輪転式ステレオプティコン

枯野 瑛

〈sequence 00 : 都市消失〉

-.決戦は金曜日

 金曜を、決戦の日としよう。

 一人の少年が、そう決意を固めた。


 はたから見れば、そう大げさな話でもない。

 じやくいんぞらという少女がいる。都内の高校に通う二年生で、少年から見るとひとつ上の先輩にあたる。成績優秀でスポーツも優秀で性格がよくて、基本的に明るいけれどどこか陰があったりして、つまりは今時フィクションの中でもそう見ないほど良くできた人間で、当たり前だがモテていた。

 彼女を狙う男子生徒は数多く、そして、少年はその中の一人だった。

 同じ委員会に所属しているだとか、弟のようにかわいがられていただとか。そういうアドバンテージはあったものの、それだけだ。男として見てほしい、男として頼ってほしい、そういう衝動が少年にもあった。その衝動が、現状を良しとしなかった。

 だから、好意を本人に伝えることを――つまりは告白とやらをすると、心に決めた。

 繰り返しになるが、傍から見れば、そう大げさな話でもない。年若い男女の、甘酸っぱい青春の一ページ。どこにでもあるとまでは言わずとも、そう特別なシチュエーションというわけではない。

 少なくとも、この時点では。


      ◇


「夜空先輩ッッ! お話があるんですがッッ!」

 東京都内、砦北さいほく大学付属高校。放課後の二階渡り廊下。

 少年は、意中の相手を呼び止めた。

 意気込みがそのまま声の大きさになり、周囲の注目を集めた。

 場所が悪かった。この時間のこの場所は、それなりに人通りが多い。部活棟へ向かおうとしていた者も、図書館で勉強しようとしていた者も、そのほとんどがここを通る。そして、居合わせていたそれらの生徒たちの全員が、驚いて少年に視線を向けた。

 少年は、その視線に動じない。というか、今さら周囲の様子に構っていられないくらいには、既に動揺しているのか。とにかく顔を赤く染めて、口をへの字に結んで、まっすぐに、少女を見据えている。

 周囲の視線が、その少女へと向く。

「……あのねぇ、ゆめくん」

 少女は恥ずかしそうに顔を染めて、頬を指先で掻きながら。

「TPOって言葉、知ってる?」

 質問の形で、抗議を寄越してきた。

 少年はゆっくりと顔を上げ、「ええと」と少し考えるような顔をしてから、

「タイム、プレイス、オーバーキル……だったっけ」

 あからさまにテンパった声で、そんなことを言う。

「うんうん、最後以外は合ってるね」

 はああ、と。少女の唇から、重めのいきがひとつ。

「……もしかしてオレ、何か間違えたかな?」

「うん、主に時間と場所を間違えてるね。おかげで、わたしの恥ずかしさがオーバーキルだよ、もう」

 少女は肩をすくめる。

「まぁ、ゆめくんだからなぁ。ムードとか求めるほうが無茶か、うん」

 何やら自分を納得させてから、

「……で?」

 いてきた。

「話って、どういう? ここで聞いていいやつ?」

「あ、いや……それは、その。大事なお話があるので、金曜日に、少し時間とかもらえねえかなっていう……今日のところは、そういう感じのやつで……」

 勢いをがれて、少年はたどたどしく、答える。

「ふうん?」

 少女は、どこか意地悪く笑う。

「そっか。君もか。そいつはちょいと、寂しい話だ」

「え?」

 どこかかげりを感じさせる声。

 しかしそれも一瞬だけのこと、少女は明るい表情で、

「ん。ま、でもいいでしょう。その挑戦、受けて立ちましょう」

「え?」

「金曜日ね。放課後でいい? 部活あるから、ちょっと待ってもらうかもだけど」

「あ……うん、もちろん、それでいい……です……」

「場所は? いつものとこ?」

「あ、いえ、できればもうちょっと静かなとこ……探しておくんで……」

「ほぉん?」

 少女の目が、なにかを測るように少年の顔をのぞむ。

「それと、金曜日まで、わたしは君とどういう風につきあえばいいのかな。やっぱ、少しはそわそわしたほうがいい? いつも通りがお望み?」

「え……いや……それは、その、いつも通りのほうで……」

「おっけ」

 少年のひたいで、小さなでこぴんがはじける。

「じゃあ金曜日にね。今度はちゃんと行く」

「あ、はい……」

「がんばれ、ゆめくん。応援してるぞ」

 悪戯いたずらっぽい笑顔を残したまま、少女はきびすを返す。きゃあきゃあと楽しそうにはしゃぐ友人たちとともに、少しだけ早足で、部活棟のほうへと去っていく。

 残された少年は、しばしほうけたようにその場に立ち尽くしていたが、

「よくやりやがった!」

 その背を思い切り平手ではたかれ、我に返る。

「こんの身の程知らずが!」

「骨は拾ってやるぞ!」

「安心して玉砕してこい!」

 いつの間にそこにいたのか、クラスメイトたちが、次々平手を背中に降らせてくる。

 少年の体から、少しずつ力みが消える。喉が震えて、「はは、は」と、笑いにも似た音が押し出されてくる。


 なぜ、次の金曜日だったのか。

 理由は単純。その日は、この少年の誕生日だった。そしてこの少年には、自分の誕生日の勝負に強いというジンクスがあった。偶然ではあるが、小学校の時のエレクトーン発表会、サッカーの試合、中学生の時の生徒会選挙。なぜか彼の誕生日にはその手のイベントが重なりやすかった。そして、まあ細かい勝敗は別にしておくとして、それらに対して後悔しない戦いを展開できた。だから、一世一代の大勝負に、その日を選んだ。

 とはいえ、これが大勝負だというのは、当の少年少女だけにとっての話である。

 一人の少年が恋をした。その恋の相手に、気持ちを伝えようとした。ただそれだけの、甘酸っぱい青春の一ページ。傍からでも見えている通りである。そこには何の裏もない。金曜が特別な日だというのも、彼らにとってしか意味のない話。

 周囲にしてみれば面白い見世物の域を出ないし、似たようなイベント自体はそれこそいくらでも世の中に転がっている。


 だからこれは、またも繰り返しになるが、そう大げさな話ではなかった。

 少なくとも、この時点までは、そうだったのだ。


      ◇


 早すぎる時間に目が覚めた。

 寝直そうとしたが、無理だった。

 少年は起き上がり、着替えると、自宅を出た。

 静かな、夜明け直後の住宅街を歩く。川べりの道で、軽くジョギングを始める。少しずつ街が目覚め、人々が動き始める。

 このあたりで、興奮がぶり返してきた。

「うおおおお……まじか……まじかよ……」

 足を止めて、頭をかかえる。にやける口元が止まらない。

「金曜日……ついに、夜空先輩に……ぐおお、まじで言えんのかよオレ……」

 昨日もあの後一日中、ずっと同じことを言い続けていたような気がする。帰りの満員電車の中では、周囲の乗客たちに気味悪そうな目を向けられた。やめたほうがいいとはわかっていたけれど、止められなかった。

 今は、まわりに誰もいないのだから、誰にも迷惑をかけずに、にやけられる。いやまあ人の目があろうがなかろうが、いい加減にしたほうがいいのだろうけども。

「やるぞ、やるぞ……」

 ぶつぶつと繰り返す。

 がんばれ、ゆめくん。別れ際に彼女はそう言ってくれた。これはほかのどんな言葉よりも、少年を鼓舞するものだった。彼女の口にする『がんばる』は、そのくらい少年にとって特別だったから。

 少年は興奮し、鼻息荒く、

「気合い入れろオレ、先輩をがっかりさせんなオレ……」


 ――衝撃、


 世界が、まるごと揺れたと感じた。

 普通の地震であれば、地面が揺れて、地面に接しているあらゆるものが二次的に揺らされる。それとは少し違うような気がした。地面だけでなく、そこにあるすべてのものが、同時に震動にさらされたような。

 そう長い時間ではなかったし、そう激しい揺れでもなかった。しかしそれでも、立っていられずに少年はその場に尻もちをついた。胃が攪拌かくはんされたか、かすかなしんを感じる。

 まわりの街が目覚め始める。何だ今のは、すげえ揺れだったな、震源地どこだ……そんなざわめきが、風に乗ってかすかに聞こえてくる。

 そんな人々の戸惑いの気配が、逆に、少年に日常を思い起こさせた。

 やはり今のは、ただの地震だったのだろう。一瞬違うような気がしたけれど、あれは錯覚だ。だから誰もが、そう反応している。ちょっと大きめの揺れに出くわしたときの、ごくありふれた反応をしている。

 そう結論して、もっと重要なことについて考える作業に戻ろうとした。

 そして気づいた。

「は……?」

 小さくうめき声をあげた。

 見えたものを信じられず、まばたきをした。

 少年が尻をついている場所から、河を挟んで向こう側――広がる街の、さらに遠く。

 遠く、紫色の壁のようなものが、天と地をつなぐようにして、聳え立っている。

 それは高密度の雷雲に似ていたが、無音であり、また広がったり移動したりという気配をまるで見せなかった。

「CG……?」

 ぽつりと、そんな単語が、口をついて出た。

 そりゃちげえよ。脳内で友人の一人がつっこみを入れてきた。現代のCGコンピューターグラフィックスは画面に映すものであり、現実の景色に重なるように見せるには、ARオーギュメンテッドリアリティという別の技術が必要になる……などと、したり顔で解説までくっつけてきた。

「いや、そうじゃなくて」

 どうやら自分は混乱しているらしい。頭を振る。改めて東の空を見る。

 CGだと疑いたくなるほど、目の前のその光景は現実離れしていた。ほんの数分前までの自分の日常の延長上に、ありうるはずのないものだった。

 そして、やはり突然に。

 その紫色の壁は、一度だけ強く発光してから、消失した。

「……あ?」

 もしかして、これで終わりなのだろうか。そう思った。

 終わってしまえば、結論も出せる。今のは幻覚か何かだ、ちょっと興奮しすぎた自分の自律神経とかそういうやつがイタズラをしたのだ、と。過ぎてしまえば痕跡こんせきもなにも残らない、なにせ幻覚なのだから。そう考えた。

「何だよ、驚かすなよ」

 そうこぼしながら、視線を東の空から逸ら――せない。

 紫色の壁があった場所を。そして、その向こう側を、凝視し続ける。

 ゆっくりと明るくなるへいを、にらみつける。

 異常はまだ終わっていないのではないかという不安が、心から抜けていなかった。異変はむしろここから始まるのではないかという直感が、胸を締め付けていた。

「何か……おかしい……?」

 実際、そこに異常はあったのだ。

 首都圏という場所には、隙間というものを知らないかのように、高層建築が林立している。地平線を覆い隠し、角度によっては空すら侵蝕する、それがこの辺りの常の光景であり、少年がいつも見慣れていた景色だった。

 なのに、

「ビルが……減ってる……のか……?」

 ぱっと見ただけではわからない。手前のほう、比較的近くに立つビルたちは、先ほどまでとは変わらない姿でいたから。

 よくよく見れば気づける。遠くのほう、それでも見えていたはずの背の高いビルやタワーたちの影が、なぜか見えなくなっている。霧が出ているわけでも、陽が沈んだわけでもないのに、まるで夜明けの空に溶けて消えてしまったかのように。

 その異常が何を意味するものなのか、その時点の少年には想像もできなかった。

 遠く――正体の知れない轟音ごうおんが、響いてきた。今度こそ、地面が揺れているようにも感じる。目の前を流れる河の水面が乱れている。

 何だよ。

 なにが起きてるんだよ。

 わからない。わからないから、なにもできない。尻もちをついたまま、ぽかんと口を開けて空を見ている。

 轟音が、震動が、大きくなる。


 2002年、6月5日。午前6時17分32秒。

 東京と呼ばれていた都市の一部分が、消滅した。

 そこにあった建造物も。そこにいた人々も。そこに栄えていた文化も。すべてを吞み込んだまま、無へと帰した。


 金曜を、決戦の日としよう。

 東京都千代田区の片隅で、一人の少年が、そう決意を固めた。

 けれど、その金曜日は、訪れなかった。決戦の舞台も、相手の女性も、彼の前から消えたまま帰ってはこなかったから。


 少年の青春は、その日、強制的に終わりを迎えた。

 あるいは。

 地球人という種にとっての青春時代も、また同じように。その日、終わっていたのかもしれないのだが。

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