2.変わり果てた世界
現場は某外資系貿易会社の本社ビルの7F、第五企画課オフィス。
事件発生時刻は15時38分。企画会議の途中で、その場に居合わせた犯人が突如暴れ出し、社員五名を人質にして、立てこもった。凶器はミドルレンジの生得能力。要求は五千万
追記1、犯人は興奮しており、極めて狂暴な性質を
追記2、犯人によって小規模なキャビンが展開済みであり、対策が必要である。
辺りを見回す。
あまり趣味の良いオフィスじゃないな、と畔倉拓夢は思った。広い部屋に机が並び、PC端末やら書類の束やらが積まれていて、まあそのあたりまではいいとして。調和も節度も考えずに乱雑に置かれたバイオ観葉植物の鉢やら、壁に貼られた大小の鍵付き抽象画やらが、どうしようもなく珍妙な印象を与えてくる。
どれも安いものではないのだろう。金のある会社なのだということと、金の扱い方がいまいちわかっていないようだということは、伝わってくるのだけど。
「外資系貿易会社、ねえ」
それはずいぶんと情報を絞られた言い方だ、と思う。
ここに来る前、少しだけネットで調べたが、とにかく悪評だらけの組織だった。詐欺で集めた臓器を違法に取引するのが基本業務で、副業で危ない薬品も取り扱っていて、最近は模造架空不動産まで売り買いするようになったらしい。
どちらかというとブッ潰す側につきたい、というのが正直な気持ちだ。しかし、そうはいかない。拓夢は調停者である。地球人と来訪者たち、異質極まるふたつの種の間に発生するトラブルを解決する、それが仕事だ。
(面倒な稼業だよ、まったく)
心中で軽く舌打ちをする。
一度目を閉じて、手の中の金属塊の重みを感じる。
その金属塊には
そして実際、それには拳銃としての機能がある。
弾丸を込めて、撃鉄を上げて、引鉄を引けば弾が出る。誰かを傷つけることができる。
目を開く。
心の中でカウントする。3、2、1、
「
訓練を受けた体は、スムーズに無駄なく動く。物陰から姿を
「来訪者ID・2964、クーハバイン・マルケット! 今すぐ人質を解放してお縄にかかれ! お前は既に、複数の滞在法規に違反している! これ以上罪を重ねるな!」
呼びかける。それからほんのわずかに遅れて、
「「うるさあァい!」」
女性の声がふたつ同時に叫び、さらには空を裂く音までついてきた。
拓夢は反射的に身を
人質の会社員たちが、口々に悲鳴を上げた。
しかし、誰一人として、逃げ出そうとはしない。
一見してごく普通の――豪勢な――オフィスに見えるここは、そう偽装しながら形成された異空間だ。俗に“
「落ち着けクーハバイン、器物損壊は滞在法だけじゃなく、現地法にも反してる! あー、“
コピー機の物陰から呼びかけ、すぐに移動する。半秒ほど遅れて、そのコピー機が鞭のようなものに打ち据えられ、無惨なスクラップに成り果てるのを見る。
あたりを紙束が舞う。
人質にされている数人の社員たちが、悲鳴をあげる。
「うるさいって」「言ってるでしょォ!」
二人分の、拒絶の声。
「……
――厄介な相手と、厄介な状況だ。
事前に確認してきた情報を頭の中で再確認する。
ターゲットの名は、呼びかけた通り、クーハバイン・マルケット。地球に生まれた生命ではない、星の
「融合系の種族かよ……っんとに、やりにきぃなぁ……」
コンクリート柱の陰に身を潜め、拓夢は小声でぼやく。
覗き見たフロアの中央に、一人の女性のシルエットが立っている。そして少なくともその左半分は、ありふれたスーツに身を包んだ、二十代の地球人女性のそれだ。
しかし右半分は違う。ゴムのような質感を持った紫色の肌、鼻も口も耳もなくただ巨大な
まるきり、特撮映画に出てくる怪人そのものだ。
その見た目も、そしてその行いも。
「クー、係長の机の裏にいるわ!」「ええ!」
ひとつの口が、二人の女性の声を発する。
右腕が
またひとつ、拓夢が遮蔽に使っていた机が破壊される。
転がるようにして脱出しながら、三度、引鉄を引いた。小さな銃声。二発が、女性のシルエットの肩と腰とに着弾。体勢をわずかに崩させる。
それだけだ。
体勢をわずかに崩させることしかできない。
「痛いでしょうがああァ!」
右半分の貌が、
(痛い、だけかよ)
本当に、厄介だ。
来訪者の動きを止めるための、専用拘束弾である。
あまりにも分が悪い。転がるように、いったんフロアを脱出する。
充分な距離をとってから、観察する。
クーハバインは追ってこない。というか、人質の
こちらにろくな武器がないとナメられているのだろう、ろくに警戒もしていないその姿は、撃とうと思えばいくらでも撃ち抜ける、隙だらけのものではあったが。
「実際、こっちの手持ちじゃ決め手に欠けるか」
拓夢の手にするそれは、愛用の、汎生体制圧用マルチシリンダー。古き良き名銃コルト・ガバメントを模した形状をしているが、中身はまるで違う。多彩な専用特殊弾を撃ち分けることのできる、現代仕様の個人用火器だ。
とはいえ、愛用と言い切れるほど使い込んでいるのだから、そろそろ型落ちである。最新型のように、自動照準や帯磁加速射撃といった便利な機能はついていない。弾倉の弾を狙った先に撃ち出すことしかできない。
拘束弾が当たっても意に介さないような相手に対し、打てる手はあまりない。
「火力のない弾じゃ制圧できない。つっても、強装弾で撃ち抜いたら、ふつうに殺しちまうよなあ……」
「ん? 討伐許可は出ているだろう?」
すぐ
数秒前まで、確実に、そこには誰もいないはずだった。
しかし拓夢は驚かない。それは当たり前のことであり、
「別に、殺してしまったとて、罪に問われるわけでもあるまいに」
面白がるように、そして妙に芝居がかった口調で、声の主は言う。
「そういう問題じゃねえだろ」
ちらりとそちらに目をやれば、状況にまるでそぐわない、少女の姿がある。
その姿だけで判断するならば、年は十四ほどか。
肌の白さは、
何かを恐れるでも
“外資系貿易会社”の豪勢なオフィスには、そしてもちろん来訪者の暴れる修羅場にも、いまいち噛み合わない場違いな姿。
「それに、いまクーハバインが死んだら、融合してるOLさんも道連れだ」
「だろうな。それが気になるか? このままでは自分の身すら危ういというのに?」
「ああ、気にするね」
迷わず答える。
少女は鼻を鳴らし、なぜか満足そうに頷く。
「その強情さは好ましいな、いかにも人間らしく、そしてお主らしい」
「そりゃどーも。んで、メリノエ。いつものアレ、使っていいか?」
手を差し出す。
「無論だ、好きに遣え」
その上に、メリノエと呼ばれた少女は、どこからか取り出した弾丸を落とす。数は三つ。拓夢は「サンキュ」と短い礼だけ言って、手早く予備の弾倉にねじ込む。
「ちなみに、今回の効果は?」
「それを
「別にオレは、この状況を、面白がりたいわけじゃねえんだがな」
ぼやきつつ、それ以上同じ質問を重ねたりはしない。
「射程は?」
「3、いや4メートルといったところか」
「了解」
散らかりまくったオフィスの
彼我の距離は、現時点でおよそ13メートル。その間の遮蔽物は、すでにあらかた薙ぎ倒されていて、ないに等しい。つまり、この弾丸を打ち込むためには、自力で10メートル分の距離を詰めればよい、と。
「何とかするんだろう?」
少女が
「何とかするさ」
銃口で軽く自身の
手近にあったゴミ箱を
腕力とコントロールにはそれなりの自信がある。それは紙くずを撒き散らしながら
拓夢は飛び出している。
あの伸びる右腕は厄介だが、右腕でしかない。つまり、一本しかないうえ、小回りも利かない。さらに言うならば、肉体的なアドバンテージはさておき、クーハバイン自身が戦闘行為に慣れているというわけではない。つまり、フェイントが有効だ。
姿勢を低くし、矢のように拓夢はフロアを駆ける。クーハバインの目が拓夢を捉える。ここまでに7メートル強を稼いでいる。あと少し。
「あんたあァ!」
「権力の子飼いがァ!」
ひとつの声が、ふたつの怒声を放つ。
誤算に気づく。右腕の引き戻しが、読んでいたよりもわずかに早かった。このままでは、距離を詰め終わるよりも先に、背中に一撃を喰らう。直撃すれば確実に
拓夢は一瞬だけ思考し、決断する。
身をよじる。
避けきれない。
スチールの机を
「ざまァ……」「……待って、こいつ」
声のひとつが嘲り、もうひとつが何かに気づく。どちらがクーハバインでどちらがパートナーの地球人なのかはわからないが、まあ、どちらでも構わない。
直撃を喰らえば確実に昏倒する、だから直撃だけを避けた。一撃を受けることは受け入れて、その上で、前進することだけは手放さなかった。
最終的な彼我の距離は、2メートルと少し。射程距離内。
拓夢は唇の端を曲げると、引鉄を三度引いた。
火薬ではない何かが薬室内で弾け、鉛ではない弾頭が銃口から飛び出した。マズルフラッシュの代わりに、花弁のような薄紅色の結晶が周囲に展開した。
放たれた三発は、先ほどと同じような場所に着弾する。そして、
「痛あァ!?」
クーハバインは悲鳴を上げた。
釣られるように、人質たちも何やら叫ぶ。
「ああもう、あんた馬鹿なのォ!? あんたたちのタマじゃ、あたしたちには効かないって、いい加減学習してもいいじゃないのォ!?」
「……いやぁ、どうだろうな」
床の上、脂汗に塗れた顔で、拓夢は笑う。
発砲と同時に現れた薄紅色の結晶たちが、それこそ本物の花弁のように宙を舞い、そして雪のように溶けて消える。
「お嬢さん方。悪いが、今回は、『痛い』だけじゃ終わらせねえよ」
「何を格好つけ……けっっ、ひっ……ひ、」
急に。
クーハバインは身をのけぞらせ、小さく痙攣を始める。
「地球人と融合されると拘束弾が効かない。だが、うちの相方の出す弾は性格が悪くてね。撃った相手を必ず、そして少々エグい形で無力化する」
解説しながら、立ち上がる……つもりだったが、痛みで体がうまく動かなかったので、床の上に座り込むにとどめる。
「あんまり格好良い絵面にならねぇのが玉に瑕、だけどな」
特大のくしゃみが、クーハバインの喉から迸る。
一度ではない。何度も、何度も。
右の顔からも左の貌からも、涙やら鼻水やらがあふれ出す。まともに呼吸ができず、女の体は、ただその場で悶える。左の腕はティッシュペーパーを求めて辺りをさまよい、右の腕は力なく床の上に投げ出されている。
彼女たちは、もう抵抗できない。無力化は成った。
強化ガラスを叩き割るような音とともに、キャビンが崩壊する。
日常を装っていたオフィスの光景が、書き割りの背景のように砕け散る。
その後ろから現れたのは、夜景だった。
某外資系貿易会社の本社ビルの7Fの、その壁が派手に吹き飛んでいる。そこを通して、外の街の眺めがそのまま目に飛び込んでくる。
(――ああ――)
拓夢は目を細めた。
明るい、と思った。
きらびやかに立体投影された、色彩豊かな無数の看板。薄い靄の向こうに輝く、モノリスめいた高層建築群。大量にばらまかれた蛍光ARタグ。遺伝子操作されて街灯を兼ねるようになった街路樹たちが、優しい微光を放っている。それらの隙間、光の届かない路地裏は、逆に色濃い黒色に蟠って見えた。
(――ずいぶん、変わっちまったな)
馬鹿げた感想だと思う。
あまりにも今更だ。わかりきっていたはずのことだ。何もかもが変わり果てている。世界も、そして自分自身も。改めて噛みしめるようなことではないはずだ。
それでも、覚えているのだ。思い出してしまうのだ。
かつてのこの街は、この
肩の痛みが少しずつ引いてきた。
ゆっくりと立ち上がり、腕時計を確認し、
「
ろくに動けずにいるクーハバイン、および彼女が融合しているパートナーの両名に、電子手錠をかけた。
◇
かつてこの星において、宇宙人は、オカルトの世界の住民だった。つまり、実在を怪しまれるくらいには希少で、ほとんどの地球人にとっては縁のない存在だった。
時代というものは、ちょっとしたきっかけで変わるものだ。
この場合、ひとつの航路の発見が、それにあたる。
現地の暦で、西暦2002年の6月2日。通称ミャラブドゲラスティアン星系の地質探査艇が、半ば事故じみた経緯を経て、地球に漂着した。その時の航行記録が流出し、銀河中に散らばった。
現行銀河の側からしてみれば、これは小さな出来事だ。星などというものはそれこそ星の数ほど存在する。生命や知性体の存在する星も――生命や知性の定義こそ難しいが――大量にある。新しいものがひとつ見つかりましたという程度のことでは、ほとんど誰も興味を持たない。加えてここでいう『航路』は、安全でも確実でもなかった。地球の感覚で言えば、不確かな海図だけを頼りに、荒れた大海にボロ船で漕ぎ出すような行為だったらしい。
それでも、例外がいた。
地球というちっぽけな異郷の存在を知り、興味を抱き、どういうわけか憧れに焦がれまでして、星の海を渡った者たちがいた。銀河の広さを考えれば、限りなく無に近い数の――それでも、数千に届く数の来訪者たち。
実のところ、彼らが初めての来客だったというわけではない。2002年以前にも、そこそこの数の者たちが地球を訪れ、滞在していた。しかし彼らは、自分たちが異分子であることを受け入れ、地球人の文明に過剰な干渉をしないように、(程度に個体差こそあれ)表に出ようとはしなかった。だから、知られていなかった。
だが、新たな来訪者たちは、そうではなかった。
星々より来たりし数千の客は、堂々と大気圏の内側に飛び込んできて、地球側にとんでもない環境の変化をもたらした。特に、先の事故から地球の時間で三日後、2002年の6月5日。のちに『来訪者の日』と呼ばれることになるこの日、何百という来訪者が世界中に降り立ち、大混乱を引き起こした。
それまで地球人たちが育んできた現地の文化は、この日を境に、急速に発展したり崩壊したり混交したり新生したりして、変わり果てた。
彼らが持ち込んだ技術や知識のほとんどは、人類には理解も再現もできないものだった。しかし、ごくごくわずかに例外もあった。その例外が、無数の激動を引き起こした。数段階のエネルギー革命。クローニングやサイバネーション技術の躍進。メタバースの自律化と爆発的拡張。文字通り世界が変化した。混乱が起きた。昨日の非常識が今日の常識になる世界では、倫理や道徳すら同じ姿のままではいられない。何十億人が揃ってパニックを起こし、どうにかこうにかこの激動の時期を潜り抜けた。
歴史学者たちは口を揃えて言う。全人類が浮足立っていたあの時期に、世界大戦が起きなかったのは今世紀最大の奇蹟だと。
人類は多くのものを得て、同時に多くのものを失った。
それ自体はありふれた話だと、一部の環境学者は唱えた。多くを得て多くを失う、それはただ、大きく変化したというだけのことだ。そして変化すること自体は、あらゆる生物の宿命だ。地球上にいくらでもありふれていて、幾度も繰り返されてきたことだ。ただ今回のそれは、少しばかり過剰にスピーディであるというだけで。
多くの人たちが一笑に付したこの説に、拓夢は、多少の説得力を感じている。
いろいろなものが増えて、色々なものがなくなって。
変わり果てた地球の上で、それでも人は、日々を営み続けている。
思い出を背後に押しやって、今日を暮らしている。
これまでのすべての人類がそうしてきたように。明日を向いて生きている。
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