4.第三の選択肢
「壁より先にループシステムを壊せば問題ない。そういう話には、ならないか?」
拓夢の問いに対して、メリノエは小さく嘆息した。
「ならない、とは言わない。だが、いくつかの問題がある」
「というと?」
「ひとつめ。ループシステムを壊すという、その手順が見えていない。おそらくは演算の中心となる装置が都内のどこかに設置されているが、その場所をつきとめる必要がある。……まあ、これは手間と時間をかければ解決できる問題だが」
「おう」
「ふたつめ。ループシステムは
「そりゃ、あ……」
確かに、問題だ。
「不思議なメリノエパワーでどうにかならないのか」
「一応出来る」
「できんのかよ」
「ハッキングして、
適当なことを言っただけなのに、予想外にガチの返事が戻ってきた。
「どうにかその状態に持ち込んだとしてだ。そこから、どのくらいしのげば壁を壊せるようになる?」
「わからん。数日で済むかもしれんし、数ヶ月かかるかもしれん。年単位にまではまず長引かんとは思うが……どうあれ、長くはかかるだろうよ」
数日。数ヶ月。どちらにせよ、短い時間ではない。
「その間、
少なくとも。先に提示されていた選択肢――壁を壊し街を消滅させるか、解決を諦めてこの日に永住するかは、どちらかを選んでしまえばそれでよかった。必ず成功し、選んだ通りの結末に行きつけると約束されていた。
しかしこの三つ目の道は、どうやら、それらよりも少しだけ、険しい。
「それに――」
「まだ何かあんのか」
「――いや、何でもない。お主の考えるべきリスクは、そんなものだ」
メリノエは肩をすくめ、それ以上は語らない。
会話が止まった。
街中に戻る。歩く。
ベンチで休んだり、本屋で時間を潰したりして、また歩く。
商店街に迷い込む。
威勢のいい呼び込みの声が聞こえる。らっしゃいらっしゃい良いアジ入ってるよ奥さん今夜の予定は何だい。学校帰りの小学生たちが、集合場所の約束をしながら、それぞれの家に向かって駆けてゆく。電器屋の近くに差し掛かり、今週のヒット曲が大音量で流れているのを聞く。
「やろう」
ぽつり、小声でその決断を口にした。
「三つの選択肢の中で、それが一番、胸を張れる」
「そうか」
驚きもせずに、メリノエは頷いてくれた。
◇
「先ほども言ったが」
メリノエは指を立てる。
「都市内のどこかで、装置――何というか、スパコンめいたものが動いているはずだ。それを見つけて物理的に破壊する必要がある」
「OK、ようやく調査任務っぽくなってきた」
右の拳を左の手のひらに打ち付ける。無理やりに笑う。
「思い出巡りの観光客だけじゃ勘が鈍る」
「吾は、もう少し楽しみたかったがなあ」
メリノエが唇を尖らせる。
「まぁ佳い。問題は、具体的にどのようにして、その調査を進めるかだが」
「そりゃあれだ、地道にやるしかねえだろうさ。航空写真でヒントを探す、電力会社のデータで異常消費してる場所を見つける、特殊なパーツを使ってるならその入手ルートを追う。いろいろあるだろ?」
思いつくまま並べた。
そのどれもが、もちろん、時間ごと閉じたこの東京では難しい。しかしそれを理由に、ようやく上げられたばかりの顔を伏せたくはなかった。
「つうかまあ、そういう方針になると、話を通さないわけにもいかねえか」
「ん? 誰にだ?」
「柊サンだよ。そのスパコンについても、もう何か掴んでるかもだろ。異星技術の超機械ではあるわけだし。さすがに用途は偽装してるだろうが、警察のデータベースに登録済みかもしんねえし」
言いながら、拓夢は自分のポケットに手を入れた。前に渋谷の捜査課を訪れた時にもらった、連絡用のPHSを取り出そうとした。
ない。
一瞬だけ戸惑ってから、自分の勘違いに気づいて苦笑する。
捜査課であれをもらったのは昨日のでき事だった。ループが起きれば所持品は初期化される、そして今日は捜査課に近づいてすらいない。まったく、同じような日が繰り返されていると、その辺りの感覚が鈍くなる。
(――ん?)
何かが、ひっかかった。
昨日の自分はPHSを持っていた。今日の自分は持っていない。その事実は、これまで自分が抱いてきた違和感のどれかと、噛み合うような気がした。
「どうした?」
「いや……」
口元を押さえて、考える。
「そうだ。あの、煙草……」
連鎖するように、また別のことが思い出される。
「確か……銘柄は、イドロメル・ドレ……薬効は……いや、でも、だとしたら、あの言動はどういうことだと……」
ひとつの、悪魔のささやきのような仮説が浮かんだ。
そんなはずがない、と思った。ありえないと思いたかった。否定する材料を探した。見つからなかった。
空が、ごろりと鳴った。空を、色の濃い雲が流れていくのが見える。
道行く人々が、慌てて走り出すのが見えた。もうすぐ雨が降り始める。
「拓夢?」
「電話を探す」
「お、おう」
公衆電話を探す。
誰もが通信手段を携帯していたわけではないこの2002年において、公衆電話は現役まっさかりのインフラだったわけで、都内だけで十万に近い数が稼働していた。というわけで、簡単に見つけることができた。
小さな公園のそば、電信柱に寄り添うように一台の電話ボックスが設置されている。
ガラス張りの扉を押し開き、箱の中に潜り込む。
メリノエがついてくる。
そもそも一人用に設計されているボックスに、二人入りはさすがに狭い。出ていけと言いかけて、気づく。空を雲が流れている。今にも雨が降り始めそうだ。
「出ていけとは、言うまいな?」
わかっているぞとばかりに言われ、舌打ちをする。
「言わねえから、口は挟むなよ」
「ふむ? よくはわからぬが、承知した」
備え付けられた小さなトレイの上に、手持ちのコインをぶちまける。
壁一面にべたべたと貼られたシール――ほとんどはいかがわしげな店の宣伝だがチョコレート菓子のおまけのそれも交ざっている――を一瞥、受話器を取り上げる。番号は覚えている、そのまま入力する。
十秒ほど経って、回線がつながった。
『私だ。気球は回収されたか?』
思い出す。コードブックの79D、気球について問われたならば返すべき言葉は、
「牧場に散らばっていた残骸を、保安官が集めている」
ふむ、と回線の向こうの声は納得の声をあげた。
『公衆回線からの呼び出しとはね。この番号とコードを知っているということは身内ではあるのだろうが、何者だ』
「
『……知らぬ名だ。説明を求めても良いかね』
「ははっ」
拓夢は小さく笑う。
「芝居はもういいぜ、柊サン。役者じゃないんだ、得意ってわけでもねえだろう」
『うん?』
当惑の気配が伝わってくる。
『どういう意味だね?』
「もうバレてるってこったよ。このループから外れてるのは、オレたちだけじゃねえ」
強く、言い切る。
「あんたもだ。あんたはループの存在をもとから知っていたし、それを守る側の立場についている。そうだろう?」
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