2.焼きたて抹茶シュークリームセット

 ――がんばれ、ゆめくん。応援してるぞ。


 東京が消失した前日、彼女はそう言っていた。

 金曜日の決戦に向けて意気込む拓夢少年を、励ましてくれた。

 それは、あの時の少年にとって、特別な言葉だった。「がんばる」は、そもそも彼女への憧れを自覚するきっかけにもなった単語だったから。

 そしてそれは、その後の青年の人生にとっても、特別な言葉となった。結局金曜日に辿りつくことのできなかった少年の成れの果てにとっては、先に進むことのできない自分の人生の象徴のようなものとなった。


      ◇


 コンビニに入って、新聞を一部購入がてら、「今日は何年の何月だ」と尋ねてみた。

 店員は「2002年6月5日水曜日ですよ」と答えてから、少し考えて、「何世紀の未来から来たんです?」と笑いながら付け加えてきた。拓夢は愛想笑いを浮かべながら「そいつは機密だな」と返す。二人、はははと朗らかに笑う。

 コンビニを出る。頭を抱える。

「何をやっている」

「いや……改めて、笑えねえ状況だと思ってな……」

 2002年、6月5日。あの『来訪者の日』、東京消失事件が起きた、当日。

 とうの昔に過ぎ去ったはずの時の中。


 どちらからともなく、そしてどこへともなく、歩き始める。

 どこにも不自然なところのない、ごくありふれた、朝の街並み。

 もちろん、その事実それ自体が、どこまでも不自然だ。

「見たところ、平和だな」

「ああ」

「荒れ果てるどころか、ほとんど混乱していない」

「そうだな」

。2002年に模造された空間が、2002年の姿をしていること自体に不思議はない……が、それからまったく時間が経っていないように見えるのはなぜか」

 歩幅を合わせて、横に並んで、懐かしき東京の歩道を、行く。

「本来なら、ありえない話ではあるが。この状況、お主はどう読んだ?」

 両腕を頭の後ろに組んで、メリノエが尋ねてくる。

「読むつってもな。ワケがわからんってのが正直なところだ」

 拓夢は少し考え、

「幻覚とか、誰かの夢をもとにした疑似世界とか、その手のファンタジーか? ほら、映画とかで、そういうのよくあるだろ」

「まぁ、最初に疑うとしたら確かに、……ふわぁ……その辺りの路線センだな」

 あくびをひとつ挟んでから、メリノエは片目を瞑り、軽く手を横に振った。

 空間の隙間から、いくつかの、虹色に輝く 多面体の結晶が出現する。それらは各々が勝手な軌道を描きながらメリノエの周りを飛び回り、また、不規則に明滅する。

 コォォン、コォォン、という透き通った共振音が耳に届く。

「……どうだ?」

 少し待ってから、拓夢は尋ねる。

「完全に的外れ、だな」

 片目を閉じたまま、メリノエがこちらを見る。

 先ほどとは逆の方向へと手を払う。空気に溶けるようにして、結晶たちが消滅する。

「周辺空間を一通りスキャンしたが、異常なほどに異常がない。ここは通常空間だ。夢でも幻覚でもない。だいぶファンタジックな状況でこそあるが、ファンタジーを直接見せられているというわけではない」

「そうかい」

 もとより、思い付きをただ口にしただけだ。外れだと聞かされても、特に残念に思うことはない。

「驚いたな。人間も本物だ」

「あ?」

「道を歩く者も、そこらの家屋で家事にいそしむ者も、あそこの小学校でドッヂボールを楽しんでいるわらべもだ。誰一人、スワンプ・チェックに引っかからん」

 スワンプ・チェック。少し前に、地球人の原子レベルで精巧なコピースワンプマンを造り出していた犯罪来訪者たちへの対策として、一部来訪者たちが組み上げた検査方法……のはずだ。具体的な内容はおろか、前提となる様々な理論が現代地球人の理解を超えているため、「そういうものがある」という彼らの言い分を鵜吞みにするしかないのだが。

「ってこたあ、あれか? 『来訪者の日』に死んだはずのご当人たちが、実はここで生き残っていましたってか?」

「そうなるな。幻でもアンドロイドでもクローンでもない。彼らはみな、この地に住んでいた本人だ」

 ということは。

 先ほど見た寂院夜空も、そうなのか。

 夢でも幻でもいい、人形でもクローンでもなんでもいい、その無事な姿が見られたというだけで限りなく嬉しい。どういう悪魔がどういう意図で騙しに来ているのかもわからないが、その悪意に感謝する――半ばそう本気で思っていたのに。その必要すらないのか。あの彼女は本物で、本当に生きているというのか。

「凄い表情になっているぞ」

 こちらの顔を覗き込んだメリノエが、半眼になって呆れている。

「……百年の恋も一瞬で冷めるような顔だ」

「そうか」

「まあ、億年の恋であれば、ビクともしないわけだが」

「そうか」

 よくわからない超年長者マウントを、いつものように聞き流して。

「そこまでわかったうえで、ならばこの状況をどう分析する?」

「ふむ? ふむー、そうさなあ……」

 メリノエは視線をやや上に上げ、しばし考えこむように沈黙して。

 それから、何かを見つけたように、にんまりと笑う。

「……立ち話もなんだ。腰を下ろして作戦会議というのはどうだ?」

 まっすぐに、一軒のカフェを――

 正確には、そのカフェの正面に出されていた、『焼きたて抹茶シュークリームセット(たっぷり増量中!)』の看板を、指さした。


      ◇


 平和な街中では、捜査課の戦闘用フル装備は目立って仕方がない。

 かといって、メリノエの「装備を取り出す」能力にも限界があり、無駄遣いは避けたい。だからまず、量販店で目立たない服を買って着替えた。作戦会議はそれからだ。


 さて、手持ちの日本円が、意外と心もとない。

 言うまでもなく、外で最近発行されたカード類は、この謎東京では使えない。となると頼りになるのは現金だけとなるのだが、そもそも、今回の作戦に通貨が必要になるとは予想していなかった。

 それに加えて問題になるのは、この場所における「現在」が2002年であるらしいという事実だ。つまり、外で2003年以降に発行された札やコインは、たとえ旧デザインであっても、すべてが実質上の贋金になる。手持ちからそれらを除くと、大した額が残らない。

 ぶっちゃけ、お守り代わりにと持ち込んでいた旧一万円札が軍資の全てである。そのことは、メリノエにもしっかり伝えたはずなのだが。

「ふむふむ」

 焼きたて抹茶シュークリームセット(たっぷり増量中)をほおばりながら、とりあえずメリノエはご満悦のようだった。満面の笑みを浮かべて、手足をばたばたさせている。

 その一方、日本人としてはやや大柄な拓夢には、おそらく女性客をメインターゲットに据えているであろうこのカフェは、多少居心地が悪い。

 小さな椅子の上で、肩をすくめるようにして座っている。

「……これ、飲んで大丈夫なのか?」

 手元のコーヒーカップに目を落とし、眉をひそめる。

「なにがだ」

 口元のクリームをなめとりながら、メリノエが首をかしげる。

「いやほら、あるだろ。違う世界のものを食べたら帰ってこられなくなるとか、そういうやつ。黄泉戸喫よもつへぐいとか、ペルセポネの柘榴ざくろとか」

「ん、ああ」

 にまりとメリノエは笑う、

古典的トラディショナルなオカルトの話か。お主はあれだ、図体のわりに、ずいぶんと可愛らしい心配をするのだな?」

「かわいいとか言うな」

 その言葉は、今は特に、聞き逃せない。拓夢は憮然となり、

「そもそも来訪者おまえらが規格外すぎるんだよ。その時の常識からはみ出たものを、人間は作り話の文脈に落とし込むことで吞み込む。オカルトってのはそういうもんだ」

 首を振って、

「大昔は季節の移り変わりとか天候の変化を神の仕業だとして、仕組みを理解できないままでもどうにか付き合った。現代も同じだ、仕組みの理解できない来訪者おまえらと正気で付き合っていくには、どうしても、似たような文脈が必要になる。だろ?」

「必死に言い訳している姿もまた可愛らしいな?」

「ああ畜生」

 ああ言えばこう言う、である。

 天井を仰いだ。手玉に取られている。

「言いたいことはわかるぞ。合理的だとも理解できる。『わからないままにしておく』を科学は許さないが、さりとて、人類の科学がすべてを解明するまで事態が待ってくれるわけでもない。用法分量には気をつけつつ、使えるものは使うべきだ……さて」

 ぺろり、メリノエは指についたクリームを舐めとる。

「まずは安心せい、心配しているような危険はない。言うただろう、ここは間違いなく通常空間。このシューもクリームもミックスジュースも、外の世界と同じような原子構成でできている。むろん毒もない」

 そこまで言ってから、思い出したように「まあ、多少脂肪分は多めかもしれんが」と付け加える。

「そもそも、今さらだろう? 吾らは既に、ここの大気を呼吸しておるわけだからな。この世界の分子は、とうに体内に取り込み済みではないか」

「そりゃまあ、そうだけどよ……」

「追加でそもそもだ。どこの来訪者の仕掛けだとしても、今さらその程度の奸計が、お主の体に効くものか。理解しておるのか、お主はこの吾と体を溶け合わせているのだぞ」

「言い方気をつけろよ?」

 理屈はわかる。しかしどうしても、この世界が敵地だという意識のせいで、気分的に警戒してしまうのだ。

 とはいえ気分を理由に判断を鈍らせるのは、それこそオカルトに振り回されているというのと変わらない。先のメリノエの言葉を借りるなら、オカルトの用法分量を間違えるということになるだろうか。

「…………」

 しばしの逡巡の後、意を決して、コーヒーに口をつける。

 そのまま勢いよく一気に飲み干す。

 熱い。苦い。そして何というか、妙に渋い。

 それらの雑多な刺激がカフェインと共に、拓夢の思考に活を入れる。

「……2002年の東京には、もちろん、アーコロジー機能なんてなかった」

 語り出す。

「ふむ」

 ミックスジュースのストローをくわえたまま、メリノエは神妙に頷く。

「太陽光や空気とかは、まだいいさ。理屈はよくわからんが、”船室キャビン”という技術は『環境ごと模造する』てぇ特性を持ってる。『環境』にカウントしてよさそうな要素については、無理やりに呑み込める。けどよ。水や電気や食料は、そうもいかねえだろ。補給なしじゃ、一年も保つはずがねえんだ」

 見回して、

「加えてこれだけ平和となると、わけがわからん。自分たちがどういう状況にあるのか気づいてすらねえよな、こいつら」

 視線だけで、店内にいるすべての人間を示してみせる。

「これ全部、ちゃんと人間なんだよな? 人形とかじゃなくて?」

「そうだな。だがこの街は、確かにこの形で、ここにある」

 ふんふんとメリノエは幾度か頷いて、

「その誤謬を、現時点で、お主はどう読み解く?」

 当然の質問を投げてくる。

「そりゃさっき答えたろ、ワケわかんねえって。夢か幻じゃねえのか、ってのをまだ疑ってたいくらいだよ実際」

「いいから別案を出してみろ。荒唐無稽で構わんから」

 拓夢は少し考えて、

「巨大宇宙船にこの街が丸ごと鹵獲されていて、実は亜光速で移動中。ウラシマ効果で時間の流れが遅くなっている。だから地球で何年経ってもここじゃ数時間しか経ってない」

 自分でもめちゃくちゃだとは思いつつ、言うだけ言ってみた。

「ほう、古典SFの世界だな」

「いちおう、SFそこが職場なもんでな」

 とは言ったものの、まあ、これはハズレだろうと思う。亜光速で移動中の宇宙船に、そう簡単に飛び乗れるものとも思えないし。

「で、お前のほうはどうなんだ」

「吾か? そうさなあ……」

 ストローから口を離し、窓の外に目をやる。

 ちょうど、一羽の小鳥が、左から右へと飛び去っていく――のを目で追って、

「この街を盗んだ犯人は、何かを探しておるのだろうな」

「うん?」

「まぁ、勘のようなものだな。おそらくそうだろう、と感じただけだ」

 何だよそりゃ。

「だが、確信は持っている。この状況を創った者は、この閉鎖された東京で、何かを探している。それは、正しく時が流れてしまえば消えてしまうような、儚いものなのだろう。そういう理由があったからこそ、其奴そやつは2002年のこの街を、理を捻じ曲げてまで手元に留め置いた」

「……へえ」

 その観点は、拓夢にはなかったものだった。

 目的。そうだ、来訪者であれ、これだけのことをやらかしている以上、何らかの目的を掲げていることに違いはないはずだ。何を望んでこんなことをしたのか。突き止められれば、問題解決に大きく近づけることだろう。

 根拠がメリノエの勘でしかないというのは不安要素だが、手がかりらしい手がかりのない現状、考え方がひとつ提示されたというだけでもありがたい。

「まぁ、吾のこの当て推量に関しては、深く突き詰めずとも良い。いずれそのうち、答えのほうからやってくるだろう」

「はあん?」

「吾とお主は、ここから外れたモノであるからな」

 言って、カップの中のジュースを吸い尽くす。

「大気を吸おうがクリームを舐めようが、それは変わらぬ。この街の向かう先に、吾等は行けん。その懸隔けんかくは、遠からず必ず、形を成して顕れるだろうさ」

 どこか妖艶にそう言い放ってから、メリノエは軽く手を挙げ、店員を呼びつける。

 ここらで作戦会議を切り上げ、調査に戻るつもりなのだ――と拓夢は解釈して、腰を浮かしかける。

「こちらのな、シナモンロールとマンゴープリンのセットを、追加で頼む」

 思いっきり、つんのめりかけた。

「まだ食うのかよ!?」

「いや仕方がなかろう。どれも美味いぞ、ご当地の、かつ時代の味がする」

「おのぼり観光客かよ!? 予算あんまないって、オレ言ったよな!? お前聞いたよな!?」

「そう猛るな、糖分が足りていないのではないか?」

 店内のあちこちから、くすくすという小さな笑い声が聞こえる。今の自分たちが周りからどのように見えているのかを察し、拓夢は顔を赤くする。

 二十代半ばの姿の自分と、ローティーン程度の外見を持つメリノエ。

 さすがにカップルには見えないだろうし、「年の離れた子に振り回されている親戚のお兄ちゃん」あたりの解釈に落ち着くだろう。

 そしてそれは、拓夢にとって、とても不本意で不名誉な誤解である。

「…………それ食い終わったら、行くぞ」

「うむ」

 笑みを浮かべ、メリノエは頷いた。事情を知らない者が傍から見ている限りでは、それこそ素直に「かわいらしい」と思うだろう、そういう笑顔だった。

 はぁ。

 拓夢は小さく嘆息すると、店員を改めて呼びつけ、追加のコーヒーを注文した。

 ついでに、

「ここから八王子って、どのくらいかかるかな、電車で」

 腕時計を気にするそぶりを見せつつ、その店員に訊いてみた。

 アルバイトと思しきその店員は、何かを思い出すような間を入れ、「一時間くらいじゃないでしょうか」と答えてきた。

「さんきゅ」

 礼を言って、拓夢は考える。

 八王子は、東京消失の範囲の外にある。つまり、この特大”船室キャビン”の中には存在しないはずの場所だ。そこの話を振られても、この店員は、特に異常な反応を見せなかった。

(単に、街が封鎖されたことに気づいていないのか。嘘をついているのか。ここから一時間の場所に、オレらの知るものとは違う別の“ハチオウジ”があるってセンもある)

 頬にクリームのついたメリノエの満面の笑みをジト目で見守りつつ、拓夢は考える。

(……結論を出すにゃ、まだ情報が足りねえか)

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