2.迷い道

 公園で、ブランコを漕いでいる。

 柊に連絡は入れていない。早いうちに連携を取り直したほうがいいのだろうが、何となく、そんな気も起きなかった。


 バー=ビョエル=バーの居場所を突き止め、捕まえて締め上げて、どうにか安全に船室キャビンを解除させることはできないか。そう提案もしてみた。

 無理だ、とメリノエは首を横に振った。「居場所を知る術がない」と。「わからない」ではない。この閉鎖市街のどこかに存在はしているはずだが、完全に潜伏している。探すための手掛かりひとつすら、見つけられていない。

 だから、元凶を捕まえて状況を解決させるという手は、使えない。

「うーむ……」

 拓夢の今回の任務は、調査と破壊である。

 船室キャビン内部の状況を調べ、どうにか外へ情報を持ち帰る。打ち崩せそうならば、船室キャビン自体を破壊し、あの地を正常化する。

 2002年の街並みを、そこに住む人々を、取り戻せとは言われていない。

 当たり前だ。この任務が発令された時点では、この地がループしているなんてことは、誰も知らなかった。失われてしまったものを取り戻せるかもしれないなどと、誰も考えていなかった。

 だから――見捨てても、いいのだ。

 壁をブチ破って、荒野になった正常空間を取り戻す。そうしてもいいのだ。

 そんなことは当然わかっている、のだが。

(まぁ、モチベーションは湧かねぇな)

 そういう立場だから。そういう任務だから。そういう義務があるから。大人の事情に背を押されながら、街を滅ぼす。感情的な発言が許されるなら、ふざけんなの一言だ。やってられっかの二言目を付け加えてもいい。

「このまま、この地に留まり続けるか?」

 すぐ隣、同じようにブランコを漕ぎながら、メリノエが訊いてくる。

「難しいことではない。衣食住、すべてどうとでもなろう。一日が二十四時間でなくなることには、多少戸惑うかもしれないが。それに、この地には、お主の想い人もいる」

「…………」

「現状を維持し続ければ、いつまでも元気な姿のままだ。しかもあれだな、永遠に若いままの姿でというのも、地球人のロマン的にはかなりポイントが高いのではないか?」

 ロマンについてはさておき。

 寂院夜空について言われると、やはり、拓夢としてはキツい。彼女が生きていてくれたことが事実として嬉しかった、嬉しすぎた。だから、生き続けていてくれるという可能性は、とても魅力的に思える。思えてしまう。

「仮に。仮にだな。オレがその気になったとしてだよ」

 拓夢は問い返した。

「お前はどうすんだよ、メリノエ?」

「どうと問われてもな。まあ……変わらぬだろうな。吾はお主を見届ける。すぐ傍らの特等席から、その生き様を、ずっとな」

 その声がどこか寂し気に感じられたのは、たぶん気のせいではない。


 嫌な二択だと思った。

 自分の気持ちから逃げて、任務を遂行するか。

 自分の役割から逃げて、このループに自ら身を委ねるか。

 どちらを選んでも、晴れやかな気分にはなれそうにない。


 自分の頬を、平手で叩いた。

 気合いは入らなかったが、わずかなりと、気分は切り替えられた。

「決めたか」

「いや、保留する」

 後ろ向きなことを、きっぱりと全力で宣言する。

「急いで決めないといけないことでもない。もうちっと足掻いてみるさ」

「調査を進めると? ループの謎については、既にネタバレしているのに?」

「ちょいとバレを聞いただけ、だろ。オレぁお前ほど読書にも観劇にも通じちゃいないがな、ひとつの作品の魅力を本当にすべて台無しにできるほど凝縮されたネタバレなんてものは、拝んだことがねえんだよ」

 強気に言い放ったのは、自分のその理屈に縋るためだ。

 判断にはまだ早い、この閉鎖市街にはまだまだ謎があって、考慮するに足る判断材料が眠っているはずだ。

「せっかくの体験型SFだろ。ページを破り捨てる前に、もう少し味わおうぜ」

 そう考えなければ、やっていられなかった。


      ◇


 渋谷駅を経由し、また、壁の近くまでやってきた。

 眺めはと変わらない。一見して何の異常もないように見えて、人の姿と気配だけが、ごっそりと抜け落ちている。

「やるのか?」

「ああ」

 メリノエの取り出す大型拳銃を構える。撃つ。

 同じ場所、同じ条件、同じアプローチ。そして結果も同じ。

 虚空にしか見えない場所に着弾して、一瞬だけ紫色の障壁が露出し、すぐに修復されて元の景色が取り戻された。

「まあ、そうだよな」

 壁の脆いところも、そこを射貫くのに必要な火力も、既に判明している。やろうと思えば大穴を開けられたはずだ。だが今回の目的は、そうではない。

「何か分かったか?」

「何もわからん、がわかった」

「成程、大収穫だ」

 頷き合ってから、二人、街のほうへと顔を向ける。はこの後、そちらの方角から襲撃を受けた。ここまで同じ状況を揃えれば、やはり同じように襲ってくるだろうと予想をしていた。

 その予想は外れた。

「来ぬな」

 メリノエが首を傾げた。

「そうだな」

 さらにしばらく待っていても、何も現れない。

 時計を確認する。ここに来た時よりも、少しだけ遅い時間。違いはそのせいだろうかと考える。

「警護当番の休憩時間に当たっちまったかね」

「かもしれんな」

 いちおう十分ばかり追加でその場で待機してみる。諦めて移動する。


 場所を変えて、幾度かまた壁を撃ってみた。

 やはり、成果はなかった。壁は一瞬しか見えないし、簡単には壊れてくれそうになかったし、いくら待っても襲撃者は来なかった。


 弁当を買ってきた。

 無人の街の車道の真ん中にレジャーシートを敷いて、壁の方向を睨みながら、昼食を摂ることにした。

「夜空とは、どういう娘なのだ?」

 からあげをつつきながら、メリノエが訊いてきた。

「確かに造作は整っていたが、絶世のというほどでもなかろう。あの娘の何が、お主をそこまで捕らえて離さないのだ?」

「何だよ、突然」

「突然ではなかろう。吾はいつでも、お主の青春に興味を持っているぞ。なんんだでここまで、細かいところを聞けずにきたが」

 拓夢はうめく。

「……そう話したいもんでもねえんだよなあ」

「隠したいものというわけでもないだろう」

「そりゃそうだけどさあ。わりと言語化しづらいんだぜ、そういうの」

 白飯のひとかたまりを口の中に放り込み、咀嚼して、飲み込んで、

「かっけえんだよ、あの人は」

「ふむ?」

「一言で言やあ、努力家ってやつなんだけどよ。何かをがんばってる間、いつだって、あの人は、かっこよかった」

 言葉にすると、当時の気持ちが蘇ってくる。言葉がするすると浮かんでくる。

「当時はオレもガキだったからな、かっこいいは正義って世界観で生きてた。だからオレも、ああなりたかった。かっこよくなりたくて、いろいろ一生懸命にがんばって」

 一度言葉を切って、


 ――がんばれ、ゆめくん。応援してるぞ。


 思い出されるのは、最後に彼女に会った時のこと。最後に聞いた彼女の言葉。

「……挫折を知って、今に至る、だ」

 ペットボトルのウーロン茶をあおる。

「もう会えないってのをなかなか受け入れられなくて、どうにか立ち直っても納得はできなくて、せめて東京がこうなった経緯を知りたくて、そのためだけに調停者資格をとって、でもさっぱり手掛かりがなくて、それから――まあ、その辺りはお前もよく知る通りで」

 はああ、と重い息を吐く。

「そんでもって、お前相手にこんな弱音を愚痴ってるわけだ。いやまったく、改めて、先輩に合わせる顔がねえよ」

「ふうむ?」

 納得したような、疑問を呈しているような、微妙なイントネーションの相槌。

「まあ、お主は佳い男だよ、拓夢。吾が保証する。この口からのこの言葉、既に聞き飽いているやもしれんがな」

 拓夢は苦笑する。確かに、メリノエの口からのそのような言葉は、聞き慣れている。そして、そのことで心が軽くなっている自分がいるのだ。

「ありがとよ」

 だから素直に、こう言える。

「お前がパートナーで、本当に助かってる」

「うむ」

 メリノエは誇らしげに頷き、弁当の箱を閉じようとする。

「野菜も食えよ」

「う」

 動きが止まる。箱の中には、根菜の煮物がまるっと残っている。

「話の流れでごまかせるかと思ったか。出されたもんは、全部食え」

「むうう」

 悲愴な顔で、メリノエは箸を動かす。それを見張りながら、拓夢は自分の食事も進める。車道の真ん中、レジャーシートの上、無人の街中。いつも通りの自分たち。見渡す限りの街は平穏そのものだった。


      ◇


 手ごたえのない調査を、もう少し続けた。

 身が入っていないのだから当然といえば当然だが、成果と呼べるようなものは、何もなかった。

 そうしているうちに、だらだらと太陽が傾いていく。


      ◇


 気づけば、寺社めぐりが始まっていた。

 まったくARタグが貼り付けられていない、極彩色のライトに照らされてもいない。当たり前だが、古い時代の神社仏閣の姿そのままだった。懐かしくもあり、そして、妙な新鮮さすら感じる。歩いているだけで、気分が少し落ち着く。

 手水ちようずでばしゃばしゃ遊び始めたメリノエをたしなめる。

 神籤を引いた。中吉。争事あらそいの項を見る。「逃げるを考えるな」というシンプルな一文。

 ――そう簡単じゃねえんだよ。

 嘆息した。

 目の前の選択肢が、それを許してくれないのだ。

 自分の気持ちから逃げて、任務を遂行するか。自分の役割から逃げて、このループに自ら身を委ねるか。逃げることを考えなければ、どちらも選べない。

 そう、二つの選択肢の、どちらも――

「なあ」

 ふと、思いついたことを尋ねてみる。

「さっき、ループシステムが生きたまま壁を壊したら閉鎖市街ここが消える、って言ったよな」

「ああ」

 そんならだよ、と拓夢は身を乗り出す。

「壁より先にループシステムだけを壊せば問題ない。そういう話には、ならないか?」

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