1.アップルパイをかじりながら

「…………」

 ずぞぞぞぞ、と音を立てて、メリノエがシェイクを啜る。

 拓夢はハンバーガーにかじりつく。

 そういえば、自分たちが食べたものはループ時にどうなっているんだろうと、どうでもいい疑問が浮かぶ。持ち物が突入時のものにリセットされているのだから、胃の中のものも同様だろうか。

「…………」

 メリノエが、アップルパイにかじりつく。

 拓夢はコーヒーにフレッシュを注ぐ。

 ループ時にリセットされるのは装備だけではない、つまり記憶だけを留めて自分たちの肉体がまるごとリセットされているのだろうかと考える。多少ケガをしても勝手に治るということになるし、それは間違いなく便利そうだ。しかし、あまり気分のよくない話でもある。この体が既に時の牢獄に囚われているのだということにもなるし。

「…………」

 メリノエが、ソフトクリームにかぶりつく。

「いや、あのな」

 さすがに耐えかねて、拓夢は切り出した。

「そろそろ話を始めねえか? ハッキングでいろいろわかったんだろ?」

 そうなのである。

 東京に三回目の着地を成功させたあの後、朝から開店している有名ファーストフード店へ直行、朝食を摂ることとなった。メリノエは宣言通り(そしていつも通り)甘いものばかりを大量に買い込み、見ているだけで胸やけしそうになった拓夢がシンプルな食事を注文し、そしてそのまま現在に至る。

 だからもちろん、拓夢の服装は、突入時の作戦服のままである。とても目立つ。

 さらにもちろん、柊たちへの連絡もしていない。当然軍資金ももらっていないので、懐事情は初期状態のままである。

 それら全ては、朝食を摂りながら、メリノエから話を聞き出してからでいいだろうと、先ほどの拓夢は判断した。そしてその判断を、今は少し後悔している。

 メリノエが、あからさまに、話を始めようとしていない。

「……ここのループは、主人公が眠ると巻き戻るタイプだ」

「あ?」

 いきなり何を言うのだろう、と思う。

「イメージが湧かぬか? 近年多い、死に戻り系の話を思い浮かべればいい。あれとは互いが互いのバリエーションであると言える。引鉄トリガーとして死が必要か、それとも意識を失いさえすればよいかの差だ」

「いや、そこじゃなくてな。主人公って何だよ」

「いるのだ。このタイムリープSFには、吾々ではない一人の“主人公”が。つまりは、この船室キャビンの主のことだが」

「ああ」

 最初からそう言ってくれ、と思った。

 この船室キャビンの構築者について、予め聞いていた情報を思い出す。確か……名前はバー=ビョエル=バー。来訪者IDは372。出身星では生死問わずの形で指名手配されている、極上の犯罪者。

「まぁ、オレらは途中乱入してきたクチだからな。主人公側じゃねぇのはわかる。そもそもそういうガラでもねぇしな」

 肩をすくめると、メリノエはなぜか、呆れたような半眼で見てきた。言いたいことはわからないでもないが、無視する。

「で、そいつが目を覚ましている間しか、この街は存在しない。そいつが目を閉ざすたびに、この街は同じ一日を最初からやり直す。そういうことか?」

「基礎構造としては、そんなところだ。再構成にかかる時間は――時間の巻き戻しにかかる時間というのもおかしな話だが、船室キャビンの外の基準で――数分程度といったところ。大したショートスリーパーだな」

「寝たうちに入んのか、それ」

 うめく。まあ、地球人と来訪者との生理を同じ軸で測っても意味はないのだが。

「で、それがどうかしたのか。別にショックを受けるような話でもなさそうだが」

船室キャビンにはもうひとつ、別の機能が組み込まれていた。ループ現象そのものと直接連動していたわけではないが、同じフレームの中で、同レベルのプライオリティに設定されて走っていた」

「ふむ」

 小さく相槌を打って、先を待つ。

 メリノエは少し口ごもってから、

「人の死だ」

 ぽつん、呟くように言う。

「あん?」

「夜空一人を指定しての死、ではない。この鎖された地に住まう中の千人ばかりの命がマーキングされ、船室キャビンによって常に監視されている。事故なりなんなりで、その中の誰か一人でも死を迎えれば、船室キャビンの主にそれが信号として伝わるようになっている。夜空はその千人の中の一人だった」

「……はあ?」

「タイミング等から見て、主はこの信号を受け取るたびに、自ら目を閉じることでその一日を終わらせているのだろう。今回の周回はゲームオーバーだったと諦めて、次の周回にニューゲームだ」

 よく、わからない。

「どういう千人なんだ? ランダムか? 性別年齢境遇その他の共通点は?」

「おおむね未成年、夜空と近い年代だが、例外もある。男女比率もほぼ半々だ。無理に法則を見出だそうとしたところで、益はありそうにないな」

「なんだそりゃ、何のために」

「わからんよ。だが実際にそうしている以上、当人には理由があるのだろう」

 拓夢は嘆息する。

「……まあ、それはそれとしてだ」

 拓夢の指が、紙コップの縁を軽く叩く。

「確かに驚く話だったけどよ、それで終わりってわけじゃないんだろ? 他に何を読み取った? 何で言いにくそうにしてるんだ?」

 しばしの沈黙。

「吾はな」

 ぽつりと、メリノエは言葉をこぼす。

「お主がもがき苦しむのを見るのが好きだ」

「おい」

 いきなり何を言いだすんだこいつは、と思った。

「逆境に悲鳴をあげるところも、真っ青になって走り回るところも好きだ」

「こら」

 何を言い続けてるんだこいつは、と思った。

「……どのお主も、どこかに向けて走り続けていることには違いないからな。何かを成そうという意志に満ちている。顔を上げて前を見ている。そういうところを、愛おしいと思っている。だから、特等席となりから眺めている」

「お……おう?」

 普通に、反応に困った。

 それは、昔から言われ続けていることだった。拓夢が四苦八苦しながら生きている様がこいつには「人間らしくて素敵」と見えている、それはわかっていた。

 けれど、なぜそんなことを今さらこの場所で、改めて言いだすのか。

「だから迷っている。これを聞けば、お主は立ち止まるかもしれん」

「は?」

「吾が、お主の隣にいる理由が、なくなってしまうかもしれん」

「はあ」

 わかるような、わからないような。

「要は、とびきり悪いニュースってことか」

「そうなる」

「あれか。壁の破壊は不可能です諦めましょう、的なオチか」

「いや。壊すだけなら、充分に可能だ。そのための方法まで突き止めてある。上手くすれば、吾らの手持ち火力だけで事足りる」

「まじか」

 朗報だと思えた。思わず、短く口笛を吹いてしまったほどに。

「柊サンたちに頼んなくていいってのはありがてえな。さすがにあのチャージ時間はな、現実的じゃなかった」

「だが」

 メリノエは首を小さく振る。

「その時には、壁が守っていたものすべても共に、塵に還るだろう」


「…………」


 考える。

 メリノエの言葉の意味を、咀嚼する。

「なる、ほど?」

 首を傾ける。

「どういう意味だ、それは」

「言葉通りの意味だが、解説をするなら、そうだな……」

 メリノエの指が、テーブル備え付けの、スティックシュガーの袋をつまみあげる。

「タイムマシンは存在しない。時間は遡らない。この大原則はわかるな?」

「いやいや待て待て」

 いきなり現状のすべてを否定するようなことを言われても困るのだ。

「タイムループしてんだろ、オレたちは、いま、現実に」

「ある意味において疑似的に、と最初に付け加えただろう。時間そのものを実際に巻き戻しているわけではない。ある時点における形而下存在の状態を記録し、そのまま後になってから上書きオーバーライドしているだけだと」

 確かに、そんなことを言っていたような。

「どう違うんだ」

「……ここに、そうだな、ド級難易度のアクションRPGがあると考えろ」

 だーかーら、いきなり何を言いだすんだお前は。さっきから。

 そう言いたくなるのを、ぐっとこらえる。

「最近のゲームにゃ詳しくねえんだがな」

「多少の古今は問わん。お主の知る範囲のもので良いから、想像してみよ」

 思い浮かべる。初見殺し満載の凶悪なボスキャラが大量に出てくることで有名なファンタジーアクション。救済措置かと思われていた強武器が、最初のバージョンアップの時に弱体化してしまい、多くのプレイヤー――拓夢を含む――が悲鳴を上げた。クリアまでにひと月以上がかかった、あれは楽しくもしんどい思い出だ。

「想像した」

「しんどい序盤を乗り越えて、操作に慣れて、自キャラの育成も進んできて、それでも1ミス即ゲームオーバーの状況を潜り抜けて、ようやくボスキャラの寸前までやってきた」

「やってきた」

 妙にディテールが細かいが、話を止めたくなかったのでつっこまない。

「そこにセーブポイントがあった。当然、お主はそこでセーブをする」

「セーブを……」

 話がきな臭くなってきた、と感じた。

「ボスキャラは強敵だった。勝てなかった。自キャラが殺されてゲームオーバーだ。その画面を見てから、お主はどうする」

 どうするってそりゃ、

?」

「……ああ」

 ようやく。わかり始めてきた。

「リセットボタンを押せば、この世界はに包まれる。全てがどろどろに溶けて、形をなくす。セーブデータから供給される情報に合わせて、形を取り戻す。蛹の中の芋虫が、一度全身を液状にしてから、蝶の形を得るようにな」

 メリノエは憂鬱そうに息を吐く。

「時間そのものが遡っているわけではない。ゲーム機のプレイ時間も、プレイヤーの体感時間も、増え続けている。だが、ゲームの中にいるキャラクターたちの体感では、間違いなくタイムループが起きている、となる」

「だから、疑似的に、なのか」

「そういうことだ」

 メリノエは頷く。

「そこまでは初日の段階でわかっていた。むろんこれだけでも、まともな技術で達成できることではない。どうやって実現しているかに興味はあったが」

 少女の唇が、深く、重い息を吐く。

「“昨夜”、吾はその構造までを見た」

「ああ」

 ここからが本題だ、と感じた。

「吾の想像よりも数倍、強引な作りをしていた。これだけの高頻度で上書きオーバーライドを行えばもちろん、事象は現実に定着しない。その問題をどう解決するかと思えば、まさか、まるで解決などしていなかった」

「つまり?」

「ループシステムが生きたまま船室キャビンを壊せば、このゲームデータまちは本来の姿を取り戻せない」

 ――――ああ。

 ようやく話が見えてきた。そういうことか、と思う。

「現実をゲームのように扱おうとしても、歪みが生じる。すぐまた上書きされることを前提としてある現実は、いつ霧散してもおかしくないほど、不安定な状態になっている」

「あの壁がなくなるとマジで全部吹き飛ぶ、ってことか」

 それはまるで、波打ち際に建てられた白砂の城。

 壁を取り払い、波に晒されれば、すぐにも溶けて消えてしまう。

「砂漠化した荒野くらいは、残るかもしれないが」

「なるほど。確かに……そいつぁ、きっついな」

 腕を組み、拓夢はうなる。


 覚悟は決めていた。

 どのような荒野を目にすることになろうと、動揺しない。それだけの心の準備を決めてから、この作戦に臨んだ。

 けれど、もちろん、覚悟していたのはそこまでだ。無事な姿の東京を見た後で、自らの手でそれを葬り去ることなど、考えもしていなかった。


「きっついな、そいつぁ」

 繰り返す。

「だから、言いたくはなかった」

「そうだなあ」

 拓夢は答えてから、両腕を後頭部にあてて、天井を仰ぐ。

「……どうすっかな」

 実のところ、ショックそれ自体はそれほど大きくない。そもそも、こうして過去の東京に触れることができたこと自体が、夢のような話なのだ。夢と同じように取り上げられる可能性は、うっすらとではあったが予想していた。

 それに、つい先ほどまでメリノエに散々心配されていたのだ。こいつの予想通りに凹んで足を止めるというのは、何というか、悔しい。

 だから、何も考えられないだとか、何もする気がなくなったとか、そういうベクトルのダメージはない。やる気は残っている。どうにかしなければという気力もある。

 けれど、現実問題として、足が止まってしまったのも、事実ではあった。

「いやぁ……こりゃ本当に……」

 力なく、また、繰り返す。

「きっついなぁ……」

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