子さんなら、きっと万全に必要なものを揃えてくれることでしょう。」

 ネクロマンサーの提案を、リセーナは快く承諾した。

「それでは、私たちはともにバレンシア山脈へ、その他の物品の買い出しについては学徒達に任せるということで決めましょう。」

「結構です。」

 そう言って連絡先を交換した後に、その日はリセーナと別れた。


 時節はちょうど7月に差し掛かってすぐの、秋の『全学魔法模擬戦大会』に向かう選手権の最終選抜試合まであといくばくかという頃である。その日の放課後、3人は、さっそくシーファ、リアン、カレンの3人を教員室に呼び出した。『南5番街22-3番地ギルド』として、彼女たちに正式の依頼をなすためである。


 * * *


 今、教員室にあるウィザードの机の周りで、3人の先生と、少女3人が相まみえていた。

「今日来てもらったのは他でもない。君たち3人に、あるギルドからの臨時の依頼を引き受けてももらいたい。」

 ウィザードがそう切り出す。中等部の学徒にとって、ギルドからの依頼を受けられるのはとても名誉なことであった。そのため3人の少女たちの瞳が俄かに期待に輝く。

「依頼主は、『南5番街22-3番地ギルド』、責任者はあたしだ。君たちにはこれからサンフレッチェ大橋を超えたところにある『裏路地の法具屋スターリー・フラワー』を訪れ、ここに書き記した物品を一通り購入してきてもらいたい。購入資金はこちらで用意して君たちに預ける。」


「わかりました。お引き受けします。」

 上ずった声でシーファが答えた。他の2人の少女も頷いている。

「それで、その裏路地の法具屋にはどのようにすればたどり着くことができますか?」

「いい質問だ。サンフレッチェ大橋の欄干らんかん沿いに、ガーゴイルの像までは橋の右端を、そこから鳳凰像までは左端を進み、その先は橋の中央をまっすぐに向こう端まで抜けると行き着くことができる。ガーゴイルまでは右、鳳凰までを左、残りは中央をまっすぐだ。難しい暗号ではないからできるな?」

 かつて聞いたことがあるのと同じようなことを学徒達に指示していった。

「かしこまりました。それで、どのくらいの時期をめどに戻ってくればよろしいですか?」

 シーファが日程を訪ねる。賢い子だ。

「あたしたちは、その件に関連してこれからバレンシア山脈まで出向かなければならない。戻ってくるまでには早くても10日かかるから、それまでに必要なものを揃えてくれれば大丈夫だ。」


「わかりました。」

「以上だ。他に質問はあるか?」

 そう問うウィザードに、

「ありません。大丈夫です。」

 声を揃えて応えるシーファたち。

「結構。それではすぐに出かけたまえ。それから、そこの店長とは古い知り合いでな。よろしく伝えておいてくれ。」

「はい、きっとそういたします。」

「よろしい。では行きなさい。」

 その言葉に背を押されるようにして、3人の少女たちは教員室を後にした。

 時刻はそろそろ夕刻に差し掛かるが、夏の日は一向に衰える気配を見せていなかった。


 * * *


 シーファとカレンはこれまでにも非常勤のギルドの仕事をいくつか引き受けた経験があったが、リアンは今回がまったく初めてのことであり、ずいぶんと緊張している。3人は教員室から寮棟へ引き上げるその足で『全学職務・時短就労斡旋局』の事務所に寄って、職務遂行のための公休を4日間申請した。ウィザードの依頼ということもあってその許可はすぐにおり、3人の少女たちは、早速その翌日から依頼された物品の調達に出向くことに決めたようである。約束の時間は朝7時、待ち合わせ場所はゲート前と決まった。少女たちの新しい冒険の幕が開く。


 夏の夜は短く、月は瞬く間にその天井を駆け抜けて、早くも夜が白みかけていた。窓の外では朝の到来を告げる小鳥のさえずりが聞こえている。

 シーファは予定よりずいぶん早くに起き出すと、出発の準備を始めた。着替えや手ぬぐい、それから念のための非常食と水や水薬に加えて、万一に備え、とっておきの術式媒体である『人為のムーンストーンをあしらったエペ《細剣》』を携えた。『増魔のリボン』を固く結び、ローブを身にまとうと、『虚空の魔靴』を履いてゲート前へと向かっていく。準備は万端だ。


 しばらく待っていると、荷物を持ったリアンとカレンが現れた。彼女たちもまた、十分な用意をしてきたようである。初めてのことで加減がわからなかったのか、リアンは相当な量の荷物をしょっていた。

「それじゃあ、行きましょう!」

 シーファの掛け声にあわせて3人はアカデミー前の大通りを西に進路をとり、そこからマーチン通りを北に抜けて、くだんのサンフレッチェ大橋の南のたもとに出た。


「ここからですね。」

 そういってカレンが欄干の右端に2人を呼び寄せる。

「まずはガーゴイル像。」

 橋の右端を慎重に歩く3人の少女を、やがてそのガーゴイルの像が出迎えた。

「ここからは鳳凰像まで左端を行くのね。」

 そういうカレンの後を進んでいくと、やがて鳳凰像にたどり着く。

「あとは真ん中をまっすぐなのです。」

 リアンのその声のについてなお進んで行った。


 鳳凰像を過ぎたあたりからだろうか、7月のこの時期とは思えないひんやりとした空気があたりを覆いはじめ、真っ白な濃い霧が俄かに立ち込めてきた。魔法の裏路地を行くのが初めての3人にとって、それはとても不思議で不気味な雰囲気に感じられた。橋の真ん中を進むにつれてその霧は一層濃くなり、周囲のほとんどが白一面に覆われてしまって、ほとんど何も見えなくなっていく。湿気た霧の中を橋が尽きるまでひたすらまっすぐに行くと、3人の左手に看板らしきものが見えた。そこには『神秘の魔法具店スターリー・フラワー』とある。

「どうやら無事に着いたみたいね。」

 興奮を隠しきれない様子のシーファ。

「こんなところにお店が隠れているなんて、びっくりなのですよ。」

 リアンは目を丸くしている。

「行きましょう!」

 そう言うと、カレンは扉に手をかけた。


 ゆっくりと扉が開く。

「いらっしゃい。」

 中から声が聞こえた。

「あら、ずいぶん昔にこのお店を訪ねてきたお嬢ちゃんたちにそっくりな、かわいいお客さんね。」

 その声はそう言って笑っている。

「どうも、始めまして。」

 シーファがそう言い終わるか言い終わらないかのうちに声が重なった。

「神秘の魔法具店、スターリー・フラワーへようこそ。あたくしは、ここの店長、リリー・デューです。今日はどういった御用ですか?」

 その声を受けて、カレンがメモを差し出した見せた。

「これらの品々を買い求めたいと思い参りました。それから、先生方が、店長さんにくれぐれもよろしくと。」

「まぁ、あなたたちはあのお嬢ちゃんたちの教え子なのね。あの子たちが先生だなんて、このあたくしもびっくりだわ。アカデミーを追い出されたなんて言ってたのに…。まぁ人生、いろいろあるからね。」

 そう言うと、リリーは、カレンの差し出したメモに視線を移した。

 その瞳が、項目を順に追っていく。


「大体のものは間に合うけれど…。」

 リリーはメモをカレンに差し戻してから、その中ほどを指し示して続けた。

「この、『カリギュラの血清』は今切らしているのよ。ひと月も待ってもらえば再入荷するけど、どう?それで間に合うかしら?」

 それは困った。先生たちは10日の内にバレンシア山脈から戻って来るとのことだから、ひと月というのは長すぎる。

「もうすこし早く手に入れることはできませんか?」

 シーファがそう訊ねた。

「そうねぇ…。」

 リリーは首をかしげてから、

「カリギュラの血清は、巨人カリギュラの身体から取り出した血を基に錬成するわ。だから、カリギュラの死体を持ってきてくれれば、ここでも作ることはできるけれど…。」

 そう言う声に、

「どこに行けば、カリギュラをしとめることができますか?」

 咄嗟に、シーファが問いを重ねた。

「まあ、『ダイアニンストの森』にでも行けばいくらでもいるけれど、背丈が3メートルもある巨人だから、お嬢ちゃんたちの手にはあまるわよ。」

 それは少々無謀だ、というニュアンスを込めてリリーが言う。

「やってみます。3日の内に戻ってくれば、調合してもらうことはできますか?

 どうやらシーファはやる気のようだ。

「それは大丈夫だけれど、本気なの?あたくしはここを離れることはできないから、手伝ってはあげられないわよ。」

 心配そうに言うリリーに、

「やれます!カリギュラという巨人の風体を教えてください。きっと3日の内に退治して帰ってきます。」

 シーファはきっぱりとそう宣言した。

「そう。まぁ、止めはしないけれど無茶は駄目よ。」

 そう言ってから、リリーはカリギュラの血清の瓶に描いてあるその姿を3人に見せた。


「お願いだから無謀なことはしないでちょうだいね。ひと月も待ってもらえば再入荷するんだから。」

 そう言って、リリーは遠回しに再度3人を止めようとしたが、シーファはすでに意を決したようだ。カレンは、先生に連絡して一月後でも大丈夫かどうか確かめてみようと提案したが、もはやシーファに聞く耳はない。リアンはただおろおろしていた。

「ダイアニンストの森は、幸い、中央市街区の南に位置する『タマン地区』からほど近い場所にあります。きっと3日の内に帰ってきますから、調合をよろしくお願いします。どうか、それまでの間にリストの商品を揃えておいてください。」

 そう言うが早いか、早速に店を出ようとしたシーファを、リリーが優しく止める。

「そう慌てなさんな。そんなに急がなくたってカリギュラは、逃げはしないわよ。まったく、あのウィザードにしてあなたありね。」

 そう言って微笑むと、リリーはしばらく店の奥に姿を消した。

 かつての、異形の魔法使いもどきとの戦いで破壊の限りを尽くされたその店内は、すっかり元通りになって、相変わらずセンスの良い陳列をなしている。そこには、およそ裏路地の法具屋らしくない、乙女チックな商品が相変わらず所狭しと並んでおり、きっとその奥には、以前と同じように『Jewelry Division』と『乙女のひ・み・つ』が控えているのであろう。しかし、3人がその存在を知る由はなかった。しばらくして、店の奥からリリーが戻ってくる。

「これをあげるわ。持ってお行きなさい。」

 それは、かつて魔力枯渇を起こした先生たちにリリーが与えてくれた急速魔力回復薬であった。

「こんな貴重な物、よろしいのですか?」

 カレンが遠慮を見せるが、リリーは半ば押し付けるようにしてそれを彼女らによこした。

「約束よ。命を賭けるような無茶はしないで戻ってきてね。時間よりは命の方が大切よ。」

「はい、わかりました。きっと、無事に帰ってきます。」

「気を付けてね。」

 それから、シーファたちはリリーの店を出た。

 あたりはまだ深い霧に覆われている。ダイアニンストの森はそこから南に1日ばかり下った先だ。霧を抜けて、森へと急いでいった。


 * * *


 南大通りを更に南に抜け、『タマン地区』に入る。その日、3人はその街で宿を求めた。ここからダイアニンスト森はすぐである。

 小さな宿であったが、こぎれいに整頓されており、快適な様子であった。廊下には絨毯が敷かれており、室内もまた同様で、それほど広い部屋ではなかったが、2つのベッドと、1つの簡易ベッドが置かれていて、3人が休むには十分である。食事は食堂でとも思ったが、その宿の食堂はバーを兼ねていたため、まだ年齢的に酒を飲むことのできない3人は、部屋で食事をとることを選択した。部屋には、小ぶりのテーブルがあり、シーファとカレンは椅子に腰かけ、リアンは簡易ベッドのふちに座って、それを取り囲んだ。

 外は夏の夕日が西の空に傾き、天上を紺色の空が覆い始めている。濃紺と赤い夕陽のコントラストが実に美しかった。上空では星が瞬き始めている。


 明日からの予定、計画などについて話し込んでいるところに、メイドが食事と食器を運んできてくれた。今日は古城到着初日以来の鍋料理である。メイドの話では、メインの食材はその地区名産の山鳥で、ほどけるようなやわらかい肉質が特徴なのだそうだ。鍋をのぞくと、その鳥肉と野菜が鍋の中でうまそうに踊っている。付け合わせはボウル・サラダで、これまたその地域特産の野菜をふんだんに使用しているのだそうだ。酒の飲めない3人は、メイドにお茶を持ってきてもらい、めいめいに食事を始めた。


「カリギュラさん、やっつけてしまうのはかわいそうかもなのですよ。」

 リアンがそう言った。

「まあ、リアンは優しいのね。でもカリギュラは害獣指定される有害な魔法生物だから、気にする必要はないのよ。」

 そう答えるシーファ。


 そうなのである。カリギュラは自然生物ではなく、『裏口の魔法使い』が雑用のために、また場合によっては一時的な戦力として召喚する魔法生物で、生き物というよりは邪悪な魔法の産物であった。召喚者の管理が行き届いているうちはそれほど有害というわけでもないのだが、用が済んで放置され、野良カリギュラとなると、時折人里に現れては人や家畜を襲うことがあり、政府環境省から害獣に指定されていたのである。本来、召喚した魔法生物は、用が済めば契約を解除して元に戻すことになっているが、裏口の魔法使いにそうした律儀を期待することは難しい。それで、悪しき魔法使いが住処すみかとする深い森などには、カリギュラをはじめ、不正な野良魔法生物が闊歩しているのであった。


「そうなのですね。うまくやっつけられるといいですが…。」

 そう言いながら、山鳥の肉をほおばるリアン。彼女は高貴なソーサラーの血を引く貴族の嫡出令嬢ではあったが、一見そうとは思えないくらいに幼く純粋なところがあった。そんなリアンの表情を見つめながら、カレンがボウル・サラダをつついている。

「でも、カリギュラは身の丈3メートルは下らない巨人と聞くわよ。私たち3人の手に負えるのかしら?」

 心配そうに言うのはカレンだ。

「そうね。確かに中等部駆けだしの私たちじゃ、ちょっと手を焼くかもしれないけれど、他に方法もないもの。やるしかないわね!」

 いつにも増してシーファは強気である。

「万一のことを思って、これを持ってきてよかったわ。」

 そう言うと、彼女は、人為のムーンストーンをあしらったとっておきの術式媒体であるエペを披露した。二人は興味津々にそれをのぞきこんでいる。

「へぇ、あなたってすごい術式媒体を持っているのね。」

 感心ひとしおのカレン。

「実はね、私もとっておきを持ってきたのよ。」

 そう言うと、カレンは自分のワンドを見せた。それには、やはり人為の法石であるオパールがあしらわれていて、美しい色彩を放っていた。術式媒体として強い魔法力の誘因効果がありそうだ。


「ふたりともすごいのですよ。」

 リアンが目を輝かせている。

「んしょ。私のも見てください、なのですよ。」

 そう言うと、ローブの裾からひとふりのロッドを取り出した。それは、どうやら水晶でできているようで、実に美しいものであったが、リアンの出自を考えると、もしかすれば為石錬金術と魔法で作られた人工の法石ではなく真石天然の魔が凝縮して生まれた本物の法石製であるのかもしれない、それほどの輝きを放つ逸品だった。


「みんな、準備は万端のようね!」

 そう言って、シーファはふたりの顔を見る。

「私たちになら、きっとできるわよ。頑張りましょう!」

 その声に、リアンとカレンも力強く頷いて答えた。


 宿の食事を堪能してから、3人はシャワーを浴び、そして早々に床に就いた。明日の朝は早い。たった3人でカリギュラを狩るという大仕事が控えているのだ。緊張はあったが、一日中西へ南へと歩き回った疲れと、美食によってもたらされた満腹感が、彼女たちを静かな眠りへと誘っていった。やがて意識が暗闇の中に溶けていく。月が静かに天空を駆けていた。夏の夜が更けていく。


 * * *


 翌朝は鉛色の雲が重い、すっきりとしない夜明けであった。夏の空はそれでも十分に明るかったが、湿度がいやに高く、とても快適と言える日和ではなかった。3人はクラッカーと干し肉、それにいくばくかの野菜の魔法瓶詰で簡単に朝食を済ませてから《その日の朝食は、めいめいが持参した食料を消費した》、出発の準備に取り掛かった。

「魔力回復薬をくれぐれも忘れないようにね。」

 そう言うシーファに、

「すぐに取り出せる場所に入れておくようにしましょう。」

 カレンがそう答え、リアンがこくこくと頷く。

「それから…。」

 シーファはそう言うと、リアンがかぶろうとしていた『制御の魔帽』をそっと取り上げて、ひとひらのリボンを差し出した。

「リアン、今日はこっちにしましょう。」


 制御の魔帽とは、不安定な魔力制御を安定化させるためにかぶる一種の制限装置で、それを身に着ける者は、一般的に実戦に耐えるだけの魔法力を発揮することが困難であった。しかし、今日は、それでは困ることが予測されたので、シーファはその代わりに、着装者の魔法特性を高める『増魔のリボン』を身に着けるよう、リアンに促したわけである。


「でも、私、あんまり自信がないのですよ…。」

 そう言ってうつむくリアンの頭に手を置いて、

「何を言ってるの。古城で私たちみんなを助けてくれたのはあなたじゃない。あなたの魔法には、先生方も驚いていらしたわ。あなたに足りないのは自身よ。」

 そう言って、その小さな頭にリボンを結んでやった。リアンは、おそらく公式には初めて身に着けるのであろうそのリボンに大きな関心を寄せている。

 一通りの準備を整えると、最低限の野営をはれるだけの荷物のほかは宿に預けて、3人はいよいよダイアニンストの森に向けて出発した。あたりは川から立ち込めるもやで覆われており、朝方からの垂れ込む重い鉛色の雲と相まって、周囲の全体が白く煙っていた。いやに湿度が高くむしむしとする中を3人の少女たちは魔法生物退治に向かって進んでいく。

 厚い雲の裏側で、太陽がゆらゆらと夏の光を揺らしていた。

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愛で紡ぐ現代架空魔術目録 第1篇『純愛篇』 Omnialcay @Dollghters

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