4.2002年地元の旅

 少し調べてみて、わかったことが、ひとつ。

 この閉鎖市街の内側から、世界の壁はまともに認識できないようになっている。”船室キャビン”の仕掛けに耐性があるはずの自分たちにも、だ。


 歩いて出ようとすると、いつの間にか方向感覚がおかしくなって、Uターンさせられている。

 バスや電車を使っても、いつの間にか逆方向のものに乗っている。

 タクシーを捕まえて外に出ようともしてみた。が、壁に近づくといつの間にかUターンさせられる現象に変わりはなかった。そしてその後、運転手には申し訳なさそうに「すみません、目的地はどこでしたっけ」と尋ねられた。何度試しても、そうなった。

 そのほかいろいろと試してみたが、これといった成果は出なかった。


「手の込んだ鳥籠だよ、まったく」

 公園沿いのベンチに腰掛けて、空を仰ぐ。

「本来の”船室キャビン”の仕組みに、手を加えてあるな」

 隣にちょこんと座ったメリノエが、同じように空を仰ぐ。

 足をばたばたさせながら、

「基礎理論は『人除け』、特定の場所に細工をして、地球人との無用な接触を避ける技術でな。在地来訪者の間ではそこそこポピュラーに知れ渡っておるし、それを応用した護身グッズまで売っておるよ」

 言われてみれば、そういう話に聞き覚えがある。

 調停者をしていれば、都市伝説めいた話を耳にする機会も増える。そして、「そこにあるはずなのに近づけない場所」、のような話は、確かに数多かった。

 あるアパートのある階では三号室の隣が五号室になっていて、なぜかといえば四号室に住みついた来訪者によって部屋ごと隠されていたからだとか。山で遭難した者が隠し村に迷い込んで、後日改めて訪れようとしても村そのものに辿りつけなかったとか。規模の大きなものになると、地球人未踏の地があって、そこに向かう汽車があって、それに乗れる駅のホームそのものが地球人では近づけないようになっている……などというケースもあるらしい。

 あれらが、つまりは、そうなのだろう。

「もともと『近づけない』ためのものを、アレンジして『外に出させない』ように機能させている。凝ってはいるが、それ以上の機能はないだろうよ」

「そう願いたいね」

 ややこしい状況のうち、ごく一部だけであれ、説明がつけられたことはありがたい。できることなら、残りもとっとと解明してほしいものだが。

「どう調べたもんかな」

 あごに手をあてて、考える。

 まだ、強引な手ならばいくつか思いつく。強行突破しようと思えば、やれることはあるだろう。とはいえ、情報の少ない現段階では、あまり派手なことはしたくない。

「案はあるか?」

 いちおう、パートナーにも訊いてみた。期待していたわけではないのだが、

「あるぞ、素晴らしいものがひとつな」

 言葉だけなら頼もしい、そんな答えが返ってきた。

 嫌な予感がしないでもなかった。が、話を振った手前、無視するわけにもいかない。唇の端を歪めつつ、拓夢は先を促した。


      ◇


 ドーム内の照明が落ちる。

 スマートフォンどころか、携帯電話すらそれほど普及していない時代である。客席に光源はない。だから、瞬時に客席は暗闇に包まれる。

 薄いざわめきが辺りに満ちる。

 少し遅れて、ぽつぽつと、小さな光の点がいくつか天蓋に浮かび始める。穏やかな、それでいて荘厳なBGMが流れ出す。女性の声のアナウンスが語り始める。星の世界へようこそ、当館のスペシャルプログラムが、これから皆さまを、素敵なスタークルーズへとご招待します――

 ぶわあ、と。光の点が、あふれだすように、大量に増える。闇夜だったはずの空間が、満天の星に包まれる。周りの客席から、感嘆や驚愕の声が聞こえてくる。

 何をやってるんだろうな、オレたちは。

 作りものの星空を見上げたまま、拓夢はぼんやりと自問する。

 おんぼろのプラネタリウムである。

 2002年であるこの東京にあっても、いつ閉館してもおかしくない古び方をしている。もし東京が閉鎖されていなかったら、つまり外の世界と同様に未来へ進んでいたならば、とっくになくなっていたであろう場所。

 座席の手すりに肘をつき、拳の上に頬を乗せ、不真面目な姿勢でアナウンスの解説を聞き流す。カシオペア座を使った北極星の見つけかたがどうの、北斗七星にまつわる伝説がどうの。星のロマンに身を浸している周囲の客たちには悪いが、異星からの来訪者たちと日々ドンパチをやらかしている身としては、今さら改めて学びたいものでもない。

 ならば、なぜわざわざこんなところに入ったのかという話になるわけだが。

「いや本当に、何で入ったんだろうな……」

 自問に対して、誰にも聞こえないような小声で、答えになっていない自答を呟く。


 今のこの東京に触れてみよう、という話になったのだ。

 ここの日常に触れて、違和感を探してみよう、という話になったのだ。

 そのためには、拓夢の思い出の場所を巡るのが良い、という話になったのだ。

 ……いや、ひとつ訂正しよう。

 そのようにメリノエに提案され、押し切られたのだ。


 星空の上演が終わり、青空の下に出る。

「いやあ、良いものを見たぞ」

 明るさの落差に、眼の奥が痛む。目頭を押さえてこらえつつ、やたらと上機嫌なメリノエを、半眼で見る。

「いやお前。ガチ来訪者から見て、楽しめるようなもんだったか?」

「当然だろう。仮に自分が高名な画家だったとしてだ。幼子がクレヨンを握りしめて描いた似顔絵を、愛しく思える気持ちに変わりはなかろうが」

「……あー……」

 なるほど。地球人はまだ宇宙のことをろくに知らない、だからそこに夢を見ている。拙く再現された星空それ自体ではなく、そこに地球人が見出だすファンタジーのほうを楽しんでいたと。それがこいつメリノエの言い分か。

「幼き日のお主も、あれらの光に、彼方を夢見ていたのだろう? 想像するだに可愛らしい純真さではないか」

「いや、想像すんなよそんなん」

 言い返しながら、思い出した。そうだ、そもそもそれが、このプラネタリウムに足を向けた理由だった。小さな子供のころに、親に連れられて入ったことがある。それを思い出し、つい口にしたら、そういうことになった。

「お主自身は、懐かしくは感じないのか、この場所を?」

「そりゃまあ……なくもねぇけどよ……」

 頬を掻く。

 ここは、そもそも自分が子供だったころには既に、おんぼろで客の入りも悪い場所だった。もう先が長くないだろうと言われていた。そして当時の自分は、そうか残念だなと頭の隅のほうで考えただけで、とりたてて何もアクションを起こさなかった。

 だから、今さらここで懐かしさを満喫するというのは、さすがに図々しすぎるような気がしてしまうのだ。

「他には? 他にはどこか、思い出の場所はないのか?」

 気の重い拓夢に構わず、メリノエのほうは上機嫌、完全に物見遊山モードである。両手を広げ、くるくると回りながら、拓夢の二歩ほど先を歩いている。

「それもまあ、この辺りはよく歩いたし、いくらでもあるがよ」

「うむ、片端から行くぞ。心配するな、軍資金はある」

 他はともかく、少なくとも軍資金の件は、お前が胸を張るようなことじゃないだろう。

「いいけどよ。オレの里帰りもどきに付き合って、お前は楽しいのか?」

「無論だとも。愛しいお主について、とても多くが知れるのだからな」

 目をつぶり、空を仰ぐ。

「幼少のお主が暮らした地。こうしているだけで、紅顔の鼻たれ小僧の姿が、まぶたの裏に浮かぶようだ。おお愛おしい愛おしい」

「鼻は垂らしてねえよ」

 額を軽く小突いてやる。


 馴染みだったスニーカーショップに寄った。

 畔倉少年とは顔見知りだったはずの店主は、一度ちらりとこちらを見ただけで、すぐに新聞に視線を戻した。

 店内をぶらつく。

 当時は手の出なかったブランドものを見つけて、つい見つめてしまう。値段は――高校生にとっては雲の上だが、社会人にとっては、少し無理をすればなんとかなる程度。そして何より、現代の日本ではこれには派手なプレミアがついている。同じものを手に入れようとしたら、いくつか桁の違うJ$ジヤダラが必要になるはずだ。

(…………くっ)

 無意識に棚に伸びる右手を、左手で押さえつけた。今はそんな時ではない。


 ゲームセンターに寄った。

 学校帰りの生徒たち――いつの間にかそういう時間になっていた――が懐かしいタイトルの筐体の前に集まり、わいわいと騒いでいた。拓夢は少し離れたところからそれを眺めていたが、すぐに離れた。

 そのままゲームセンター自体からも出ていこうとしたが、

「拓夢! これだ、これをやるぞ!」

 メリノエに袖を掴まれ、ゾンビを銃で撃つゲームの二人プレイに参加させられた。

 とっととゲームオーバーになってここを離れよう……などと最初のうちは考えていたのだが、正式な射撃訓練を受けた拓夢にしてみれば、作りものの戦いは文字通りの児戯である。気づけば、ほぼノーダメージのままゲームを完走し、いつの間にか集まっていたギャラリーの感嘆の声を浴びていた。


 公園に寄って、小学生たちのサッカーを眺めた。

 昔は時々、人数が足りないからといって、無理やりメンバーに参加させられたりもしたものだ。ポジションは決まってキーパーで、手を使ってはいけないというハンデまで課せられた。無茶苦茶ではあったけれど、あれはなかなか楽しかった。

 自分が成人男性になってしまった今は、そういうこともない。昔よりもいくぶんか離れた場所から、本当にただ、眺めるだけの立場。


 CDショップに寄って、新譜のラベルを眺めた。

 東京消失とともに消えていたバンドたちが、ここではまだ、第一線のアーティストとして店頭を飾っている。そのことが嬉しくもあり、寂しくもある。彼らはここでは現役なのだが、しかし、新曲を書いたりはしていない。


 図書館に寄った。

 これといったエピソードがあるわけではないが、当時、月に一度くらいは足を運んでいた場所だ。理由は簡単、タダで雑誌の最新号が読めたから。

 今となっては、さしたる魅力もない……と言いたいところではあったが、ついつい二冊ほど読破してしまった。


 映画館に寄った。

 うっかり「初めてのデートの場所になるはずだった」と漏らすと、メリノエに思い切り食いつかれた。「面白いエピソードはねえよ、すっぽかされただけだ」と惚けようとしたが、余計に興味を惹いてしまっただけだった。

 ごまかすのに、Lサイズのポップコーンのバケツがふたつ必要になった。


 それから、それから――

 足の赴くままに、思い出の中を、歩く。

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