3.その男、柊豪十郎
かつて二十世紀が終わろうとしていたころ、人々は、やがて来る新世紀に対して様々な想像を巡らせていた。人々は銀色のタイツめいた服を着るようになるとか。空中にチューブめいた道路が張り巡らされ、自動車はその中を走るようになるだとか。そこまで極端なものは除いたとしても、人類の電脳化が進むだとか大々的に宇宙に進出するだとか、とにかくわかりやすい変化が人類文明に起こるだろうという期待は確かにあった。その期待の裏側に、すべてが退廃するだとか破滅が訪れるだとかいった、世紀末思想なるものも並行して広がっていた。
実際にどうなったかは、誰もが知る通りである。
二十世紀の最後の年は、それ以外のありふれた年と同じように終わった。二十一世紀の最初の年は、それ以外のありふれた年と同じように訪れた。人々は銀色の服を着ることもなく、自動車はチューブの中を走ることもなかった。
人々は落胆し、安堵し、一年前までの自分たちを軽く哂いながら、日常を続けた。二十世紀末のそれとほとんど何も変わらない、二十一世紀の日々を過ごし始めた。
――だからなのだろうか。
改めて訪れたこの「2002年の東京」には、色々なものがまだ少し浮ついているような……それでいて同時に、どこかのんびりと落ち着いているような。不思議な、独特の雰囲気が漂っている。そう感じられる。
「予算の問題を、どうにかしたいところではあるな」
並木道を歩きつつ、メリノエはクレープなぞをぱくついている。
「まったくの同意見だが、現在進行形で浪費中のお前が言うな」
「必要最低限の経費だろう。固いことを言うな」
「五秒前の自分と正反対のことを言うなよな?」
軽い口調でつっこんではいるが、実際、予算は厄介な問題だ。ここが街として機能している以上、情報を集めるにもそれ以外の活動をするにも、まともに動こうと思うなら金が必要になる。
「昔は、この辺りを庭にしていたのだろう? 臍繰りを隠していたりはせんのか」
「ねえよ。あったとしても、クソガキの小遣い程度じゃ足しにもならねえよ」
「何だ、つまらん」
「そこまで手持ちが怪しくなったのは、お前がバカスカ食いやがったからでもあるんだがな? ったく、この非常事態に、あっさり食欲に負けやがって」
「ふむふむ成程、
頷きつつ、メリノエはくすくすと笑う。
「非常事態にあっては、欲に負けてはならない。さすが、現場到着して真っ先に女の尻を追いかけた男は、言うことが違うな」
ぐ。言葉に詰まる。
「いや、あれはその、だなあ……」
「吾も見たかったものだな。お主の本気を捉えて放さぬ、その罪深き雌の貌を」
「言い方は選んでくれよ?」
今なお彼女に心を捉えられているのは事実だ、反論の声にも力が入らない。
「むろん、吾の眼鏡に適わんようなつまらん女であれば、譲る気はないぞ」
「お前はオレの何のつもりなんだ」
「それはむろん、あれだ。現時点では、体も心も、最もお主に近しいところにいる雌だと自覚しているが?」
「言い方は選んでくれよ?」
心も体も至近距離、そういう間柄の相棒だというのは事実だ。というわけで、やはり反論の声に力が入らない。
肩を落として、とぼとぼと道を往く。
「まあ、先輩にちゃんと男として見られてたのかすら、自信ねえんだけどな」
「ふうむ? 同性に見えていたと?」
「そっちじゃねえよ。弟扱いされてたってことだ。一人っ子だからずっと弟か妹が欲しかったんだー、なんて言ってたし」
「成程。となると、今のお主を見たら驚くだろうな」
見て驚くどころか、軽蔑しきった顔で変質者扱いされたりもしたのだが。
「ところで、吾々は今、どこに向かっている?」
メリノエが尋ねてくる。
「んー……改めてこの状況についての情報収集だな。話を聞けそうなところに、ひとつ心当たりがある」
「ほう?」
興味を惹かれたようで、メリノエが少し、顔を寄せてくる。
「ここからなら、そんなに離れてないしな。オレも初めて行く場所なんだが、まあ、成果は期待していいんじゃないか」
「ほうほう?」
大勢の来訪者が一度に押し寄せてきたのが2002年の6月5日。しかし、歴史の表舞台に出てこなかっただけで、それ以前からも、散発的な客は訪れていた。幾度となく問題が起きていたし、ならばもちろん、地球側にもそれを解決する調停者たちがいた。
むろん彼らは、そのまま調停者としての看板を掲げてはいなかった。世間の目を逃れながらも活動できるように、表向きには別の職であるように装っていたらしい。
「警察署、だよ」
◇
当たり前だが、信じてもらうのが大変だった。
未来から来たんですだとか、東京は悪い宇宙人に襲われているんですだとか。冷静に考えて、行き過ぎた陰謀論者の妄言でしかない。しかし困ったことに、正直かつ正確に事態について説明しようとすれば、そういう表現を使わざるをえない。
「ハッハァ!」
通された部屋には、どうやら上機嫌らしい、一人の男が待っていた。
年は、四十をいくらか過ぎたくらいか。彫りの深い顔に、白いものの交じった髪、刈り揃えられた髭。そして、服の上からひと目見ただけでそうとわかる、鍛えられた体。その口元では、短い煙草が、ゆるい煙を立ち上らせている。
強えな――
拓夢は、心中だけで、そう呟く。
立ち姿だけからでも、容易にそれが察せられる。鍛えて到達できるタイプの強さではない。第一線に身を置き続けた結果として生まれただけの、数字や言葉にしづらい強靭さだ。戦闘技術だの生存能力だのといった、表面的なものが決定的に違う。こればかりは、どうあがいても、若造である自分では敵わない。無数の傷に彩られた貫禄。
噂には、聞いていた。来訪者たちが急増するよりも前、高名な調停者といえばまず最初に名前が挙がる男。あらゆる紛争を解決してきた無二のベテランであり、地球人側にとっては最大戦力であったという。
名は確か、
伝説のように語られるその男に、一度会ってみたかったとは常々思っていた。しかしまさか、その願いがこんな形で叶うとは。
「ようこそ我がオフィスへ! 君が、話題の未来人クンだね?」
柊は大仰に両腕を広げて、歓迎の姿勢を見せた。
「受付からの報告は聞いた。面白い話をしていたらしいではないか。何でも、この閉鎖された界隈だけが、時間の流れから取り残されている、だとか?」
「ああ」
拓夢は頷いた。
「ちなみに大真面目だ。フカシは入れてねえスよ」
男は、五歩ほど離れた場所に立ったまま、まっすぐに拓夢の瞳を見る。
「……ふむふむ。ふむふむふむ、なるほどな?」
視線を切り、煙草を灰皿に押し付ける。
胸ポケットから取り出した新たな一本を、口にくわえる。火をつける。
相当なチェーンスモーカーなのだろう、決して小さくない灰皿が、既に吸い殻と灰で溢れんばかりになっている。
「まあ、すぐ信じてもらえるとは思ってねえスけど」
「いや、そうでもない」
太い指が、びしりと拓夢に突き付けられる。
「部分的にであれ、そのまま納得できるところもある」
「……は?」
「話をまるごと鵜呑みにするというわけではないがね。現在この渋谷が詳細不明の異常の中にあるというのは、こちらでも確認できている事実だからな」
柊は窓辺に近づき、下ろされていたブラインドを指先で少しだけ開ける。
「気づいてるんスね、今のここは、どこかおかしいって」
「当然だとも!」
柊は頷き、ふたたび大仰に両腕を広げて、
「なぜか外界と途絶している。行き来はもちろん、情報のやりとりすらできない。にも拘らずインフラが生きている。そして何より、なぜか誰もそのことに違和感を抱いてない。これをトラブルと呼ばずして、何と呼ぶべきか!」
朗らかに笑い、
「確かに東京民は、騒動まみれの日常に慣れて、鈍感になっている節がある。しかしだからといって、ここまでの無反応は異常だろう」
「たぶん、認識改変が起きている」
うむ、と柊は頷く。
「ここが”
「でも柊サンは気づけた」
「むろん、信頼できる最高の
「うむ」
なぜかメリノエが、誇らしげに頷いた。
「“ベスト”は余分スけどね」
拓夢も頷いた。メリノエの肘に脇腹を小突かれた。
「これからどうしたものかと、少々悩んではいたのだがね。君たちが来てくれたおかげで、ひとつ決心がついた。この街がただの”
柊は、右手指で拳銃を象ると、まっすぐに窓の外の空に向ける。
「……壊す?」
聞き間違いかと思った。
「想像していたのさ。この街が隔絶していたとして、壁の外には何もなくなっているかもしれないだとか、宇宙空間が広がってるかもだとか。宇宙船東京号だな。もしそうだとしたら、壁にヒビをひとつ入れるだけでも致命的だ。そして、外の情報が何もない段階では、その可能性を完全には否定できなかった」
はぁ、と相槌を打つ。
「しかしどうやら、ここは宇宙船東京号ではないらしい。ならばセンジュの光で、直接どうとでもできる」
センジュの光。
その言葉をキーワードに、外で聞きかじった、柊豪十郎についての情報を思い出す。いわく、彼の大きな戦果は、彼自身の強さのみならず、相棒たる来訪者ドルンセンジュの力にも大きく支えられていたという。
その者の持つ力はふたつ。自分たちの精神力をエネルギーに転化して溜め込むものと、そのエネルギーを光弾として放出するもの――
「まさか」
目を見開いた。
「”
柊は唇を吊り上げ、不敵に笑う。ついでに、新しい煙草をくわえて、火をつける。
「私とセンジュのキャッチコピーは『この宇宙に貫けぬものなし』でね」
とんでもない話だ。外側から穴をこじ開けるため、あの“白”の女ですら、年単位の時間をかけていたらしいのに。
「成程、理に適っている」
傍らからメリノエが解説を入れる。
「金庫の鍵をあけるのに、鍵を偽造したり暗証番号を探ったりをしていれば、もちろん相応の時間がかかるだろう。しかし、デタラメ大火力で扉を吹っ飛ばすだけならば、そういう手間はいらんという理屈だ」
いやいやいや。
畔倉拓夢は、現代の同業者たちの中では、少々力任せなケースが目立つ調停者だと評価されている。そのあたりに自覚はないでもなく、いつか改善するべき課題だなあなどと考えることもある。
その拓夢が、2002年の実力者を前に、心の底から思う。
ゴリ押しすぎるだろ、あんた。
「さすがに、今すぐにとはいかんがね。障壁の強度の確認と、それを貫けるだけのエネルギーのチャージと……まあ、最低で二百時間はかかる」
「八日……」
正直、長いとは思う。しかし、やろうとしていることのデタラメさを考えれば破格の短さだ。文句のつけようがない。
「となると、オレたちにやれることは、当面何もない感じスかね」
言いつつ、拓夢は心の奥に、何かチリつくものを感じている。
これ以上拓夢とメリノエが何もせずとも、あと八日で、問題は解決する。下手に動くことで足を引っ張る可能性すらある。大人しく状況を見守るのが良い、と……そう考える一方で、そうではないと感じてもいる。
不自然だらけのこの世界で、それでもなお、無視のできない特大の違和感。
「そうだ、と言ってしまってもいいのだが」
柊は首を振る。
「そうするつもりは、ないんだろう?」
「お見通しスか」
「君のようなタイプのことはよく知ってる。自分で見て聞いて、さらには直接ブン殴ったものしか納得できないタチだろう」
顔の前で拳を固めて見せながら、言う。
いや待ってくれよ先輩、と思う。自分と同類だと言ってくれているのだとはわかる。それは光栄な評価だとも思う。しかし同時に、あんたレベルの脳筋と一緒にしないでくれという気持ちもある。
「……スね」
どちらの気持ちも隠し通して、頷く。
「じゃあお言葉に甘えて、自由に動かせてもらうス。その許可と、できれば身分保証みたいなやつ、もらっていいスか」
「ああ。話は通しておこう」
言いながら、柊は短くなった煙草を、また灰皿に押し付けた。
拓夢の、外における調停者としての身分はここでは使えない。だから、協力者としてのIDを改めて発行してもらった。メリノエともども、本物の捜査員ほどではないが自由裁量で事件にあたることができるという代物だ。ついでに、(実にありがたいことに)多少の活動費も融通してもらえることになった。
「…………」
そのIDカードを眺めながら、捜査課本部を後にする。
「どうした。写真が気にいらんか?」
「それもある」
証明写真というものは、なぜか、不細工に写るものだ。妙に頬の膨れて見えるその写真を見ながら、拓夢は首を振る。
「何かが引っかかってる。なのに、何が引っかかってるのか、わからない」
「ふむふむ」
メリノエが頷く。
「ならばそれこそ、捜査課でもう少し話を聞いておくべきではないか? 今なら、ほれ、不審者扱いもされんことだし」
それはまあ、そうなのだが。
「何かを警戒しているのか?」
「いや……」
どちらかというと、警戒されているのはこちらだろう、と思った。
柊はもちろん、ほかの職員たちも、手のうちの全てを拓夢に晒してはいない。いくつもの重要な情報を伏せていると感じられた。
しかしこれは、もちろん、得体の知れない相手に対する当然の対応である。むしろそのくらいには慎重に振る舞ってくれないと、逆に不安になるところだ。だから、そこはいいのだ。そこはいいのだ、が……
それでも、何かが首の後ろのあたりにまとわりついている。
「だめだ、わからん」
拓夢は頭を振った。この頭は、難しいことを考えるのには向いていない。
「では、どうする?」
「……情報収集だ。少し、足を使おう」
宣言して、歩を早める。
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