4.唐突な作戦会議
A4サイズのプリント数枚に、一人の青年の、詳細なデータが
生年月日、血液型、出身地、所有資格、精通する言語、肉体の各種計測データ、調停者となった動機など。
貼り付けられた写真には、しかめ面をした、精悍な青年の姿が写っている。
「畔倉拓夢、か」
初老の男が、その青年の名を読み上げる。
「中崎市の調停者で、特記来訪存在『メリノエ』と長期の“友人”関係を結んでいます。今回の件の担当として、当事務所は彼を強く推薦します」
「ここにきて、さらに外部の人間を選ぶというのは意外だったが」
恰幅の良い老人が、パイプ椅子の上で姿勢を正しつつ、尋ねてくる。
「それだけの価値のある、優れた人材ということかね」
「イエスでもあり、ノーでもあります。ただ能力の高さという意味で言えば、彼だけがずば抜けているというわけではない。上を探せば、それなりの数が見つかるでしょう。しかし、総合的な任務遂行能力では――」
初老の男が首を横に振る。
「彼を差し置いて挙げられるような名前は、ありません」
「ここに
別の老人が、からかうように言う。
「柊など、ただ恐いもの知らずで、多少運もよかったというだけですよ。その点で言えば畔倉も似たようなものですが、当時の彼よりも少しだけマシだ」
「君にそう言わせるのならば、大したものだが」
また別の老人が、うなるように頷いて。
「それで――その畔倉君の相方、この『メリノエ』という個体は、信頼できるのか」
また別のA4プリントがめくられる。
そこには、一人の少女の――その姿をした来訪者についてのデータが羅列されている。
登録個体名称は
「ずいぶんと古い個体のようじゃないか。本当にコントロール可能なのかね」
保有する異郷能力は限定的な装備生成と、実質的な完全不死。地球滞在目的は人類観測。ボーマン式性格分類では長寿系享楽型にカテゴライズされ、危険性評価はD+。
ポートレート欄には、悪戯っぽく微笑む、銀の髪の少女の写真が貼られている。おそらくは隠し撮りのはずのアングルなのに、きっちりとカメラ目線。
「――来訪者どもの造り出す異空間、“
「仰る通りかと」
「享楽型に分類されるような来訪者で、本当に大丈夫なのかね。やつらは、より愉しいと思えるものを見つけたら、簡単に裏切ってくるだろう」
「それも……まあ、概ね仰る通りではありますが」
初老の男は肩をすくめる。
「その辺りは、ボーマン式分類に頼った分析の限界ですな。人の性格は、同じ地球人類ですら多様を極めているものです。まして古い来訪者のそれを、有限個数のバリエーションに押し込めようとすれば、どうしても無理が出る」
「何が言いたい?」
「メリノエに関しては、その手の心配は無用かと。一口に享楽型と言っても、中身は “
いくつかの嘆息とともに、場に、呆れたような空気が満ちる。
「裏切ることはないにせよ、自分が背中を預けるのは勘弁してほしいタイプだな」
「その調停者に同情するよ」
「来訪者の感性というものは、どうにも度し難い」
呟きが交わされ、何人かが苦々し気に頷く。
会議室の扉がノックされる。
返事を待たずにノブが回り、扉が押し開かれる。
気の抜けた顔の男が一人、入ってくる。
「来たぜおっさん、今日は何の用事――だ――」
◇
「来たぜおっさん、今日は何の用――」
開いた扉の向こう側。
部屋の中には、六人の先客がいた。席に座る四人の老人と、扉のすぐ近くに立つ初老の男。そして、白い仮面と白いローブを身にまとった、見るからに怪しい女。
拓夢はその四人の老人と面識はなかった。しかし、一方的に顔だけは知っていた。いずれも高名な、来訪者科学の研究者だ。
「――事、だ――」
首をねじる。
初老の男の姿を見る。これひとつのみは、互いに知った顔だ。
もう一度、首をねじる。
部屋に居並ぶ学者たちの姿を見る。顔を歪めて、
「部屋ァ間違えたか? こんなとこで学会開催中とは知らなんだけどよ」
「合っている。ちょうど君たちの話をしていたところだ」
廿六木は涼しい顔で手を振り、拓夢たちに入室を促す。
「適当に腰かけたまえ。状況はすぐに説明する」
「はぁ」
ちらりと学者たちのほうを見てから、壁に立てかけてあったパイプ椅子をふたつ組み立てると、片方に腰を下ろす。もう片方には、後ろから部屋に入ってきたメリノエが、「ほっ」と飛び乗るようにして座る。行儀が悪い。
「――さて。ちょうど良い区切りとなりましたので、ここで改めて、今回の作戦について説明させていただきます」
廿六木がプロジェクターを操作し、スクリーン上に何枚かの写真を映し出す。
「まず――前提として、“
(はぁ?)
拓夢は眉を寄せた。
「来訪者たちが創造する異空間。地球人の口蓋では正式名称を発音できないため、“
なにいってんだこのおっさん、と思った。
言っている内容は間違っていない。しかし、改めて、今このメンツの前で言うようなことではないはずだ。“
“
そして異空間などというものは、ふつうの地球人にとってはただのSF用語、フィクションの世界の概念だ。自身の意思では、入ることも出ることもできない。
彼方からの来訪者たちが、空の上から持ち込んだ概念だ。現代の地球人には理解も模倣もできない、空間そのものを模造する技術。今回のケースで言えば、クーハバインはそれを用いて、オフィス全体を複製し、その中に閉じこもった。純粋な地球人では手の出しようのない、完璧な檻であり砦。
純粋な地球人でなければ、よいのだ。
来訪者たちは、地球に滞在するために、地球人の協力者を得る。このとき、来訪者たちの体質は地球人に近づき、地球人協力者の体質は来訪者に近づく。どちらも、生得のままの純粋な存在ではなくなる。
強引に、他人の創造した“
無敵の砦に引きこもった来訪者たちへの制圧行動。それが可能な限られた人間。それが、拓夢たちの生業――「調停者」が成立している理由だ。
(釈迦に説法つーか、なんつーか)
眉を寄せたままで、廿六木の話を聞き流す。基礎的な話は続き、そこには何ら新しい情報がない。廿六木の意図がわからないまま、時間が流れていく。
「――以上の話を踏まえまして、こちらの一件について」
プロジェクターの画面が切り替わった。
自分の表情筋がこわばったことを、拓夢は自覚する。
映っているのは、海だ。
角度こそ違うが、つい先ほど車から見た、あの海だ。
画像の隅には、正確な座標まで書かれている。北緯35度41分27秒、東経139度42分1秒。かつては新宿駅と呼ばれる建築物があり、日々多くの人間が行き交っていた場所。
「ファイル名CFOTD-00513。一般には、東京消失事件、などとも呼ばれています」
淡々とした声で、廿六木が解説をする。
聞き流しながら、拓夢は回想する。誰に語られるまでもなく、あの日のことはよく覚えている。
いわゆる
明治神宮近辺を中心に、半径4キロメートルほど。南は中目黒、北は大久保、西は笹塚、東は信濃町――大雑把にそのくらいの範囲を含む50平方キロメートルほどの土地が、文字通りの意味で、消えてなくなった。
地盤すらも、スプーンで浅くすくったかのように削り取られていた。加えて、後から発生した地殻変動によって海岸線が書き換わったりもした。
『リアルに大怪獣がトーキョーで暴れたらしい、しかし残念なことに誰もそれを見ることができなかった』
ニューヨークの大手メディアがそう報じ、不謹慎に過ぎるとしてバッシングを受けたりもしていた。
とんでもない災厄だ。ひどい混乱が起きた。
その日は、そもそも、宇宙からの来客によって世界中が大混乱の只中にあった。不可解な事件が、規模や内容こそ違えど、地球上のあちこちで起こっていた。だから、対応も対策も遅れに遅れた。
地理的に言えば、消えたのは東京都という広い土地の一部だけだ。しかしその後の混乱の中で、東京都は首都としての機能を完全に失った。ゆえに、一連の出来事の通称は「東京消失事件」で定着した。
混乱が収まるまでだけでも、長い時間がかかった。状況の調査や事態の回復は、さらにその後へと回されたまま、うやむやになった。「誰が」「どうやって」「何のために」このような事件を起こしたのかという謎に至っては結局――少なくとも現時点ではまだ――解明されていない。
拓夢の奥歯が軋む。
この事件は、拓夢が来訪者たちに関わる生き方を選んだ理由そのものだ。
何かが知りたかった。何かを突き止めたかった。その動機を抱いて走り出し、そしていまだ、何も掴めていない。達成できていない悲願というものは、思い返すだけで、どうしようもなく心を乱す。
「ですが」
廿六木の声が、少し、力を帯びた。
拓夢の片眉が、ぴくりと上がる。
「情報提供を得ました。あれは、あれでも、規格外の規模であるだけの、“
「……は?」
間の抜けた声が、拓夢の喉から漏れた。
部屋中の視線が、一瞬だけ拓夢に注がれた。が、すぐにそれは、話者である廿六木へと戻り、そしてそのまま、そのすぐそばに立つ、白い怪しい女へと流れていった。
拓夢もまた、その女を見る。
背が高い。百九十半ばといったところか。そして、そのくらいのことしかわからない。体のラインを隠すゆったりとしたローブ、額までを覆うフード、顔の全面を覆う仮面。その風貌は完全にといっていいほど隠されていて、それこそ女性ではあるだろうという推測くらいしかできない。
『私はカー=ゾエル=カー、見ての通り、
来訪者IDは、文字通り、すべての来訪者に与えられている番号だ。
その最大の特徴は、地球上の行政とまったく関係ないところで発行および管理がされているということ。発行者たる“記録者”タブラアカシアの偏執的な監視のもと、人類発祥後に地球へと訪れたあらゆる来訪者は例外なく数字を割り振られている。
このシステムは、本来全知に近い“記録者”の(理由は当人にしかわからないが)全能をかけて構築されており、どのような技術をもってしても、その目を逃れることはもちろん、どのように割り振られているかを理解すること自体、何者にも不可能だとされる。
経緯はともかく、信頼できる数字だということは確かだ。この番号が若ければ若いほど、早い時期にこの星に来ている。逆もまた真。
この女のIDが1830であるということからは、『来訪者の日』よりも少し後に訪れていたということがわかる。
『――まずは、みなさんにこのお話を伝えることが、このタイミングにまで遅れてしまいましたことを、お詫びします』
言って、ゆっくりと頭を下げた。
変声機のようなものを使っているのだろうか、妙に機械的で抑揚のない声だった。
『あの消失現象は、この惑星の言語で言えば、時空断層の一種によるものです。こちら側と向こう側は、別の宇宙であるのに等しい。通常の手段では相互の干渉は不可能。皆様が“
拓夢は、半ば呆けたようになったまま、その言葉を聞いている。
『構築者は、こちらの発音に直して、バー=ビョエル=バー。来訪者IDは372、母星では生死問わずで指名手配されている重犯罪者です』
犯罪者。
来訪者の中には、それなりの比率で、そういう連中がいる。
自分たち調停者が日ごろ相手をしている者たちの多くが、大体その手合いだ。
(IDが372ってこたぁ、何百年か前から
厄介だ、と思う。
バトル漫画ではないのだから、数字の大小がそのまま脅威の大きさを示すようなことはない。しかし少なくとも、長くこの地で潜伏できるだけの能力と経験を持っているという証にはなる。
『悪夢めいた科学者チームのリーダーで、自身も不世出の天才科学者です。彼がその才を余すところなく注いで閉鎖した世界は、尋常でない硬度を誇ります。それでも、そう、理論上、突破は可能でした』
女は言う。
『こちらの時間で、おおよそ五万秒前後――十四時間弱ごとに、問題の“
その場の一同が、小さくどよめく。
『ここの概念に落とし込んで言えば、「ワームホール」が一番近い表現になりますか。その準備が整いましたので、
(こちらと、あちらを……繋ぐ……?)
「それは、あれかね。ゲームなどで言う、異世界へのゲートのようなものを開く、という理解でよかったのかね」
科学者の一人が、軽く手を挙げて尋ねた。
その年でその手のゲームやるのかよじいさん、と、混乱する頭の片隅で拓夢は思った。そのまま口から出そうになったのは、どうにか堪えた。
『少しだけ、違います。
女は首を振る、
なるほどピットトラップか、と先の科学者が小さく頷く。
『これ以上のものを改めて用意するには、さらに何年もの、いえ何十年かの時間が必要になります。地球の方々の尺度では、それは現実的ではないお話かと』
そこで女は、なぜか拓夢のほうに仮面の正面を向けて、
『およそ119キログラム。それが、その
……拓夢は、ゆっくりと時間をかけて、考える。
春に行った健康診断で知った、自分の現体重を思い出す。隣に澄ました顔で座るメリノエのほうを見て――目が合う――その体重を推測する。ふたつの数字を脳内で足し合わせる。119キログラムには収まる。調停者としてのもろもろの装備などを考えると、ほとんど余裕はないが。
これは、もしかして、つまり。
「現場の状況は、ほぼ未知数です」
廿六木が、説明を継ぐ。
「“
そこまで言って、小さく首を振る。
「とはいえ、それ以上のことは何もわかっていないに等しい。だから我々は、送り込むことのできる119キログラムを、慎重に選ばなければならない――」
廿六木は歩き出し、拓夢の目前に立ち止まり、その肩に手を置いて、
「――改めて。今回のスクナビコナ作戦の遂行者として、私はこの者たちを推薦します」
そんなことを宣言した。
(やっぱりそういう流れかよ――ッ!?)
顔に出さず、拓夢は内心だけで絶叫した。
完全な別宇宙というわけではない。なるほど。
恒星の内側に放り出されることもない。なるほど。
重力や大気構成などについても地球と大きく違わない。なるほど。
いやいや待ってほしい。それでは、最低限の安全のアピールにもなっていない。そもそもにしてからが、女の説明によれば、穴とやらは一方通行。帰って来ようとしたら、特別に堅牢な“
二十一世紀に入ってそこそこ経ったはずの今のご時世に、まさかの、自爆同然の特攻作戦。とんでもない話だ、笑い飛ばして今すぐ部屋を出るべきだと、理性では理解した。
が――
「任務内容は、調査と解決。
「オレが、行って、いいんスか」
真実に、近づける。
あの場所に何が起きたのかを、一番近いところで、知りに行ける。
それしか考えられなかった。だから、拓夢の口からは、そんな言葉が滑り出た。
「本当に。あそこに行って、いいんスか」
「ここに柊がいれば、多少は迷ったかもしれんがね。現時点の我々にとっては、これが間違いなく最善の人選だろう」
などと言いつつ、廿六木の口元が、かすかに笑ったように思う。
「柊っていうのは、確か……」
「もういない男だ、忘れろ」
廿六木は肩をすくめる。
「まぁ、適任だな。吾が隣に立つ以上、こやつはそう簡単にはくたばらん」
面白がるように、隣のメリノエが口を添える。
「何が待っているかもわからんような場所に送り込むなら、確かに、他の誰よりも向いているだろうよ」
廿六木は頷き、改めて部屋の中を振り返り、
「各々方も、それでよろしいか」
老人たちは、それぞれにリアクションを示す。重々しく頷く者、苦笑を漏らす者、肩をすくめてみせる者。しかしそのどれも、積極的に反対を示すものではなかった。
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