3.寂院夜空の冒険(1)

 ふだんやらないことをすると、テンションが上がる。

 初めてのサボりと、謎の解明。寂院夜空は、ちょっと楽しさを覚え始めていた。


 まず最初に、駅のトイレで私服に着替えた。制服をコインロッカーにぶちこんで、イケナイコトをしている罪悪感に身を震わせた。

 そのまま次に、自室で抱いたあの謎の確信に導かれるまま、しばらく歩いた。

 喫茶店を見つけた。

「ここ……の、中?」

 横目に『焼きたて抹茶シュークリームセット(たっぷり増量中!)』の看板を見ながら中に入る。確信が示した先のテーブルに着く。コーヒーを注文し、辺りを見回してみる。何の変哲もない、ちょっと雰囲気がいいだけの、ふつうの喫茶店。ここが一体、何だというのか。自分はなぜ、ここに「何かがある」と確信してしまっていたのか。

 コーヒーを口に含んだとたん、耳元で何かが聞こえてきた。

 ――これ、飲んで大丈夫なのか?

 ぎょっとなった。

 ――お主はあれだ、図体のわりに、ずいぶんと可愛らしい心配をするのだな?

 誰かが、すぐ近くで会話している。

 改めて見回してみるが、店内にそれらしい二人はいない。

 ――予算あんまないって、オレ言ったよな!? お前聞いたよな!?

 壊れかけのイヤホンから音が漏れている、ような感じだ。

 声はところどころがかすれていて、全体の流れは聞き取れない。だが雰囲気は伝わってくる。仲のいい兄妹、といったところだろうか。文句を言いながら面倒見のいいお兄ちゃんと、その兄を困らせることを楽しんでいる妹。たぶんそんな感じだ。

 そして、改めて確信した。

 この兄妹(?)の兄のほうの声とイメージに、覚えがある。寝起きの時に自分が思い出しかけた光景の中にいた、あの男性。夢太郎だ。

「なんで、だろ……」

 特徴のある声、だと思った。別のどこかで聞いたことがあるような気もした。よく知る誰かの声に似ているようにも思えた。夜空はコーヒーをまた一口含み、

 また新たな謎の存在に気づいた。

 ここからまた離れた場所に、何かがある。なぜだかそれが確信できる。

「うわ」

 不気味だ、とは思った。自分の記憶の中に、自分の知らない何かが混ざり込んでいる。それはもう、普通に気持ちの悪い話だ。

 けれど同時に、やったぜとも思った。どうやら謎解きのヒントはまだ打ち止めではないらしい。学校をサボった甲斐はあったのだと。


 次に訪れることになったのは、古いプラネタリウムだった。

 何十年も営業してきたのだろう。設備も古ければ上映プログラムも古い。二十一世紀を迎えた今の時代、もはやその古さ自体がコンテンツである。席に座って一通り楽しんで、太陽の下に戻ってきたときに、またあの二人の会話が聞こえてきた。

 ――想像するだに可愛らしい純真さではないか。

 ――いや、想像すんなよそんなん。

 随分とおませな妹さんだな、と思う。

 そして、次の手がかりについての確信を抱く。


 公園のベンチ。

 ――食うか喋るか、どっちか片方にしろ。行儀が悪いだろう。

 ――うむ、確かに。

 改めて、今自分は何に振り回されているのだろうと考える。

 つまりこの、謎の確信と謎の声についてだ。

 オリエンテーリングかスタンプラリーか、とにかくそういうタイプのゲームをやっている気分だ。スタート地点はほとんど闇の中。常に、その時いる場所の一歩先までしか見えない。けれど、一歩を着実に重ねていくことで、最終的な答えに近づいていける。そういうやつだ。

 もしくは。猟犬とか警察犬とかは、こういう気持ちで仕事をしているのかなと思う。人間には見えない手がかりを感じて、それを辿って進むことで、追いつくべきものに追いついていく。

「……やっぱ超能力なのかな、これ」

 どこからともなく湧いてくる謎の確信。どこからともなく聞こえてくる謎の会話。

 ふつうに考えれば、自分は何かを忘れているだけなのだろう。忘れたことも忘れていて、だから、思い出した時にも思い出したと感じられていない。だから、謎の確信がいきなり降って湧いたように見えてしまう。シナプスの破損がどうのこうの、という理屈を心理学だったかの本で読んだ気がする。

 しかし、その解釈では、当事者がピンとこないし、面白くもない。

 何というかこう、もう少しテンションの上がる考え方はないものだろうか……と考えると、やはり、「そういう能力に目覚めたのだ」系の解釈がイイ気がしてくる。思春期にして枯れかけていたタイプの情熱が再燃するのを感じる。

 事実かどうかはともかく、自分の中ではそういうことにしておこう。ちょっと恥ずかしいけど、どうせ誰に言うわけでもないし。

 ああそうだ、誰にも言わないついでに、名前も決めてしまおう。「パン屑の道標ブレッドクラム・ビーコン」なんてどうだろうか。森の中のヘンゼルとグレーテルだ。気取りすぎかな、わはは。


      ◇


 楽しい超能力オリエンテーションは、昼過ぎまで続いた。

 そして、ゴールとは呼べない場所で、あっさりと終わった。


 誰もいない。

 渋谷駅から、そう遠くない場所である。平日の昼間である。賑わっているべきとまでは言わずとも、無人というのは考えにくい。通行人だけではない。コンビニに入っても、美容室を覗き込んでも、オフィスビルを見上げても、人の姿がまったく見えない。

「ええ……」

 現象としては理解不能としか言いようがないが、理由については心当たりがある。

 夜空自身、ここに来るまで、ずっと、謎の抵抗感を感じていたのだ。そちらに行きたくないという気持ちが膨らみ、違うところに行きたいという思考が湧き出てきて、何度も足を止めそうになった。パン屑の道標ブレッドクラム・ビーコン(仮)が目的地を示し続けていたからこそ突っ切ることができたが、そうでなければ当然のように引き返していただろう。

 ――あんまり暴れんなよ、地域住民にご迷惑だろ!

 この場所で交わされていたのであろうその会話も、うまく聞き取れない。何やら、走り回るか飛び跳ねるかしながらのようには聞こえるのだけど。

 そして最大の問題点は、ここで、次の目的地への道標ビーコンが浮かんでこなかったことだ。

「ええー……」

 能力(仮)に頼り切ってここまで来たので、いきなり沈黙されると、次にどこへ行けばいいのかがわからない。ここまでで必要なヒントは出揃っているのだ、あとは自分で推理しろ、ということだろうか。そういうのは名探偵相手にやってくださいとしか言いようがない。ごくふつうの高校生でしかない寂院夜空に、そういう隠し芸はない。

 それはそれとして、手元のヒントをもとに、考えてはみる。

 探し人の容貌は、ぼんやりとだが、思い出せている。がっちりした体つきの、推定二十代男性。精悍ではあるけれど、どこか人懐っこい。つまり、拓夢少年に似ている。

「……夢太郎さん。ゆめくんの親戚、なんだっけ……」

 そういったことまでも、思い出せている。

 けれど、そこまでだ。どういう人なのかとか、何をしているのかとか、今どこにいるのかとか、そういったことには確信がつながらない。付け加えるなら、なぜ自分がそこまで彼のことを気にしているのかも、自身のことなのに、さっぱりわからない。

 それと別に、この場所の異常さについても、無視はできない。非常事態でもないのに、きれいさっぱり無人の街。ここだけの現象なのか、それとも気づかれていないだけで、東京のあちこちで同じようなことが起きたりしているのか。

 自分の見ている世界は、本当に自分の知る通りの姿をしているのか。そこまで疑い出したらきりがないのはわかっているが、妄想は際限なく膨らむ。短編SFなどでよく見るアレだ。自分たちは、作られた小さな箱庭の中で、おおきな地球の上で生きる夢を見ているだけなのではないか。

「うーん……」

 道端に座り込む。あまり行儀はよくないが、どうせ誰も見ていない。

 諦めるつもりはない。まだできることは、あるような気がする。確信でも何でもなく、本当にただ、そんな気がしているだけだけど。

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