5.東京ソーマトロープ~回転開始~
現神奈川県の、東北端。旧東京都でいうところの、中野区。
消失範囲の、すぐ外側にあたる場所だ。
かつての災害の原因が特定できていないため、安全が保障されていないとして、一般の立ち入りが禁止されている。
あたりには、数台のトレーラーと、それらによって運ばれてきた山のような機械類。形だけを見れば、それこそ昔のSF映画にテレポート装置として出てきそうな機械群だった。いくつもの円筒、色鮮やかなスイッチ類、ボタンにレバーに計器。
“
しかし、なぜかそれらの表面は金属の光沢ではなく、大理石のような艶を放っていた。古い宮殿か神殿のような佇まいをみせるそれらのせいで、場の雰囲気はSF映画どころか、ちょっとした神殿のようになっている。
(ガチ来訪者の科学ってのは、どうにも、メカメカしく見えねえんだよな……)
わずかな落胆とともに、拓夢としては、そんなことも思う。もちろん、ロマンと実用性が対立するのは世の常だとは理解しているし、そこに苦情をぶつける気はないが。
「ほれ。もっとしっかり抱きしめんか」
「へいへい」
魔法陣めいた装置の中央に立ち、拓夢はメリノエの体を強く抱きしめた。
別に、おかしな意味ではない。今回の突入に必要な手順だ。「119キログラムまでの物体ひとつを現場に送り込む」にあたり、拓夢とメリノエをひとつの塊として装置に認識させる必要があるという、そういう理屈らしい。
(やっぱ柔らけぇんだよな)
ぼんやりと、そんなことを考えたりもする。
彫刻めいた容姿のメリノエだが、もちろん本当に石でできているわけではない。石膏めいた白い肌も、触れればしっかりと柔らかく、そして温かい。
まるで見た目の通りの、ティーンの少女のように。
(……いや。考えるな、オレ)
自嘲するように、唇を少し曲げる。
こいつを恋愛対象としては見られない。そう宣言した以上、おかしなことを意識するわけにはいかない。それは何というか、不誠実だと思う。あともちろん、見た目の年齢差というやつも、無視してはいけない。社会的な死を避けるためにも。
「ん、どうした?」
メリノエの、どこか眠そうな声。
「いや、何でもない」
首を振る。
別に後ろめたいことは何もないわけだが、話題を変えようと思う。
「こいつはもう機能してるんだな?」
身に着けた都市迷彩の作戦服を一瞥して、拓夢は問う。
「むろん。行く先が深海だろうと深宇宙だろうと、いまのお主には春の高原と変わらん。ピクニック気分で構えておけ」
「ありがたい。サンドウィッチでも持ってくるんだったかな」
メリノエには、地球側の分類では『装備生成』とカテゴライズされる能力がある。
ほぼ文字通り、装備品を取り出す力。
彼女自身の言によれば『夢の中から引き出し』ているらしい。ともかくそれらは、本来の水準を遥かに超えた――ただし少しだけズレた――性能を発揮する。地球人が自然環境下で生存するために生み出した『衣服』も、彼女が取り出せば、地球人をあらゆる環境下で生き延びさせる装備となる。さらにそれが作戦服とあれば、着用主を生存させる性能はさらに跳ね上がっている。
「いっそクロクゥスを着せてやりたいところだが、あれまで出すと、吾が保たぬでな」
「いらんいらん、あんなん普段着にするバカがいるか」
拓夢は鼻を鳴らすと、マスクと呼吸器の位置を直す。行き先が水没している可能性に備え、呼吸の確保についても十全の対策はしている。
周囲の装置が唸り声のような音を立てている。
少しずつ、その音程が上がってゆく。
『ゆらぎを確認! 突入シークエンスを開始します!』
あの白い女の声が、スピーカー越しに聞こえてくる。
「っと、出番か」
『突入に備えてください、カウントを開始します! 20、19、18、17……』
拓夢は、その場にかがみ込んで、メリノエを抱きかかえたまま、姿勢を丸くした。移動先でどのような場所に出現することになるかわからない以上、想定しうる衝撃には備えておく必要がある。
『13、12、11……』
周囲の景色が、度の合わない眼鏡をかけた時のように、かすかに歪みを帯びる。
時空が歪むときに派生して起こる、一種の偏光現象。続いて、遠い耳鳴り。それらは、時間をかけて、少しずつ、強くなっていく。
――東京。その街について想う。
かつて栄えていた街。色々な意味で、日本の中心に近かった場所。そして、だからこそ、脆かっただろう場所。
今さら、失われたあの地を踏んだところで、何を助けられるということもないだろう。けれど少なくとも、見届けることはできる。そこで何が起こったのか、そこで何がどのように失われたのかを、量ることができる。
そうすれば、きっと――
あの日に止まっていた畦倉拓夢の人生も、改めて、前へと進ませ始めることができるかもしれない。
『0』
女の声が宣言すると同時――
穴に落ちた、と感じた。
重力の実感を奪われたことで発生する、疑似的な浮遊感。
同時に、時間の感覚が消失した。
七色の光の奔流が上下左右を埋め尽くす――と感じたのは、もちろん実際に辺りが可視光で満ちていたというわけではないだろうが。とにかくそういった現象を拓夢の脳は認識した。
全身が圧搾されながら無限に引き延ばされているような、異様な感覚。
痛みこそないが、それに似た不快感が全身で爆発する。
(生身じゃ耐えきれねえな、こりゃ)
頬を引きつらせ、拓夢は思う。
メリノエの
だから、この場所でも、耐えられている。
(これから地獄に行こうってんだからな、往路がキツいのはしゃーねえ)
そう強がりつつ、メリノエを抱く腕に力を入れる。
声は出せないし、出せていたとしても聞き取れない。それでもなぜか、温もりだけは伝わってくる。その熱を
どれだけの時間、そうしていただろうか――
◇
五感が、機能を取り戻した。
再びの、今度は実際の感覚を伴う浮遊感。
「ぐっ」
1メートル強の高さから、アスファルトとおぼしき硬質の地面に、肩から落下した。転がって衝撃を逃がす。痛みはあるが、この程度ならば、体にダメージは残らない。
「っつぅ……」
肌で大気を感じる。かすかな風が心地よい。
閉じていた目を、保護ゴーグルの下で、ゆっくりと開いた。
「…………」
まわりの景色が、目に入った。
「…………は?」
移動のショックで軽く麻痺していた耳が、回復してきた。
辺りに満ちていた音が、聞こえ始めた。
「何……だ、こりゃ……」
背の低いコンクリート塀。年季の入った木造家屋。おんぼろのアパート。そのすぐ隣に、比較的最近に建て直されたと思しき三階建てのマンション。がらがらの月極駐車場。缶ジュースの自動販売機。チェーンの薬局の看板。
登校中とおぼしき小学生が何名か、いきなり道端で転んだ謎の大人に驚き、足を止める。こちらを一瞥し、ひそひそと何かを囁き合い、すぐに目を逸らして歩き出した。
どこかの開いた窓から、テレビの音が漏れ聞こえてくる。バラエティ番組だろうか、複数の人間がどっと笑い出す声。
それより少し遠いところからは、元気に泣きわめく、赤ん坊の声。
平和な朝――
そうとしか言いようのない、ごくありふれた住宅街の光景が、そこにあった。
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