3.変わり切った日常

 オフィスの外側に、十人近い、武装した男たちが集まっていた。

 その中の一人、顔見知りの民間刑事を見つけ、拓夢は近づいていく。

「おつかれさん。報酬はいつもの口座によろしく」

『了解。協力感謝する、アゼクラ』

 顔面の半ば近くを機械化したその刑事は、小さくノイズの混じった電子音声で応えた。

 近年、警察機構の民営化が順調に進んでいる。治安維持は企業の仕事であり、法の番人は民間刑事の仕事。ひと昔前までは考えられなかったことだが、今のこの国では日常の光景だ。

「無力化まで済ませてある。見せ場を取っちまって悪いね」

『言うな。どのみち“船室キャビン”を展開された時点で、我々には踏み込むことすらできなくなっていた』

 バイザーに怒りの表情を映し出し、軋るような音声で、悔しさを表現する。

『まったく、来訪者の犯罪は厄介だ』

「厄介じゃない犯罪なんて、地球宇宙問わず、そうそうないだろうさ」

 拓夢は肩をすくめる。

「どのケースだって同じだ。動けるやつが動いて、対処できる範囲で対処していくしかない。逆に言や、それができてるうちは問題ない。適材適所がうまく回ってるうちは平和。そうだろ、おまわりさん」

『……皮肉か? それとも、激励か?』

「さあね」

 拓夢は肩をすくめる。

『そういう話をするなら、こちらも例の話を持ち出させてもらおうか。当社の治安維持部にはまだ埋まっていない重要なポストがあってな――』

 その話を遮るようにして、拓夢は外套のポケットからスマートフォンを取り出して、わざとらしくその画面をのぞき込むと、

「あーっと、振込を確認まいどあり、それじゃオレたちはこれで」

 逃げるように背を向けた。

『――まったく』

 ご丁寧に嘆息の音を発してから、民間刑事は現場のほうへと向き直った。


      ◇


 地球人類という種は、来訪者たちにとって、最高の宇宙服であるらしい。

 地球人が外の星ではまともに活動できないように、来訪者たちにとっても、地球は過酷な異郷だ。宇宙船の船室キャビンから出たければ、環境に合わせた装備を身に着けなければならない。

 地球人は、そして不思議なことに地球人類だけが、その装備になることができる。

 着用の手順は簡単だ。ただ触れ合っているだけでも、最低限の効果は得られる。もう少し複雑なことをすれば、離れ離れになっても、長時間、繋がったままでいられる。

 それだけで、互いの在り方が少しだけ。来訪者は少しだけ、地球人の体質に近づく。地球人は少しだけ、来訪者の体質に近づく。純粋な来訪者にとっては危険な地球の環境も、地球人混じりの者であれば耐えることができる……という寸法だ。

 だから彼らは、地球人に近づく。

 だから彼らは、地球人と共にあろうとする。


「……まあ、犯罪来訪者も増えるわけだよな」

 車の中、赤信号を睨みながら、拓夢はぼやく。

 寒いなと思ったら、窓の外には、ゆっくりと雪が降り始めていた。窓を閉める。

「ん? 何の話だ?」

 どこか眠そうに目をこすりながら、助手席の少女が尋ねてくる。

 この少女は――“メリノエ”を名乗るこの存在は、地球人に似せた姿をとってこそいるが、立派な来訪者だ。拓夢のパートナーであり、ゆえに互いの体質が少しずつ混ざり合っている。

 先の理屈で言えば、こいつは拓夢をということになる。

「適当な地球人を捕まえりゃこの星で自由に動き回れる。そりゃあ、さっきみたいな連中も減らねえよなって話だ。道徳だの法律だのはしょせん赤信号だ。そりゃブレーキを踏むやつもいるだろうが、構わずアクセルを踏むやつは必ずいる」

「ふむ」

 少女は一瞬、思案顔になる。

 どこからか手帳を取り出し、数ページをめくり、

「戦闘中、あの会社のデータベースを、少々覗いてみたのだがな」

「あん?」

「メールサーバに色々と残っておった。先ほどの、クーハバインと融合していたあの女性社員はな。毎日のように、上司のセクハラを受けていたらしい。それも、折り合いの悪い同僚たちから、半ば生贄のように差し出される形でな」

「……そりゃ胸糞悪い話だが、だから何だ?」

「あの場所で暴れることを望んだのは誰か、という問いだ。粗野なやり方でこそあるが、クーハバインは、友の望みを叶えようとしていたのだとも考えられないか」

 少し考えて。

 重い息を吐く。

「ただの宇宙服として扱ってたわけじゃない、と言いたいわけか?」

「そうだな。お主との付き合いもずいぶん長いが、どうにもそのあたり、誤解が解けていないように思える」

 少女はひらりと手を振る。手帳はどこかに消えている。

「吾等はな、表現方法に違いこそあれど、皆等しく、お主ら地球人を愛している」

「……人類史上、トップクラスに嬉しくない愛の告白だな、オイ」

「冗談を言っているわけではないのだがな?」

「そりゃあそうだろうさ、お前にその手のユーモアがあるとも思ってねえし、疑ってるわけでもねえし。だがよ、よく知らねえやつに一方的に押しかけられて『愛してます』ってのは、こっちの道徳基準モラルじゃ迷惑行為にカウントされてる」

「迷惑、か」

日本ここでストーキング規制の法案が通ったのが2000年、お前らが押し寄せてきたのが2002年。あん時に司法がきちんと回ってりゃ、罰金と懲役だけで国が数年は回ってただろうな」

 はは、と拓夢は自分のつまらない冗談を笑い飛ばす。

 信号の色が変わる。滑るように、車が走り出す。

 左方に立ち並んでいたビルが途切れ、視界が開ける。

 西日に照らし出され、海が紫色に輝いている。

「愛があろうが何だろうが、傷つけられる側にしてみりゃ関係ねえんだよ」

 その海を――

 かつて新宿と呼ばれていた場所を一瞥して、拓夢は、そう言葉を絞り出した。


      ◇


 車を走らせる。

 きらびやかな街の光が、遠のいていく。

 盛り場を離れれば、喧騒は収まる。古びたビルの立ち並ぶ、いかにも家賃の安そうな(そして実際に安い)一角へと入り込んでいく。

 畦倉拓夢の構える調停事務所は、その片隅にある。


 事務所に戻る前に、なじみの定食屋の戸を開く。

 どっと盛り上がった笑い声に出迎えられる。ちょうど賑わう時間に当たってしまったらしい。近所に住む大勢の仕事上がりたちが、それぞれに安酒のジョッキを手に出来上がっている。

 ざっと見回して、三分の一ほどが、機械化した体のパーツを表に晒している。少し前までは異様な目で見られることもあったが、人は慣れる生き物であり、今ではむしろ一種のカッコよさ、自己表現のように見る向きもある。傷病を抱えた部位を置き換えた者、仕事に使う機能を自ら埋め込んだ者、お洒落のブームに乗っかりノリで自己改造してみた者。経緯はいろいろだが、とにかく今や、彼らのような者は珍しくない。

「おう畔倉の! お前らもこっち来いや! 面白ぇ話があんだよ!」

 メタリックシルバーの右腕を振り上げて、酔っぱらいの一人が声を張り上げる。

「うるせえ、どうせいつもの惚気だろうが! 晩飯くらい静かに食わせろ!」

 誘いの声を追い払い、手近なテーブルにつく。

「畔倉さん、メリちゃん、おつかれさまです!」

 明るい声の看板娘が、メニューを片手にやってくる。

「聞きましたよ、結局、派手なバトルになっちゃったらしいじゃないですか。怪我とかしませんでした?」

「耳が早ぇな……まあ、ちぃとは打たれたが」

 肩を回して、打たれた場所の調子を確かめる。わずかに痛みは残っているが、痛みくらいしか残っていない。骨にも神経にも異常はない。

「この程度なら、寝てりゃ治るだろ」

「タフガイぶりますねぇ。ちゃんと検査は行ってくださいよ、さぼってるとまたセンセイに怒られますからね?」

「あー、気が向いたらな」

 肩をすくめて適当な返事をしつつ、メニューを開く。

「もう、いつもそれなんだから。がんばりすぎは体に悪……あ、」

 拓夢の顔が、わずかにしかめられる。失言に気づいて、看板娘は口をつぐむ。

 畔倉拓夢に対して「がんばる」という言葉は禁句である。それは彼の、少々辛い過去に繋がっている。その認識は、彼を知る者たちの間で共有されている。

「……あー、それなら、ええと」

 看板娘は目を逸らして、意を決したように勢い込んで、

「せめて気晴らしとかどうですか! ええとですね、戸塚のほうに大型のドリームシアターができたんですけど、なんとここにチケットが二枚――」

わりぃ」

 最後まで、言わせない。

「そういう気分じゃねぇんだ。また今度な」

「――はぁい」

 わかりやすく、看板娘が肩を落とす。

 何にも気づいていないふりをしつつ、拓夢は注文を伝える。

「まぁわかってましたけどぉ。くっそぉ、相変わらず難攻不落だなぁ……」

 小声の愚痴が聞こえる。これにも、聞こえないふりをする。


 しっかり火を通した焼き魚に、大量の大根おろしをのせる。数滴だけ醤油を垂らす。身をほぐして、茶碗の白飯にのせて、かっくらう。

 うまい。

 来訪者たちによって世の中は大きく変わった。食生活はその最たるもののひとつだ。技術で五感を増強することが可能になり、それに合わせて刺激的だったり効率的だったりする食品が次々現れ、人々の大半はそれらを好んで消費するようになった。味も匂いも歯ごたえも舌ざわりも喉越しも、再現可能なものは量産が可能。量産が可能なものはみんなが安価で楽しめる。それが現代における食品産業というものだ。

 だが、全員がそうしたというわけではない。従来通りの五感を保ち、従来通りの食生活を望む者も一定数はいる。そして幸い、来訪者たちの技術は、エネルギー問題の解決やら自然環境問題の緩和やらを通して、人類全体の生産力に余裕をもたらした。従来ならばすぐに切り捨てられていたような「一定数のニーズ」は、ただそれだけで、生産や流通の維持の理由になりえた。

 とまあ、長く説明したが、つまりはこういうことだ。

 変わり果てた今のこのご時世でも、美味しい焼き魚定食(白米味噌汁は各々一杯までおかわり可)は食べられる。

「つまらん男よのう」

 ぽつり、少女のつぶやく声を聞く。

「何の話だよ」

「いまのやり取りだ、もちろん」

 少女――メリノエは、皿のうえのオムライスにフォークを入れながらぼやく。

「気づいておらんわけでもなかろうに。あの娘、お主に対して、あからさまに雌としての好意を抱いている。その想いに応えるにせよ拒むにせよ、もう少しこう、ラブコメ的展開を見せてくれてもよかろう?」

「そりゃ、ご期待に添えず申し訳ありませんでしたっと」

「須らく女性にょしょうが苦手というわけでもないだろう? 少し前までは、それなりに遊んでもいただろうに。まさか、早くも枯れたか?」

「ンなわけあるか」

 小鉢のほうれん草をまとめて口に放り込む。

 飲み込んで、

「本気になれねえんだよ。なら、向こうが本気になりそうな付き合いはNG。そういう線引きはしてんだ、妙な勘ぐりすんな。あとそのツラで枯れたとか言うんじゃねえ、生々しいだろ」

「それはそれで、女との距離をとりすぎて、若い娘に夢を託しすぎた手合いの云い分よな」

「るせえ」

 女性に対して本気になれない。

 それは、決して嘘ではない。しかし、説明としては少しだけ足りていない。

 畦倉拓夢はきっと、そういう意味での本気を、遠い過去に置いてきてしまっている。


 当時の拓夢は、高校生だった。

 そして、青春の真っただ中にいた。ひとつ上の先輩に、いわゆるところのまあ、恋心というやつを抱いていた。

 燃え上がるそいつを原動力に、行動を起こそうとしていた。いわゆるところの告白というやつをやろうとした。金曜日にお話をさせてくれと、会う約束を取り付けるところまでいった。

 その金曜日が、来なかった。

 砦北大付属高は、東京都の新宿区にあった。問題の先輩の家は、数駅離れた渋谷区。そしてその両方が、あの日、同時に失われた。

 あの時のショックからまだ立ち直れていないんだ――というわけではない。来訪者たちを迎え入れた新しい姿の地球に適応し、新しい人生を生きる。人類のほとんどがそうしているように、拓夢もそうしている。

 調停者としてのこの生き方を、そこそこ気に入ってもいる。

 しかし、それはそれ、だ。

 現在は現在で、過去は過去だ。取り戻せていないものは多い。置き去りになったものは置き去りのままで、いまだ拓夢の中では空虚な虚のままだ。


「理論武装としては立派だが」

 メリノエは指先についた米つぶを舌で舐めとりながら、

「誘いを拒む言い訳としては、ちと臆病に過ぎる気もするがな」

「ぐ」

 心を読むな。そして、痛いところを正確にくな。

「昔の女に操を立てているというのは、まぁ、佳い。しかしだからといって、シアターのひとつ程度で罪には成らんだろうに。シナイの石板にもあるだろう? ハーレムを目指すつもりがなくとも、共通ルートにいる間は八方美人くらいがちょうど良い、と」

「適当ぬかすな、出エジプト記に謝れ」

 メリノエはよく、意味のわからないことを言う。そして、そういう時にはいちいち追及しないに限ると、拓夢はよく知っている。

「それとも、あれか? やはり最後には、吾を選ぶ気か?」

 にんまりと笑い、

「んん?」

「まあ、そういうことならば仕方がないな。すぐ隣にこれほど献身的なキュートガールがいるのでは、他の女に目が行かんのはむしろ必然。ふふ、吾ながら罪な女よ」

 身をくねらせて言う。

「あほか」

 実際のところ、まあ、完全に的外れというわけではない。

 事実としてこいつは献身的で、キュートで、ついでに親しみやすく、一緒にいる時間が心地よく、図太かったり無神経だったりするところは許容範囲の内で、つまりはまあ、パートナーとしては申し分ない。むろんそこには性的な意味を含まないし、そのあたりについて妙な誤解をされても困るので、当人には絶対に言えないが。

 そのうえで、

「いや、それはない」

 きっぱりと答える。

「ロリータに興味はねえんだよ。胸と尻を倍は盛ってから出直してこい」

「ほう? 云うたな」

 一瞬、目が鋭く光った、ように見えた。

「胸と尻。倍まで盛れば吾に溺れるのだな? 言質をとったぞ」

「いや。待て。まさかお前、マジで」

「そこそこの手間ではあるがな、肉体アバターの変形くらいは、まあ、どうとでもなる。今のこの姿に愛着もあるが、お主の愛を得られるなら、安い代償よ」

 改めて。メリノエを見る。

 なんというか、まあ。整った容姿をしている。それも、現実離れしたレベルで。

 大人というには幼すぎ、子供と呼ぶには成熟している。ほっそりとした白い手足には、しかし見るものに不安を抱かせない程度には肉がついている。そして、わけのわからない光沢を湛えた銀髪に、妖しく輝く金瞳に、そのほかもろもろ。

 美少女イラストのようなものだ、と当のメリノエは以前に言っていた。常人つねびとのように、肉体があってから姿があるのではない。まずこの姿を設定してから、中身の肉体を整えたのだと。そこそこに神々しく、とびきりに可愛らしい、そんなベクトルを狙ってあるのだとか。――まあ、その言葉の意味はよくわからなかったが。

 さて、そこまで再確認したところで、改めて想像する。

 こいつのこの体が、もし当人の言うように変化可能なものだとして。胸回りと尻回りを倍に増やしたら、どんな姿になるだろうか――

「待て待て待て、止めろ止めとけ止めてください。撤回する」

 慌てて手を振った。

「お前はそのままでいい。そのままでいてください。キュートキュート。頼むマジで」

「薄い胸に興味はないのではなかったか?」

「いやほらなんだ、別にオレとお前はそういうんじゃねぇだろ、なんせ相棒だ相棒、安い惚れた腫れたなんぞよりよほど濃い関係だろ、な、な?」

「ふぅむ。お主がそこまで云うならば、それでも佳いが」

 メリノエは意地悪く目を細めつつ、オムライスを口元に運ぶ。

「ところで、今日はデザートも頼んでも佳いか?」

「……おう」

 不承不承の表情を作って、拓夢は頷いた。メニューを見て、おそらくメリノエの目当てであろう一品を見つける、超ジャンボあんみつ極楽仕立て~コロッサスな季節に餡を込めて~。冗談のような大盛りに、冗談のような値段と、おそらくは冗談のようなカロリー量。写真を見ているだけで胸やけがしてくる。

 と、拓夢の懐が小さく震える。

「ん?」

 型落ちのスマートフォンを取り出す。届いたメッセージに目を通す。「んげ」と、小さく声が漏れてしまう。

「悪い、あんみつはまた今度だ」

「なんだと」

「用事が入った。廿六木とどろきのおやっさんが呼んでる」

 嘆息。

「急ぎで来いとさ。どうやらまた、面倒な仕事を押し付ける気らしい」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る