第4節『決戦の朝』

 ああ、いらいらする。腹が立って仕方ない。どうして私だけがこんなに惨めな思いをしなくちゃいけないの!お嬢もお嬢よ、なにも皆の前であんなふうにぶつことないじゃない!おかげで大恥よ。あの女、許せないわ。お父様にだって未だかつてぶたれたことないのに!…ふふ、お父様が私をぶつことなんてないわね…。お父様はなんでも与えてくださるけど、私にもお母さまにも本当の意味での関心も愛情もお持ちじゃないわ。私たちを手元においているのはご自分の対面のためだけですもの…。それは最初から分かっていたわ。私はお姉さま方とはちがう。奥様の娘であるお姉さま方は、お父様から本当の愛情を注がれている。それに対して私は…。いいえ、そんなことはどうでもいのよ。頭にくるのは、あの金髪の劣等ウィザードと、私に恥をかかせたあの女よ。ふたりとも絶対に許せないわ。そうね、まずは全ての種をまいたあの劣等金髪ウィザードを何とかしなくちゃいけないわ。そもそも、あいつがあの女につきまとったりしなければ、私たちは順調に練習を積んで、大会に臨み、上級生のチームにも勝利して、ギルドからのスカウトを受けることができたのよ!そうすれば、あのお父様だって、きっと私のことを見直してくださったはずだわ。そしてそうすれば、お母さまをもっと大切にしてくれたはずだもの。そのはずだったのに、あの劣等種のバカな金髪のせいで全てが台無しになってしまった!


 あの女も、何が贖罪で責任だか知らないけれど、勝手に今年の大会エントリーを取り下げたりして。いったい何様のつもりよ!学年一の天才なんてもてはやされているけれど、私たちが助けてやらなければあんな金髪のバカひとり、対処しきれないくせに。いつでも自分は一格違うというふうにすかしていて、気に入らないったらないわ。いつかあの女とも決着をつけてやる!


 でもまずはあのバカの劣等金髪よ。あいつだけは本当にただでは済まさないわ。私のこの手でずたずたに引き裂いてやる!そうよ、あの金髪を生かしておいたのでは、私の今後の人生はどんどん悪くなる一方だわ。自分の身は自分で守らなければいけない。そのためにも、邪魔者は徹底的に排除しなければ!そう、今こそあの劣等金髪に引導を渡す時よ!!


 そう言い募ったハンナは、自室の机の上に置かれたカップから何かを一気に飲み干した。見てなさい、劣等種どもめ!これからこの私が皆殺しにしてやる!!


 カップを置いた彼女の顔を映す鏡には、光の反射とは違う何か別の輝きが見て取れた。


 * * *


 朝の練習フィールドでは、ウィザードとそのチームメイトたちが教練のためのフィールド整備を行っていた。まだまだ暑いが、少し乾いた心地よい風が吹いている。その時だった。


「劣等金髪、出てきなさい!」


 ハンナの声だ。しかしそれは何か不気味に揺れている。何事か?


「なんだてめぇ、やろうってのか!?」


「そうよ、まずはあんたから。そして次にはここにいる全員血祭りにあげやる!」


 もはや普通の女学徒の言葉ではなくなっている。リズは明らかにおびえていた。喚き散らすハンナの顔を見て、ウィザードはハッと気づく。


「呪印だ!」


 そう、ハンナの瞳には、アッキーナが『ケレンドゥスの毒』の末期症状だとして教えてくれた魔法の呪印が不気味に浮かんでいる。その時が来てしまったのだ。とにかくソーサラーたちにこの状況を知らせるためにも、まずは正気を失っているハンナを止めなければならない。


「いいぜ、返り討ちにしてやる!」


 ウィザードは彼女を止める覚悟を決めてそう言い放った。


 ふたりはフィールドの真ん中にじりじりと進み出る。


「劣等種の分際で、よくも何度も私を無視してくれたわね!絶対に許さない。」


 その表情は怒りと狂気で大きく歪んでいる。なにより瞳の呪印が禍々しい。


「へっ、上等だ。かかってきやがれ。」


「ふん、あなたの弱点なんてお見通しなのよ。すぐに終わらせてやるわ。」


『水と氷を司るものよ。この手に氷の礫を繰り出す力を与えたまえ。氷礫:Ice Balls!』


 ハンナの手から4、5個の大きな氷礫といくつかの小さな破片がウィザードに向かって繰り出された。


「へ、ずいぶんしけた数じゃねぇか!」


 ウィザードはさっと身をかわす。


「くっ、バカにして!」


 続けざまにハンナは氷礫を繰り出す。その数についてはあの天才を相手にする場合とは比べるまでもなく問題にならない(あの天才は、一度の詠唱で15から20個近い氷礫を繰り出してくる)。しかし、ハンナの詠唱スピードは速い。うかうかしていればいつかは捉えられる。


「うってきなさいよ。あんたのへなちょこ火の玉を!」


 ハンナが立て続けに氷礫を繰り出しながら挑発する。さすがに初等術式だ。詠唱が短い分反覆速度が半端ではない。しかもこの氷礫の魔法は魔力消費量が小さいため、連続で使用してもソーサラーのもつ魔力量であれば、そう簡単には魔力枯渇は起こさない。氷礫をかわしながら、ウィザードはフィールド全体をところ狭しと走り回る。「きっとやれるぜ!」そう自分自身に言い聞かせた。しかし、しょせん火の玉:Fire Ball の術式では、詠唱速度の遅さと、命中精度の問題で、ハンナ相手といえども話にならない。しかも魔力消費量はこちらの方が大きいときている。チャンスはそう何度もある訳ではない。とにかく相手を疲れさせて詠唱のリズムが乱れた時を狙わなければ!あのしけた氷礫ごとぶっとばしてやる!


「どうしたのよ!そんなのであの女に勝つつもりでいたの!?笑わせないで。最初からあんたなんてこの私で十分だったのよ!」


 ハンナはなおも執拗に、氷礫を絶え間なく一定のリズムで繰り出してくる。しかし、数が知れているのでかわすのは難しくない。なおもウィザードはフィールドを駆けまわる。


「炎しか能のない劣等ウィザードが、私たち優れた血統のソーサラーに勝てるはずなんてないのよ!」


 その声が揺れる。疲れが見え始めた。


 氷礫を繰り出すリズムに次第に乱れが生じ始める。


「はぁ、はぁ、ちょこまかと!くらえ、『Ice Balls!』、ちっ、もう一度、『Ice Balls!』」


 明らかにリズムが悪くなった。リズムが整っていた内は、常に合計10個前後の氷礫と欠片でウィザードを追うことができていたが、今では、5、6個に落ち込んでいる。そろそだな。


「炎しか知らない、一つ覚えのバカが!逃げ回ってばかりいないでかかって来なさいよ。」その声はいよいよヒステリックになってきた。よし!


「へっ、なめんじゃねぇ。ウィザードが火と光だけじゃないところを見せてやるぜ!」そういうと彼女は詠唱を始めた。


『天候を司るものよ。水と氷を司るものとともにしてわが手に雲を成せ。空気を振動させ、風を巻き起こせよ。周囲を飲み込め!竜巻:Tornado!』


 そこに居合わせた誰もがその詠唱を聞いて息をのんだ。ミカエルの術式じゃない!


 ウィザードの手からは雷が天地逆方向にほとばしり、その稲妻の周りに重苦しい積乱雲が瞬く間に形成される。刹那、それと大地の間に大きな竜巻が形作られ、それはやみくも一直線にウィザードを追うだけだったハンナの単純な軌道を的確にとらえた!繰り出されていた氷礫ごと彼女の身体をそれは飲み込んでいく。


「きゃあぁぁぁぁぁぁぁ!」


 ハンナは、竜巻にぐわっと高く持ち上げられた後、激しく地面にたたきつけられた。それきり、彼女の動きは止まった。その身体はうずくまったまま痙攣している。


「おいだれか!」


 ウィザードの声がその場の緊張をやぶった!


「すぐにあのくそ銀髪…、じゃねぇ、今すぐあいつを呼んできてくれ!」


 そういうと彼女は倒れ込んだハンナのもとに駆け寄った。


「大丈夫か?」


 ハンナの顔は恐怖と狂気に引きつり、痙攣はますますひどくなるばかりでとても尋常な様子ではない。その瞳には陽炎のようにゆらゆらと怪しく『ケレンドゥスの毒』による呪印が揺れている。


「こりゃいけねぇ、あいつはまだか!?」


 その場に人手はあるのだから、適当に助けを請うことはできた。しかしこの異常極まるハンナの姿についてどう説明すればよいか見当もつかない。ソーサラーと二人であれば、ハンナを安全な場所に移してやることもできる。そう思って、ウィザードはその到着を待っていた。


 ほどなくして、ソーサラーが駆けてきた。リズが彼女を呼んでくれたようだ。


「何があったの?あ…!」


「あたしがぶっとばしたら、ハンナがこんなんなっちまった。こいつの目を見てくれ、末期の症状が始まってやがる。」


 その呪印はうらめしくハンナの瞳に留まり続けていた。


「とにかく、どこかに運ぼう!」


「じゃあ、私の部屋へ!ここからなら角部屋の私の部屋が一番近いわ!」


 そう言ったのはリズだった。


「わかった!」


 どのみちリズにゃあ説明してやらなきゃいけねぇ。三人はハンナを助け起こし、ウィザードとソーサラーがその痙攣の続く身体の両脇を支え、リズが先導して進んでいった。


 リズが部屋の戸を開け、二人がハンナを運び入れてベッドに寝かせる。その時には、いくぶんか痙攣は収まっていたが、瞳の呪印は消えず、ハンナの顔は苦悶に引きつっていた。


「すまねぇが、あいつらを呼んできてくれ。」それは、ウォーロックとネクロマンサーのことだろう。


「わかったわ。すぐに戻る。」


 そう言ってソーサラーはリズの部屋を後にして駆けて行った。


 それから4、5分のうちに、その戸は再び開いた。


「どうしたの?」


「大丈夫ですか?」


 ウォーロックとネクロマンサーが駆け込んでくる。ハンナを見るや、


「これは不味いわね。何とかできる?」


「はい、おそらく回復術式と治癒術式で、いくらか改善は見込めると思います。」


 そう言うとネクロマンサーは詠唱を始めた。


『慈愛に満ちた我らが加護天使よ。その慈愛の憐憫を垂れたまえ。その傷を癒さん。癒しの光:Healing Light!』


 ハンナの痙攣が幾分弱まる。


「治癒も頼むぜ。」


「わかってますが、私たちの学年ではまだ治癒術式は使えません。代わりにこれを使いましょう。」


 そういうとネクロマンサーはカバンから『万能薬』の薬瓶とシリンジを取り出した。シリンジの先の針をその薬瓶に立てて、手早く薬液をその中に移す。別の小瓶を取り出し、その中の液体でハンナの腕を消毒して、そこに万能薬を注射した。さすがは看護科併科のネクロマンサーだ。そこにいるだれもがその手際の良さに感心した。


 注射をしてから、しばらくして、ようやくハンナの痙攣は収まり、瞳の呪印も消えて、普通の色を取り戻した。


「ハンナ、私よ。わかる?」ソーサラーが声をかける。


「お、お嬢…?」


 よかった、意識が戻った。


「あの、私…。」


「いいのよ、大丈夫?」


「ええ、もう痛みは引いたわ。気分もいくらかよくなったように思う。」


 そういうとハンナはゆっくりベッドの上で上体を起こした。一同の顔に安堵の色が見える。


 * * *


「ねぇ、ハンナ。」ソーサラーが本題を切り出した。


「『ケレンドゥスの毒』って知ってる?」


 ハンナは、なぜそれを知っているのか、という驚きの表情をした。


「やっぱりお嬢にはかなわないわね。なんでもお見通しなんだから。私はいつでも空っぽの道化ね。」


「自分をそんな風に言わないで、お願いよ。」


 ソーサラーは声を震わせた。


「私は『ケレンドゥスの毒』の、そうね、いわゆる常習者よ。」


 ハンナは静かに、自虐的な笑みを浮かべてそう言った。


 一同が固唾をのむ。


「いったい、どうしてそんな?」


 ソーサラーがハンナの手を取る。


「お嬢、私の出自については知ってるでしょ?」


「ええ。」


「私ね、いつも寂しかったの。家では誰も私を本気で相手にしてくれる人がいなかったわ。お母さまでさえ、お父様のお心をつなぎとめることに必死で、私を相手にする暇はないの。お姉さまたちが、そんなお母様と私を見下しているのは明らかだった。だからきっと悔しかったのね。」


 ハンナの手を握るソーサラーの手に力がこもった。


「アカデミーでもね。私は、本当はお嬢に嫉妬してたんだ。バカみたいでしょ。私なんかがお嬢に追いつけるはずなんてないのにね。名門ソーサラー貴族の嫡出令嬢で稀代の天才ソーサラー、もし私がそんなだったら、きっと家族の見る目もかわるのになって、いつもそう思ってたわ。私はお嬢に憧れていたし、同時に憎らしいほどに嫉妬していたの。ごめんね。だから、純粋無垢にお嬢に向かっていけるあなたがうらやましかった…。」


 そう言って、ハンナはウィザードの顔を見た。


「だからいっぱい意地悪しちゃった。」


「あれは意地悪ってレベルじゃねえけどな。」


 憮然としてウィザードが言う。


「リズになんか言うことがあるんじゃねえのか?」


「そうね。その通りだわ。」


 ハンナは申し訳なさそうに上目遣いでリズを見る。リズはいつもの慈愛に満ちた笑顔を保っていた。


「リズさん、本当にごめんなさい。謝って済むことじゃないけど…」


「いいわよ。よくわかんないけど、薬のせいなんでしょ。しょうがないじゃん?」


「本当にごめんなさい。」


 ハンナは激しく嗚咽して泣き崩れた。


「本当に…」


 そういうハンナの肩にリズはそっと手を置いた。


「で、私だけいまいちこの状況が呑み込めてないんだけど、要するにそのなんとかの毒をこれから抜かなきゃいけないんでしょ?」


 とリズが言う。


「そのとおり。ハンナ、あなたはこれから『ケレンドゥスの毒』の解毒治療を受けなければいけないわ。今は、薬によって一時的に回復してるけど、時間が立てば、また毒が回ってくる。」


 ソーサラーが続けた。


「その治療は時間のかかる困難なものなの。それに…」


 一瞬言い淀んだ後、意を決して告げた。


「完全に治ることは残念ながらないわ。でも、今の自分を受け容れて、新しい人生を自主的に紡いでいく強い意思があなたにあれば、きっとうまくいく。だから治療をしましょう!」


「ありがとうお嬢。」


 涙をしゃくりながらハンナは頭を下げた。


「それで、そのためには、その毒が要るんだ。」


 そう切り出すウィザード。


「あの毒と、あとクリスタル・スカルをどこで手に入れたのか、あたしらに教えてくれねぇか?」


「そうよね。わかったわ。」


 ハンナは頷いた。


「あれは、昨年の秋、ちょうど大会が終わった日のことよ。私たちは残念ながら準決勝でウィザード科の中等部に負けてギルドのスカウトを逃したわ。私はそれに賭けてたから、どうしようもなくむしゃくしゃしてたの。そのときよ。憂さ晴らしに『スカッチェ通り』を歩いていたら、なんとも怪しい風体の男に声をかけられたわ。『ずいぶんお腹立ちですね。これを飲めば楽になりますぜ』って。それが『ケレンドゥスの毒』との最初の出会いよ。初めは禁忌法具だとは知らなかった。でもそれは実によく効いたの。それを飲んでしばらくすると、大会のことも、アカデミーのことも、家族のことも全部忘れられて、それはそれはよい心地になったわ。気がついたら、私は自ら『スカッチェ通り』をうろついてその男を探すようになっていたわ…。」


 一同が静かにその告白に聞き入った。


「あるとき、そんなにこれが気に入ったのなら、いつでも好きな時に買えるようにと『裏路地の法具屋』の場所…、正確にはそこに行く方法を教わったわ。教わったというか買ったのね。」


「で、その方法というのは?」


 ソーサラーが尋ねる。


「『スカッチェ通り』の小道に35段の階段がある場所があるわ。その階段の左端を登って左端を降り、もう一度左端を上って今度は右端を降りるの。そしてさらに左端を上ると、左手にその店は現れるわ。『P.A.C.ストア』というのがそこの名前よ。右端を降りるときに階段の数を数えてみて。35段の階段が36段になっていれば成功よ。その後でもう一度左端を登れば店の入り口が現れる仕組みになってるわ。クリスタル・スカルもそこで買ったのよ…。」


 そう言うとハンナは再び申し訳なさそうにリズの顔を見て、それから目を閉じた。


「少し眠らせた方がいいと思います。」


 ネクロマンサーがそう言った。ソーサラーは静かにハンナの身体をベッドに横たえた。


「ハンナさんの治療のためには、その店に行って、同じ毒を手に入れる必要があります。私たち4人はすぐにそこに向かわなければなりません。そこでリズさんにお願いがあります。3時間おきに、夜中も含めてです。3時間ごとにハンナさんにこの万能薬を飲ませてください。」


 ハンナのためにリズがそんなことを引き受けるだろうか?事態の詳細をつぶさに知るウィザードとソーサラーのふたりは気が気でなかった。


「まかせといてよ。それで彼女は助かるんでしょ?」


 いつもの笑顔でそう答えるリズの表情には、一片の躊躇いもなかった。


「大丈夫です。私たちに任せてください。」


 ネクロマンサーが答えた。


「それじゃあ、みんな。行くわよ!」


 ウォーロックが号令をかける。


 残る三人は深く頷いた。


 『スカッチェ通り』はここから歩いて30分ほどのところにある比較的閑散とした地区だ。その上にかかる『スカッチェ大橋』は観光名所となっているが、通り自体はどちらかというとさびれている。だから『裏路地の法具屋』に目をつけられたのだろう。


 4人は、アカデミーのゲートを抜け出ると一目散にそこに向けて駆けて行った。午前の講義はサボタージュである。だが今はそんなことを言っているときではない。急がなければ!

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